給食革命!!
確か訊いたキッカケは歴史番組だったと思う。そう。フランス革命だ。
「ねえ、お父さん。革命ってなあに?」
「革命っていうのは、自分たちで嫌だなあって思うことを変えて、自分たちの良い風にすることさ」
革命。新しい言葉の意味を周りの大人に聞くのが楽しかった。純粋に知識が増えていくのが面白かった。だから僕はあの出来事をこう名付けた。
――給食革命。
小学二年生の始業式、隣に座った女子の顔は一度も見たことがなかった。一年も小学生をやってるんだ。クラスが違ってもある程度どういう女子がいるかってのは分かる。だけど本当に見たことがない。
「名前、なんていうの?」
僕を一瞬見たけれど恥ずかしそうにして何も言わない。ただ机の見ている。じっと。
その目線の先に名前が書かれたシールを見つけた。そういえば新しいクラスになって、新しい席になるから、その机にはみんなの名前が書かれたシールが貼られるんだった。
「田中花?」
ハナ。なんて変な名前。でも頷いた。
「俺は鈴木健人。普通だろ?」
やっぱり頷いた。さっきからなんで喋ろうとしないんだ?
「健人!」
後ろから耳に心地良い友達の声が聞こえる。一年生の時に同じクラスで一番最初の友達になった雄太がこっちに来いと呼んでいる。少し迷ったけど雄太の元に向かった。同じクラスだったな! とかやったな! って興奮して話しかけてくる。けど僕が時々花という名の見知らぬ女子に目線を向けてると、雄太も興味を示したんだと思う。誰、あいつ。とぼそっと呟いた。
「知らない。見たことある?」
「ないない。たぶんあれじゃない? テンコーセーじゃない?」
転校生。そういえばそうかも。だって見たこともないもん。転校生って緊張するのかな? 誰も周りに知っている人がいないってどんな気持ちなんだろう? 僕は小学校に入学したときにはもう近所の保育園で一緒だった友達が一杯いたから、そういう気持ちは分かんない。保育園の時はどうだったんだろう? 駄目だ。思い出せない。ちょっと前のことなのに、もう分かんない。
「転校生、一人ってかわいそうじゃね? たぶんだけど」
「え。もしかして! 健人、転校生に愛の告白かよ!」
「ちげーよ、ばか!」
廊下に逃げる雄太を追いかける瞬間、僕はまた花を見た。まだ机の自分の名前を見ていた。
担任の先生が発表された。犬飼先生という、おじいちゃんの先生だった。僕のお父さんよりも年上に見える。犬飼先生は全校集会でいつもは五、六年生の担任ばかりやってきたけど、二年生の担任になったから、分かんないことばっかりだけどよろしく。と言っていた。周りのみんなは犬飼先生はおじいちゃんだから体育とかできるのかな? とか、怒るとマジで怖いらしいよ、とか、そんなことを言ってる。そういう風に変なことを言いたくなかったら、周りから話されても適当に言っておいた。
犬飼先生の噂が本当だと分かったのは何日か経ったあとの、初めての給食の時だった。僕は嫌いな食べ物に今まで出会ったこともないから、何を食べても平気で、いつも残すことなんてなかった。でも犬飼先生は給食を残すことは大嫌いだったみたいだ。
「俺がお前達ぐらいの時は給食はまずかったけど食べ物がなかったからありがたかったんだ。今、世界の子供で給食を食べられない子供だっているんだ。お前達も残すなよ」
僕にとってどうでもいい話だったけど。花にとっては重大な話だったみたいで。
僕が給食を食べ終わろうとしているときに話しかけてきた。
「あの、健人くん」
「うわ、喋った!」
この一言はまずかったかも、と思ったけど。気にしてなかったのかも。続けて小さな声で僕に呟く。
「ねえ、犬飼先生って怖い先生って本当?」
「分かんない。そういう話は聞いたことあるけど、僕、先生のこと知らないもん」
「お願いがあるの。一生のお願い。この給食、全部食べて」
「全部って、全部かよ!」
八宝菜にご飯に白玉あんみつに牛乳も。全く手をつけてなかった。みんなそれぞれ新しい友達ができて、べらべら喋りながらも、給食を半分ぐらいは食べているのに、花は全く食べてない。
