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2.過去

「セリオン、そっちはダメだ!」


「なに言ってるんだよ。面白くなるところじゃないか」


 今年八才となったアスールは、ため息をつくと先を行くセリオンの金色の髪を追った。

 日を浴びてきらきら輝くそれは、まるで作り物の様で。孤児院の大広間に飾られる、どこかの貴族から送られた陶磁器の肌をもつ人形とそっくりだ。金色の巻き毛。青い瞳。白い肌。セリオンは人形そのものだった。

 けれど人形と違うのは、かなりの腕白だと言う事だ。人形のような見た目の癖に、まったく大人しくなどしていない。今も先頭切って、危険だと言われている森の奥へと駆けていく。

 奥には大型の蜘蛛が巣くっていた。危険だからと、大人でもめったに近づかない。孤児院でもそれは良く言い含められていて、誰一人奥へと向かおうとはしなかった。


 それなのに。


 セリオンは構わず、いつもの様に別荘を抜け出し孤児院を訪れた早々、アスールを捕まえてそれを見たいと言い出したのだ。きっと、誰かから聞いたのだろう。確かに子ども心にはスリルのあるわくわくする冒険なのだろうが、危険な事この上ない。

 今日はあいにく三人の中で年長で身体も大きく腕も立つカリマがいない。

 自分より三つ年上のカリマは、幼いとはいえ、三人の中で一番剣の腕があった。剣だけではない。体術もかなりの腕だ。子供だからとバカにはできない。普通の大人ならあっという間にのしてしまうだけの腕を持っていた。

 それが羨ましくて、カリマに剣術の指南を申し出て今に至る。カリマにはだいぶ形になってきたと褒められていた。

 けれど、そんな程度で野獣や魔獣に敵うはずもなく。もし、大型の蜘蛛に襲われたら自分たちなどひとたまりもない。セリオンは短剣を、アスールはさらに細身の果物ナイフを手にするくらいだ。


 セリオンに何かあったら。


 アスールは唇をかむ。彼がどんな身分を持つのかはすでに知っていた。手に握ったナイフを更に強く握り持ち直す。

 何かあれば、これで守らねばならない。セリオンは王子だ。怪我でもすれば一大事になる。セリオンも剣術は習っていて、ひと通りはできるようだが、たしなみ程度だと言っていた。野獣に襲われ立ち向かえるとは思えない。


「セリオン! 奥はだめだ!」


 ようやく追いつくと、茂みの傍で立ち止まっていたセリオンの元まで駆け寄ったが、振り返ったセリオンは、しっと口元に指を押しあて、


「静かに。あいつらいたぞ…」


「!」


 立ち止まった先、茂みの向こうに黒々とした塊が見えた。いたのは蜘蛛が数匹。どうやら大きさから子どもの蜘蛛らしい。餌を採ったばかりらしく、糸を巻かれた得物の上に群がっていた。口元からカチカチと牙をすり合わせる音と、シューシューという息が漏れていた。


「満足したろ? 得物を食べているうちにここを離れないと、気付かれたら逃げ切れない」


 アスールは急かす。彼らの足の速さは知っていた。いつだったか、院の裏の森に出てきたことがあって大騒ぎになったのだ。どうやら逃げてきた獲物を追ってここまで出てきてしまったらしい。普段は薄暗い森の奥にいて、滅多に明るい場所には出てこないのだ。

 それが庭を駆け回る姿を見たが、見たことのない動きと速さに驚いたものだった。近くの駐屯所から来た兵士によってなんとか退治されたが、剣で刺し貫かれた後も、ぴくぴくと動いていた牙を持つ頭と、硬い毛に覆われた鋭い爪をもつ手足を思い出すと寒気がした。あれに襲われれば子どもなどひとたまりもないだろう。


