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09.社会復帰

 俺の名前は、篠田裕司。

 現在無職。適応障害で月に一回通院して、自宅療養の身だ。

 あの山田? って娘にいきなり襲い掛かったことは、反省している。示談とか、菓子折りを持って行ってのお詫び何て、気休めだ。結局、被害者当人に直接会って、謝罪することは叶わなかった。

 自分が虐待を受けているにも関わらず、異父と同じ暴行を働こうとしたことは弁解の余地もない。

 自分でも知らぬ間に、トラウマになってしまっていたんだな。それ程まで、ラケットで小突かれるのは、怖かった。今思い返すだけでも、身体が硬くなる。

 分譲マンションで、隣近所の付き合いはほぼないが、警察に連行された。

 悪い噂が立つのを警戒したのだろう。あれ以来、異父から軟禁状態にされ、「外出時は報告すること」と、命じられた。

 あの一件から、異父は四六時中絶えず言っていた、就職活動の件も口にしなくなった。

「いざとなったら反抗する、危険を(はら)んだ奴」

 と言う、警戒心を植え付けられたのはよかった。

 外出はいちいち報告しなくちゃいけない煩わしさがあったが、変わりに家族は、俺とどう接すればいいか分からず、放任されて個室で一人切りでいる時間が長くなった。

 俺は一人、自由でいられたおかげで、異父と余計な関わりもなくなり、ストレスから解放された。まだ小学生の弟や妹達も、母が、

「お兄ちゃん病気だから、そっとしとこうね」

 と言い聞かせてくれたおかげで、やんちゃ盛りの彼らも、俺に気を使うようになった。

 その甲斐あって適応障害も回復して、社会復帰出来そうな所までよくなった。また、就職活動が再開出来る。

 噛み合わせが悪く、ギシギシと音を立てていた歯車が、このタイミングで摩耗して上手く嵌まり、水が(とどこお)りなく滔々(とうとう)と、流れるようになったように感じた。人間万事塞翁が馬、とはよく言ったものだ。

 しかし、根っこの問題が、解決したわけではない。事件後の今だからこそ、家族は気を使ってくれてはいるが、そのうちまた異父も、体罰をするに決まっている。種違いの弟、妹達も自制出来ず、金切り声ではしゃぎ回り、騒がしい姿が目に浮かぶ。

 穏やかな誰にも干渉されない、安住の地が欲しい。

 とにかく早く家を出たい。一人暮らししたい。この家族と、おさらばしたい。

 何とか生活をやりくり出来れば、それでいい。その為にも、安定した正社員の職に、就きたい。

 しかし昨今の不景気は、もう第二新卒とは言えなくなった就職浪人の俺には、厳しいものだった。前の就職活動の時期は、ことごとく落ちて、内定は一件も採れなかった。

 療養前は、正社員募集を、片っ端らから受けて行った。その中のある一社の面接官は、俺を不採用にしたが、こう言い残した。

「面接ってのはね。あなたのありのままを見たいの。多少の面接での緊張するのは分かるけど、あなたは気負い過ぎなの。だから受け身のこちらも構えるの。そんな窮屈で、息の詰まった状態じゃあ、どこも採ってくれないよ」

 とアドバイスしてくれた。


 今日は外来の日だった。正式に全快のお墨付きをもらえたが、精神科の女の先生は、但しくれぐれも、と念を押した。

「篠田さん。篠田さんは自分のキャパ以上に、自分を追い詰めすぎる傾向にあります。自立と正社員。二つ同時に得ようとして、自分で自分の首を絞めているんです。責任感の強さがあなたの長所だけど、それに雁字搦(がんじがら)めになったら、又、再発しますよ。自分を(いたわ)ってあげて下さい」

 確かに、欲をかいていたのかも知れない。やはり二兎追うものは一兎も得ず、で張り切り過ぎていたのかな? と、一度静養を挟んだ今になって、自己分析出来る様になっていた。

 診察を終えて、病院を後にした。もう時期、真冬だ。郊外の外れにある、松山病院の周りは住宅街で、他に目立った建物がない。

 季節は早送りしたかのように、バスで通える精神科の病院前の停留所も、屋根があるとはいえ、風が入って来て冷たい。薄手のスウェットとチノパンという、晩秋のような格好で来た俺は、次のバスの発着の十五分待ちが耐えられず、停留所真向かいのコンビニで、寒さ凌ぎのホットコーヒーを買うことにした。

 何の気なしでレジ脇のホット缶コーヒーを手に取り、カウンターに持って行くと、店員の背後に、

『急募! 夜勤アルバイト。シフト相談に乗ります! 時給D円〜』

 と、でかでかと、張り紙が掲示されていた。

 カウンターの定員が、バーコードで値段を読み取りながら、

「お客様。……松山病院の患者さんですか?」

 唐突に定員から声を掛けられた。俺に向かって声を掛けたのか? 振り返っても誰もいない。

「すみません。失礼しました。E円になります」

「失礼しました」と言ったってことは、やっぱり俺に向けて声を掛けたんだ。

「判るんですか?」

 ホントなら、無礼者、と憤る所だが、思いがげず言い当てられたので、俺もつい聞き返していた。

「うん。そうですね。まぁ。病院の真ん前で、十年も勤めてますからね」

 五十過ぎに見える男の従業員は、自重気味に答えた。

「どの辺が?」

 聞かずにやり過ごすことが、出来なくなっていた。

「まぁ。雰囲気ですよ。うちに日中足を運んでくれる四割ぐらいの方は、松山病院の患者さんですからね。慣れですよ。慣れ」

 俺より背の低い百七十㎝程の身長だが、恰幅(かっぷく)があり、百㎏強ある大柄だ。しかしその体型は()()()()という表現の方が似合っていて、包容力と雄大さが滲み出ている。

