落下点
すでに隕石は、肉眼でもはっきりと確認できる距離にまで接近していた。
夜空に浮かぶその巨影は、まるで天の怒りそのもののように、
ゆっくりと、しかし確実に落下してくる。
ドリップは風穴の縁に立ち、ちらりとそれを横目で見ながら思案していた。
──今から風穴に潜ってアイムと戦ったところで、
どうせ隕石の衝突に巻き込まれて全滅だ。
だったら、向かってくる天使たちに一泡吹かせてやった方が、
よほど面白いかもしれない。
「おい、外も蛇に囲まれているぞ」
ラウルの声が背後から飛んできた。
怒り疲れたような口調だったが、突っ込みだけは忘れない。
* * *
佐和子たちは、ガウの創造の力を借りて隕石の内部を魔改造していた。
座席、モニタ、操縦系統──すべてが、
天使たちの手によって戦闘用に最適化されていく。
「全員、乗り込んだわね」
「よく、座席シートまで設置できたな……」
「これ、全方位モニタまでついてるじゃん。何この快適空間」
「みんな、席は自由でいいから座って。夏樹ちゃん、あなただけはこっちの操縦席」
「りょっ」
夏樹は小さく敬礼すると、真っ先に操縦席に座り込んだ。
残りの四人も、それぞれの席に腰を下ろす。
佐和子は夏樹の背後から、冷静に指示を飛ばした。
「すでに地上から複数のレーダー探知が始まってるわ。
大気圏には精霊結界も形成されつつある」
「ジャミング開始。どの道、この質量じゃ、結界なんて飾りよ」
「ちょっと、夏樹、もっと翼を折りたたんでよ。
肉厚なんだから!鳩みたいで邪魔!」
モニタを見渡そうとして翼に遮られた紗耶香が、苛立ちを隠さず文句を言う。
「くるっくー」
「ガチでイラつくんだけど」
「ちょっと、紗耶香ちゃん抑えて。
これから夏樹はとっても集中しなければならないんだから」
「くるっくー」
夏樹はニヤつきながら、ようやく翼を折りたたんだ。
「ちっ……」
紗耶香も舌打ちしたが、それ以上は何も言わなかった。
「進路、気持ち右に取って。何かぶつかってきそう」
「私もそう思います。空間の圧が変わってる」
「よーそろ。面舵5度、10秒後に戻し」
「隕石速度、マッハ3。再加速後、突入、入ります」
──この子たち、急に息が合ってきたわね。
密閉空間というのが、逆に集中力を高めているのかしら。
佐和子は密かに感心していた。
「バリア減衰、外郭に微小ダメージ」
その報告に、ガウの言葉が脳裏をよぎる。
『外郭といっても油断してはいけない。罅が入れば、すぐに内郭まで裂けるだろう』
「まだ……まだぁ!」
「ねぇ、もう危ないって!」
「誰だよ、こいつリーダーにしたやつ!」
「ちょっと早まったかも…」佐和子は瞬間転移のタイミングを計りながら呟く。
──緊張と混乱の中、隕石はいよいよ地上に落下しようとしていた。
* * *
ドリップとラウルは、霊子干渉線の照準を合わせるため、
術式核の位置を睨んでいた。
高濃度の魔素に満たされた空気が重く、焦げた金属臭が鼻腔を刺す。
「中心点を打ち抜けば、それで終わりだ。我々の勝利が確定する」
ドリップが淡々と告げ、ラウルの肩を軽く叩いた。
「……少し時間がかかる。あと3秒」
ラウルは目を細め、集中を高める。
(リズ、リンクを高めてくれ、50%だ)
(本当、嬉しい!! 私はいつでも100%オッケーだよ)
(……50%だ)
精神の内でリズの軽やかな声が響く。
その瞬間、ラウルの髪が燐光を発し、逆立った。
周囲の空気が微かに震え、彼の指先に極細の霊子干渉線が収束していく。
「いけーー精霊共振・霊子燐弦」
ドリップの声に合わせ、ラウルが2本指を交差させると、
その指先から極細の霊子干渉線が放たれた。
空間そのものを切り裂くような光線が、一直線に術式の核へと突き進む。
だが──その瞬間。
隕石がまるで意思を持つかのように地表付近で異常な再加速を開始した。
「くっ……!」
光線は中心点からわずかにずれ、隕石の側面に命中。
轟音と共に岩肌が弾け、灼熱の破片が四方に飛び散る。
(リズ、次の射撃準備。リンク保持!)
