婚約者の秘密と、盗み聞きの顛末
ゆるふわ身分制度なんちゃって異世界ぽやぽや学園もの
ゆるふわな気持ちでお楽しみください
――わたくしはこれから、忘れたくとも生涯忘れられない光景を目にすることになるのでしょう。
薄暗い部屋の中、ひとり悲壮な覚悟を固めているのはこのわたくし、フェリシティナ・リトリル・レネ=エヴィルグレン。セルヴェリス王国に五つある四星爵家がひとつ、エヴィルグレン家の長女です。
ここセラ・ノルリス王立学院では総合科2年次の学生であり、婚約者であるアクセリオ殿下と共に学理環局で役員を務めております。
今わたくしがおりますのは学園内の環理棟にある学理環局の執務室、そこに併設されている茶給室。執務室の半分の半分ほどの広さではありますが、茶葉の香りに包まれ、中庭に面した掃き出し窓があり差し込む光が心安らがせるお気に入りの場所です。ここ最近の悩みの種から遠ざかり少し一人になろうと執務室に来ましたが、受け持ちの仕事をする前にお気に入りのお茶を淹れようとしたところ……、悩みの種があちらからやってくるのが見えたというわけです。
先ほどは見つからないよう慌てて隠れましたが、もう一度慎重に窓に近づきます。……やはり、見間違いではありません。遠く隔てられた窓から窺うわたくしのことなど気付かずに、打ち解けた様子で談笑するのは両手に山盛りの書類を抱えたアクセリオ殿下と……その隣、同じく山盛りの書類を抱えて運んでいる女子生徒――、イズモさん。
まずアクセリオ殿下。ここセルヴェリス王国の第一王子である殿下は、現在わたくしと同じくこの学院の総合科2年次であり、学院所属の学生の代表とも言われる学理環局の局長を務めていらっしゃいます。文武に優れ、老若男女問わず人心を掴む魅力をお持ちの殿下は、生徒からの支持も教師からの信頼も厚いのです。
わたくしと殿下は、わたくしのお母様が王妃様の親友である縁から幼いころにご挨拶して以来、恐れ多くも幼馴染として交流させていただいてきました。十二歳になった折、身分と年回りが丁度よく、また知らぬ仲でもないことから婚約者となり、これまで良い関係を築けてきたはずです。殿下が王族として行う公務でもパートナーとしてお支えし、婚約者らしく節目ごとに交流を持ってきました。
殿下はいつも第一王子としての顔を完璧に繕っておられ、あまりご自分のお気持ちを―― それが負の感情でなくとも――零される方ではございません。それでも長年お側にいるうちに、お茶やお茶菓子の好みは完璧に把握しましたし、お疲れの時は察することができるほどには近しくなれたと自負しておりました。つい最近までは、ですが。
次に、殿下と談笑されているイズモさんこと、シーリア・イズモ。貴族の出ではないものの、希少な亜種結界魔法を固有魔法として持ち、さらにそれを独学で魔道具にまで落とし込んだ魔道具開発の鬼才です。その功績を評価されて本年度から高等部に特待生として編入を許された彼女は、高等部卒業後は学園の研究科か王城魔導研究所のいずれかに所属することが決まっているのだそう。
学理環局の書記補佐としてスカウトされた彼女は局内の主要な役位こそありませんが、局の一員としてその優秀さを遺憾なく発揮しています。ちなみに、彼女をスカウトしてきたのは殿下です。なんでも図書館で調べ物を手伝ってもらった際の仕事の速さと正確さ、それに魔道具作成の才能を買ったとのことで、ある日突然局の全体会議で加入が発表されました。
イズモさんについて、才気あふれる特待生ということを置いておいて、他の特徴を挙げますと。彼女はとても、とても、それはもうとても、可愛いのです。
仄かに桃色がかった淡い亜麻色の髪と若葉のようなきらめく瞳をお持ちの彼女は、レンズの大きい眼鏡を掛けられているのでお顔の印象は一見しただけでは捉えづらくはありますが、それでも隠しきれない可憐さと可愛らしさなのです。周りの方々がそれほど話題になさっていないのが本当に不思議。わたくし、初めてお見掛けした際にはこんなにも可愛らしく魅力的な方がいらっしゃるのかと見惚れてしまいましたもの。
お顔立ちだけではございません。同年代のご令嬢方よりも少しだけ低い背丈にすんなりと嫋やかに伸びた手足、健康的でありながらも可憐さを湛えた華奢なその容姿に加え、お声もまるで竪琴を爪弾いたかのような麗しさで、笑い声は天上の銀鈴を転がしたかのような軽やかさ。貴族の子女であれば、社交界で妖精姫とでも讃えられそうなほどです。