「そんなん無茶だよ。自分で食べないと怒られるだろ?」
そう言って、食器を配膳台に持って行った。机に戻ると席の周りが騒がしくなっていた。後ろの女の子が大丈夫? と必死に呼びかけている。花が、手で顔を覆って、本当に子供みたいに泣いていた。慌てて周りが先生を呼んでいる。先生が花にどうして泣いているの? と優しく訊いても話す様子はない。
迷った。ここで僕は言うべきなんだろうか。僕には分からない。転校生の気持ちも、給食のどれもこれも全部食べられない気持ちも。分からない。だから僕は黙っていようと思った。分からないことを分かったふりして話すのが気持ち悪かったから。
でも本人が先に漏らしたみたいだ。
「ごめんなさい……。全部給食が苦手……」
「駄目だぞ。先生はちゃんと言っただろう? 残さず食べるんだぞ、って。みんなもそうだぞ。給食は残したらみんなに迷惑だろ? そんなことをするんだったら、食べられるまでずっと給食の時間だ!」
花は咳き込んでいたが、もう涙を流さず、ただぼんやりと犬飼先生を見ていた。初めて先生は怒った。僕には分からない。先生が変なのかどうか。だから僕は何も、言えなかった。
先生は本当に給食を続けた。だけど食べた人たちは五時間目の算数の授業を受けている。給食が食べられなかった花たち、三人がずっと給食を食べていた。というよりも、授業を受けられなかった。食べられないのならば残すのが当たり前だった一年生の時とは違って、みんな食べないと食べ続けるのが犬飼先生だった。僕が初めて九九を覚えようとしている隣で、花はずっと給食とにらめっこをしていた。
あの時、無理をしてでも食べておけばよかった。二人前でも何でもいいから、食べておけばこんな風にはならなかったのになあ。
帰りの会が始まってもまだ片付けられなかった。日直が学級委員を決めるのは明後日です、と言っている。
僕は去年の学級委員だった。勝手に投票させられていたのだが、やってみると意外と楽しかった。そのことを覚えている奴らが「学級委員は健人だよ!」と楽しそうに騒いでいた。もちろん雄太も。教室が笑い声ですごくうるさくなってるのに、隣の花は五時間目も六時間目も帰りの会もずっとずっとずっと、にらめっこ。
「大丈夫?」
と僕は小声で言うと、花は小さく頷いた。
「先生、何か最後に言うことはありますか?」
帰りの会の最後、先生はみんなに言い聞かせるように、
「給食を食べられないとこうなるんだぞ。みんなに食べ物を大事にしてほしいんだ。食べられなかったみんなは帰りの会が終わったら一階の給食室まで自分で持って行くように。それじゃあ今日はおしまい」
あっけらかんと給食について終わった。
僕は野球部に一年生の頃から入っている。練習は放課後から暗くなる寸前まで。でも危ないからみんなで帰るようにと言われる。だからその日も暗くなるまでノックをした後、同じ方向に家がある雄太と一緒に帰っていた。
「雄太、犬飼先生どう思う?」
「え? そりゃあ良い先生だと思うよ。優しいし、面白いし。でもなんで給食食べられないと残されるのか意味分かんない。かわいそうだよ」
「だよな。そうだよな」
雄太が僕の思いを代わりに言ってくれたからよかった。そう。すごく良い先生なんだけど、給食の時だけおかしいんだ。
「おい、あいつがいるぞ、テンコーセー」
「嘘だろ? こんな時間に」
「いやでも絶対そうだって」
ちょっと前に赤ランドセルを背負った女子。後ろ姿は確かにそうだった。
「話しかけようぜ」
僕が提案するとやめとけ、と止められた。
「なんで?」
「なんでって、おかしいよ健人。そんなに給食気になってるのか? それともやっぱり好きな――」
変なことを言う前に走り出した。お前も良い奴だけどそういうところがいやなんだよ。
「花!」
振り返る瞬間に隣に走ってきたからか、びくついているのが僕からでも分かった。何にそんなに驚いているんだろう?
