断絶の座標、刻まれし涙
佐和子は即座に判断を切り替える。
「第二陣形、三柱分離、残りで〈時間断層〉を維持
――空間ごと、包囲じゃない。“投げ捨てる”わ!」
天使陣は結界ごとセーレの座標を、“ここではないどこか”に排出する戦法へ移行。
座標ごと消し飛ばせば、巣も陣もまとめて消せるはずだった。
だが、その瞬間――
「遅かったわね」 セーレの片目が静かに金に染まり、
《言霊戦場:拒絶》が発動。
その言葉ひとつで、座標排出の演算式は“リンク不成立”として自壊。
天使側の演算構造が連鎖崩壊を起こし、蜘蛛たちもその衝撃波で焼き落ちる。
だが巣の中心に残ったセーレは、なおも囁く。
「私は“敗北”しても出ていかない。
あなたたちが“勝ったという記録”すら、ここでは焼くわよ」
結界の干渉領域に断絶が発生し、戦況は膠着。
六柱中一柱損傷。セーレは深度強化状態へと遷移。
佐和子は、初めて縁切りの黒槍に手をかけた。
「再固定よ!全員、座標点の再錨着!」
権天使第一柱が剣を振り下ろすが、現れたばかりの影の眷属に阻まれた。
その瞬間、円陣の一角が揺らぐ。
「座標ずれ発生!修正――」
第二柱の報告が、影の牙によって絶たれる。
胸を貫かれ、光が弾けた。
結界は歪み、危機が訪れる。
「……因果座標、決壊ね」
セーレが勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが、セーレもまた、天界から力場の影響を受けていた。
紫紋の結界陣を宙に描く指先がわずかに震え、幾何学紋の軌跡が一度歪む。
「……くそ、天界律。ほんと厄介ね」
術式そのものの発動は可能だ。
だが、天界律速の因果座標に干渉されることで、
演算速度は目に見えて落ちて来ていた。
さらに、周囲の権天使たちによる高速演算領域の上書き妨害が畳みかける。
金と紫の結界陣が交錯し、火花のような粒子が散った。
セーレは必死に因果座標の隙を突き、わずかな時間を稼ぎ続ける。
「間に合え、深蜘蛛〈グレモリッド種〉召喚!」
だが――
「ギィィィィン!!」
耳を裂くような金の光線が、セーレの結界陣を断ち割った。
結界の座標点が崩れ、術式が紙吹雪のように霧散する。
佐和子が静かに槍を構え、低く呟く。
「もう逃がさない」
その瞬間、佐和子の短い号令。
「包囲陣、再展開」
残る権天使たちが空に祈りの詠唱を始め、
座標拘束と因果縛鎖の聖印を素早く結ぶ。
とどめとばかりに権天使たちの演算がセーレの結界術を上書きし、
金と紫の光陣が衝突し火花が散る。
「くっ……!」
セーレは歯噛みし、再び陣を組もうとするが、速度差で押し返される。
佐和子が黒槍を構えた。
先端に淡い空間の歪みを纏い、因縁の槍が淡く光る。
だが――その瞬間。
「やめろォォッ!!」
割って入ったのは、血に塗れた男、仁だった。
悪魔の仮面を被りながらも、その声だけは昔のままだ。
槍は彼の胸を貫き、血が舞う。
「仁……どうして……」
佐和子の瞳が揺らぐが、すぐに無表情に戻る。
背後を青銀の魚影が音もなく滑る。
サバの精霊。鯖助から幾つもの赤い箱が現れ、
前世の佐和子との思い出が溢れ出てくる。
初めて出会った日。駆け落ち同然の結婚。生まれてきた子供。
空間の裂け目に、淡い光粒舞っていく。
それが仁の魂の欠片か、かつての約束の残滓かも誰にも分からない。
「お前を……ガウの道具には、させねぇ」
仁の言葉も、思い出も“縁”が切れた佐和子の心には届かない。
ただ、握る槍の柄が微かに震えた。
**
その脇でラウムは息も絶え絶えに呟く。
「ここまでか…」
志津香と数合切り結んだだけで腐り崩れた肉体。
翼は千切れ、再生能力も限界を迎え、もはや意識を保っているのが奇跡だった。
それでも彼は、天を仰ぎ、戦場の鐘の音を聞いていた。
「看護師天使。……志津香、どうした?あと一太刀だ……」
志津香は小太刀を構え、涙を堪え、決意の一歩を踏み出す。
「これで最後……さよなら、ラウム」
踏み込み、放たれた一太刀。
