中編
………動揺、していたのだろうか。
朝、ぼーっとする頭で朝食の場に座った僕は、食事の最中にカップを落としてしまった。
パリン
無機質が壊れる、なんの温かみもないその音が響いても、誰も何も言わなかった。使用人が、スっと動いて片付けてくれるのを見、ふと父と母を見る。
父も母も、無表情で食べ進めていた。ただ、僕は見てしまったのだ。
2人の、その目。
僕が見つめる前のその目、
出来の悪い子を見るような、その目を。
「………瑞香」
母が、妹の名を呼んだ。瑞香が、顔をあげた。
「なんですか、お母様」
微笑む瑞香。だが、場の空気の悪さを少し感じ取っているようだった。
「来週、お見合い、してみないかしら?」
急な打診だった。だが、名家だと産まれた時から決まっていてもおかしくない婚約を、この時にまで伸ばしていたのはきっと、僕と瑞香、どちらが継ぐか決めていなかったからだろう。
昨日の会話を思い出す。父と母は、とうとう跡取りを決めた。この話はきっと、その第一歩。
つまりそれは、僕が要らない証拠でもあって………
話が進む。打診のような形で切り出した母だが、ほぼ決定のようなものだ。瑞香は変わらぬ笑みで相槌をうち、父も母も満足気にしている。
急に、僕は疎外感を感じた。
確かにそこにいるのに、僕を誰も見ていない。そう、感じたのだ。
1番に食べ終わり、何も言わずに席を立った。
ーーーーほら、もう両親は、僕を怒らない。
遠くから聞こえる泣き声。少し、笑っているようにも聞こえた。
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夜。静まった暗闇の世界で、僕は電気も付けずにぼーっと外を眺めていた。
昼間に何度か瑞香が声をかけようとしていたが、互いに今日は忙しく話せなかった。
今でも、妹の事は大好きだ。だが、それ以上の感情を、知ってしまった。気づいてしまった。
あの物語の、ロゼットのように。
「…………ぇ」
急に、プツリと糸が切れた感覚がした。
全てのモヤが晴れ去り、身体が軽くなった。
ーーーーきっとそれは、幼子特有の衝動的なものだったのだろう。
僕は意味もなく、気が付けば庭にいた。そのまま、歩いて門に向かう。門は、開いていた。
だんだん、早足になっていく。街は静まり返り、人1人見当たらない。
もう、深夜。誰も僕を傷つけない時間、僕しか、いない世界。
そう思うと、涙が溢れ、でも、口角があがり、気が付けば走り出していた。
これが、僕なりの逃げ方だった。
捨てられたのではない。父も母も、僕をちゃんと見てくれる。“ソレ” を、くれる。
僕は、自ら、出ていくんだ。
それなら、捨てられてないでしょ?
狂ったように、遠くから笑い声が聞こえる。
いつから、あの悲痛な泣き声は狂った笑い声に変わっていった。
だんだん、その声は僕の心に近づいていく。
ーーーーーそして、重なった。
………………あぁ。
「…………おかえり、僕の心」
頭上を、烏が飛んで行った。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
空が明るくなってきた。辺りの景色は見慣れず、どこかも分からない。
近くに木が見えたので、フラフラっと近寄り、座り込む。もう疲労困憊で、動けなかった。
お腹が空き、脚も痛い。瞼が急速に閉じていく。
『この位のことも出来ずに』
『妹様はお出来になるのに』
『出来損ないの兄』
『要らない子』
『跡取りを守らなければ』
『お兄様! いや、置いていかないで!
