十七話 当人が何を考えていようが世界は関係なしに動く
「ふ、あああ」
軽いあくびと共に僕は目を覚ます。眠気はまだあるのにそれが心地よい感触だった。昨日眠る前は確かにあった胸の奥のもやもやは不思議とすっきりしている。
もちろん何か解決したわけではないとは理解はしていた。
しかし昨日までの後ろ向きではなく、前向きにそれに対峙できそうな気分になっていたのだ。
「…………」
体を起こしぼんやりとした頭でそれはなぜだろうと僕は考える。昨日重い気持ちで眠りについて起きるまでには何もなか…………いやあった。不意に目を覚ますと体の上にノワールさんが馬乗りになっていたことを思い出す。その後の生々しい記憶も。
「えっと、でも…………夢?」
寝巻の乱れもないしベッドも整っている…………何よりもノワールさんの姿がない。だとすればあれは僕が不安とストレスから逃れるために見た願望的な夢…………だとしたらものすごい虚しい話になってしまうけれど。
「…………溜まってるのかなあ」
異世界に転生して十年。前世の死因が女性関係だったのもあって性欲を覚えることはあまりなかった…………というかこの森にいる限りノワールさん以外に会うこともないし、ノワールさんは確かにものすごい美人ではあるのだけど、僕の保護者という認識があったからか劣情を抱くこともなかったのだ。
「でもあんな夢見ちゃったしなあ」
僕の心も十年前に比べればずいぶんと回復したし、内心ではそんな願望が生まれていたのかもしれない。
「まあ、とりあえずご飯でも食べて今後のことを…………」
僕はベッドから立ち上がろうとして、ふと脇の小さなテーブルに置かれていた紙切れに気づいた。
紙なんてものは森から出ない僕からすれば貴重品で、作り方は何となく知っていても製造には至っていないのでノワールさんに貰った分を大事に使っていた…………だから自分でそんなところに紙を置いていないのは確かだ。
そしてそれならば心当たりは一人しかおらず、僕は慌ててその文面を確認する。
「気を遣わせるかもしれないので寝ている間に帰ります、またね」
短いその文面には確かにノワールさんの署名があった。
「…………夢じゃないじゃん」
確かなその事実に、僕はまた頭が重くなるのを感じた。
◇
とりあえず現実逃避に朝ご飯を食べたけれどまるで味がしなかった…………そして当然ながら現実は変わらない。僕は外の世界とノワールさんに対してどうするべきかを考えなくてはならない。
「責任…………とるべきだよな」
ノワールさんは長命種にとっては相性の確認事項の一つに過ぎないと言っていたが、普通の人間の感性を持つ僕としてはそうもいかない。手を出してしまったのなら少なくとも僕の側は責任をとる方向で考えるべきだと思う。
それをノワールさんが嫌がるのならもちろんしないが、彼女だって責任を取られて嫌がるようなことはないはずだ…………僕のことを好きでいてくれるわけだし。
しかし問題はそうなると僕が島の外へ行くのは難しくなることだ。
流石に男としての責任を取ると宣言してノワールさんを置いてはいけないし、死の危険があるようなことも避けなくてはならないだろう…………結局は使命から逃げるのかと言われれば言い訳のしようもなくなるけれど。
「この島の中からでもできることを何とか考えないと…………」
外に出ることなく貢献する方法というのは元々検討していた。けれどそれは結局自分に甘いだけなんじゃないかと思えて却下しようとしていた…………けれどノワールさんに責任をとることを考えると他に方法はない。
「問題は、それも結局ノワールさん頼みになりそうなことだよなあ」
情けなくも僕はそう呟く。僕には力も知識もなく…………しかしノワールさんにはその両方がある。そして僕が頼れる相手は彼女だけなのだ。
もちろんノワールさんには世界に大きな影響を与えるような力は使えないという制限がある。だから例えば魔王を倒すという直接的な方法をとるには人種が絶滅寸前という条件を満たさなくてはならない…………しかし逆に言えば世界に大きな影響さえ与えさえしなければいいのではないだろうか。
ノワールさんはこの島の気候を温暖に維持しているし、魔物が出現する条件である瘴気も寄せ付けないようにしているという…………それは町長さんの口ぶりからすればそれだけでもとんでもない力のようだ。
とはいえノワールさんは自身にかけられた制限を使える力の規模ではなく世界への影響と表現している。例えばこの島の外では同じように気候を操作したり瘴気をよせつけないようなことは許されないのだろう。多くの人がいるような場所でそれを行えばそれは世界への大きな影響と判断されるはずだ。
結局は、その辺りもノワールさんに確認する必要がある。
制限がある範囲で何ができるのか、どこまでやれるのか…………うん、やっぱりどう考えても全部ノワールさん頼みになる。僕にできることがあれば当然僕もやるけれど、それを教えてくれるのも結局ノワールさんなのだ。
「とりあえず、会いに行くしかないよなあ」
僕自身の無力さはもう認めるしかない。それはもう転生する前に力と使命を放棄した時点でどうしようもないことなのだ。
こんな後悔を抱えることになるなら貰っておくべきだったと今では思うけれど、それはこちらの世界で心が癒された今だから言えることで、当時の僕は本当になにも抱えたくなかったのだから仕方ない。
だから今は今の僕にできることをするしかないのだ…………それが傍目から見てどれだけ情けなく見えようとも。それで誰かが助かるならいいことのはずだ。
「はず、はずなんだけど…………」
僕の足は椅子から立ち上がろうとしない。
「昨日今日は…………流石に気まずい」
それも情けない理由で。
「…………午後になったら行こう」
ノワールさんだってきっと午前中は色々都合が悪いはずだ。
そう思う…………思うことにした。
◇
「全く、寒いし景色は変わり映えしないし面倒なことね」
私は歩いていた。ただひたすらに歩いていた。海の上を歩くなんてことは前世では考えるというか想像すらしなかったことだ…………しかもこんな極寒の北の海。生身どころか下手な船でも挑むのは無謀な環境だ。実際に北の湖の楽園とやらを目指して多くの難民を乗せた船が旅立っているけれど、戻って来たものは一隻もない。
果たして彼らは楽園を見つけたのか、それとも見つけられずに沈んだか。
確認するには私自身が楽園に辿り着くしかない…………もっともそれは私の目的地がその楽園と一致していたらの話ではある。そうでないなら私は目的地でもない楽園とやらを探す理由はない…………興味はあるけれど、そんな無駄なことに時間は使えないのだから。
「というか引き際ミスったら私も詰むわね、これ」
私は荒れ狂う海の上で、今のところ休めるような小島などは見当たらない。目的地に辿り着くまでは休みなしでも力が足りると判断しての行動ではあるけれど、万が一途中で力尽きれば私は海の底だ…………まあ、それでも死にはしないのだけど。死なないだけで凍りづけになって偶然解凍されるまで眠り続けるということはありえるだろう。
「流石にそれは嫌よね」
休めるような場所を見つけたら休もうと私は決める。
時間はない…………けれどだからこそ確実に、だ。
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