05.初恋
中学に進級した。
私達の校区は、丁度いい具合の生徒数なので、小学校の同級生がそのまま中学へと、持ち上がった。そのためクラスメートは新しい友達を作ったりなどはあったが、葵ちゃんと加奈子ちゃんの幼馴染三人組は、変わらず和気藹々としていた。クラスこそ一緒にはならないが、小六から始めたバドミントンで、絆を深めていた。バトミントンがようやく板に付き、今、伸び盛りだと自覚し楽しくて堪らない。
吹奏楽部は、甘酸っぱいベリー系の雰囲気だったが、バドミントンで流す汗は、柑橘系のフレーバーだ。それは一度味わったら離れ難い、清涼感だった。練習に打ち込んでいる様は、澄み切った南国の空を連想させた。
葵ちゃんと加奈子ちゃんのバドミントンの、「何となく出来そう」という見立ては、そんな単純なものじゃなかった。
まず、小六で習ったのが、フォアハンドとバックハンドのグリップの握りの、僅かな違い。リストスタンド(前腕と手首の角度)を保ったまま、ラケットを短く持ちコンパクトに、上半身を主に使ったストロークの仕方、などの基本を五年生と一緒に習った。
一年遅れで始めたせいか、当初は同級生との力の差は、歴然だった。
しかし、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」じゃないが、「ついて来れない者は容赦無く切り捨てる」という指導方針に、私はいい意味での緊張感と充足感を、覚えていた。
そして普段は姿を見せないが、心の奥底にある、情熱とスイミングスクールで培った体力が、上達の後押しをした。一年の差を埋めるため、覚悟を持って打ち込むことを決意した。
小柄な体型を活かしたフットワークで、サイドアームストロークやアンダーアームストロークを、得意とした。そしてコートを目一杯使ったラリー戦で、自力の体力勝負に持ち込む戦術を、十八番とした。そしてラリーの最後はドロップショットやヘアピンなどの、相手のネット際にシャトルを落とす、意表をつく攻撃を勝ちパターンとして、自分のスタイルを築き上げていった。
覚悟を持って臨んだことで、小六の秋には、学年の選抜メンバーと拮抗するまで上達していて、冬の大会にはレギュラーに選ばれるまでに追いついた。
中学に入っても、相変わらずの登り調子だった。
中一の夏の時点で、二年生とペアを組み大会にエントリーされた。そして、相手選手の身体の中心を狙うボディーショットを習得し、技術に磨きを掛けた。
こうして、一年の冬の大会には上級生に混って、シングルスのレギュラーに選ばれるようになった。
この時、葵ちゃんと加奈子ちゃんを追い抜いたんだな、と自覚した。
この私の上達と相反して、幼馴染三人組は次第に、綻びが生まれ始めていた。
二人の「何となく出来そう」と言う甘い見立てとは違って、本気で臨んでいた私は、急激な右肩上がりの上達を遂げていた。
そして私は上級生達に連なって、一年生でありながらレギュラーになったため、朝練で二人より早くに登校することになった。
元々、天才肌で器用な小学校まではエースだった加奈子ちゃんは、後発の私が追い抜いてレギュラーとなったことで、バドミントンにへの姿勢が、大きく捻じ曲がっていった。
部活を無断欠席するようになり、私達二人と距離を置くようになった。
悪友達と群れるようになり、夜中に近所のコンビニで、高校生らと交じって屯して、乱痴気騒ぎを繰り返し、警察に補導されるようなことも、ままあった。
葵ちゃんは、それでも努めて三人の関係を継続しようと、毎朝、加奈子ちゃんを迎えに行ったが、昼夜逆転した生活を送っていた加奈子ちゃんは、平気で遅刻、欠席をして、仕方なく一人で登校していた。
幽霊部員となって素行の悪くなった加奈子ちゃんには、中学生でしかない私達に出来ることは限られていた。
私の上達で、次は葵ちゃんが犠牲になった。
