3.宴席
「っと! これで終了──っと!」
どっと獣の血しぶきが上がり、それをかぶりながらもアスールは笑みをこぼした。大物を倒したあとの爽快感は、例えようもないものがある。
足元に横たわる堂々とした体格の猪に似た魔獣を見下ろしながら、剣の血を払い鞘に納める。これが最後の一頭だ。
これで、当分の食い扶持は稼げたな。
アスールは笑みを浮かべた。退治を依頼してきたのは、この土地を治める領主だった。かなりの資産家で魔獣退治の懸賞金も破格なものだった。賞金で生計を立てているアスール達にとって、高ければ高いほどありがたい。
食費や宿賃、馬の飼料などその他諸々、出費は多い。長い旅になれば尚更だった。
アスール達は旅を始める際、セリオンの希望もあり国からの援助を全て断っていた。自分達の勝手で始める事だ。それに民から得た金を使う気にはならなかったのだ。
家に頼らず、ろくに帰らず。
とりあえず、末っ子のセリオンはいいにしても、カリマは長子で家長でもある。下に妹が一人いるだけで、他に後を継げるものはいない。
カリマの父は彼が十七才になる頃、近隣の国との戦でなくなった。カリマは後を継いで若いながら家長となり今に至る。
カリマはその父親と前妻との間の子どもで、妹は後妻の子供だった。名をリノンと言い、黒髪に青い目で、容姿はカリマと全く異なる。兄に似ず美しく愛らしく成長した。
リノンとは幼い頃から互いに顔を見知っていた。他愛ない話し位はする仲で。幼い頃は、いつもアスール達が三人で遊んでいるのを遠くから眺めていた記憶がある。
本当は一緒に遊びたかったようだが、兄が許さなかった。足手まといになるし、もし何かあれば親が黙っておらず、三人の仲が裂かれる可能性もあった。その為、カリマが強く反対し、一緒に遊ばせなかったのだ。
とにかく、そのたった一人しかいない息子が、ろくに家に帰らず、こうして放浪していていいものか。
いつかカリマにその辺りを尋ねたが、そこはセリオン王子の外遊に警護として付き添っている事になっているため、そこまで気をもんではいないらしい。
そうは言っても、心配しているだろうに。
妹のリノンには、会うたびいつも呼び止められ、兄をよろしくと言われていた。
「アスール、この先の川で水浴びしていこう。それじゃ報告に、領主の館に入れないよ」
セリオンが剣についた野獣の血を払いながらもっともな事を言う。そう言われて見返せば、頭から足の先まで野獣の血にまみれていた。いつもの事だ。が、この血は独特の匂いがする。かなり生臭く鼻が曲がる匂いだ。
対してセリオンもカリマもそこまで血は浴びていない。なぜ、こうなるかと言えば、アスールが得物に突っ込んでいくからだ。間近に接近し斬る戦法が多い。
対してセリオンは剣ももちろんだが、弓が上手い。遠方から先に急所を狙い、弱った所にとどめを刺すことが多かった。カリマはアスールと同じ力技だが、血を浴びる程つっこんではいかない。
「何度も言うが、お前は突っ込みすぎだ」
カリマも同じく剣について血を払いながら鞘に納め、ため息を漏らす。
「だって、そうしないと、急所をやれないだろ?」
「執拗に追いかけるからそうなる。一度、軽く急所を突けば、後は弱るまで間合いを取って様子をみればいい。それからもう一度急所を突けばそこまで血まみれにはならない。気長にやるんだ」
「これでいいんだって。俺は」
こうしないと、カリマほど持久力のないアスールは長く続かないのだ。それでも休みながらやればいいとカリマは言うが、じっくり相対するのは性分にあっていなかった。
まだ何か言いたげなカリマを置いて、剣を鞘に納めると、近場の小川を目指した。
川は森に入って直ぐに見つけた。そう大きな川ではないが澄んでいて気持ち良さそうだ。
到着した早々、アスールは鎧の胸当てや、小手を取り払い、下に着ていた服を脱ぎ捨てる。身に着けていたものはすっかり汗と血とでじっとりと湿っていた。
後を追ってきたセリオンは、それを拾い上げながらいささか慌てている。アスールはその頃にはすっかり素肌を晒していて。
「おいおい…。幾ら何でも奔放すぎるだろ? もう少し恥じらってもいいんじゃないか?」
セリオンは困ったように視線を彷徨わせながら、そう口にするが。
「お前らの前で恥じらってどうすんだよ。逆に気持ち悪いだろ? 隠す必要なんてねぇし」
「そりゃそうだけど…」
子どもの頃から一緒に遊び回っていたのだ。川や湖に飛び込む事などザラで。素っ裸になって泳いでいたのだ。今更何を恥じらう必要があるのか分からない。しかし、セリオンは後ろ頭をかきながら。
「俺がアスールを好いてるって、分かっているんだろ? 好いた相手のあられもない姿を見て、何も思わないとでも?」
アスールは追ってきたセリオンを振り返ると。
「──何だよ。今更欲情するとでも? 笑わせんなっての。幾ら好きと意識したからってそんな簡単に──」
「意識したら、誰だってそうなる」
セリオンはそう言うと、拾った衣服を同じく追ってきたカリマに押し付けて、着衣の上を脱ぎ捨てると、そのままアスールに続いて、川の中に飛び込んで来た。
「何だよ、セリオン」
セリオンはアスールの二の腕を掴むと、引き寄せ。