白薔薇などと呼ばれてはおりますが、裏では冷たい印象だと評されることも多いわたくしでは、愛らしさの方面での魅力では到底敵いません。いえ、敵うも何も、本来であれば争うことなんてないはずなのですが……、わたくしの婚約者たるアクセリオ殿下は、あのように愛らしい方がお好みだったのでしょうか。
ええ、そうなのです。悩みの種と申し上げたのはまさにこのこと。わたくしの婚約者であるアクセリオ殿下と、イズモさんとの関係についてです。きっとわたくしの他に気づいている者はいないでしょう。殿下がそのような不手際をなさる訳がございません。……そもそも、そのような不誠実な真似をなさる方ではないはずなのです。ですがここ最近の殿下のご様子からは、どうしてもお二人が特別親しくしていらっしゃるとしか考えられなくて。
例えば、交流棟の談話室でのこと。学理環局の活動のちょっとした打合せは少人数であれば談話室の一角で行うこともあるのですが、少し寛いだ雰囲気のなか、会話の途中で時折お二人が目配せをされていることがあるのです。最初のうちは気のせいだと思っていたのですが、二度、三度ならず繰り返されると流石に気付いてしまいます。とはいえ、気付けば殿下を目で追ってしまうわたくしだからこそ気付いたほどにさりげないものなのですが。それでも密やかに交わされる目配せは、特別な関係にあることをどうしても思わずにはいられないものでした。
例えば、図書館でのこと。少し前から殿下は図書館に足を運ばれると、必ずと言っていいほど歴史書の棚に立ち寄られるようになりました。殿下が歴史にも造詣深くいらっしゃることは存じ上げておりますが、調べ物をされるというには短すぎる時間で他の棚に向かわれるので不思議に思っていたのです。
……その後、全くの偶然ではあるのですが、わたくしが図書館に立ち寄った際。何の気なしに歴史書の棚のあたりに顔を向けたところ、天井まで聳える本棚の隙間から手紙のようなものを取り出し、手元のノートに挟み込んだイズモさんが見えました。それは、気のせいだと思いたかったのですが、殿下が使われる便箋の色によく似ていて。そうして足早に別の棚に向かわれる彼女の後姿を見送ったわたくしは、不穏な想像が頭を巡るのを止められずにいたのです。……そういえば、歴史書の棚に向かわれる殿下は必ず、片手に本やノートなどをお持ちでした。本でもノートでも毎回異なるそれはまるで、何か書類を挟んで隠し持つためのようで。そこに挟まれていたのが、今しがたイズモさんがお持ちになったあの手紙だとすれば……?
例えば、学理環局の執務室でのこと。殿下が時々、ご自身の机の引き出しに装身具を入れるような蝶番つきの革張りの小箱を入れられていることがありました。特段気にしてはいなかったのですが、同じようなデザインの小箱をイズモさんがご自身の机から取り出し、鞄に仕舞われることが何度かあったのです。偶然だと思うには、その他の疑わしいことが疑念を払わせてくれなくて。数々の秘めやかな様子が、却って真実味を帯びてわたくしを苛むのです。
……そうして今日、この目の前の親し気なご様子。殿下の態度から、他のご令嬢やわたくしを相手にする時と比べて相当気安く接せられていることが見て取れます。やはりこの疑念は真のものだったのでしょうか。
お二人が親しくされていることが明るみになっていない以上、わたくしが……婚約者が貶められている訳ではございません。粗雑に扱われている訳でもございません。わたくしの立場に悪影響があるならば、規律を、身分の順序を乱すとして対処する必要があるでしょう。わたくしにはその責務があります。けれどこれはただ、わたくしがひとり気づいてしまっただけ。わたくしよりも、殿下に近しい女性がいることに。
わたくしは淑女。そして、いずれ殿下と共に、この国を支え導くことを使命とする者です。無様な姿を晒すわけにはいきません。……ですが、それでも。認めましょう。わたくしは嫉妬、しているのです。アクセリオ殿下のお心に、特別近しいイズモさんに。
五つの歳に初めてお会いしてからこれまで、わたくしが殿下から大事に扱われてきたことは疑いございません。婚約者となった十二歳の頃より、殿下はわたくしを尊重してくださっています。ただ、殿下のその目に熱が浮かぶことはなく、親愛の念のほかは義務でしかないことは身に沁みてきました。わたくしの前では完璧な紳士として振る舞われていらっしゃる殿下。それを寂しく思うのは、焦がれる熱を抱いてほしいと思うのは、烏滸がましいこととは分かっています。それでもわたくしは、初めてお会いしたその時から、ずっと殿下のことをお慕い申し上げてきました。だからこそ、たとえ焦がれる熱は無くとも、互いに敬愛を抱くパートナーとして歩んでいければと、そう自身を納得させてきました。それなのに。