「もうちょっと。ね、見てごらん、あの、口。凄いなぁ。脚だってあんなに棘だらけで先がとがってる…。あれを倒したら、皆をあっと言わせられるのに…」


「バカなことを言うな! もう行くぞ」


 そう言って、セリオンの腕を掴んだその時、近くの茂みがガサリと揺れた。


✢✢✢


「っ!」


 驚き慌てて手にしたナイフを前へ突き出したが、現れたのは野兎だった。ピョンと跳ねたあと、前脚で鼻先を擦る。


「なんだ…。おどろかすな──」


 アスールがほっとしたのもつかの間、その背後から音もなくぬっと蜘蛛が現れ、あっという間にその野兎を捕食した。


「あ…っ!」


 セリオンは驚いてその場に立ち尽くす。アスールは咄嗟にセリオンを背後に庇い、


「走るぞ!」


 言ってセリオンの腕を取って走り出した。が、気が付いた他の蜘蛛の群れが次々に追ってきた。


 四、五匹か。


 地面を這ってくるが、木の根だろうが茂みだろうが関係ない。対して、アスールとセリオンはそう言う訳には行かなかった。

 木の根のコブを乗り越え、茂みをかき分けねばならない。ついにはセリオンが木の根に足を取られ躓き、転んだところを囲まれた。

 アスールはすぐにセリオンを立たせるとナイフを蜘蛛に向かって構え。


「セリオン、俺がひきつけるから、お前は走れ! じきに院の庭だ! 大人を呼んできてくれ!」


 院の周囲には農家が多い。普段から互いに助け合っている。声を上げればすぐに駆け付けてくれるはずだ。


「だめだ! それじゃ、アスールがやられる!」


 セリオンはすぐには応じない。


「俺は大丈夫だ! こいつら、そこまで大きくない。子どもだ。早くいけ!」


「嫌だ!」


 と、何を思ったのか、セリオンは腰に帯びていた短剣を引き抜き、それを手に蜘蛛の群れの中へ突っ込んでいった。


「セリオン、待て!」


 慌ててアスールも続く。セリオンはアスールの目の前で、中の一匹の頭へ短剣を斬りつけた。奇声を上げて蜘蛛が縮こまる。それに刺激された他の蜘蛛が一斉に襲い掛かってきた。


「セリオン!」


 ぐいとその寝首を掴んで引き戻すと、代わりにアスールが前に出た。飛びかかってきた一匹の口の中へ、半ば手を突っ込み、ナイフを突き立てる。それで飛びかかってきた一匹は動かなくなったが、突いたついでに噛みつかれたせいで手が抜けない。


「っ!」


 それを無理やり引き抜くと、すぐさま飛びかかって来たもう一匹の脚を切り捨て、もう一匹の頭に突き刺す。これで三匹がやられ、残った二匹が後ずさった。


「アスール、血が…」


「いいから! 早く、今のうちに──」


 セリオンを背に庇いながら駆けだそうとしたが、なぜか足から力が抜けてガクリとそこへ倒れこんだ。足の感覚がない。


「?」


 何があったのかと足を見たが、何かがあったわけではない。ただ力が抜けたとしか言いようがなかった。いや、感覚がないのだ。気が付けばナイフを持つ手にも感覚がない。それを見たセリオンが戻ろうとする。


「アスール!」


「い、いいから…! 行け──早く! 助けを呼びに行くんだ!」



 せめて、セリオンだけは。


「行けっ!」


「──!」


 漸く弾かれた様にセリオンは駆けだした。その背を見送りながら、ほっと息をつく。

 自分に集中している間は、セリオンは無事なはず。

 その間に何とか森を抜けられれば助かる。喉も痺れてきた。先ほど噛みつかれた際に、毒が回ったのだろう。目の前も幕がかかったように白くなる。中の一匹が前足を高々と掲げて来た。飛びかかろうとしているのだろう。

 身体の感覚がない。噛まれた所で痛みはないはずだ。こんな所で奴らの餌になって死ぬのはなんとも寂しいものだったが、それでもセリオンが無事ならよかった。


 どうか、セリオン。無事で──。


 意識が薄れていく。死を覚悟してその場に倒れ込んだのと同時、どさりと何かが身体の上にのしかかって来た。ああ、食べられるのかと、そう思った所で意識を手放していた。


✢✢✢


 目覚めると、そこには見慣れた孤児院の天井があった。すっかり古びてヒビが入っている。大きな梁は所々に蜘蛛の巣がかけられ埃をかぶっていた。


 俺…は…?


