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02.新生活

 私のお父さんは弁護士だ。

 事務所は県の古き良き町並みの繁華街の中でも、輪を掛けて歴史あるビルの一つにテナントを借りて、経費共同型個人事務所を構えている。

 経費共同型個人事務所とは、所属弁護士同士で組織の経費だけパートナー(運営を取り仕切る)弁護士のみで頭数割をして、個人事業主扱いで収入は各人の売上をそっくりそのまま個人の財布に入れるという、事業形態だ。お父さんの事務所は所長は据えずに、パートナー弁護士同士で共同経営していく、システムだ。

 二年程前までは、県内で随一の大規模弁護士事務所に在籍していたが、人事評価基準による経費、取り分け人件費のコスト削減。年長者には定年制を用い、そのくせ顧客を囲うための、新人の人材育成の必然性。大所帯故の、経営破綻が表裏一体となっている切迫した運営事業。そうしたノルマ故の、タイムチャージ(時間制報酬方式の法律相談)獲得という、自己都合でのお客さんへの負担。仕事受任のコンフリクト(競合)。

 お父さんは、「社会的弱者の味方でありたい」「寄り添いたいと」言う一念で、弁護士に転職した。だが実情は、大規模企業の自転車操業で運営しているような、切羽詰まった緊張感で、ギスギスしてやりきれなかったようだ。仕方なし、弁護士としては漸く一人前と言える五年で、同期の他三人と結託して事務所を立ち上げたそうだ。

 お父さんの略歴は、国立大学の法学部を卒業。その後、社会福祉協議会の事務職に就いていた。

 その役所で児童相談所の担当をしたことから、もっとより深く「子供達の支援」や「社会的弱者の支援」を行いたいと思い、寝食を忘れ勤めながら勉強に没頭して司法試験予備試験に合格。司法試験にも合格して晴れて弁護士となり、(かつ)ての児童相談所の専任弁護、後は労働法案件を担当している。

 お母さんから聞いた所、司法試験で専攻した労働法に関しては、業界で一目置かれており、大規模弁護士事務所時代は、労働法の山田と、業界で評判だったらしい。

 話は戻るが、収入共同型(アソシエイト、新人、ベテランと分け隔てなく収入が分割される)事務所にしなかったツケは、お父さんに回って来た。お父さんはパートナー弁護士の中でも、収入はドベ。要するに最下位だ。

 お父さんは、仕事への執着が希薄とのことだ。

 まだ担当の決まっていない初来店のお客様でも、他に手隙の弁護士がいる際には、「私は大丈夫ですので」とコンフリクトを極端に嫌い、案件を譲り渡す。プライオリティの低いまだまだ先の弁護の起案を取り組んだり、普段から整理整頓されているデスクの雑巾掛けをしたり、など。終いには、自分が譲ったお客様と担当弁護士に秘書でもないのに、お茶を出したりと、とりようによっては暇なのか、余計なお世話と言うか、無駄が多い。

 お父さんはよくTVドラマや映画である、法廷での、侃侃諤諤(かんかんがくがく)(つば)迫り合いの係争を行う弁護士とは程遠く、幾らかの中小企業の顧問契約の弁護。プラス県内に点在する嘗てからの馴染みの、児童相談所の子供達の弁護、労働法の監督の案件が幾らかと、地味な業務だ。

 私が物心付く前だったから分からないが、今の気弱なお父さんを見ていると、労働法の山田と、言った評判は、大分()()()()しているじゃないかと、私は疑っている。

 一方、お母さんは嘗て児童相談所に勤めており、その繋がりからお父さんとの仲を深めていった。

 結婚しても勤めていたが、お父さんの司法試験合格のタイミングで私を宿して、退社を決め、現状専業主婦に収まっている。

 お父さんは大規模事務所にいた頃は高給取りで、独立開業した今の方が半分とまでいかないが、五分の三程度、収入は落ち込んでいる。

 生活自体は贅沢を言わなければ現状お父さんは、同世代のサラリーマンの人達とそう変わらないお給金だそうだが、ローンの支払いで、「いざという時の蓄えがない」と言うのが、お母さんの唯一の悩みの種だ。

 繊細で気弱なお父さんに、コンフリクトを強いるのも。大規模事務所で窮屈に仕事を続けるのも、難しいと、お母さんには理解出来ていた。

 そこで、一軒家を建築したこのタイミングと、私がもう四年生になり、一人で留守番出来るであろうと見通しをたてて、勤めを再開することにした。お父さんとよく相談して、家事に負担のないパート従業員として、勤めることになっている。

 パート先の目星はもう付いていて、電話連絡はもう済んでいて、履歴書を送って書類選考、面接を受けようと話はトントンと進んでいる。無事合格すればお母さんは、デイサービスセンターで働くこととなるだろう。

 私は……。これから色々話が出てくるので、追々分かってもらえるだろう。

 このように山田家は父、母、私の三人の家族構成となっている。


 うちの周りは地域一帯でも、一際(ひときわ)高台に位置していて、その天辺から、葵ちゃんは下るように。加奈子ちゃんは中腹の傾斜面から。私は高台の中でも裾野から登った交差点を、登校の待ち合わせの集合地点としている。

 私は待たせるのが嫌だから、いつもなら一番に待っているはずだが、今日はお母さんが仕事に就いた時の予行練習という事で、朝食の後片付けに時間を要して、一番最後に着いた。