「失礼ですが? 店長さん?」

 今度はこちらの番だ。緊張が(ほぐ)れ、口を()いていた。

「はい。店主です」

 フランチャイズの、オーナーだ。

 今度はオーナーの方が打ち解けたようで、話始めた。

「通院ですか? 入院ですか?」

「通院です。と言っても、もう今日で完治して、後は、三ヶ月に一回の、経過観察の通院に切り替わりました」

 オーナーは改まって、

「それはおめでとうございます」

 と言い、俺も素直に、

「ありがとうございます」

 と応じた。

 コンビニのオーナーと言っても、やっぱり接客業だ。俺も打ち解けて口が滑らかになって来た。オーナーは続けた。

「ここまでお話しさせて頂いたので、踏み込んでお尋ねしますが。心の方を?」

 松山病院は、精神科と内科しかない。必然的に、どちらかの二択であると解る。

「はい。そっちです」

「お仕事は?」

「それが……。何でしょうね。上手く行かなくて、求職中何ですよ」

「あぁ。それで、この張り紙が目に入ったと」

「そうですね」

 そうすると、オーナーは俺の顔や身体を、一通りじっくり見て暫くして、

「どうですか? コンビニの夜勤?」

「ハイ?」

「嫌。初対面で失礼ですが、受け答えもちゃんと出来るから、接客も問題なさそうだ。少し細いが、がっしりしてる。この寒い中スウェット一枚ってことは、労働環境も注文がありそうじゃない。今、本当欠員で困ってるんですよ。どうですか? コンビニの夜勤? 自慢じゃないが、他の系列店より、時給はいいはずですよ。やる気ないですか?」

 といきなりスカウトされた。

 求人募集サイトで、スカウト募集ってのも登録しているが、てんで駄目だ。今まで来たのは、誰にでもスカウトメールを送るような、散蒔(ばらま)きの冷やかしのスカウトしか受けたことがない。オーナー自らスカウトされる何て初体験だったから、素直に嬉しかった。

 けど、ちゃんと事情を説明することにした。

「正直嬉しいですけど。目指す所は、正社員でして。ありがたいですけど、お断りさせて頂きます」

 するとオーナーは少し考えて述べた。

「正社員、そんなにいいですか?」

「……」

 俺の返事を待たずにオーナーは続けた。

「正社員、そんなにいいかなぁー。そちら様に対して失礼ですが、言わせて頂きますけれど。今時流行(はや)らないですよ。正社員。安い給料で、法律スレスレまで、残業時間目一杯働かせて、唯一、福利厚生と僅かなボーナスと、退職金もあるのかないのか」

「……」

「その点うちは自信を持って、待遇はいいと言えますし。交通費も出しますしね。時給も一年経過毎に、それ相応にアップする。正社員何て肩書きだけで、もう終身雇用何て、時代錯誤ですしね。うちのアルバイトの子達は、稼ぎたいなら目一杯シフト入れるし、そこそこでいい子はそれなりで。店としては働きやすいように、出来る限り風通しよくさせて貰ってるつもりだから、新人の子も意見があるなら、私にはっきり言いますしね。逆に伺いますが、正社員のメリットって、何ですか?」

「……」

 返す言葉がなかった。目が覚める様だった。夜勤のアルバイトって言うだけで、どこか卑下(ひげ)していた。思いもよらなかった。

 確かに言われるとそうだ。正社員なんてメリットは、「フルタイム従業員」って、肩書きだけだ。

 働いても働いても、暗黙の了解の過重労働で、サービス残業何て言わずもがな。労働組合のない零細企業なんかじゃ、その実態さえもみ消される。タイムカードもあってないようなもの。オーナーの並べ立てた分析が、ボディーブローのようにズシリと響いていた。

「うちのスタッフはね。私だけが個人事業主で、後は全員アルバイト。だから雇用に引け目何て感じていないから、みんな好き勝手、シフト組んでますよ。それにそちら様は、松山病院の出身。実はうちは松山病院の患者だったのが、今は……そうだな。四人だったかな? みんな繊細ですから気弱ですけど、細やかなとこまで気が効くんですよ」

 オーナーは調子よく、弁が立ってきた。

「元患者の子らは、私が廃棄し忘れていた賞味期限切れ真近の商品も、『オーナー。あの商品。もうそろそろ賞味期限切れですよ』って、こっそり傷付かないように教えてくれるんですよ。それが優しいし頼りになるし。最初ここに店を造ろうと思った時はね。ちょっと怯みましたよ。だってほら、精神病院の真ん前ですからね。けど本当、ここに造ってよかったなぁ。スタッフにも恵まれるし」

 オーナーは話に夢中になって、缶コーヒー一本買うだけの客の俺に、十分近く話込んでいた。

 俺は、オーナーの話を聞いて思い直し、俄然やる気になっていた。只、もうバスの発着時刻だ。俺は、バスの都合でもう行かなきゃいけないことを詫びて、その代わり店の連絡先の入った名刺を貰って、家路に着いた。

 最後、オーナーに挨拶しようと店を出る際振り返ると、レジカウンターの前は俺が長居したことで、長蛇の列になっていた。

 全く、何がどうなるか分からないものだ。本当、人間万事塞翁が馬だ。

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