なんで……どうして………!』
遠くで、瑞香の声が、聞こえた気がした。
ーーーーごめん、瑞香。
そう思いながら、僕はあの家に残してきた全ての痛みと、苦しみと、劣等感と、切望と、絶望と、…………そして、瑞香のことも全てに、蓋をした。
意識を手放した隼人のそばに、香山家と同じくらいのお屋敷がそびえ立っていた。
そして、日が昇る。朝が、やってきた。
「………あら?」
中から、使用人を伴った綺麗な女性が出てきた。女性は隼人を見つけて目を見開くと、直ぐに駆け寄った。
使用人に命じて中に運ばせると、自身も家名の入った表札を通り過ぎ、中に入っていった。
『佐原家』
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目を覚ますと、綺麗なベットの上にいた。そばにいた女性が、近寄ってくる。
「おはようございます、隼人様。お身体の調子は大丈夫でしょうか?」
「……………………ぇ……?」
隼人、とは僕の事だろうか?
何故か頭が真っ白で、何も思い出せない。
「あの…………ここは?」
「貴方様が倒れていて驚いたのですよ? こんな所まで起こしになって………何があったのです?」
「……………す、すみません、あの………
僕、誰ですか?」
「…………………え?」
僕は、どうやら佐原家の近くに倒れていたらしい。あの女性は佐原真希といい、佐原家の奥方なのだそうだ。そして、僕には記憶がない。
基本的な日常の事や学んだ事は覚えていることが発覚したが、どうやって、誰と、どこで過ごしてきたのかは分からない。
佐原さんは僕を見て直ぐに僕の家に手紙を送った……らしいが、暫くして僕にこう告げた。
「………貴方様のことなのですが、こちらに養子に出す予定だったようで………このまま、家にいるように、ということらしいですわ。」
歯切れの悪い感じで、伺うような視線。どうして、そんなにきまりが悪そうなんだろう。
「養子…………」
「はい。記憶が無いと不安なことも多いでしょうが、これからは私達が家族なのです。私を母、旦那様を父と思い、慕ってくだされば嬉しいですわ!」
それでも、最後にそう微笑んだその人を、信じようと思った。
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佐原家の人達は、とても良くしてくれた。僕の成績を見て驚くと、なんて優秀な子だととても褒めてくれた。それだけで、心が暖かくなり何かが満たされる。空っぽだった何かが、埋まる感覚がする。
何故か僕の生家の事はあまり教えてくれないけれど、養子に出すくらいだ。なにか重い事情があるのだと言及を諦めてしまった。
それに、脳が警鐘を鳴らすのだ。
『なにも考えてはいけない』
『思い出さなくてもいい』と。
その時は決まって、夜にある夢を見る。林檎のお菓子をあげると、微かに笑うある女の子の夢。顔も、姿もハッキリとは見えないけれど、何故か笑ったと分かるのだ。
だが、だんだん思い出そうとしなくなり、いつしかそんな夢も消えていった。
『ーー話ではーーー、ロゼーーはーーー全てーーたのね』
………ねぇ、たまに聞こえる、この声の主。暖かな場所で呟く君は、一体誰?
『おーー!いや、おーーーーないで!
なーで……どーーー……!』
そして、なんで泣いているの?
