十二話 自分だけの為のことでも誰かの役に立ったりする
ノワールさんが町長さんへと脅しをかけた後というのもあって僕は萎縮していた。見たところ町長さんの年齢は六十代後半くらいだろうか。前世の年齢を合わせても僕より年上であり下手に出られるのはとても気まずい。
「さて、私に外やこの町について話を聞きたいということでしたな」
そんな僕がどうしたものかと押し黙っていると先に町長さんが口を開いた。
「えっと、はい…………お願いします」
慌てて僕は頭を下げるが、町長はすぐに話を始めずそんな僕をじっと見つめる。
「そうですな、しかしその前に認識のすり合わせをしたほうが良いでしょう」
「認識のすり合わせ、ですか?」
それをするためにも外やこの町の話が必要なのではないだろうか。
「恐らくですが、あなたは魔女様に保護されてから森を出るのは初めてでは?」
「…………はい」
ノワールさんの魔術のせいもあって僕は外への興味を一切抱いていなかった。
「もう察していると思いますがこの町は魔女様に一切頭が上がりませんし、その機嫌を損ねないように心がけています。森側の門に門兵が置かれているのは外からの脅威に対するものではなく町民が森に入らないための監視です。あちらの森への立ち入りは基本的に禁じられていますから」
それはこれまでの態度から僕もわかっていたことだった。問題はそれがどういった感情によって行われているものということだ。それが尊敬から来るものであれば一番いい。しかし残念ながら町の住民たちのノワールさんに対する感情は恐怖に近いものに見える。
とはいえそれは単純にノワールさんが物理的な恐怖を与えているような印象でもなかった。自分たちには理解することできない上位の存在に対する恐れ…………それこそ神様とかそういうものに対する恐れに近いように僕には見えた。
「あの、でも最悪ノ…………魔女様が去るだけなんですよね」
いつものように名前を口にしようとして、その名前を町長すら知らされていない可能性に思い立って僕は言い直す。
「ええ、去るだけです」
町長は頷く。
「だからこそ、魔女様を去らせないために私は全力を尽くす必要があるのです」
その為には、と町長が僕を探るように見る。
「その魔女様の客人であるあなたにも私は逆らえません…………例えあなたが町民たちに無体を働いたとしても、私はむしろそれに抵抗した町民のほうを咎めなくてはならないでしょう」
「っ、そんなことしませんよ!」
僕は慌てて否定する。確かに僕はノワールさんの保護下にあるが、それで自分が王様にでもなったと思い上がりはしない。そんなものはノワールさんに見限られれば破滅するような真似でしかないし、そんなことをする人間に彼女はいつまでも好意を向けないだろう。
「ははは、やはりあなたは見立て通り素直な方のようだ」
そんな僕を町長は朗らかに笑う。
「まあ、そんなあなたにだからこそあえて今のような言い方をさせてもらったわけですが」
「…………もしかして、釘を刺したってことですか?」
「ええ、失礼ながらあなたはお人好しに見えましたからな…………今のような話をすればあなたは私たちに無茶な要求をしないよう必要以上に気をつけるでしょう?」
「…………そうですね」
元々無体な真似をするつもりなどなかったが、あちらに気を遣わせるような頼み事はできる限りしないようにしたことだろう。
「なら、それをなぜ僕に教えたんですか?」
目論見通り釘をさせたなら僕にネタ晴らしをする必要はない。教えてしまえば僕が反目してその効果が無くなってしまう可能性だってあるだろう。
「まあつまり、どんな形であろうとあなたを利用するつもりはないという意思表示と忠告ですね。私はあなたの意思を誘導して曲げさせるつもりもないし、あなたを利用して魔女様から譲歩を引き出そうというような意思もない」
「…………魔女様に去られないように、ですか?」
「ええ、それが最優先でありそれ以上の欲を掻いても破滅するだけですから」
だからあえて釘を刺す真似をしてその意図をすぐに教えた。自分はこういうことをするつもりはないが、しようとする者もいるかもしれないぞという忠告も兼ねて。
「何かしらあなたを利用しようとする者がいればできればすぐに教えて頂きたい…………私のほうで処理いたします」
