小惑星降下ミッション開始
佐和子は静かに膝をつき、初戦の結果を報告した。
「ヒジリ様──いきなり大悪魔と対峙させるのは、リスクが大きすぎました。
まずはレッサーデーモンや邪霊で経験を積ませなければ、
彼女たちは本来の力を発揮できません」
言葉を選びながらも、佐和子の声にはわずかな苛立ちがにじんでいた。
それを悟られぬよう、彼女はそっと視線を伏せる。
だが、ガウは動じなかった。
「だが、ドリップたちを出し抜いて初戦を制した。
大悪魔ラウムに手傷を与え、一人も欠けることなく撤退できたじゃないか」
「……あのまま戦闘を続けていれば、存在消失の危機があったと思います」
「要は、接近戦を避けた方がいいという進言だろう」
ガウは軽く頷き、指先で空中に光の軌跡を描いた。
「だったら、いいものがある。
──ほら、地球に接近中の小惑星があっただろ?」
「……隕石を落下させるのですか!?」
一瞬で意図を察した佐和子の顔が、さっと青ざめた。
「ああ。それなら接近戦も必要ない。敵を一掃できる」
「ですが、それには天使が直接、小惑星に乗り込む必要が出てきます。
軌道制御、神気の注入、そして……着弾の誘導まで」
「経験を積むためだ。やってもらおう」
「作戦の概要は──誰が説明するのですか?」
「君が直接言えばいい」 佐和子の唇が、かすかに震えた。
「……反発が予想されますが」
「君が最初に乗り込めばいいだろう。 何だったら、権限を行使して構わん」
その瞬間、ガウの顔から笑みがすっと消えた。
──これ以上の譲歩はない。
佐和子は静かにうなずいた。
権限の行使──それは悪手だと佐和子は考える。
初戦で自信を失いかけている彼女たちを、今度は隕石に乗せて落下させるという。
そこに強制力を持たせてしまえば、信頼関係など築けるはずもない。
「やっぱり、まずは食事よね。久しぶりに作ってみるか」佐和子はひとり頷く。
天界・第七区画にある天使用食堂は、白亜の大理石と淡い金色の装飾に彩られ、
常に心地よい光が差し込む清らかな空間だった。
その中央のテーブルに、今は天界最前線の看護師天使チームが揃っている。
佐和子はそこで自ら厨房に立ち、手際よくレバニラ炒めを仕上げていた。
湯気と香ばしい匂いが広がり、あたりの天使たちもちらちらと視線を送ってくる。
「はい、できたわよ。さ、座って」
佐和子が皿をテーブルに並べると、四人の天使たちが次々に席につく。
それぞれの前には湯気を立てるレバニラ炒めと、
用意された飲み物が置かれていた。
佐和子と夏樹には琥珀色のウイスキー炭酸割り。
志津香、紗耶香、恵には上質なアルコール抜きワインが注がれている。
「え、マジで食堂で佐和子さん手作り!? 私、臭いレバニラとか無理なんだけど」
紗耶香が眉をひそめながら匂いを嗅ぎ、一口つまんで口に運ぶ。
「……うま。ちょっと、美味しいじゃん。みんな食べて食べて!」
「ふふっ、ありがとう」
佐和子も席に着き、グラスを傾けた。
夏樹はすでにグラスを片手にしていた。
志津香も静かに手を合わせ、口に運ぶと穏やかな表情を浮かべた。
「……美味しいです。佐和子さん。野菜しゃきしゃきだ」
「天使に食事は必要ないけど、こうして息抜きするのも大切でしょ」
グラスが軽く鳴り、琥珀の液体がきらめく。
わずかでも今だけの安らぎが、彼女たちの中に訪れていた。
──そのときだった。
志津香がふと佐和子の横顔を見つめ、言葉を選ぶように口を開く。
「佐和子さん……次のミッションの説明を、そろそろお願いできますか」
場の空気がふっと引き締まる。
夏樹もグラスを置き、紗耶香と恵も志津香へと視線を向けた。
「じゃあ、作戦の詳細、説明するわね」