生真面目過ぎる葵ちゃんは、私に追い抜かれたことで、自分を見失っていった。
グリップの握りから、リストスタンドなど初歩的な所から、どこが悪いのか? と自問自答を繰り返した。加奈子ちゃんはいなくなり、後発の私に相談する訳にはいかず、プレイスタイルも日によって変わり、芯がなくなってしまって、逆にレギュラーの座は日を追う毎に、遠のいていった。
そして弱肉強食の中学バトミントン部は、レギュラーのみが大会近くなるとコートを占有する居残り練習が加わり、補欠の葵ちゃんは唯、下を向いて帰って行くしかなかった。
そうして、絡まった関係を修復出来ないまま、中学校も三年まで進級した。
加奈子ちゃんはもう完全に不良の仲間入りを果たし、葵ちゃんは下級生にもレギュラーの座を奪われていた。
バドミントンの充実と、幼馴染の関係は秤にかけられ、プラスなのかマイナスなのか、判断に迷う所だった。
しかし私には二人にはない、余りあるプラスの部分があった。
それは高杉君と務める、学級委員長だ。
高杉君とは、小学校の五年から今の中学三年まで、ずっと同じクラスだ。
小六の時の、予想だにしない推薦から学級委員長になったのがきっかけとして、学年全体に「山田歩は優等生」と、識別されるようになった。
中一、中二とクラス替えがあったが、私は自分の想定外で知名度が高くなり、もはや学級委員長は押しも押されぬ、盤石の地位にのし上がっていた。
そして、高杉君は、私以上に不動の地位を築いており、二人でクラスの両翼を担っていた。
高杉君は生徒のみ成らず、教職員からも絶大な信頼を得ており、学級委員長などに留まらず生徒会長選に立候補すれば、当選確実と言われていた。しかし彼の強い意思により、生徒会長には立候補することは断り、私と連れ立って学級委員長を務めている。
私のバドミントンと双璧を成す楽しみは、月に一度の学年集会だ。
三学年、各クラスの男女の学級委員長が放課後集い、様々なことを決める集会だ。
生徒会とは違い案件は、各クラスに割り振られる学校内の掃除の持ち回りや、運動会の組み分け。教職員側から各個人ではなく、クラス単位での組織の伝達事項を連絡したり。とまあ、大したことはしていない。
私が楽しみにしているのは、集会自体ではなく、その後の下校だ。
学年集会では原則、学級委員長は部活動を休んで、集会に参加する。議案はひと月に一個あるか無いかなのだが、教職員からホームルームの時間では賄えない、各クラスの細々した、報告や決め事の連絡がある。それらと他に、各クラスで学級会の時間に取り決めてもらいたいことなどが、意外と時間を要する。よってその日は、部活動は学級委員長は出席出来ないと仮定されるが、稀に早く終わりそうな時がある。そんな時私は普段鳴りを潜めているが、ここぞとばかりに発言する。
「議長、Aの件はBでよかったですか?」
「先生、先月のCの決定について、もう少し詳しく教えて下さい。クラスで聞かれることもありえるので」
とこんな塩梅で、瑣末な質問をする。
他のクラスの学級委員長らは、早く終わりなんだから部活行かせてくれよ。だとか、たまには早く帰ろうぜ。といったうんざりした感じを醸し出すが私は怯まない。だって早く終わってしまったら、高杉君がサッカー部に顔を出すからだ。
このままサッカー部顔出しても、大したことできないな。今日は行くのやめとくかな。と、推察されるサッカー部の練習終了時間を逆算して、質疑を重ねる。
学年集会はクラスのリーダーだから、ここでの目立つ行為は、意欲的、と歓迎される。
普段は、高杉君の影に隠れて表立たないが、この時だけは積極的に前に出る。そしてある程度まで時間を引き伸ばす。
そうすると……、
「今回の集会も遅くなったから、部活顔出すの止めとくわ。帰り道だから送るよ」
というご褒美があるのだ。
中一の最初の学年集会で送ってもらえたのをきっかけに、私はこの瞬間を毎月、待ち侘びている。
