十九話 譲れないものがあるからこそぶつかる
島の姿が見えてきたところで今更ながらに私は考える。その島はこの極寒の北海にありながら明らかに温暖であることが生い茂る緑を見ればわかった。そして岸辺には港が見え、その向こうには大きな木の柵で覆われた町があるのがはっきりと見える…………あれが楽園と呼ばれる場所で間違いないだろう。
問題は、私が歩いてそこへ辿り着こうとしていることだった。あんなにも立派な港があるのに船が入らず人だけが現れればどう考えても怪しまれる。なにせ孤島であるのだから船以外の進入などあるはずもない。
遭難者を装う?
それが一番簡単で無難ではある。あの島に辿り着くのは容易なことではなく実際に北を目指したほとんどの船は沈んでいるはずだ。しかし間近まで迫った船であれば沈没しても遭難者が流れ付くようなこともあっただろう。
そのほとんどはこの冷たい海に命を奪われてしまっているだろうが、生きていた者だってゼロではないはず。
ただ、遭難者を装うのは簡単でもその後の行動に制限がかかる。それに町の人たちを騙すことになるので私の目的を果たすのにもマイナスだ…………というか騙す意味があまりない。
「やっぱり正面から行くのが一番ね」
むしろ海を歩いてやって来るのを見てもらえばその後の説明もスムーズに済むだろう。そう私は判断して港のほうへと向かって歩いていく。
そこには何かしら作業している人たちはいるだろうから、多分歩く私に気づいてくれるだろう。
◇
「いやまさかあの海を歩いて越えてくる方がいらっしゃるとは思いませんでしたよ」
「すみません、騒がせてしまったようで」
「いえいえ、知っての通りここは外部とは隔絶した場所ですからな、偶にはこういうことも良い刺激になります…………別にあなたは我々を害する目的でやって来たわけではないのでしょう?」
探るような視線でこの町の長であるという男性が問いかけてくる。こんな北の果ての僻地で町を発展させているだけあって抜け目のない表情をしていた。
「ええもちろんです」
私はことさら友好的に微笑んで見せる。実際私はこの町に危害を加えるつもりはない。
確かに大陸の現状に苦しんでいる人たちのことを考えれば思うところがないこともないけれど、この場にいる人々も相応のリスクを背負ってこの場所に辿り着いたわけだから対価は支払っていると言える。ことさら罰を受けるような謂れはないだろう。
「それではあなたが何者で、何を目的にこの島にやって来たかを聞かせて頂いても?」
「わかりました」
私は頷く。ここで拒否するなら正面からやっては来ない。
「まず私はイサナ、マナカといいます」
この世界では私の前世のような名前の人はほとんどいない。だからこれで概ね私の素性を察することだろう。
「町長さんは国家連合と魔王軍との戦いがどうなったかはご存じですか?」
「魔王に挑んだ転生者の方々が敗北したというのは聞き及んでおります」
私が転生者であることを察したからか配慮した物言いだ。しかしこんな僻地でありながら比較的新しい情報を把握している辺り、やはり侮れない人物だ。
「転生者は敗北しましたが魔王軍にも大きな痛手を与えました。押されていた戦線も持ち直し現在は互いに失った戦力の回復に努めています…………元々この辺りまで魔王軍の手は伸びていなかったでしょうが、当面は平和が訪れると考えてよいでしょう」
「亡くなった方々の献身に感謝を捧げます」
芝居がかった仕草で町長は祈りを捧げる…………献身、か。みんなはそれほど神の使命を果たすことに熱心だったわけではない。中にはゲームのように考えているものもいたし、魔王を倒した功績で遊んで暮らすことを考えるものもいた。
けれど誰もが最後まで逃げることなく戦った。
個々の思いはそれぞれだったけれど、私たちは信頼し合える仲間だった…………だからこそ仲間のためにその魂を最後まで燃やし尽くしたのだ。
「ええと、イサナ様?」
思わず感慨にふけってしまった私へ戸惑うような視線を町長が向ける。いけない、と私は内心で己を叱咤する。今ここで後悔したところで彼らは帰ってこない…………私は私のやるべきことをやるだけなのだ。
「すみません、それで話の続きですが…………戦線が膠着してもそれは今だけの話です。互いの戦力が回復すれば再び戦争は激化するでしょう」
「…………」
町長はそれに意見を述べることなく沈黙する。彼としてはせっかく前線から遠く離れたこの場所で平穏な生活を送っているのに魔族との戦争に巻き込まれたくないのだろう。私に下手な発言をして言質をとられたくはないのだ。
「警戒せずともこの町を戦渦に巻き込もうとは私も思っていません」
だから私はその警戒を解くように告げる。この言葉に嘘はないつもりだ…………いや、少し違うかもしれない。
「ですが、この町に全く影響を与えないということもないでしょう」
「…………どういうことかお伺いしても?」
「私は魔王に対抗できる強者を探しています」
そう、それが私のこんな北の果てまでやって来た理由だ。
「転生者たちの犠牲によって時間は稼げましたが…………その稼いだ時間の中で私たちは魔王を倒せる戦力を集める必要があります」
ただ戦力を立て直すだけでは駄目なのだ。以前と全く同じ戦力まで立て直せたとしてもそれではまた魔王にやられるだけ…………魔王を上回る力が必要なのだ。
「そんな強者がこの島にいると?」
「いるでしょう」
私は確信を持って答える。
「この島の環境を維持できる存在が弱者なはずはない」
この島の一帯だけまるで別の地域のような環境になっているのに気づかない人間がいるわけがないのだ。魔術で気候を変えることは可能だけど、私たち転生者であっても短期間の維持が限界だろう。
それを恒常的に行えるのは規格外の魔力の持ち主か、それが行えるようなシステムを組むことのできる技術を持っているかになる。
「…………否定はできませんな」
その事実を前に流石に町長もとぼけることはできなかったようだ。
「ですが」
ある種の覚悟を決めた表情で町長は私を見る。
「私から詳しいは話をすることはできかねます」
「なぜですか?」
「私たちはあの方に庇護されているわけではないからです…………偏に私たちがこの島にいられるのはあの方の寛容に過ぎないからですよ」
「それは、機嫌を損ねれば町を滅ぼされるということですか?」
「いいえ、あの方はそのような真似はされませんよ」
町長は首を振る。
「ただ、この島から去られるだけです」
どうやらあの方というのはこの町に対して何の愛着もないらしい。面倒にならなければ近くに住むことに文句は言わないが、面倒になるようであれば去っていく…………そして去られるだけでこの島は楽園ではなくなるのだ。
「つまり協力はできないということね」
「申し訳ありませんが…………けれど妨害もいたしません。あなたを止めるだけの力は私どもにはないでしょうし、それがあの方の意思に沿うかもわかりませんから」
それはつまりあちらが私に興味を持つ可能性はあるということだ。
「ですが、できることならこの島をそっとしておいて欲しい。それが私の願いです」
それは心の底からの懇願のように私には聞こえた。
けれど私は止まることはない…………止まるわけにはいかないのだ。
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