(うん! でも……あれ、やっぱり変だよ。何か……術式核がもうない)
ラウルは僅かに顔をしかめ、霊視で術式を追った。
──確かに、隕石内部から天使の気配は消えていた。
* * *
一方その頃、隕石の内部では──
光線は中心点からわずかにずれ、隕石の側面に命中。
轟音と共に岩肌が弾け、灼熱の破片が四方に飛び散る。
その衝撃に、佐和子たちも揺さぶられ、操縦席内が悲鳴と罵声で埋まる。
「地表付近で再加速なんて、クレイジーよ!」
「みんな、大丈夫!?」
無理やり近距離転移を行った佐和子が振り返り、
仲間たちの無事を確認する。
この惨状に、天界で見守っていたガウも頭を抱えていた。
彼の脳内では、バリアが消失した時点で速やかに脱出し、
5人それぞれがポーズを決め、隕石を背景に華麗に着地
──という完璧な絵面が描かれていたのだ。
ましてや、上半身から地面に突っ込んで
恥ずかしい格好をさらしている夏樹は論外だった。
佐和子はすぐに冷静さを取り戻し、夏樹へ声をかけた。
「あなたに必要なのは、後ろを振り返ることと、みんなに謝ることよ」
彼女には、咄嗟の機転で夏樹が危機を回避したことがわかっていた。
もしあのタイミングで夏樹が動かなければ、
誰かが吹き飛ばされていたかもしれない。
だが、それとこれとは話が別だ。
「ふぅ……」
夏樹は何事もなかったかのように立ち上がり、
埃を払いながら背中から翼の生えた可愛いハンマーを取り出した。
本来ならこのハンマーを使えば、座標の調整も衝撃緩和も容易だった。
だが、咄嗟に体で突っ込んでしまったことは、夏樹自身も分かっている。
ガウの怒声が脳裏によぎり、彼女は内心ひっそりと肩を落とした。
「よしっ、ここから挽回よ!」
その意気込みに対し、周囲の四人の声が見事に揃った。
「「「「いいから謝って」」」」
「ごめんなさぁぁぁい!!」
夏樹は盛大に土下座。
場の空気に張り詰めていた緊張がわずかに緩み、彼女たちは再び顔を上げる。
──空はまだ燃えている。だが彼女たちは、生きて、地上に立っていた。
* * *
その頃──アイムは、王座からそわそわと洞窟内を歩き回っていた。
これほどまでに配下の蛇たちが召喚に応じないなど、かつて一度もない。
胸の奥にわずかに芽生えた不安が、次第に現実味を帯びていく。
(何かがおかしい……いや、何かが来ている)
洞窟の奥深く、かつては絶対の安全地帯だったこの空間が、今は妙に息苦しい。
逃げ場のない構造が、檻のように感じられる。
そのときだった。
──ドォンッ!
地鳴りと共に、洞窟全体が揺れる。
天井から岩が崩れ、地面に亀裂が走った。
「な、何だこれは……! 貴様ら、蛇ども! 応えろ! 応えろぉ!」
しかし返事はない。
すでにこの空間から、蛇たちは影も形も消えていた。
王座の背後で、天井が大きく崩れる。
「ギョピェーーーッ!!」
アイムの悲鳴が響いた直後、凄まじい衝撃波が洞窟を満たした。
光と熱と圧力が一瞬で空間を焼き尽くし、王座も、蛇も、巨体すらも──
すべてが「消し飛んだ」。