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時が経ち、16歳になった。佐原家は子供が居ないから、僕が跡取りになる。
お義父さまは、
「お前の好きなことをやるといい。元々必要な勉強は身につけているんだ。大丈夫、楽しんで来なさい」
と言って、専門学校は好きなところを提示してくれた。
でも、僕は名家の子供達が1番通う国一の学校を選んだ。10歳から通っていた学校の友達とは離れてしまうけれど、親孝行というものをしてみようと思ったからだ。
そして、何故か目に止まった。どの学校よりも、自分の意識に残ったのだ。
一瞬目を見張ったお義母さまも、
「貴方なら、どこに行っても大丈夫よ」
といい、背中を押してくれる。本当に、いい両親に恵まれたと思う。
『ーーーーー!』
もう薄くなった記憶の中で、誰かの声がする。必死に何かを訴え、求めている誰かの声。
ーーーーなんだか無性に、会いたくなった。
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入学後、1人だけ仲のいい友人が一緒に受かっていて、2人で喜びを分かちあった。
とても聞き取りやすく、澄んだ声で少女が祝辞を読み上げている。
入学式に呼ばれる同級生達も、案内をしてくれる上級生達も、よく聞くような名家の人や有名人の名前もあったりして、やはり国一の学校なんだと実感する。
「お前もなかなかの名家じゃねぇか」
そう言って笑う友人と、クラスは同じだった。
人脈も作れ、興味ある事を学べるこの学校に入れて、本当に良かったと思う。そうして、僕は充実した学校生活を送っていった。
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「………………あ」
隣の友人が小さく声を漏らす。
「…………? なんだよ?」
つられて友人の視線を辿る。
その先には、女子生徒の集団がいた。好きな奴でもいるのかとからかおうと友人を見ると、友人が僕の顔を凝視していた。
「…………なんだよ、気持ち悪いな」
思わずそう言うと、友人はハッとなる。
「………いや、すまん。 あそこにいるの、有名な香山様じゃないか?」
言われてみると、中心に佐原家の本家である香山家の少女がいた。
「………………………?」
なにか、つよい違和感をかんじた気がした。
「あの人、なんでも出来るんだよな。そして美人だし……勝ち組かよぉ……」
友人がその少女を見てぽつりと漏らす。
『ーーー様はな……でもでき……』
記憶の中で、誰かの声が、聞こえた気がした。
「……へぇ、なんてなまえだっけ?」
俺がそう聞くと、友人は呆れたように答える。
「お前分家だろ………なんで知らないんだよ」
「あまりその辺教えて貰えなくてね。で?」
「………あの人の名前は、香山瑞香。一人娘だよ」
『ーーーさー!』
(………香山、瑞香)
滅多に口にしないはずのその名前が、何故か酷く落ち着き、ピッタリと収まった感じがした。
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ーーーーそれは、何度かあった。
完璧と称され、みんなに尊敬される香山瑞香様。常に微笑み、周囲のどんな人間にも優しい。
見下すこともなく、まさに理想。
でも、初めて見た時から感じてきた違和感が、僕を包み込む。まるで化かされてるかのように、その本質は見えてこない。
話したこともない彼女が、無性に気になった。
ある日、僕はたまたま図書室に寄った。特に用があった訳では無い。でも、少し寄る気になった。
参考書のコーナーをくぐり、物語のコーナーまで来るともう誰も人が居なくなってくる。
ずっと頭に残っている、ある物語。
題名も登場人物も覚えて居ないけど、確かにあったそれを、僕はずっと探している。
そこで、あの子……香山瑞香を見つけた。
何も手にせず、1人でただ書棚の一点を見つめている。何となくいるのも、勿論声をかけるのも躊躇われ、僕は静かにその場を後にした。
次の日、その場所が何となく気になりその書棚を見に行ったが、1冊抜けていただけで特に収穫はなかった。
ある日、僕は教授を探しにとある研究室を訪れた。そこにも、香山瑞香がいた。一心不乱に、勉強をしている。
まるで1文字も逃すまいとしているような読み方で、一度に膨大な知識を吸収しているのだとひと目でわかる。
そこに居たのは、“完璧な少女” ではなく、“努力する少女” としての香山瑞香だった。
「…………………っ…」
頭が、ピリッと痛んだ。
ある日は、放課後に自習スペースで僕は自習をしていた。そこに、静かに香山瑞香が入ってきて、1番端の席に座った。たまに見かけるので、毎日いるのだろうか?
ある日は、僕は当番で早くに学校に来ると香山瑞香の姿を前に捉えた。
(…………また、だ)
昼間は多くの人に囲まれて微笑むその人は、また勉強をしに行くのだろうか?
ふと、玄関口に成績順位が張り出されてあるのが目に入った。
1位 香山瑞香
2位 竹中直人
3位 佐原隼人
1位は変わらない。2位は僕の友人だ。そして、3位は僕。
「……………………。」
気になり、僕も自習スペースに向かう。室内は、香山瑞香以外誰もいなかった。