窓から見える渡り廊下の先には、この執務室があります。気安く寛いだ様子でイズモさんと言葉を交わす殿下が、もうじきこの部屋にいらっしゃるのです。他の局員は居らず、二人きりで。
実はつい先ほど、交流棟の食堂で局の打合せを兼ねた昼食会がありました。その場で幾つかの決め事をする途中、殿下とイズモさんがいつもの様に視線を絡ませるのを見てしまったわたくしは、会を終えるなり急ぎの用事があると断ってこちらへやってきたのです。
今日この時間には局での特段の集まりは無く、殿下がここにいらっしゃるという話もわたくしは聞いておりません。お二人がどのような意図でこちらにいらっしゃったのか。悪い想像を止めることができないわたくしですが、いくら覚悟しようと幼き頃より一途に恋焦がれてきた方が、他の女性と特別親しくされる姿など目の前で見たくはありません。それでも、執務室と渡り廊下までは隠れる場所もない一本道。今から気付かれずに逃れる術は無いのです。
引き絞られるような痛みを覚えながらも、いっそ晴々とした気持ちにもなってきました。勘違いのしようがない場面を目にすれば、わたくしのこの想いにも終止符を打てるでしょうか。
殿下のお気持ちがどこにあろうと。わたくしが婚約者、ひいては妃としてその責務を果たし、彼の方の荷を分っていくことに変わりはないでしょう。その覚悟を新たにするため、現実を直視することは必要なこと。そう自分に言い聞かせながら、殿下方が執務室に現れるのを待ちました。
◇ ◇ ◇
ぎぃ、と音を立てて、歴史ある学理環局の重たい扉が開きました。茶給室の透かし彫りの扉を隔ててその様子を伺うわたくしですが、ほどなくてして山ほどの書類を抱えたアクセリオ殿下とイズモさんが現れます。お二人はそれぞれの執務机にどさどさとそれらを置き、大きくため息を吐かれました。あら、ぐぐっと伸びをされた殿下が、イズモさんの方を見て何か仰っています。
「どれ、茶でも淹れてやろうか」
「……ああ、いえ。朝方、ディルナグ様とラニエーリ様が居られた際に果実水を保冷ポットに用意くださったそうで、ほらそこの」
「ああこれか。今日は暑いから果実水の方がちょうど良いな」
「グラスもこちらを使わせていただきますね。……どうぞ」
「助かる」
あ、危ないところでしたわ……!茶給室に入って来られれば隠れる場所なんてないですもの、盗み聞きなんてこと殿下がお知りになれば良い気持ちになるわけもございません。ディルナグ様、ラニエーリ様、ありがとうございます……!
それにしても、殿下は……イズモさんとお二人の時は、手ずからお茶を振る舞われるのですね。わたくし、殿下の淹れられたお茶を頂いたことは幼い頃の数えるほどしかございません。打ちのめされた気持ちで俯いてしまいます。やはりイズモさんは特別なのでしょうか。
果実水をグラスの半分ほど勢いよく呷った殿下は、一息つかれてから書類に取り掛かり始められました。あれは恐らく野外演習に関する要望書でしょう。ああ、わたくしも本当ならばあちら側にいるべきで、こんなことをしている場合ではないのです……。
自己嫌悪に陥りそうになったその時。ゴッ!と大きな音がしたと思えば、殿下が、ものすごい勢いで頭を机に打ち付けられていました。……何事です?!
思わず扉を押し開けそうになった手をぎゅっと握り締めました。イズモさんはちらりと殿下の方を見遣りましたが、特段に何を仰るでもなく、何でしたら驚くご様子もなくご自分の執務を続けておられます。あら……?
首を傾げていると、殿下が呻くようにイズモ様に呼びかけられました。
「イズモ嬢……」
「はい」
「リ……フェリシティナに……今日も……話しかけられなかった……」
……あ、ら?
「本当にそれですよ、どうしてなんですか……?私に泣き言仰ってる暇があるならこの書類整理だってフェリシティナ様にお声をかけられれば良かったではないですか。千載一遇の機会ではありませんでしたか、お昼どきのあれなんて」
「そうなんだが……どうしても切っ掛けが掴めなくてだな……急いでいたのか直ぐ立ち去ってしまったし……」
「いやあれ、これ以上ない切欠じゃなかったですか?もう、フェリシティナ様に早いところお伝えされれば宜しいのに。以前から申しておりますけれども」
「フェリシティナを前にすると頭が真っ白になるから無理だ」
「あまりに可愛すぎて?」
「そうだ。いや可愛すぎるどころではない、あまりに眩しすぎる」
「こーのヘタレさんめぇ……」
「何か言ったか」
「いいえ、何も?」
……、……。
ええと……、あら……あら……?思っていたのと……違いますわ、ね?