「今日ごめんな。やっぱりあの時食べればよかったんだよ、俺」
「ううん」
本当にごめんなさい。って感じで首を振っている。
「ねえ、本当に全部嫌いなの?」
「本当は、ごはんは食べられるけど、野菜もあんこも牛乳も駄目で……」
「え? じゃあ前の学校じゃどうしてたの?」
「え? 転校生だって知ってるの?」
「そりゃあ誰だって分かるよ。見たこともない女子だったし」
「そっか……」
「で、前の学校では?」
「ああ、えっとお弁当だったから」
なるほどね。というかお弁当を食べる小学生を初めて知った。お弁当食べてるのってお父さんのイメージが強かったからなあ。
「健人! ちょっと待てよ」
ようやく後ろから雄太がやってきた。もうどうやら茶化す気はないみたいだと分かったのは、普通に花に話しかけていたからだ。
「テンコーセー。食べられないのは仕方ないもんなあ。俺だってピーマンとセロリ嫌いだし」
そうだったのか。初めて知った。
「言った方が良いぜ。親に」
遠慮がちに僕たちを見て、やっぱり遠慮がちにこくりと頷いた。
何か。
何かをしてあげないと。
無性にそんな気持ちになって、ふと一つ浮かんだ。
「雄太! 俺、良い作戦が浮かんだ! それ明日実行するから」
「え? なになに?」
「ぜってー教えない」
何でだよ! 教えろよ! 俺にもその作戦させろよ! なんでかっこいいところだけお前は奪うんだよ!
芸人みたいなぼけと突っ込みに初めて花は笑った。
「じゃあ、私、ここだから」
僕たちは驚いた。だけど驚くふりをしないでじゃあな! と大声を上げて走り去った。
二人で後ろを確認すると吐き出すようにお互い話した。
「あそこ、おばけアパート、だよな」
「ああ、そうだな、雄太」
おばけアパート。本当に古くさいアパートでおばけが住んでいると一度噂になって、僕や雄太も一緒になってアパートに探検に行ったが、公園にいるホームレスみたいなおじさんに物凄くしかられて飛び出した。
あのアパートに住んでいるってことは。
「そうとうやばいぞ、あいつの家。貧乏だろ」
雄太の言葉を聞こえなかったふりをして黙って、そのまま家に帰った。
給食は事前に一ヶ月間何がでるか表になってプリントとして配られる。冷蔵庫の前にマグネットで貼られた給食表を見てから学校に向かった。
給食の時間になると、それまで大人しかった花がもっと大人しくなる。今日のメニューは焼きそばとコッペパンとポテトサラダと牛乳。僕にとっては何も問題がないけれど、花にとっては毎日が大問題で、毎日が戦いなんだろう。
「花、嫌いな食べ物は?」
「パン以外は全部、だめ……」
「そっか。大丈夫。俺にアイディアがあるから」
「どんな?」
「俺、朝飯めっちゃ食ってきたから、全然お腹空いてないんだよね。たぶん放課後まで、ずっとね」
そういうことかと、気づいてこっちを見たときには僕はそっぽをむいていた。
僕は今日、お母さんに無理を言って、ものすごい量の炒飯を食べてきた。お母さんが作る炒飯に、冷凍食品の炒飯を追加して、もう食べることが戦いって感じで食べ続けた。お母さんもお父さんも部活があるからそれぐらいで良いよな、と笑っていた。
そんなのんきな事じゃないんだ。僕は言わなかった。言ったら、のんきな事になってしまいそうだったから。
今日は僕と花を含めて五人残していた。三三人のクラスで五人残しているのは、結構すごいと思うけどなあ。
「残す奴は食べるまで授業を受けなくても良いぞ」
先生は厳しかった。花はやっぱりずっと給食とにらめっこ。コッペパンだけは食べられたみたいだったけど、やっぱり辛いの、かな?