対処ではなく処理と町長は言い切った。それはつまりノワールさんに去られる可能性がある行動をした時点で極刑に等しいということだ。
「あの、そこまでのことなんですか?」
だから僕はもう一度尋ねる。確かにノワールさんは神の代行者であり途方もない力を持っているらしいけれど、その力でこの町を助けているわけでもないはずだ。
町長への態度を見れば彼女がこの町に対して何の思い入れも抱いていないのはわかる…………だから町長さんがここまで気を遣ってノワールさんの存在を維持しなければいけないほどの恩恵を受けているとは思えなかった。
「魔女様はこの町との関りをあなたにはなんと?」
「時々薬の取引などがあるとは聞いていましたが」
人里からハムやチーズなどを交換したと聞いた時に薬と取引したのだと僕は聞いていた。その時の想像ではこんな発展した街ではなく過疎気味の農村のようなイメージだったから、僕は特に疑問を抱かず納得した…………しかし実際の町を見るとずいぶんと発展している。
わざわざノワールさんと取引せずとも薬屋くらいあるのではないだろうか。
「確かに魔女様の薬は町の物と比べても薬効が高いものですが、無くて困るというものではありません」
「じゃあなんで?」
「あなたはこの島がアルケィ大陸より遥か北の位置にあるのはご存じですか?」
「え、はい」
いきなりなんだと思いつつも僕は頷く。それはちょうど町に来る前に聞いたばかりのことだ。
「アルケィ大陸の北部は年間を通して寒い日が続き温かい季節は少ない。そしてその傾向はさらに北の島々になると強くなります…………そしてこの島は私の知る限りではもっと北に位置する島ですが、あなたは寒さを覚えたことはありますか?」
「…………ないですね」
確かにそうだ。基本的に北に近づくほど気温は低くなるものだと僕は知っているし、それはこの世界でも変わりないらしい…………しかし僕が転生してからこの島はずっと過ごしやすい気温を保っている。
「もしかして」
「ええ、全ては魔女様が自身の過ごしやすい気温を維持している結果です」
「…………それって簡単にできることなんですか?」
「まさか。高名な魔術師であれば一時的に気温を変化させることは可能と聞きますが、それを常に維持し続ける、ましてや島全体で行うことなど不可能です」
それはそうだろうと魔術に詳しくない僕でも想像できる。
「さらにこの島では魔物がほとんど出現しません…………魔物に関しては御存じですか?」
「ええまあ、知識だけですけど」
魔物は魔王軍の本拠地であるスピルド大陸から流れてくる瘴気によって生じるものらしい。その瘴気は世界全体に流れていっているので世界中で魔物の出現しないような場所は存在しない。ただ人里では結界によって瘴気を防いでいるのでその内部に現れることはないようだ。
「魔物は魔王軍の本拠地から離れれば離れるほど瘴気が薄くなる関係でその発生率と強さは下がっていきます…………ですがゼロになるわけではない。けれどこの島ではほぼゼロ、というか魔女様の森に近づきさえしなければ出会うことはありません」
それはノワールさんが森への侵入者避けに入り口付近だけには魔物の出現を許しているからだろう。それ以外は全て出現を防いでいるのだ。
「わかりますか? 魔女様がいるからこそこの島は平穏で人が暮らしていける場所なのです」
そんなノワールさんが去ればこの島は極寒で魔物が現れる場所となる。
「理解、できました」
だからこそ町長さんはノワールさんが去らないように僕相手でも全力で機嫌を取らなくてはならないのだ。ノワールさんにとってはこの島は面倒になれば去ればいいと思う程度の場所でしかない。去った後の配慮などしてはくれないだろう。
「勘違いしないでもらいたいのはそれを含めてもこの島は楽園であるということです。外の世界のように魔王軍や魔物に怯えることも寒さや暑さに翻弄されることもない。そして我々が余計なことをしない限り魔女様はあえてこの島を離れることはないのですから」
長命種であるノワールさんであれば寿命で亡くなってしまうこともない。
ただ一つの決まり事を守り続ける限り、薄氷の上のようなこの楽園は永遠なのだ。
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