「え? 高杉君、ちょっと遠回りになるよ」
「いいんだよ。対して変わんないし」
と、このやり取りを中学に入ってから、毎度繰り返している。もはや「熟年夫婦のやりとり」のような、決まりきったラリーだが、高杉君は大雑把で小さいことは気にしないので、覚えてない。
毎月必ず送ってくれる。月一の、デート気分の至福の時間だ。
そして集会を終え、帰り支度をして一緒に玄関を出る。並んで歩く校舎の上の階の窓から、
「高杉! いいな。彼女連れて」
と男子生徒の冷やかしに、
「馬鹿! そんなんじゃねぇって」
高杉君は焦って反応したが、周りの反応も甘美なものだ。
私は年を重ねて段々女らしく、したたかに変わって来た。でももし願いが叶うならば。否定してほしくない、このまま彼女気分でいさせてほしいと、欲張りな自分が顔を覗かせる。
帰り道、高杉君は唐突に口を開いた。
「実は俺、担任の先生に二年の時、『生徒会長選出ないか』って、言われてたんだ」
どう返事すれば、好感を持ってもらえるだろうかと考えたが、余計な事は考えず返事した。
「高杉君だったら、担任の先生でなくても推しただろうね」
邪心じゃなく、率直な気持ちだ。
「けど。生徒会長になるのが嫌じゃなくて、俺の願いが叶わなかったから断った」
「願いって?」
高杉君の耳が赤らんで来た。
「それは……。俺がもし生徒会長の座に就いたら、『副会長は山田にしてくれ』って頼んだんだ」
「え?」
びっくりして立ち止まっていた。
高杉君も同じように足を止めたが、身長差のある私を見下ろすのではなく、恥ずかしさで顔を上げられず、自分の足元に視線を落としていたようだった。高杉君は続けた。
「『それは出来ない』、ってはっきり言われた。担任の受け持ち云々に関わらず、一つのクラスから、『生徒会長』と『副会長』を双方出すと、人となりや個性やら均衡を図ろうと、生徒を割り振ってクラス分けしてるのに、それが意味をなさなくなるから。俺を擁立するなら副会長は、『他のクラスの生徒しかダメ』、だってはっきり言われた。俺はその担任の言葉を聞いて、生徒会長選は出馬するのを諦めた」
私にとって寝耳に水だった。再び歩き始めた。
「山田。山田は中学になって、変わったよ。小学校の頃は、おっかなびっくりこなしていたと思ったけど、中学になって積極的になった。学年集会も気になることは細かく聞くようになって、俺に欠けてる部分をカバーしてくれている。頼りになる一番のパートナーだと、思っている」
私の目論みなど、皆目検討付いていないようで、イニシアチブを握っているのを、「細部に気の回る頼もしい女子代表」、として評価してくれていた。告白とも違うが、「一番のパートナー」と言われたことは、単なる色恋とは別の、敬われたとして心に刻み込まれた。
私の初恋の人は……、何て真っ直ぐな心の人なんだろう、と思い惚れ直した。
同時に、私はこれまで重ねて来た謀略を反省したが、こうするしかなかったと、自分自身に言い訳を並べた。
高杉君は話を変えて、進路について聞いてきた。私は、
「言い出しっぺから、先に言うもんだよ」
と探りを入れた。
高杉君は部活も名門のサッカー部で、文武両道でいきたいとして、市内で二番目に偏差値の高い高校を受験するとした。
それを受けて、私は当初市内一の学校に行くつもりだったが、偏差値はさほど変わりないので、高杉君の志望校でも悪くないなと思った。それこそ文武両道で、バドミントンの実力校でもあるので、その選択肢もありかもな、と思い直していた。
「それで、山田はどこ受けるんだ?」
と聞いて来たので、
「さぁ、何処でしょう? 当・て・て・み・て・下・さ・い」
とはぐらかして、駆け足で校庭を突っ切った。高杉君は、
「俺だけに言わせといて、汚ねぇぞ!」
と言って、私の後を追った。追い掛けっこになった。
私は青春の真っ只中で、この上ない幸福感を味わっていた。