イズモさんの返答はともすれば不敬な仰いようではありますが、人目があるわけでもなく殿下がお許しなさっているならば私から何も申し上げることはございません。何より事実……のようですし……?
思わず両手で口を覆います。そうしなければ、はしたなくも悲鳴を漏らしそうで。殿下が……わたくしのことを、かわいい、と?
……夢では、なくて?
わたくしが自分の耳を疑っている間に、お二人のお話は進んで移り変わっていきます。
「そういう訳でイズモ嬢、冷気の魔道具のメンテナンスを依頼できないか」
「またですか?!いやまぁフェリシティナ様の前で冷静な態度を取るために掌に爪立てるくらいなら、冷たさで気を紛らわせてはって申し上げたのは私ですけど!とんでもない勢いで使用されてますね?!お見せください……ってあれまぁ、そろそろ魔石変えなきゃいけないですよこれ、先々週に変えたところだったと思うんですが」
「ティナが可愛すぎるのがわる……いや悪くない……何一つ悪くない……節操なくゆるゆるになる俺の表情筋が悪い……」
アクセリオ様、そんなことをされていたんですの?!い、いつも穏やかなお顔をされていると思っておりましたし、微笑みを崩された所なんて見た覚えが無いですわ。そんなお顔、節操なくゆるゆるになるお顔なんて、いつも冷静な殿下の、わたくしにだけ緩むお顔なんて、そんな、そんなの、是非とも見てみたいのですが……!!
「悪かないと思いますけどね?いつも紳士的な婚約者が自分にだけめろめろなの、キュンときてくれるお方ではないですか、フェリシティナ様は。きっと見てみたいと仰いますよ」
そしてイズモさんはイズモさんで何故わたくしの気持ちが見透かしたようにお分かりになるのでしょうね?すこしぎくりとしてしまいましてよ。読心の心得などお持ちですか?
「いーやティナはな!頼りがいのある落ち着いた大人な男が好きなんだ!こんな、間違っても会話しただけで顔が火照ってでれでれする情けない男ではだめなんだ……」
「フェリシティナ様が仰っていたんですか?いつ?」
「あれは俺たちが七歳の夏、緑水の月。エヴィルグレンの別荘に招かれた俺はティナと……」
「あの、殿下。フェリシティナ様のお話、お聞かせ願いたいのは山々なのですが、諸事情あって巻いており。簡潔に言えばどうなります?」
「巻いて……?いや、簡潔に言えば、七歳の俺たちを完璧にエスコートした近衛騎士団長に大人っぽくてかっこいいとキラキラした目を向けていた」
その……お話は……覚えていますけれど、その時わたくしは、同い年ながらも真摯にエスコートしてくださった殿下にこそときめいていた覚えがあります。……ですが気恥ずかしく、話を逸らすように騎士団長についてお話しした覚えもまた、ありますわね……!
ちなみに騎士団長は今は一線を退いていらっしゃいますが、王城で度々お会いします。穏やかな微笑みを崩さない、ナイスミドルでいらっしゃいます。
ええと、もしかして殿下がいつもわたくしに対して穏やかな笑み以外の表情を向けられないのは、その時のお話の為だと仰ったり……しますか……?
「七歳の時の感想、それも大人に対してって……流石に時効じゃありません?」
「それでもティナの貴重な好みに関する情報だぞ」
「更新しましょうって話ですよ、もう十年近く経っているんですよ?成長に伴って異性の好みが変わることもあるでしょうし、そもそも七歳の時のかっこいいは今の異性の好みに通じると言えるのか……」
イズモさんの仰る通りです殿下!いえわたくしは五歳から殿下一筋ではございますが!
