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現実感という名のファンタジー

作者: なみ

 事実は小説より奇なるものである。

 選ばれし者ではない、平凡の中の中央値をひた走る身においても、信じがたい出来事はいろいろと起きる。世の中はそういうつくりなのだ。


 しかし、そのような出来事について記述すると、一部の人々は「話を盛っている」「作り話だ」と判断する。ネットスラングで言うところの「嘘松」である。


 この判断は、防衛反応のようなものだ。


 この世には理解を超えるやべーヤツがウロチョロいて、やべー出来事は因果も前触れもなく降って湧く、と認めてしまえば、気が休まらない。「そんな話は嘘だ」「そんな奴はいない」と断じて事件の存在を否定することで、自分の生きるこの世界は狂ってなどいない、安全な場所だと思い込もうとしているのだろう。

 ちなみに、報道されるような事件、つまり事件の存在自体が客観的な事実である場合には、被害者の落ち度をひねり出して「落ち度のない自分は安全だ」と考える。ラーナーが提唱した公正世界信念というヤツが引き起こすアレである。


 これら判断の心理的メカニズムがどうあろうとも、信じるか信じないかは最終的に、それぞれの自由だ。語られた内容が誰かの身に実際に起きた出来事であったとしても、現実であると信じられないならば、受け取り手にとっては現実感がないことになる。


 つまり、現実感とは、「世界はこうあるべきだ」という個人の価値観に由来した幻想に他ならない。

 であれば、その補集合である「現実感がない」もまた、判断する人間の価値観の限界がつくる幻想なのだ。


 って言っておけば、私が以前に嘘松判定くらった実話も「了見が狭いんだね」と言われたくないばかりに本当のことだって判断してもらえるような気がする。

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