04.六年生
六年生に進級した。
すると間も無く吹奏楽部の顧問の先生が、私を訪ねて来た。要件は思っていた通りだった。何で吹奏楽部を退部したのか、と。
私は、それは先生がちゃんと指導してくれなかったからです。などとは、口が裂けても言えなかった。先生は手を変え品を変え、私を吹奏楽部に戻そうと煽ててみたり、励ましたり、喝を入れたりした。
しかし、色々と言葉を並べ立ててみても、私には分かっていた。先生の本音を……。
先生は私を本当に必要としてくれていたなら、五年生の時の相談に、もっと親身になってくれていたはずだ。先生は、私が必要なんじゃない。アルトサックス奏者が一人欠員が出るのが困る、というのが本音だと言うことを。
ふと、お父さんの言葉が蘇って来た。
「興奮しないで落ち着いて」
私は先生の言葉も……。それと一体となる周りの空気も。手にとるように解った。先生は、私が初めてスイミングスクールで溺れた様に、この状況にジタバタしているのがよく分かった。
私は国語で習った、客観的な視点、と言う言葉を思い出していた。私は今まさに、客観的視点の中にいた。
私はどうすればこの顧問の先生を傷つけることなく、納得いく言い訳が出来るだろう。少し考えた。
そして私は先生の息継ぎの合間を探って、躊躇わず言葉を発した。
「やってみたかったんです。バドミントン」
先生は不意打ちを喰らったようで、次の言葉が出てこない。私は続いて、
「五年生のクラブ活動の選択の時、迷ったんです。吹奏楽かバトミントンか」
私は自分でも不思議な位、思いがけず言葉が出てきた。
「吹奏楽も楽しかったですけど。バドミントンも経験してみたかったんです」
合間なく私は続けた。
「やらないで後悔したくなかったんです。だから五年生は吹奏楽。六年生に上ったら、バドミントンって、最初から決めてたんです」
先生は、返事に困っているようだった。
「欲張りなんです。私、昔から。美味しい物一遍に二つ出されたら、両方食べたい、っていうわがままな人間なんです。いけませんか?」
私は自分でも驚く程落ち着いて、先生には迷惑は掛からないように、理由を並べた。
「やらないで後悔することだけは、したくなかったんです。だからこの一年バドミントンをやってみて、吹奏楽とどっちが楽しいか、比べて見ようと思うんです。それで、もし、やっぱり吹奏楽だなと思ったら、中学生になってまた吹奏楽に戻ります」
「中学校に入ったら、戻る可能性がある」と言われては、小学校の顧問の先生は、何も口を挟めないだろうと、珍しく頭がよく回った。
私はあくまで自分のわがままという、誰かのせいにせずに、誰も傷つけることなく、理由を説明した。先生は自分の受け持ちの児童にないにせよ、好奇心を主張する生徒に、これ以上立ち入れない。仕方なしに先生は、
「バドミントン部も楽しいと良いわね」
と、捨て台詞を言って、去っていった。
クラス替えがなかったので、吹奏学部のクラスメートとは関係は途絶えたが、その分バドミントン部の仲間が出来た。クラス替えがあれば心機一転。また一から、友達を作ることから始まる。二年に一回ずつのクラス替えの周期が、今回私は、一年置きに来ただけだと、新居に引越しした時と同じ感覚で、何てことなかった。
但し、唯一違ったのが、身の回りの情報がそのまま繋がっていったことだ。どこで伝え広がったのか分からないが、
「山田歩のお父さんは、弁護士らしい」
と言う情報だ。
私は隠しておくことでもなかったが、だからと言って自分から言うものでもない。いつしかクラス内では、「山田歩は優等生」と言う、色分けがなされるようになった。
そうして、六年生に上って学級委員長を決める学級会の時、この噂が表に現れた。
「先生。女子の学級委員長は、山田歩さんがいいと思います」