そんな辛そうな花を見ていたら喋りたくなった。
「ねえ、どうして昨日、あんな遅い時間にいたの? 普通すぐに帰っても暗くなるまでいないでしょ?」
「私、鍵っ子だから、家に帰っても面白くないんだ」
「鍵っ子って?」
そう言うとネックレスみたいにかけてあった鍵を取り出した。おばけアパートの鍵だろうか。
「お父さんやお母さんが仕事で忙しくて家にいなくて、鍵を使って家に入る子供のことを鍵っ子って言うって、お母さんが教えてくれたんだ」
へー。知らなかった。
「でも、一人でどこにいたの?」
「ずっと……ぶらんこ乗ってた」
ぶらんこに二時間も乗ってたのか? そんなことって……あり得るのか? ぶらんこに二時間一人でずっと何かを考えるなんて、僕だったらそんなの、嫌だ。
「暇だったらバックネットに来いよ。校庭の角っこにある金網。あそこで野球部が練習やってるからさ」
やっぱり花はこくりと頷くだけだった。
「どうしてお前達は食べられないんだ!」
帰りの会で先生はまた怒った。五人も授業を受けられないのに腹が立ったのかなあと思う。
「俺は本当に食べ物だけには感謝しろと言われてきた。今生きているお前らは感謝が足りないんじゃないのか? もういい。お前らみたいに授業を受けない奴らが学校に来てもしょうがない。だったら最初から来なくても良いんだぞ」
教室から物音が消えた。それまで楽しかった帰りの会も、友達とふざけあってた奴らも、何も話さなかった。
「帰りの会を続けて」
黙っていた日直が気まずそうに学級委員は明日決めますと話をする。僕は思いきり立ち上がった。静かな教室に古い椅子が床がこすれる音がよく響いた。
「なんだ、鈴木」
「先生、学級委員。僕がやります」
急にそんなことを言われて、周りの生徒も、友達も、先生も驚いた。
「鈴木、一応選挙が必要なんだよ。どんなものでも形が必要なんだよ」
「先生! 俺は別に健人で良いと思うよ! あいつ一年の時も学級委員だったし」
雄太が賛成してくれた。これがきっかけになってみんなが、賛成してくれた。誰も他に学級委員になろうとしている人はいなかった。先生が初めて混乱していた。
「先生! みんな賛成してるみたいですよ」
先生は少し黙った。そうするとみんなも黙った。
「分かった。男子の学級委員は鈴木にしよう。ただし、一応選挙はするぞ。以上だ!」
僕はこの時、何かをつかんだ気がした。
学校内の給食センターまでお盆を持って運んだ後、花は言ったとおり、バックネットまで来てくれた。ただぼんやりと野球部を見ている。二時間ぶらんこよりかはましかなあと思うけど、どうなんだろうか。
帰りは結局三人で一緒に帰った。僕は雄太と馬鹿な話をするのだが、前みたいに笑顔を見せることはなかった。おばけアパートの前に来たとき、花は突然駆けだした。アパートの前にはタバコを吸っている女の人。
「お母さん!」
雄太と目を合わす。お母さん?
「遅かったな、花。ん? お友達」
「うん、友達。雄太くんに健人くん」
「花が迷惑かけてごめんね、二人とも。またよかったらうちに遊びに来てね」
僕、いや、僕たちが見てきた花とは別人の花がいた。本当に明るくて、お母さんと楽しそうに喋っている花が。
「なあ、健人。どっちが本物だ?」
本当に雄太は僕の言いたいことを言ってくれた。
僕は気づくのが遅れた。それがまずかった気がする。
翌日、花は学校を休んだ。風邪でも引いたのかなとしか思わなかったし、先生もそんな感じの理由で休んだと言っていたから。
結局、授業で学級委員が決められる選挙で、男子の学級委員は予定通り、僕になった。新しい仕事として僕は日直がそれまでやっていた帰りの会をしばらくやらされるハメになった。
相変わらず、給食に関しては厳しい先生だった。僕は花がいなければ一緒になって食べない必要もなかったが、花の為にと思って冷凍食品を多く食べてきたせいで、給食を食べるのに少してこずってしまった。
帰りの会が終わり、部活が雨で中止になっていて、早く帰れると喜んでいた僕は犬飼先生に呼ばれた。
「鈴木は確か田中と席も隣で家も近いよな」
「うん」
「だったら今日の給食に出てきたコッペパンを持っていってくれないか?」
袋に入ったコッペパンを取り出した。先生は、本当に給食を食べられなかったらここまでするのだろうか。先生を初めて嫌いになりそうになった。
嫌な顔をしたまま、コッペパンを奪うようにとって、教室から走り出した。雄太はどうやら先に帰ってしまったらしい。