「遅れた。ごめんなさい」

 と二人に謝った。「いいよ、いいよ」と二人は声を合わせて、許してくれた。私は更に、

「ごめん。ちょっとね」

 と言って、交差点のゴミの回収ボックスに家から持って来た、燃えるゴミを捨てた。

 二人は視線を交わして「フフフッ」と、息を合わせたように笑った。葵ちゃんが、

「歩ちゃん。それ、毎日してるの?」

 と聞いて来た。私は何の事か分からず。

「それ、って?」

 と聞き返した。葵ちゃんは、「ゴミ捨て」と言い、私は、

「ゴミのある日は毎日してるよ」

 と正直に答えた。それを聞いて二人は「フフフッ」と、目配せして更に笑った。

 私は何が可笑しいのか分からなかったので、

「何で笑ってるの?」

 と二人に尋ねた。今度は加奈子ちゃんが、

「だって、それ。お母さんの仕事だよ」

 と言って、葵ちゃんも頷いていた。

()()()()()()()なの?」

 私は言っている意味が解らなかったので、更に聞き返した。

「お母さん。ずっと家にいるでしょ。だからお母さんの仕事」

 確かにお母さんは、ずっと家にいる。けれど、通学路の途中にあるゴミの回収ボックスに、ゴミを捨てるだけだ。学校に行くついでに私が捨てるのがいい、と私は思うんだけれど。

 二人は余程可笑しいらしく、「アハハハッ」と、声を出して笑っている。

 何で笑われているか、意味が解らなかった。

「歩ちゃん、よく恥ずかしくなくゴミ捨てられるね」

「そうだよね」

 と加奈子ちゃんと葵ちゃんは、同じ意見みたいだ。

「私だったら恥ずかしくて、ゴミ捨て何て出来ない」

 葵ちゃん達は、ゴミ捨てが恥ずかしいらしい。

「ランドセル背負って、体操着持って。ゴミ持って」

「アハハハッ。加奈子ちゃん止めて」

 二人は何がそんなに可笑しいのか、大笑いしている。言い訳じゃないが、私は告げる。

「でも、前の町内のアパートや公営団地の子達は、みんなゴミ捨てしてるよ」

 と言うと、途端に二人は真顔になって、笑うのを止めた。

「あの子達はいいの」

「そうそう、あの子達はね」

 と二人は口を揃えて言った。私は何が何だか、解らない。加奈子ちゃんは、更に聞いてきた。

「歩ちゃん。もしかして、他にもおうちの手伝いしてるの?」

 目をキラキラとさせて、興味深げに聞いてきた。私は正直に答える。

「うん。やってるよ。お皿洗いに茶碗拭き。洗濯物畳んだり、後、玄関の掃除も」

 加奈子ちゃんはその返事を聞いて、すぐさま問い返してきた。

「その間、お母さんは何してるの?」

 私は答える。

「お母さんも、一緒にやってるよ」

 すると残念そうに、加奈子ちゃんは、「なぁーんだ」と返事した。

「歩ちゃんのお母さん。歩ちゃんにお母さんの仕事押し付けて、お菓子食べながらTV観たり、ぐうぐう寝てるかと思ったのに」

 加奈子ちゃんの答えを聞いて葵ちゃんは、「アハハハッ。加奈子ちゃん、もう止めて」、と笑いが絶えない。私は疑問に思って二人に聞いてみた。

「二人は、おうちの手伝いしないの?」

 そうすると、二人はまた目配せをして答えた。

「しないよ」

「しない」

 今度は、私がびっくりした。これまでおうちの手伝いをするのは、当たり前だと思ってきたから。今度は私が質問する番だ。

「じゃあ、お母さんがおうちの仕事している間、何してるの?」

 二人は示し合わせたように、

「習い事行ったり。宿題したり」

「TV見たり。ゲームしたり。したいことしてる」

 それを聞いて、私は更に尋ねる。

「お母さん、好き勝手していて、何も言わないの?」

 すぐさま二人は答える。

「言わないよ」

「言わない」

 加奈子ちゃんは続けて、

「子供は勉強するのと、遊ぶのが仕事だって、言われてるもん」

「そうだよ」

 私は思いがけない答えに、どう言ったらいいか、言葉が見つからなかった。加奈子ちゃんは言った。

「歩ちゃん。もうこの町内の子何だからゴミ捨て、お母さんにやってもらいなよ」

「そうよ。そうしなよ」

 と、二人は口を揃えて私を説得しようとした。


 学校を終えて家に帰り、今朝あった事をお母さんに伝えた。お母さんも驚いたようで、

「お父さんに聞いてから、どうするか決めます」

 と言って、

「歩。夕飯までに、学校の宿題してしまいなさい!」

 といつもより強い口調で、私に言った。

 お父さんが帰って来て、普段ならすぐに夕ご飯だ。宿題を終えていたので、二階から階段を降りて行くと、途中でリビングからお父さんとお母さんの声を潜めた、話し声が聞こえて来た。私は足を止めて、二人の会話に聞き耳を立てた。

 ──葵ちゃんと加奈子ちゃんの家。……あの辺りは昔からある土地で、ローン何か完済しているから、母親が専業主婦でも、経済的に余裕があるんだろうなぁ。

 ──私も勤めに出ようか、って話してた矢先に、どうします?

 ──そうだなぁ。

 と、ここまで聞くと階段に近づく足音が聞こえたので、私は忍び足で自室に戻った。

「歩。夕飯よ。降りて来なさい」

 とお母さんに言われ一階に降りると、

「歩。明日から五分早く起こすから、五分早く家を出てゴミを捨てなさい。それでも何か言われたら、また報告しなさい」

 と言われた。

 次の日から五分早く家を出て、集合場所に一番に着き、真っ先にゴミを捨てて、二人を待つこととなった。それからずっと、集合場所の一番乗りは私だった。

 葵ちゃんと加奈子ちゃんはそれ以降、ゴミ捨てについて言ってくる事はなかった。

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