 首を巡らせれば、すぐ横にカリマの姿があった。イスに腰かけ、むすっとした顔の右頬に白いガーゼが見える。


「カ、リマ…?」


「──良かった…。水、飲むか?」


 軽く頷いて見せれば、カリマはアスールの身体を少し起こすと、背中とヘッドボードの間に枕を差し込んだ。そうしてから水差しを差し出してくる。

 甲斐甲斐しく世話を焼くカリマに、申し訳なさと同時にその優しさを感じた。ひと息ついた所で、


「…セリオンは?」


 その一言にカリマはため息をつくと、


「──大丈夫だ」


「良かった…」


 今度はアスールが息をつく。それを見たカリマは、


「あいつの心配なんてしてる場合じゃない。間違えば、アスールは死んでた。あいつの無茶に付き合った所為で…。全部セリオンから聞いた。子どもの蜘蛛だったからまだ良かったけれど、もし、大人の蜘蛛だったらひと噛みで死んでたはずだ。毒の量が違う…。麻痺だけじゃすまなかった…」


 そうか。あれはやっぱり、蜘蛛の毒だったのか。


 身体には僅かに麻痺は残っている様だったが、感覚は戻っていた。気を向けた途端、噛まれた右腕が痛みだす。


「うん…。ごめん。そうだよな? …それで、俺はどうして助かったんだ?」


 あの時、死を覚悟したのに。


 するとカリマは視線を少し落とし、


「俺が倒した…。家の用事が済んで院を覗きに来たら、セリオンとアスールが森に行ったって聞いて。それで追ったんだ。そうしたら駆けてくるセリオンとすれ違って、アスールが襲われてるって分かって…」


「ありがとう。カリマが助けてくれたんだ…。やっぱり、カリマは凄いな。自分だって危なかったのに…」


 頬のガーゼに目が行く。カリマは首を振ると。

「大したことじゃない。殆どアスールが倒したんだ…。セリオンには二度と危険な行動はするなと言っておいた。すまなかった。アスール」


「俺はいいよ。セリオンが無事なら…。俺はどうなってもいい。けど、セリオンは大事な王子だもの。怪我がなければそれで──」


 すると、突然椅子から立ち上がったカリマが肩を掴んできた。


「──カリマ?」


「アスールだって大事だ。命の重さは一緒だ。どうなってもいいなんてことない!」


「……」


 そうして、バツが悪そうに手を離すと。


「…右手、暫く使えないそうだ。身体の痺れも当分残る。いい医者を紹介した。原因はセリオンだ。お金の心配はしなくていいから、ちゃんと見てもらえ」


「…ん。わかった」


「院長を呼んでくる」


 くるりと踵を返し、カリマは去っていった。



 その後、数週間、痺れは残ったものの、徐々に傷も癒え、その後の生活に支障をきたすことはなかった。ただ、今も噛み後は痣として右腕に残っている。

 初めて身体に残された傷だ。その時の傷はカリマの右頬にも残る。危険な目に遭ったとは言え、カリマと繋がりができた様で誇らしかった。

 あの時、アスールを襲おうとした蜘蛛を斬り倒したカリマは、まるで飛ぶようだったとセリオンは語った。

 大人を呼びに行くセリオンと入れ違いで走りこんで来たカリマ。その様を想像するだけで胸が高鳴る。アスールにとって、カリマは英雄だった。

 それからアスールは、それまで以上にカリマを尊敬の眼差しで見るようになったのだ。



 あれから、月日が経ち。今はすっかり大人となったが、印象はあのままの気がする。一番、頼れるのはカリマだ。まるで兄の様に慕っている。

 セリオンへ向ける思いとはまた別の思いがあった。大切な存在だ。


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