僕はコッペパンをその場で食べてもよかったが、一応花の元へと届けることにした。
おばけアパートに入るのは久しぶりだった。やっぱりおばけが出ると言われていたから、古くさい。今にも壊れそうだった。
嫌な雰囲気しかないおばけアパートの中で「田中」と表札がある部屋をノックした。しばらくしても音一つない。誰もいないのかと思い、仕方なくコッペパンを置いて帰ろうとしたとき、ドアが開いた。花がドアを開けて、驚いている。
「どうしたの?」
「いや……犬飼先生が、これを……」
申し訳なさそうにコッペパンを差し出す僕をじっと見つめて、ありがとう、と聞こえないくらい小さな声で言った。
「お母さんは?」
「お仕事……」
「そっか。……じゃあ俺は帰るよ」
待って。
花はコッペパンを持ったまま、嫌な音がするドアを開けた。
「入って」
入るべきかどうか迷っていたら、花が勝手に僕の腕を引っ張った。仕方ないので靴を脱ぎ、そのまま上がる。
おばけアパートは古い畳が敷かれた部屋が一つしかなかった。小さな冷蔵庫があって、ランドセルが部屋の端っこに置かれている。
「え? テレビは……?」
「ない」
テレビがない。どうするのだろう? アニメも芸能人も見られないなんて。
「健人くん。今日何があったか話してよ。私、一日ずっとこの部屋にいたから暇だったんだ……」
そっか。そうだよな。テレビもない部屋で一日いるのって苦しいかも。だったらまだ二時間ぶらんこしている方が暇じゃないかもしれないな。
僕は今日、学級委員になったことを、冷凍食品の食べ過ぎで給食が食べにくかったことを、雨で野球部の練習が中止になって早く帰れて嬉しいことを、いっぱい話した。花はいつもより楽しそうに、本当に楽しそうに僕の話を聞いていた。
そして犬飼先生の悪口も言ってしまった。
「先生、なんでコッペパン渡すんだろうね……」
「それは先生は悪くないよ」
「なんで? 給食食べられないのを知ってるのに、なんで給食をわざわざ渡すのさ」
「うち、貧乏だもん」
そっか。先生は、先生なりに気を遣っていたんだ。でも、何か違う気がした。先生はもっと他の所を見ているべきなのに。
「そういえばなんで今日休んだの?」
花はいつもの花に戻った。それまで楽しそうだったのに、またうつむいてしまう。少し固くなったコッペパンの形が、指に会わせて少し変形していた。
「給食を食べたくなかったんだ。それに。給食を食べられなかったら学校に来なくてもいい、って言ってたでしょう?」
そんな馬鹿なこと言うなよ! と言おうとして、止めた。僕も何かが違っているように思われてしまうのがいやだった。だから、
そっか。
と言うのが精一杯だった。
僕は花のお母さんが帰ってくるまで、ずっと話した。
その夜、僕はテレビで歴史番組を見た。歴史の授業は六年生から習うけど、図書室にある歴史漫画が好きだった。だけど知らない単語だった。
フランス革命。
「ねえねえ、お父さん、フランス革命の『革命』って何? フランスは国のことでしょう?」
「革命? そうだなあ。今、とても嫌な感じがすることがあったとする。先生が嫌いだったり、授業がつまらなかったり。それをみんなの力で良い風に、先生を変えさせたり、授業が面白い方法に変えさせたり、みんなの力で嫌なものを変えることを『革命』って言うんだ」
「へえ」
僕は革命って言葉にわくわくした。僕たちの力で、先生も授業も変えられるのかもしれないんだ。そう言うとお父さんはたとえだよ、と笑って言ってくれた。
でも。たとえだったとしても。実際にやってみる価値がある。
僕は晩ご飯を食べた後、自分の部屋に戻って自由帳にアイディアを書きまくった。どうすれば革命ができるのか。僕はフランス革命については分からないけれど、僕たちには僕たちの革命ができる。
自由帳の最後に僕は大きな文字でこう書いた。
「きゅうしょくかくめい」
――給食革命。と。
今日も花は休んでいた。何となく休む気がしていたから、僕は冷凍食品を食べることもなかった。
だけど胸の中にある思いがあった。
それは体育の着替えの時に。
僕のクラスは体育も男女一緒に着替える。男子も女子も恥ずかしい思いをしているけど、みんなが集まってて、先生がいないチャンスは今しかない。
僕はわざとパンツ一丁で教室の前の机の上によじ登った。
「みんな! 聞いて!」
女子がきゃーきゃー騒ぎ出す。雄太は僕のことを面白そうな目で見ている。
