管理番号0020 シュルーダー
薄暗い路地裏で、シュルーダーは母親の呼ぶ声を聞いた。
「おい、23!早く戻ってこい!」
その日の稼ぎが23枚の銀貨だったのだろう。彼の名前は、その日盗んだ銀貨の枚数によって日々変化した。時には2や3という数字で呼ばれ、良い日には50や60という数字になった。しかし、それは決して本当の名前ではなかった。
スラムの片隅で育った少年は、早くから生きることの意味を理解していた。誰かを騙すか、自分が騙されるか。そのどちらかを選ばなければ、明日という時間を手に入れることはできなかった。
父親の存在を知らないシュルーダーは、自分の世界を自分で作り上げていった。小さな盗みから始まり、やがて複雑な策略を巡らせるようになった。彼の手から逃れられる金庫は存在せず、彼の目を欺ける警備も存在しなかった。
「俺は盗賊だ」
それは誇りであり、アイデンティティだった。他人が蔑むような存在だとしても、シュルーダーにとってそれは自分自身を証明する唯一の方法だった。彼は毎日、確実に明日が来る選択だけを重ねていった。危険な賭けは避け、確実な利益を積み重ねる。それが彼の生き方だった。
やがて、暗黒街で「シュルーダー」という名前が囁かれるようになった。盗賊たちの間で彼の技術は伝説となっていった。しかし、彼はその名声を求めていたわけではない。ただ、自分が確かにここに存在していることを、世界に示したかっただけだった。
その手腕を聞きつけた一人の男が彼の元を訪れた。
「罠のスペシャリストが必要なんだ」
戦士オプティスの言葉に、シュルーダーは冷ややかな視線を向けた。王国周辺で猛威を振るうヒヒの討伐、それは確かに彼の技術で可能かもしれない。しかし、名誉など彼の興味を引くものではなかった。
「金は出す」
「どれくらいだ?」
提示された額を聞き、シュルーダーは内心で笑った。国からの報奨金を当てにしているのだろう。しかし、それは彼の関知することではない。確実な報酬、それだけが彼の関心事だった。
パーティは五人となった。戦士オプティス、魔法使いメルディン、僧侶ミーア、弓使いホルムス、そして盗賊シュルーダー。集落までの道中、ミーアは何度も罠に引っかかりそうになった。その度にシュルーダーは無言で彼女を救った。それは同情ではなく、ヒヒとの闘いで生き残る可能性を高めるだけであった。
集落に到着したパーティを待っていたのは、想像を超える数のヒヒだった。40頭。そして周囲には
無数の人骨が積み上げられていた。誰もが戦略に迷い、時間だけが過ぎていく。
「遅効性の毒を使う」
シュルーダーの提案にミーアが眉をひそめた。しかし「お前を囮にする」という言葉に彼女は黙る。イノシシに毒を仕込み、集落へと放つ。ヒヒ達は何の疑いも持たずイノシシを食べていた。そして仕込まれた毒は、確実にヒヒ達の命を奪っていった。子供のヒヒが血を吐きながら倒れる様子に、ミーアは言葉を失った。
「人間の子供もあいつらに食われてるんだ」
感傷に浸る暇はない。それがシュルーダーの信条だった。
パーティが集落に突入した時、シュルーダーの姿はなかった。「あいつ逃げやがった!」という怒りの声。パーティは死を免れた強いヒヒ達の後始末をする。しかし、体長3メートルのボスヒヒが現れ、ミーアを鷲掴みする。疲弊したパーティがミーアの死を覚悟した瞬間、背後から放たれた麻痺針がボスに刺さる。オプティスが剣で貫き、ボスヒヒは両膝をついた。
首を切り落とされる直前、ボスの目は何かを訴えかけていた。
「魔物風情が感傷に浸るな」
シュルーダーは冷たく答えた。
ホルムスはチームワークを乱した動きを非難したが
「確実に殺す算段をしたまでだ。結果が出ている」
それがシュルーダーの答えだった。感情も、倫理も、すべては結果の前では意味を持たない。それが盗賊シュルーダーの生き方だった。
街に帰還すると凱旋の歓声で埋め尽くされていた。
シュルーダーにとって、それは異質な音だった。今まで彼の耳に入ってくるのは、暗闇の中のささやきか、追っ手の足音か、金貨の音くらいだった。しかし今、群衆は彼の名を呼び、その存在を称えている。
式典の場で、オプティスの言葉が響く。
「この討伐はパーティ全員が頑張った結果です。しかし、我々を大いに支えたのはシュルーダーです!」