黒き閃光がラウムの胸を穿ち、血と瘴気の飛沫が宙に舞う。
「――はは……いい顔だ」
ラウムはゆっくりと奈落の裂け目へと崩れ落ちていく。
「退屈したら奈落に落ちてくるといい…悪魔も、いいものだ…」
血濡れた手をわずかに掲げ、天界の光の方へと伸ばしながら。
**
「セーレ、終わりよ」
佐和子の黒槍が音速を超え、空を裂く。
セーレは結界陣を展開しようとするも、
黒い閃光がすべてを消し去り、セーレを貫いた。
「ぐっ……神の手先どもが……!」
権天使が包囲の輪を一気に狭めた。
因果縛鎖結界《天裂光域》発動。
光の楔がセーレの存在座標を穿ち、黒翼が千切れ、魔素が蒸発する。
そして、天界の審判の光柱が落ちた。
セーレの姿は黒槍に浸食されながら、地上へと叩き落とされる。
静寂。
残る権天使たちは静かに祈りを捧げる。
佐和子は意味も無く溢れてくる涙を拭いながら天界の彼方を見据えた。
「……これで、ふたつ」
鐘が再び鳴り響く。
**
「どうした?仮面なんてつけて、天界の流行か?」
ガウの前に現れたドリップは唇を歪ませてみせた。
「お前はやり過ぎた。ドリップよ。これ以上天界を穢すな」
空間が悲鳴を上げるように歪み、ガウの掌が光を放つ。
「私はこうも言ったぞ『私に創造をさせるな』と」
「生憎忘れっぽいたちでね」
「では、もはや語るまい。――位相転換」ガウが力ある言葉を発した。
歪曲する位相の渦に、ドリップ、ユキ、ラウルの姿が呑まれる。
そして――
転移の最中、既にドリップの胸元は裂け、
ジューンアッグの一撃で剥き出しになった神核が砂時計を内包し青白く脈動していた。
露出した神核は位相の歪みに晒され、周囲の空間断層と直接触れ合い、軋む。
「ッ……!」
声にならない呻きと共に、神核が薄く罅割れる。
そこに容赦なく、転位の衝撃と空間の衝突が叩き込まれた。
裂け目の中で一瞬、光の帯が縦横に走る。
空間が反転し、ドリップの身体がそのまま高位空間から地上へと叩き落とされる軌道へ。
落下先は地表。
虚空に浮かんだ歪みの奥から、灼熱の雷光がほとばしる。
バァンッ!!
凄まじい衝撃。
神核を中心に、青白い閃光と黒煙が立ち昇り、
ドリップの身体は岩盤を砕き、体が沈む程の速度で叩き込まれた。
その衝撃で、周囲の大地すらひび割れ、
空間に漂っていた血の臭いも焼けるように消えた。
ガウの位相転換は、ドリップの傷口をさらに抉り、
意図せずしてその神核に致命的な追撃を与える結果となった。
静まり返った空に、裂けた大地と焦げた煙だけが残る。
そこにーー
血だらけになったセーレが天空から落下し、
ドリップと同様に石畳に叩きつけられた。
背中から黒い槍が貫通しており、槍が明滅するたびに口元から血を吐いている。
「ドリップ……ここに……いたのか」
セーレは呻きながらドリップの顔を見上げた。
「仁が身代わりになってくれて……必死になって探してたんだぞ……」
「もう、喋るな」
ドリップは膝をつき、セーレの肩を抱き寄せる。
「あなたの手で……止めを……刺してほしいんだ」
セーレの言葉はかすれ、今にも消えそうだった。
「まずはその槍を抜こうぜ、まだ終わっちゃいねぇだろ」
「ゲームなんでしょぉぉぉ……あなたに……勝って欲しいのよ……」
ドリップの掌が黒槍の柄に触れる。
血と金砂に濡れた手のひらが、微かに震えていた。
「これで……終わりだな」
ドリップの金砂が指先から流れ、黒槍の根元に絡みつく。
槍を引き抜いた瞬間、セーレは大きく咳き込み、血を吐いた。
「あなたに……記録して……ほしいの」
その声を最後に、ドリップは金砂の刃をセーレの胸元に突き立てた。
血が溢れ、黒翼がふっと砂の粒子に還る。
セーレの輪郭が金砂の中に溶けてゆく。
「よくもまぁ、最後まで俺を振り回しやがって」
ドリップは呟くと、舞い上がる金砂の中、最後に血涙を一筋流した。
「隙だらけだぞ、ドリップ!」
背後から現れたガウは剝き出しになったドリップの神核
――金砂を湛えた小さな球体をその掌で握りしめた。