「みんな! 犬飼先生は良い先生だと思うけど、一つ嫌なのは給食の時。みんなちゃんと食べられる訳じゃないし、嫌いな食べ物だってあるのに、それを食べられないで授業も受けられないのはおかしいんじゃないか? だろう、雄太!」
雄太は分かってくれている。僕と同じように大声でそうだ! と叫んでる。みんなが僕と雄太を見ている。
「僕は給食だけはおかしいと思うんだ。だから学級委員として、給食を変えていく! 僕にアイディアがあるんだ! それをみんなでやってほしいんだ」
「なんでやるんだよ、そんなこと!」
雄太はわざと反対のことを言う。
「今から言うことを聞いてほしいんだ! これを聞いても嫌ならやらなくてもいいから!」
僕は大声で話した。
その日の帰り、僕と雄太はおばけアパートに向かった。部屋をノックするとすぐに花が出てきた。今日の話をせがんでくる。けれど、僕たちが話すのはそうじゃない。
「花。明日学校に来ないか?」
俯きそうになるのを無理矢理、顔を上げた。
「ごめん! 明日だけは来て欲しいんだ! 給食が食べられなくても良いから! 頼むよ」
「うん、絶対来てくれよ。きっと明日驚くよ! みんな帰りにその話で持ちきりだったから。だけどそれを知らないのは犬飼先生だけなんだ」
「どんな話! 教えて!」
「駄目だよ。明日学校に来てくれたら、教えてあげる」
僕は分かった。明日きっと花はやってくる。そうだ。花が来ないと意味がないんだ。花は面白そうな表情をしている。きっと、明日、成功してやる。僕は誓った。
翌日。花はちゃんと来てくれた。僕は笑って花におはよう、と声をかけた。花はこれまでで一番いい顔をしていた。まるであこがれの芸能人に会えるという話を聞いた後のような、うきうきしている顔だった。
そう、僕だってうきうきしていた。この話を理解してくれた雄太も、そしてみんなもどこかでうきうきしているように見えた。
その時が来た。
僕たちは給食を食べる。ただ花はいつものように食べられない。だけれども、俯いてもいないし、給食とにらめっこをしていない。ただ食べている僕たちを見ている。先生も呑気に給食を食べている。
けれど、給食の時間が終わろうとしているときに気づいた。
そうだ。僕たちはみんな、給食を完全に食べてはいないんだ。
アイディアが浮かんだときに僕は大笑いした。花や嫌いな食べ物がある人が食べられないままでいるのが嫌なら、みんなが食べられないようになればいいんだ。そうすれば誰もが授業を受けられない。誰もが、苦しさを分ければいいんだ。
僕の話にみんなおもしろがってくれた。後で聞いた話だと、朝ご飯を普段よりめいっぱい食べてくれた奴もいたらしい。
僕はこの革命に全てをかけた。
犬飼先生が予想通り、怒り出した。
「どうしてみんな食べないんだ! どうして食べ物を粗末にするんだ! そんなことをして先生を怒らせてどうしようと言うんだ!」
僕はすくっと立ち上がった。
「先生。聞いてください。学級委員としてみんなの代表として言います。僕の隣の席の田中花さんは給食が食べられなくて困っています。先生はそれを知っていますよね?」
犬飼先生は苦しそうだった。
僕は聞いたのだ。コッペパンを持っていったとき、ちょうど帰ろうとしたときに花のお母さんが帰ってきた。そこでこの話を聞いた。
「先生はそれでも食べさせようとするんですか? 田中花はアレルギーを持っていて、そのせいで苦しんでいるんですよ?」
花はアレルギーが人よりかなり多かった。それで一度死にかけたことがあった。それが小さいときにあったせいで、食べ物に対して嫌な思いしかなかった。だから限られた食事しかできず、学校もお弁当を食べさせる私立小学校に通わせた。だけど、親同士の仲が悪くなって、お母さんと二人でおばけアパートに住むことになった。
「僕はおかしいと思います。だから。素直に校長先生に話しました」
僕の言うことを校長先生は信じてくれた。だけど。
「それでも犬飼先生は給食を食べさせるんですか? 嫌いなものを押しつけるのはおかしいと思います!」
お父さんはもう一つ新しい言葉を教えてくれた。
「給食を残させろ! 給食を残させろ! 給食を残させろ!」
シュピレヒコール。革命にはみんなの意見が必要だった。小学二年生のシュピレヒコールが廊下に響く。僕たちのクラスの騒ぎを聞いて、みんながやってくる。みんなは見るだろう。給食の時間が終わったはずなのに、全員の給食が残されていることを。先生もやってきた。僕たちは叫び続けた。
給食を残させろ!