殿下に苦言を呈しながらむぅ、と眉間に皺を寄せたイズモさん。悩ましげな表情すら憂いの妖精として絵画の題材になりそうなほど魅力的です。眼福ですわ。そんな光景に目もくれず、殿下は苦渋に満ちたお顔で仰います。
「更新って言ったって、そんなものどうやって更新すれば良いんだ。ティナに聞けば良いのか?どんな男を魅力的に思うかって?」
「直球で聞けば良いもんじゃないですよ殿下。いやまぁ確かに男性には難しいのかもしれませんね。フェリシティナ様の女性のお友達にそれとなく聞いていただくとか」
「頼んだことがティナの耳に入ったらあまりにカッコ悪くないかそれは。……イズモ嬢、」
「聞けませんよ、私フェリシティナ様とそんなお話できるほど親しくはさせていただいていないですからね?いえガールズトークできるくらいになれたらとても嬉しいですが!いきなりそんなこと聞いたらびっくりですよフェリシティナ様も」
「がぁる……、いやまぁそう、だな……ではいずれ親しくなった暁にはティナの好みを是非聞き出してくれ」
「庶民に無茶を仰る……彼の方は四星爵のご令嬢ですよ……?」
「それを言えば俺は王子なんだが」
「殿下は殿下ですし……それにフェリシティナ様は我等が女神様ですし……」
当然のような顔をして殿下の上にわたくしを位置付けるような発言をされるイズモさん。不敬な発言どころか神殿に怒られそうな内容のはずが、そうだろうそうだろうとでも言うかのように殿下は満足げに頷いておられます。な、なぜ……。話が不思議な方向に転がっていませんか……?
「っと、お話が脱線してしまいましたね。魔道具の整備でしたね?」
「ああ、魔石はこれを使ってくれ、いつも通り余った分は好きに使ってくれて構わん」
そう言って殿下が取り出したのは装身具が仕舞われていそうな小箱です。これもまた見覚えがございますね?もしかして、わたくしが殿下からイズモさんへの贈り物かと思っていたあれは、魔道具補修用の材料を現物支給でやりとりなさっていたということ……?
ぱかりと小箱を開いたイズモさんは、ほう、と愛らしい溜息を吐かれました。
「いつも太っ腹ですね殿下。どこにでもいる庶民である私には殿下からの御下賜を断るなんて畏れ多いことできませんし、ありがたくいただいておきます」
「どこにでもいる庶民……?」
「しかし毎度の如く素晴らしい品質の魔石ですねぇ、小粒とはいえお高そうな」
「王領では良質な魔石が産生されるからな、休みの際に鍛錬兼ねて取りに行っているんだ」
「おお、維持費はあるといえ元手ゼロですか。いや一国の王子殿下と護衛の人件費……」
「まぁ、そうだな。魔石以外にかかった分は請求してくれれば良い。それと、補修の礼はこちらだ」
そう仰った殿下が手元の薄手の書類ケースから一枚の紙を取り出してイズモさんに手渡されると、彼女は目をキラキラと輝かせながら受け取られました。礼と仰いましたがそちらは……?
「ふわぁぁぁ最高!!今回も最高ですよアクセリオ殿下先生……世界一、光り輝いている……むろん本物の輝きこそ至高ですが!」
手の中の紙を吸い込まれるようにまじまじと見て、興奮したようにぺちぺちと小さく椅子の肘掛けを打つイズモさん。淑女にあるまじき姿であるにも拘らずなんとも可愛らしく魅力的な仕草ですがその、彼女は一体何を仰って……?その手の中の紙は一体何なのです……?
そんなわたくしの疑問に答えるように、イズモさんが再び口を開きました。
「フェリシティナ様の姿絵はあらゆるものを収集させていただいておりますがやはり殿下先生の手によるものが一番本物の輝きを留めているんですよねぇ、さすがフェリシティナ様の婚約者」
「ふへ、んんっ……、そなたの賛辞、有難く受け止めよう」
わたくしの前では見せてくださることのない、嬉しそうな、年相応な雰囲気で返される殿下の振る舞いに衝撃を受け、イズモさんを羨ましく思い……は、しなくもなかったのですが、ちょっとお待ちくださいね?殿下のお手による絵と仰いました?それも、わたくしの?
確かに殿下は絵もお上手です。昔頂いた、わたくしの一等好きな花を描いていただいた小さな一枚はまだ領都の城の自室に飾っております。ですが、わたくしの、絵……?それにイズモさんがわたくしの姿絵を集めていらっしゃる、と?
いえ、美術部会の活動でモデルを依頼されて務めたことも何度かあれば、領地の祭事用に家族そろっての肖像画を描かれたこともあります。とはいえ殿下ならともかく、わたくしの姿絵などそれほど多くはないはず……。
情報量の多さと密度に混乱していると、イズモさんが感極まったようにわたくしの姿絵らしき紙を頭上に掲げられました。ここからでもばっちりと見えますね。ええ、わたくし、眼はとても良いのです。……確かに、銀髪碧眼の女生徒の姿絵のようですね?それも、とても上手な……、わたくしだとすればちょっと美化しすぎではありませんこと?いえ、これを殿下が?