「俺は君を見て、欲情する。カリマがここにいなければ抱きしめる」
「はぁ?! なにバカ言ってンだよ! 頭、沸いてんじゃねぇのか!」
「ああ、沸いているとも。アスールが好きで、思いは沸騰寸前だ」
「っまえ、いい加減に──」
突っぱねようとするが、逆にセリオンが手首をつかみ身体を抱き寄せようとしてくる。ひたりと素肌が触れあってドキリとした。言う通り、セリオンの鼓動は早くなっている。
「キスしたい…」
「ばっ、なに言って──だいたい前も断り無しにしたくせに──」
もう一方の腕が、背をかき抱く。キスしようとするのを避ければ、首筋の柔らかい所へセリオンが噛みつくようにキスしてきた。
セ、セリオン?
ちりとした痛みが走る。同時にどくり、と心臓が音を立てた。
「は、離せ──っ」
と、言い合うアスールとセリオンのもとへ憤怒の表情のカリマが飛び込んで来る。
「お前ら、いい加減にしろ!」
そう言って二人の首根っこを掴むと諸とも水の中へ突っ込んだ。
ゴボゴボと口から空気が漏れていく。息ができない。あと少しで天上への扉が開く──と言うところで、ぐいと水面に引き上げられた。
「二人とものぼせるな! 依頼主へ報告があるだろう!」
アスールもセリオンも流石にシュンとなって。
「ごめん…」
「ちょっと、見失った…」
「──分かればいい」
一時の興奮が収まった二人を、カリマは腕組みして睨みつけるとそう口にした。
✢✢✢
その後、依頼主である領主の家で、歓待を受けた。
「いやぁ、セリオン様達のお陰で本当に助かりました。奴らのお陰で森に入ることができなかったんです…。襲われた者も多数いましたが、これで安心して入れます。今宵はたくさん飲んで食べていってください。さあ──」
そう言って主はテーブルに零れ落ちそうなくらい置かれたご馳走を指し示し、セリオンとカリマの傍らに侍った主の年若い娘が酒をすすめた。
アスールに見向きもしないのは、従者だからだろう。幾ら媚を売った所で先はない。
だいたい、肌の色も濃く、鋭い目つきをしたアスールは女性から敬遠されやすかった。愛想笑いもしないから余計にとっつきにくさが増すのだろう。
セリオンが王族、カリマが貴族なのは、ある程度身分のあるものであれば知られている。領地内を放浪しているのも。主人はそれを知っていて、娘たちを二人にけしかけているのだ。
アルース自身は面倒がなくそれでいいと思っている。食べているときに女性にしなを作られ言い寄られても邪魔なだけだった。
セリオンは慣れたもので、そんな娘らを適当にあしらい、にこやかに飲み食いをしていた。カリマはただ、黙って黙々と食べている。酒も進められれば飲んでいた。
セリオンの奴…。
向かいに座るセリオンは、美しく着飾った娘と楽しげに会話を弾ませている。結局、綺麗な女性には目がないのだ。宴席の上とは言え、いい気はしない。
昔からセリオンは異性にはモテていた。それは王子という身分もあったのだろうが、それを抜きにしても、兄らと比べ可愛がられる存在で。学校も中等部に進むころには、いつも女性がその傍に取り巻いていた。
なんて言うか──。俺とは大違いだな。
その時はまだセリオンに言い寄られてはいなかったため、そんなものかと眺めているだけだったが。
セリオンに告白された今、当のセリオンが異性にデレデレしている──と見える──姿を見るのは面白くない。
アスールは閑所に立つふりをしてそこを離れた。周囲の者はセリオンとカリマに夢中なため、アスールが抜けた所で誰もこちらに気にしなかった。
すっかり夜も更けている。外に出ると、ヒンヤリした空気が心地良かった。夜空には半月と共に星が瞬いている。それぞれ名前があるらしいが、アスールは詳しくなかった。幼い頃、セリオンに聞かされたことがあったが、一つも覚えられなかったのだ。
ああして人々に歓待されている二人を見ていると、やはり自分との差を感じる。当たり前だ。二人とも王族に貴族。本来なら自分が肩を並べられる相手ではないのだから。
俺なんて、見向きもされない存在だ。
もし、セリオンと出会わなかったら、今もどこかの農場で働いて、ささやかな日々を過ごしていたに違いない。こんな風に剣を腰に帯び、野獣魔獣を倒しながら勇ましく生きてなどいなかっただろう。
けれど、これがずっと続くはずはない、そう思っていた。セリオンは自分に好意を寄せているが、それも何時まで続くか。
ああして見目麗しい女性に言い寄られれば、悪い気はしないだろう。普通の男などひとたまりもないはずだ。領主は娘にどちらかの手が付けば、もうけものと思っているのだろう。
セリオンがそんな軽い男だとは思っていない。でも、いずれ妻をめとる日が来る。そう遠い未来の話ではない。
こんな風に過ごせるのは今だけだ。
幾ら第五王子とは言え、いつまでも辺境の地をうろついているわけにはいかない。後を継がない王子は、たいていが他国の王族の娘を得たり、逆に婿へ行くのが通例だ。そうして、国を盤石なものへとしていく。
カリマも同じ。一族を守るため家長の責務として妻を得て後継ぎを作り、領地を治めるという責務が待っている。そうして何百年と王家を支えてきたのだ。二人とも進むべき未来は決まっている。
俺はその時、どうしているんだろう?