クラスでも活発なタイプの女子が、声をあげた。私はクラスの中では比較的大人しく、五年生の時も美化委員だったから、予想外の推薦だった。
「山田、優等生だもんな」「私も山田さんが、良いと思う」と、男子も女子も近くのクラスメートと、ザワザワし始めた。
私は毎日出される宿題は欠かさずやり、家での授業の予習復習も欠かしていなかったので、学校の成績はいい方だ。そう言った意味での優等生、という色分けはまだ納得いく。しかし、学級委員長は柄じゃない。と、自分では思う。
第一、リーダーシップに欠ける。勉強の出来る出来ないは関係なく、周りをまとめ上げる、リーダーという、他に染まらない特色が必要だと思う。
その点では、私は色が薄いと思う。ここで話題に出すのは可哀想だが、お父さんを見てれば解る。私はあの、お父さんの娘だ。
弁護士と言う人を守る立場の仕事なのに、同僚と揉めることさえ嫌い、問題が起きそうな時は近付かない。仕事がそつなく丁寧で、細かい所まで行き届いているから、「担当は山田さんで」という、昔繋がりのクライアントで何とか成り立っている。お父さんは自分の小心さを、誰よりも自分自身で理解している。
物心ついてから、私はお父さんが世間で言う、お父さんらしい男っぽさ、を感じたことは一度もない。お母さんにしたって、勝ち気な部分など感じたことは、これまでない。正直、私には荷が重いなと思った。
しかしクラスは、五年生から学級委員長を勤めていた女子と、私とを比べて、ガヤガヤと騒ぎ立てている。
どこからか、「多数決だ」と、声が上がった。そして男子の一群が、「多数決! 多数決!」と、手拍子をして、盛り上がっていた。
収まりの付かなくなった雰囲気に先生は、決着をつけることにして、前任の女子と私とで決戦投票を行うことにした。
私は手を合わせて、目をつむり。神様。もう好き嫌いは言いません。ピーマンも残さず食べるようにします。だから学級委員長だけにはしないで下さい、とお願いした。
結果は、僅差で、私が学級委員長となった。この時、この世に神様何ていない、と思った。
この経緯を帰ってお母さんに伝えると、お母さんは声をあげて喜んだ。お父さんも帰ってお母さんからの報告を受けて、我が事のように喜んだ。喜んで、顔が皺くちゃになっていた。お父さんもお母さんも、関係ないからそんなに浮かれられるんだ。結局は他人事なんだな、と少し大人ぶって思った。
二日後の算数の時間。先生が問題を出して、
「これ解ける人?」
と聞いてきた。
私は答えは解ったが、目立ちたくないので、自分のノートとにらめっこをして、集中していた。
すると、私の席の列の一番後にいる高杉君が手を挙げたようで、先生に、
「じゃあ、高杉。前に出て黒板に書いて」
と言われ、席を立った。
高杉君は、私と同じ学級委員長の男子だ。背が高く笑顔が素敵で、成績が優秀。スポーツも出来る。女子からの人気が、絶大だ。
彼が私の横を通り過ぎようとした時に、私はうっかり、消しゴムを落としてしまった。
「あ」
と声が出たと同時に、丁度、高杉君の前にコロリと落ちた。
高杉君は歩みを止めて、消しゴムを拾い私に渡してくれた。
私は自分の間抜けっぷりに、恥ずかしさもあったが、
「ありがとう」
とお礼を述べた。すると高杉君は、
「どういたしまして」
と返事してくれた。
この瞬間、私の胸は高鳴った。
小学生で「どういたしまして」何て、スマートな返事をすることは、なかなか出来ない。
高杉君は何事もなかったかのように、教壇の前で答えを書いていった。
私は、恋をした。
そして、学級委員長も悪くないかも、と一転して気が変わっていた。
この出来事を夕食でお父さんとお母さんに伝えると、
「礼儀正しい、少年だねぇ」
「歩も、もうそんな年頃になったのね」
と私の燃えた恋心とは裏腹に、落ち着き払った返事で聞き流していた。
このように、小学六年生は希望と夢に満ちていた。