衝撃を受けているわたくしを置き去りに、お二人の会話は続きます。
「それにしても、フェリシティナ様の婚約者って言われた喜びで独特な笑い声を漏らす殿下、フェリシティナ様にお見せして差し上げたいです」
「や、やめろ!私がどれだけ努力してティナの前で紳士に振舞っているか!分かっているだろうお前も!!」
「素晴らしい自制心だと感服は致しますが。それで話しかけられなくなっているのは本末転倒というのではございませんか?」
「ングァ……そなたァ……」
イ、イズモさん、自国の王太子殿下相手に本当に遠慮がございませんね……?!とはいえ傍から聞いていても不快な言い様とまでは感じず、ご自身の意見を述べられるイズモさんは……やや剛速球なきらいはありますが……、偽りのない率直な印象を受けます。そんなイズモさんの言葉に本日何度目かの呻き声を上げられた殿下は、これまた何度目かになる頭を抱える体勢をとられました。
「な、何なのだそなた、いつにも増して容赦が無くないか?!」
「それはまぁ。いえ、いつもこんなでしたよ?ただ、特に最近、早くバラさ……いえ、打ち明けられないかなぁ殿下、とは思っていました」
同性のわたくしでさえ目を奪われてしまうような、可憐な仕草で首を傾げたイズモさん。状況も忘れて、はわ……と見惚れているうちに、彼女は姿勢を正して殿下と向き合われました。
「殿下。私は、フェリシティナ様が大好きです。崇拝しています。最推しです」
「いや充分承知しているが……あのデザイン帳はすさまじかったものな……」
「ええ。あの女神の如きお美しさも、国の為先を見通す聡明さも、才に溢れてなお努力を怠らない意志の強さも、清廉でありながらも大義の為には搦手も使える政治家としての手腕も、そのことに多少なりともお心を痛められている人柄の良さも、小さい生き物全般がお好きで図書館棟の裏庭にいる雲鼠を餌付けしようとしていらっしゃるところも、実は辛いものがお好きでお茶の際には焼き菓子のほかに赤辛子のお菓子をこっそり混ぜていらっしゃるところも、」
「えっなんだそれ知らない可愛いな!俺も見たい!!」
お待ちになって?!イズモさん、どうして知っていらっしゃるの?!特に雲鼠と辛いお菓子!その通りですが隠していたものですから、恥ずかしさに顔から火が出そうです。見られていたんですか?!いつ?!全く気づきませんでしたわ……!!
「最高に推せます。全部大好きです」
「……言っておくが。俺の方が好きなんだからな?」
「フェリシティナ様を?」
「他に誰がいると?」
(っ……!)
あ、危なかったです、あやうく隠れていることも忘れて悲鳴をあげるところでした……!いえこと此処に至っては、つまりそうなのかしらというのは流石に見えてきておりましたがそれでも、言葉にされるとこう……、破壊力が、とてつもないのですね……。
呼吸が怪しくなっている私をよそに、イズモさんは全く動じず、当然だと言うかのような顔で続けられました。……心なしか、先程までより柔らかな表情をされているような?
「私に言ってどうするんですか、そういうことはご本人にお伝えされて下さい。……ともかく、ですから、大好きなフェリシティナ様が憂いているならば、私は何を差し置いてもそのお心は晴らして差し上げたいのです」
「そ、そうか……あと言えるならこんなに苦労はしていないのだが」
「と、いうことで」
鈴を転がすかのような愛らしく麗しい声に似合わない、重々しく勇ましい物言いでそう言い切ったイズモさん。そうして軽やかに椅子から立ち上がったかと思えばくるりと殿下に背を向けて部屋を突っ切り、わたくしが状況を把握する前にさっと茶給室への扉を開け放たれました。……ええと、つまり。殿下方からわたくしを隠していた扉、が、今はございません、ね?