いつまでもセリオンの従者ではいられない。二人とは離れ、別の人生を生きている事は確かだろう。
この旅を終えたら、辺境の警備隊にでも入ろうか。
過酷な環境でなかなか行きてがないのだという。近年は危険な魔獣も増え、送られれば生きては帰って来られないと噂も立っていた。ただし報酬はいい。
だからアスールの様に身分の低い、それ以上の地位を望めないものたちは、こぞってそこへの配属を願った。せめてそこで金を得て、生活を潤そうという魂胆なのだ。
俺は金が目当てじゃないけど…。
セリオンが王子として他の道を歩むなら、そのもとを離れ、この腕一本で何処までやれるか試して見るのも楽しいかも知れないと思った。
そこまで思った所で、胸に痛みが走る。この痛みの理由をアスールは分かりたくなかった。
「アスール…」
不意に低い声に呼ばれ振り返ると、カリマがそこに立っていた。短く刈られた銀髪が月の光に淡く光る。銀灰の瞳がこちらを静かに見つめていた。
「どうしたんだ? まだ最中だろ?」
「…お前が席を立って戻ってこないから、探しに来た」
アスールは笑うと。
「心配いらないって。ちょっと外の空気を吸いたくなっただけだ」
「…寂しいのか?」
カリマは伺う様に視線を向けて来る。
背後からは囃し立てる声が上がっていた。どうやら娘のどちらかが舞を披露しているらしい。誰かが竪琴をつま弾いていた。きっとセリオンはその輪の中心にいる。アスールは肩をすくめると。
「──どうだろうな? 分かっている事だし、今更だって。俺はこうして静かにしているのが好きだし、ひとりがいいんだ…」
「俺も…同じだ」
「そうだろうな? カリマも愛想は良くないし皆と騒ぐ方じゃないしな? …でも、お前の居場所はあっちだ。──ここじゃない」
それは今ばかりのことではない。アスールの居場所、立場を指す。
「アスール…」
たしなめるようにカリマが声を低くするが。
「だってそうだろ? どうやったって、並ぶことは出来ない。…いつかは別れる時が来る。分かってるんだ。覚悟もしてる。この状態がおかしいんだ」
「そんな事はない」
「いいんだ。本当に分かっているんだ…。セリオンがああしてちょっかいかけてはくるけれど。…俺の本当の居場所はお前達の隣りじゃない。二人に偶然出会ったから、こうして得られない身分を得て、沢山の出会いに恵まれてここにいる。──けど、これは夢の続きだ。小さい頃見た…。いつか覚める。けど、たとえ離れる時が来ても俺はずっと二人と出会えた事を誇りに思ってる──」
と、そこまで言いかけたアスールの二の腕を、不意にカリマが手を伸ばし掴んできた。
「…カリマ?」
「悲しいことを言うな。俺は別れない。傍にずっといる。──必ずだ」
いつになく熱い視線に口調。同情したのだろう。それを受けて胸が高鳴った。銀灰の瞳に射すくめられ、それ以上、身動きできなくなる。
幼い頃、蜘蛛に襲われ目覚めた時のやり取りを思い出した。
あの時も、カリマの視線が痛くて──。
そこへ館のものが通りかかる。それで、アスールは我に返った。
「──ありがとう。カリマ…。気持ちは受け取っておく。──向こうに戻ろう」
「…わかった」
まだ何か言いたげだったが、アスールの言葉に渋々頷いた。
そうしてまるで逃がさないとでもいうように、アスールの手を引いて歩き出す。
逃げなんてしないのに──。
握られた手首から伝わるカリマの熱に、普段は見せないカリマの思いを見た気がして、落ち着かなかった。
✢✢✢
宴の席に戻れば、セリオンが手に酒杯を持ったまま、ちらと視線を向けてきた。
隣に侍っていた娘の一人はどうやら席を外したらしい。もう一人はカリマが戻ったのが嬉しいのか、嬉々とした笑みを浮かべて迎える。
「…仲良くどこへ?」
それを受けたカリマは。
「別に…。偶然会ったから一緒に帰ってきただけだ」