犬飼先生は頭をがっくりとさせて、子供のように叫んだ。
「お前達がそんな風に思っているのなら、勝手に残せ!」
僕は大好きな野菜炒めを残した。仕方なかった。花の為だった。僕も先生の言うことは分かる。貧しくて食べられなかった人もいる。だけれど、花みたいな本当に食べると死んでしまうと思っている子はどうなんだろう? 食べられない子供はアフリカとか貧しいとか関係ない。日本にだっているんだ!
みんな食べ物を残した。すごく嫌な行動だけど、すごく気持ちよかった。
「嘘だ! 嘘だ! 絶対そんな話なんてないもん!」
息子の翔はあっという間に自分の部屋に戻っていった。
「嘘じゃないよなあ、母さん」
「懐かしいね、あなた」
僕たちは思わぬ結果を生み出した。
校長先生は事態を重く見て、先生に厳重注意をするようになり、アレルギー体質の子供の対策を始めた。それから何年かして、偶然テレビのニュースでアレルギー対策を学校給食で用いだしたという報道があった。僕たちが給食革命を起こしたのはちょうど二〇〇〇年。ニュースを見たのは二〇〇八年。僕は高校生になっていた。
そしてもう一つ。僕はそれをきっかけに急激に花と仲良くなった。お母さんに見せていた姿を僕に見せてくれたのだ。僕は両親と先生にこっぴどく叱られた。だけれど、花のお母さんに物凄く感謝されていて、僕の行動を結局認めざるを得なかった。僕のお父さんは懐かしんでこういった。
「お前に革命の言葉の意味を教えなきゃよかった。でも教えていてよかったとも思うんだ」と。
僕と花は革命をきっかけにお互いを思うようになり、中学生の時に僕が告白した。幼なじみくらいにしか思っていないだろうとたかをくくっていたが、どうやら僕と同じ思いだったらしい。雄太はその話を聞いて少しだけ悔しがっていたけど、認めてくれた。
僕たちは五年前、二五歳で結婚した。晩婚が進む中ではちょっと早かったかもしれないけれど。
翌年、息子の翔が生まれた。最近の子は成長が早い。歴史が好きで、今は日本の元号を覚えているそうだ。
僕は給食革命がきっかけで、先生に疑いを持つようになり、こんな先生は嫌だなという思いから、逆にいい先生とは何かを考え、中学校の社会科の教師になった。フランス革命を習うときに給食革命の話をすると、大抵笑われるが、クラスに一人か二人かは真剣に聞いてくれる。たぶん僕と同じ気質なんだろう。
犬飼先生は僕たちの担任を最後に定年退職された。毎年年賀状のやりとりをしていて、いつも「お前を許さない」と送ってくる。きっと犬飼先生なりの冗談だと信じている。
嫁となった花はトラウマを克服。アレルギーの食べ物以外はかなり食べられるようになった。でも嫁は息子の翔に必ず言っている。
「食べ物を残したら駄目だよ!」と。
どうやら食事に関しては、僕に似てくれているようだ。今日も残さず食べてくれた。
残さないでえらいぞ! と頭をなでくり回すと、嬉しそうに笑みを浮かべるのだ。