「ティナ……?」
気付けばイズモさんは執務室の出口近くまで下がられており、目をぱちくりとするばかりのわたくしの斜め前には腰を浮かせたまま呆然とした殿下がいらっしゃいます。
「ご、ごきげんよう、でんか……」
「いっ、いつから?!どこから聞いてたのティナ……?!」
どこから……、と聞かれますと、
「わたくしに、その、話しかけられなかった、と仰っていたところからで……」
「全部じゃないか……!」
「殿下?!」
殿下が膝から崩れ落ちてしまわれました。椅子と長卓の間に頭を抱えて蹲っておられます。崩れ落ちる際に脛あたりを結構な勢いで椅子の足にぶつけておられたように見えるのですが、大丈夫でしょうか。
おろおろと視線を彷徨わせているとイズモさんが小さくため息を吐かれました。
「改めまして、応用魔術工学専攻のシーリア・イズモです。お許しいただけるなら是非シーリアとお呼びください」
「あ、挨拶をありがとう、シーリアさん。フェリシティナ・リトリル・レネ=エヴィルグレンですわ」
わたくしに向き直り、丁寧なお辞儀と共に改まっての自己紹介をなさるイズモさん……いえ、シーリアさん。確かに学理環局で共に働いているとはいえ、実はこれまであまり深く関わったことはなかったのです。彼女は特待生であり、先んじて魔道具科の研究室に所属しており活動時間があまり被らないことも理由の一つです。
それにしても間近で見るシーリアさん……なんて可愛らしいのでしょう……。わたくしにこんな妹がいれば、たくさん着飾って一緒にお出かけするのに……。
い、いけません。色々なことが一時に起こりすぎて、少し現実逃避してしまいました。仕切り直しましょう。まず一番に、気になることです。
「シーリアさん、わたくしがここにいたことを知っていたのですか?」
「はい。中庭の窓から、エヴィルグレン様がこちらにいらっしゃるのが見えましたので」
なるほど、それで、でしたのね。魔道具のことや、姿絵のことに的確に説明があるなとは思ったのです。
「あなたはわたくしに、殿下のお心を知らせようとしたのですか?」
ええ、と首肯したシーリアさんは、
「ご質問を返すようで恐縮ですが、エヴィルグレン様、最近わたしと殿下の距離が近いことにお気づきではありませんでしたか?」
その問いに思わず息を呑んでしまいました。
視界の端で殿下がぎくりと身を強ばらせたのが分かります。
「ご心配をお掛けしたことは大変申し訳ないのですが、ご覧の通り、殿下はエヴィルグレン様一筋です。見ていただくのが一番早いかと思いまして」
「う、浮気を疑われていたのか俺は……?!」
「そりゃ一応私も性別は女なので誤解もされますよ。ですので、殿下には申し訳ないながらこのような真似をさせていただいた次第です」
「気遣いをありがとう、シーリアさん。もうそのことは心配していないのだけれど……何故そこまでしてくださるの?」
残る疑問は、それ。不思議だったのです。どうしてわたくしの気鬱に気付き、それを解消するように動かれたのでしょう?ですがその質問には、
「女神と仰ぐ方のお心を晴らすべく動くのは当然では?」
全くもって真面目なお顔で、心の底から当然だと思っている声音でそう返ってきました。その容姿も相まって神話に描かれた託宣の御使のような妙な迫力がありますわね……。
少したじろいでしまいましたが、彼女はふわりと微笑んで(一足飛びに春が訪れたかと思いましたわ)、それに、と付け加えられました。
「エヴィルグレン様は、殿下といらっしゃる時が一番輝いていらっしゃいますもの。エヴィルグレン様を推す者として、一番輝く推しの姿を沢山見たいと思うのは当然のことです」
おし、が何かはともかく、わたくしに好意を持ってくださっていることを疑いようもないあたたかな表情で、そう言われて。
殿下を慕う自分の心を見透かされているようで気恥ずかしくなりますが、ここ最近の悩みや不安や強張りが解けていくのがわかります。
晴れやかな心持ちになって、改めてシーリアさんに向き直ろうとしたのですが、
「……どうなさいましたの、シーリアさん?」
シーリアさん、学理環局の大きな扉に半身を挟まれていらっしゃいます。
「わたし、こういうことはきっちりした方がいいと思うのです」
そんな格好で厳かに口を開いたシーリアさん。王城のレリーフの様でさまになりますね、などと考えていると、ようやく机と椅子の間からよろよろと立ち上がられた殿下に向かって、彼女は言葉を続けました。
「いい加減お覚悟なさいませ殿下。扉の守りはこの結界魔術師が承りますゆえ、きちんと婚約者様を口説いてからでなければ出てきてはいけませんよ」
「くどっ……」
「ですので、ね。あとはお若いお二人で、どうぞ?」
そうして、にまり、と面白がるような表情をひとつ残して。シーリアさんはするりと部屋を出ていってしまいました。