そっけなく答える。
その通りで付け足す言葉はない。アスールは自分の席に戻ると杯に酒を満たし、一気に煽った。冷えた液体は心地よく喉を潤していく。この地方で採れる果実を使った酒だ。香りもいい。それを見咎めたセリオンが。
「飲みすぎるなよ? アスール。君はそれほど強くない」
セリオンの言葉に幾分胸を張ると。
「これくらい平気だ」
気持ちを落ち着かせる為には、酒が必要だった。カリマにつかまれた手首には、まだ熱が残っている。
そのカリマは席に戻るといつもの調子で淡々と酒を飲んでいた。先ほどまでの熱の籠った様子は微塵もない。傍らでは娘がいそいそと酒を注ごうとしていた。
カリマがあんな言葉を口にするとは思ってもみなかった。友情を感じていたのは分かっている。けれど、あそこまで強い意志を持って言われるとは思ってもみなかったのだ。
普段は寡黙で冷静な男の態度に、アスールは少なからず動揺している。
けど、あんな風に強い思いを見せるのは、俺にだけじゃない──。
杯に口をつけながら、カリマを盗み見る。カリマの脇に座る娘がしなを作って果敢にもカリマの気を引こうと挑んでいるのが伺えた。肝心のカリマは全く興味を示さず、杯を口にしている。
以前にベタベタされるのは苦手だと口にしたことがあった。酒宴の席とはいえ、嫌なものは嫌なのだろう。
カリマの気を惹きたいなら、もっと才があって貞淑なのがいいのに。
カリマと付き合いのある、夜の街の女性は容姿も去ることながら、大人の雰囲気で控えめ、でも凛とした品性ある女性だった。
なぜ知っているのかと言われれば、他の仲間に誘われ、同じく夜の街へ引っ張り出された際、見かけたのだ。
「あれ──カリマじゃないか?」
仲間のうちの一人が見つけ、皆がその方向に目を向けた。
影の差す中、美しい黒髪を結い上げた、はっきりとした目鼻立ちで品のある女性とさり気なく腕を組み、夜の帳の中へ消えていったのだ。向かった先は娼館が建ち並ぶ。
「…すげー美人な相手だな。流石」
仲間の一人が冷やかしの声を上げた。確かにかなりの美貌の様に見えた。暗がりでも分かるほどだ。
「あれは──確かここの娼館でも一二位を争う娼妓だぞ。…間違いない。幾ら金を積んだ所で俺たちみたいな無学で剣の腕もない奴には見向きもしないって話しだ。やっぱりカリマは違うなぁ。騎士団長候補ってだけある」
「俺たちには一生、縁がねぇ」
仲間はそう言って笑い合う。アスールはカリマが消えて行った暗闇を見続けた。
ああいうのが好みなのか。
納得と言えばそれまでだが。
普段、寡黙でそういった事に興味なさそうに見えたカリマの意外な姿に、寂しさを覚えた。
カリマも人の子。誰かを必要とするのだろう。すっかり自分やセリオンにかかりきりで、それどころではないと思っていたのだ。
そんなわけないのにな。
大切な者ができて当たり前だった。カリマにも、熱い思いを向ける相手がいるのだ。
アスールはその夜、仲間と共に普段飲み慣れない酒を大いに煽り、次の日の朝の鍛錬に遅れ、ひどく叱責されたのを思い出した。
そんな事は稀で、あれきりだったのだが。やけになるほど、ショックを受けた自分にを意外にも思った。
友人にいい人がいる、それだけなのに──。
それ以来、何かと頼っていたカリマに遠慮するようになっていった。背後に女性の影を見たせいもあるが、何より自分とは違うのだと思う様になったからだ。
が、そんな中、セリオンの半ば出奔とも言える外遊につきあわされる事となり。
結局、以前と変わらぬ態度で接する様になった。一時、距離を置いた事にカリマは気付いているのかいないのか、態度では分からなかったが。
あんな風にされると、落ち着かない。
ただ、単に強い友情を示してくれているだけなのに。
アスールはその思いを打ち消すように、また杯をあおった。