その瞬間、彼の体を雷が走ったかのような感覚が襲った。報奨金を受け取って立ち去るはずだった。それが当初の計画だった。金が全ての基準だった男にとって、このような称賛は想定外の出来事だった。
日陰者として生きてきた者への、王と民衆からの公然の賞賛。その感覚は、金では決して買えない種類の高揚感を彼の中に生み出していた。
「お、俺が勇者だと...」
その言葉を口にした時、シュルーダーは自分の中で何かが変わりつつあることを感じていた。戸惑いはあったが、それは決して不快なものではなかった。
盗賊として生きることしか知らなかった男の胸に、新たな可能性が芽生え始めていた。それは、まるで暗闇の中に差し込む一筋の光のように、彼の内面を照らし始めていた。
勇者として社交界デビューをしたシュルーダーだが、現実は甘くはなかった。
シュルーダーは鏡の前で己を見つめる。そこに映る自分は、もはや誇り高き盗賊ではなく、社交界で笑いものになる不格好な「勇者」の姿だった。
世間からの認知は、思いがけず彼の内面を揺るがしていた。かつての誇りは、今や重い鎖となって彼を縛りつけていた。盗賊として生きた日々は、新しい人生への期待と共に、否定すべき過去となっていった。
「まともな人生」その言葉が、毒のように彼の心を蝕んでいく。
社交界の華やかな宴の場で、シュルーダーの不作法は貴族たちの失笑を誘っていた。ワイングラスの持ち方一つとっても、彼の出自を露わにしてしまう。ホルムスとメルディンの嘲笑的な視線が、その屈辱に塩を擦り込んだ。
しかし、オプティスとミーアは違った。彼らは真摯に支援の手を差し伸べた。特にミーアは、揺るぎない献身さでシュルーダーに寄り添おうとした。
「時間をかければあなたにだってできるよ」
その優しさが、逆に彼の自尊心を引き裂いていく。努力は実を結ばず、周囲の支援は重圧となって彼に のしかかった。
「お前らは俺を憐れんでいるだけだろ!」
怒りと共に吐き出された言葉は、支援の手を振り払う暴力となった。オプティスが紹介する新しい仕事も、全ては徒労に終わる。社会への不適応は、やがて全てを他人のせいにする思考へと変質していった。
鏡に映る男は、もはや誰も信じることができなくなっていた。彼の世界には、かつての確実な金銭の価値も、新しい人生への希望も、存在しなくなっていた。
「結局、俺は盗賊なんだ」
その認識は、諦めと安堵が入り混じった複雑な感情を伴っていた。新しい人生への期待は、もろくも崩れ去る幻想に過ぎなかった。シュルーダーは自分の原点に立ち返ろうとした。
しかし、そこにも居場所はなかった。
「おや、勇者様のお出ましか?」
「俺らが盗めば討伐されるぞ」
かつての仲間たちの言葉には、嘲りと怒りが込められていた。世間は勇者に高貴さを求め、盗賊たちは裏切り者としての烙印を押す。どちらの世界からも、シュルーダーは締め出されていた。
「どこで間違えたんだ?」
答えのない問いを繰り返す日々。そして、ある決意が彼の中で形を成していった。城の宝物庫。それは彼の存在証明となるはずだった。
誰にも認められない者には、自分で自分の価値を証明するしかない。それが、シュルーダーの出した結論だった。
城の宝物庫の扉の前で、シュルーダーは違和感を覚えた。
”やけに簡単過ぎる”
次の瞬間、守衛たちが影から現れた。
「情報は正確だったな」
その言葉で全てを悟った。盗賊仲間からの裏切り。それは、彼の最後の居場所さえも失われたことを意味していた。シュルーダーはなすすべもなく捕まる。
鉄格子の向こうで、クインシルは静かに問いかけた。
「シュルーダー様、なぜあなたのような人がこんなことをしたのですか」
その問いは、彼の存在そのものを問うているようだった。
シュルーダー:
「お前に何がわかる。全てを失った俺のなにが」
クインシル:
「あなたが勇者から再び盗賊に戻ったのはなぜですか」
シュルーダー:
「俺もあの瞬間、新しい人生を送れると思っていた。だが都合よく物事が動くことはない。過去の自分が今の自分の足かせになったのさ」
クインシル:
「それでも仲間達が支援をしていたのではないですのですか」
シュルーダー:
「やつらは下の俺を見て安心したかっただけだ!憐れみだけだ!」
クインシル:
「そんなことはないでしょう。ミーア様はあなたに寄り添っていました」
シュルーダー:
「あの女はあれで自分の満足させてたのさ。俺はそのダシに使われただけだ」