彼女の言葉に絶句したまま、いつもの穏やかで冷静な態度はどこへやらな殿下ですが、そんな様子にわたくしまで心臓が煩くなってきましたわ……。一割ほどは悪戯気なシーリアさんの笑みに撃ち抜かれたせいですけれども。
少し呆然とされていましたが、流石は殿下です。こほん、と小さく咳払いをすると、いつもの穏やかな微笑みを取戻してわたくしに向き直られました。……あら、いえ、お耳が赤いですわ。微笑みも、少し緊張されているようで硬めに見えます。釣られて私の頬も熱くなってきました。
「フェリシティナ。……いや、リシィ」
幼い頃。お互いだけの特別な愛称。
いつからか呼ばれなくなっていたそれを、いま口にすることの意味。
「はい、殿下。何でしょう、……いえ。何かしら、アーク」
そう答えるとハッと息を呑んだ殿下は、彼は、一度強く目を閉じて。
そのあとの、少しだけの時間。二人きりでのお話は……秘密、にさせて下さいませ。
それは、ともかく。
忘れられないこの出来事以降、わたくしと殿下は今までの義務的だった関わりが嘘のように沢山のお話をして、お互いの知らなかった一面を沢山知っていくことになりました。悲壮な決意を固めていたあの時を思えば、間違ってはいなかったのです。わたくしはたしかに、忘れようにも生涯忘れようのない光景を目にすることになったのですから。
登場人物紹介
■シーリア・イズモ
仄かな桃色を帯びた淡い亜麻色の髪に若葉色の瞳をもつ、儚げで可憐な印象の美少女。一応隠しているが転生者。特に生活に不便は感じておらず前世知識チートは考えていない。
フェリシティナの容姿が推しアイドル的な意味でストライクだった。個人用結界を搭載した小型魔道具製作が主な研究テーマゆえ趣味と実益を兼ねて装身具を作っており、研究の合間にフェリシティナに似合う装飾品のスケッチを描きためている。
お茶を淹れるのが信じられないほど下手。どれだけ手順通りにやってもただのお湯が出るか妙な渋みとえぐみだけが抽出されるかの二択。実家ではシーリアにポットを触らせないことが家訓になった。結界魔法がなんらかの悪さをしているような気もするが、どうしてお茶だけそうなるのかは本当に謎。
一般家庭出身にも拘らず容姿が相当に整っているため、認識阻害の結界魔術を付与した度なし眼鏡を着用して印象を薄めている。
卒業後は特に王太子妃の勧めで王城魔道研究所に勤め、結界魔術具の発展に貢献した。
■フェリシティナ・リトリル・レネ=エヴィルグレン
白銀の髪に蒼玉の瞳を持つ、四つ星の白薔薇と称えられる美しく聡明な令嬢。エヴィルグレン四星爵家の長女。幼い頃から婚約者を一途に慕っている。趣味はお茶。
可愛いものが好きで、シーリアの見た目がめちゃくちゃに好み。シーリアは確かに美少女だが、ここまで褒めちぎるのはフェリシティナにとってシーリアの見た目がどストライクだったため。この後に晴れて友人となってからはシーリアに似合いそうな服飾品を集めて着せ替え、お茶をするのが趣味の一つになった。
洞察力というか目星が高すぎるタイプ。浄眼や透眼と呼ばれる、認識阻害系の魔術の効果を弾く、隠されたものに気付きやすい、普通に視力が良い、等の性質を有する瞳の持ち主。
後に王太子妃、そして王妃となってからも平民出身の王城魔術師を重用し、また友人としても親しく交流を続けた。
■アクセリオ・ヴァイア・レデ=アロイ=レムナシア
艶やかな黄金の髪と淡い青の瞳を持つ、若獅子と呼ばれるセルヴェリス王国の第一王子。幼い頃からの婚約者であるフェリシティナが好きすぎて、親切ではあるものの距離を感じる態度でしか接することができなかったヘタレ。この後は婚約者のお願いに屈して、二人だけの時は格好良く取り繕った姿以外も見せるようになる。最近の悩みは最愛の婚約者が友人の少女といる時の方がときめいた表情をしていること。
大体何でもできるスーパーマンだが絵も得意。特にフェリシティナを描くことが好き。自室には良く描けた絵を何枚か飾っている。
シーリアとは、フェリシティナのスケッチで埋め尽くされたアクセリオのスケッチブックを、フェリシティナイメージの装飾品のデザイン案で埋め尽くされたシーリアのスケッチブックと取り違えたことがきっかけで意気投合した。
後世には賢王として伝えられているが、市井ではその治世よりも王妃との仲睦まじさが理想の夫婦像として語られることが多い。
■雲鼠
白〜クリーム色のふわもこの毛並みを持つ、たんぽぽの花くらいの大きさの小動物。長めのしっぽもふわふわの毛に覆われている。愛好家も多いが、臆病な性格かつ新鮮な花の蜜や特定の木の実、朝露を主食とするため飼育難度は高め。野生では水の綺麗な地域の森林と草原の間に生息する。図書館棟の裏庭に迷い込んで住み着いた個体は主食の一つである木の実が無いため弱りかけていたところ、シーリア特製・気配希釈の結界魔道具でフェリシティナに餌付けされて飼い雲鼠となった。先述の魔道具により怯えるほどの物音や気配は遮断されるため、王城の王太子妃の私室に設られた箱庭でのびのびと暮らしている。