食事の空気を残しながら、いよいよ作戦説明の幕が静かに開かれた。
佐和子は手元のグラスに残った琥珀の液体を一口含むと、静かにテーブルに置いた。
微かに揺れる液面を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。
「次の任務は──地上への隕石降下作戦よ」
その言葉に、再び食堂の空気が変わった。
グラスを持ち上げかけた夏樹の手が、ぴたりと止まる。
紗耶香は食べかけのレバニラ炒めの皿をじっと見つめ、恵は表情を曇らせた。
「隕石って……あの、宇宙の隕石ですか……?」
夏樹が、やや上ずった声で尋ねる。
「ええ。天界が用意した、作戦用の小惑星。私たちが直接乗り込み、降下させる。
軌道制御、神気の注入、そして最終段階の着弾誘導まですべて担当するの」
「望むところよ。名誉挽回のチャンスじゃん!」
賛成の声を上げたのは夏樹だけだった。 だが、その声はわずかに震えていた。
「あの……悪霊などで実戦を試していくという案は、認められなかったのでしょうか?」
志津香が控えめに問いかける。
「そうそう。明らかにラウムとかいう奴、レベチだったじゃん」
恵は気丈に振る舞いながらも、その声には恐怖の余韻がまだ残っている。
「天使だからって、隕石に乗り込むのはリスクが大きすぎるでしょ」
紗耶香がもっともな意見を口にする。
「だいたい、隕石落下で悪魔が殲滅できるなら、私たちだけ無傷ってわけないでしょ」
「ギリギリまでコントロールして脱出する計画なの」 佐和子が静かに説明する。
「私たちが位階を上げるには、これが一番の近道だって」
「位階を上げるって何なの?」
「天使としての階級があがり、存在進化することよ」 佐和子は静かに言葉を継ぐ。
「天使の位階は、戦果と実績で定められるの。大悪魔討伐や結界構築、
大規模災害の制御などを経験することで、その存在の質そのものが進化する」
「それって、レベル1のままクラスチェンジして強くなるってことじゃない?」
「看護師天使は最強だって言われた時も、私達、足引っ張っちゃったし」
「悪魔に説教されると思わなかったよ」
「天界の見方では、あなた達はすでに素人ではない、
大悪魔ラウムを相手に実戦を経験し、全員が生還する素晴らしい戦績を残した
名実ともに精鋭部隊の扱いよ。自信を持って!」
「まだ、心の準備が出来てないよぅ」
「……私は佐和子さんに報告を任せたので、賛成します」
志津香は周囲を見渡しながら、穏やかに微笑んだ。
古河家の令嬢として、常に家人を従えてきた彼女は、
この中で最も“命令すること”に慣れていた。
「私が一番に乗り込むから! 操縦も任せて!」 夏樹は胸を張って宣言する。
「あなたに操縦なんてできるの?」 紗耶香が疑いの目を向ける。
「隕石の操縦なんて、誰もやったことないでしょ? 一緒だよ!」
「それは……そう」 自分に押し付けられるのを避けたい恵が、即座に頷いた。
佐和子は小さく笑みを浮かべた。
「夏樹、あなたは先の実戦でも全体を見て皆を引っ張ろうとしていた。
リーダーの資質はあると思うわ。改めて、“よろしく“ね」
「はいっ」
「えーっ」紗耶香が小さく声を上げるが、恵は珍しく同調しなかった。
「このミッションあなた達なら、やり遂げられるわ。私は信じてる」
佐和子は不安を抱えながらも、皆が少しずつ前向きになってくれたことに、心から安堵した。
──この作戦が、彼女たちにとって試練となるのか、
それとも飛躍のきっかけとなるのか。
それは、まだ誰にもわからなかった。
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