クインシル:
「あなたは最後まで人を信じられなかったのですね。いや、信じるのが怖かった」
シュルーダー:
「信じた結果、俺はこのザマだ!笑えるよな」
クインシル:
「今もミーア様はあなたの減刑を王に申し出ています。」
シュルーダー:
「余計なことしやがって!そんなに自分を良い人に思われたいのかよ」
クインシル:「違います。ミーア様はあなたに何度も命を救ってもらったのでその恩を返したいだけです」
シュルーダー:
「あれは仕事を遂行するために必要だっただけだ。それ以上でも以下でもない」
クインシル:
「あなたがそう思っても、ミーア様にとってはかけがえのない事だったのです」
クインシルは面会を終えるとインタビューをまとめた。
それは出自によって価値観が作られたことが彼の未来を違う形へと収束させてしまった。
もし彼がもっと忍耐強く世間と接していたら違った未来だったかもしれない
シュルーダーの犯罪は元勇者による卑劣な行いと認定され、民衆への影響もあり処刑となった。シュルーダーは鎖で繋がれながら牢屋から処刑場まで歩かされている。
道の両端では民衆が彼を罵倒し、石や腐った果実などを投げつけた
「やめてください!彼はあなたたちを救ったのですよ!」
ミーアの叫びが響く。彼女は体を張ってシュルーダーを守ろうとした。石が彼女の頭を打ちはうずくまる。
「ミーア!」
その瞬間、シュルーダーは初めて理解した。これまで拒絶していた彼女の献身の意味を。しかし、それは遅すぎた気付きだった。
「シュルーダー、あなたは本当は善人だと私は信じています」
衛生兵に抱きかかえられていくミーアの言葉が、最後の救いのように響く。
十字架に貼り付けられ、シュルーダーは王を見据えた。
「お前の求めた結果がこれだ!結果は残せば煽て結果が出なければ貶す!俺はお前らのおもちゃじゃない!」
その言葉に、さらなる憎悪の声が返ってくる。王の「お前には期待をしていた」という言葉に、シュルーダーは王の顔に唾を吹きつけた。
槍が体を貫く直前、彼は思い出していた。あのヒヒのボスの最期の眼差しを。
「そうか、お前から見たら俺もこいつらと同じか」
その悟りと共に、シュルーダーは永遠の闇へと沈んでいった。ミーアの悲痛な叫びだけが、彼の最期の真実を知る者として、その場に残されていた。
以下、パーティの仲間たちへのインタビュー
オプティス:
「俺はシュルーダーを世の中に認めてほしかった」
「だが、あいつは最後まで努力できなかったんだ。人生に最短距離なんかない。それを理解
できなかったんだ」
「俺やミーアの善意はあいつにとって受け入れられなかったんだ」
メルディン:
「彼はとても愚かだった。結果だけを求め、そこにたどり着くには手段を選ばない」
「今回の処刑も身から出た錆だ」
「オプティスもミーアもよく世話ができたもんだ」
ホルムス:
「正直、あいつは過大評価されていた」
「盗人が俺たちと同じ位置にいることがおかしかった」
「人間は変わらない。それがあいつの行動で証明されたよ」
ミーア:
「シュルーダーは世間に誤解されていました」
クインシル:
「それはどのようにですか?」
ミーア:
「ただ、不器用で感情がコントロールできなかったのです」
クインシル:
「あなたとオプティス様はそれでも手を差し伸べていましたね」
ミーア:
「私は何度も命を救われました。冷たい人であれば諦めていたはずなのに」
「それに彼は人生を変えたかったのです」
クインシル:
「それがうまくいかなかったんですね」
ミーア:
「私たちの支援は彼にとって重荷だったのでしょうか」
クインシル:
「シュルーダー様は人を信じることが怖かったのでしょう。裏切られたときの怖さが
染みついていたので」
ミーア:
「シュルーダーは私を信じてくれたと思いますか」
クインシル:
「それはわかりません。しかし、最後まで寄り添ったミーア様の姿は目に焼き付いて
いたと思います」
ミーア:
「でも、私は彼を救うことはできなかった・・・」
クインシルの手記
ミーア様の後悔の念は一生薄れることはないだろう。
ボタンの掛け違いが最後まで修正できなかったことがシュルーダー様の人生を大きく
変えてしまった。人類にとって都合という概念は正義にもなり悪にでもなる。
そしてそれに狂わされる勇者という存在は果たしてどんな意義があるのだろうか。