前編
『まちがって、失って』を読んでも読まなくても構いません。世界線的には同じですが、読まなくてもいいかもしれないです
「………いいですか、貴方はこの香山家の長男です。 出来が悪いなど、許されることではありません。」
「はい!」
「違います。ここはこうです。ほら、もう一度」
「は、はい!」
「またですか。何度言えばわかるのです。あなたの妹様はお出来になったのに…」
「はい。」
「ねぇお母様を悲しませないで頂戴? できるわよね?このくらい…」
「…はい。」
「なんで出来ないんだ! もっと勉強しろ!」
「……はい。」
「……あぁ、そう。それでいいのですよ、隼人様。ようやく分かっていただけて……」
「……は、い。」
僕は由緒ある家柄、香山家の長男として、この世に生を受けた。
厳しい躾、完璧を求め続ける父と母、監視のような使用人。生来穏やかな性格だった僕には、合わないことばかりだった。
……それでも、頑張った。頑張れば、相応の目を向けてもらえる事を知っていたから。
僕には1人、双子の妹がいる。僕とは違い、出来のいい妹。僕が必死に努力して取った結果を、妹は超えていく。
「……いいなぁ」
才能があって。
妹と比べられる僕は、妹が羨ましかった。逆に産まれれば良かったのにと、何度も思った。
それでも、僕は妹を妬む事も、邪険にすることも出来なかった。
父も母も、どちらを特別扱いせず厳しく躾けるという点に置いては、平等だったからだ。
そして、もう1つ。妹は、明らかに手を抜くのが下手だった。なんでもできる分、なんでもやろうとする。常に気を張り、人前で気を緩めない。その潰れてしまいそうな危うさを、放ってはおけなかった。
………いや、それですらも言い訳に過ぎないのかもしれない。きっと、もっと単純な話なのだ。
1つ違いの妹は、無条件で守る対象だった。僕にとっては、世界でただ1人の妹なのだから。
大人達の目を盗んでお菓子を置いておいたり、罰を受けて閉じ込められていた蔵に毛布を入れて置いたり、代わりに怒られた事もあった。
僕のように、苦には思っていないかもしれない。妹は、僕よりも器用だし、頭もいいから。
それでもやめなかった。だって、妹だから。
娯楽も何も無いこの小さな箱庭で、僕はいつしか妹が拠り所になっていったのだ。
大丈夫、まだ、やれる。僕には妹がいるんだから。
…………だから、どこか遠いところから響く泣き声から、耳を塞いだ。
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その日は、酷く身体がだるかった。連日失敗ばかりし、罰で蔵で寝たからだろうか?
最近、調子が悪い。満点が取れなくなってきた。小さなミスを頻発する。その度に訪れる父と母に神経をつかい、自分はなんてダメなんだと落ち込む。自分が、嫌になっていく。
聞いていて苦しくなるような、泣きたいくらいに悲痛な泣き声が、遠くから聞こえる。心を、侵していく。
いつの間にか蔵の中にあったパンをひと口かじる。きっと、妹が入れてくれたのだろう。
「 ………………………。」
もう長い事、父と母の笑顔を見ていない気がする。
ーーーいや、きっと気のせいだ。
もう長い事、褒められていない気がする。
ーーー違う、きっと、当たり前だからだ。
最近勉強以外、した記憶がない。
ーーー違う違う違う、妹も、頑張ってるんだから。
僕という存在が、だんだん塗り潰されていく。
ーーー違う違う違う違う違う!
僕は、『香山隼人』8歳。双子の妹がいる。
好きな食べ物とか、趣味とかは………………
ーーーーーーーあれ?
一瞬、答えに詰まった。なぜだろう?
そう、好きな食べ物は……趣味は………
「………なん、だっけ?」
「………ダメだ。」
暗い思想に陥ってしまう。パンを食べきり、立ち上がった。そろそろ、使用人が開けに来る時間だ。
切り替えて、でも、何も考える気が起きなくて、僕は次に妹にあげるお菓子について考え始めた。
微笑みの仮面を基本崩さない僕と妹。僕も妹も、あまり表情が出ない。でも、僕は、知ってる。
前にあげた、林檎のお菓子。本人もきっと無意識なのだろうが、僅かに頬が柔らかくなっていた。
あぁ、きっと林檎が好きなのだろう。その日から、林檎のお菓子を買ってもらうようにこっそり使用人にお願いした。
このくらいならば、使用人も何も言わないだろう。
カチャ
ドアが開いた。
「おはようございます、隼人様」
「おはようございます」
僕は微笑みの仮面を付け、一歩踏み出す。いつの間にか、泣き声はまた聞こえなくなった。
今日もまた、朝がやってきた。
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この国では、10歳から名家の子供は学校に入り、16歳から専門性のある学校に入る。名家はそれぞれ学校に入るまで家で学び、その家で必要なことについて学ぶのだ。
今、僕と妹は9歳。来年、この家を離れる。
「………あ、お兄様」
誰も廊下に居ないのを確認し、妹が声をかけてきた。
「おはよう、あ、ほら。曲がってる」
声を抑えながら、曲がってたリボンを直してやる。
「ありがとう。……今日は、お勉強が少ないの。お兄様も?」
「うん。まぁ、宿題はあるけどね」
今日は、お客様が沢山来るらしい。分家の人達と両親が、何か話し合いをするのだそう。家庭教師はこの日は来ないことになっていた。
「ふふ、久しぶりよね。ねぇ、この前面白そうな本を見つけたの! 読まない? 」
「いいね! 僕も気になってた本があったんだ!」
バレない程度に早歩きしながら、2人は書庫に向かっていく。この家では遊び道具は少なくても、外で駆け回ることがあまり許されなくても、様々な視点や流行りを知る、という点では娯楽小説があったりする。
なかなか読めない日々だが、たまにこうして読む機会が訪れる度に見つけ出すのだ。
「あ、この本よ!」
「あれ? 一緒だ!」
2人揃って向かった書棚にある目的の本は、同じだった。やはり、双子なのだろう。
『まちがって、失って』
昔、遠い国で起こった姉妹の出来事を物語にしたものだ。実際に聞く話とは異なるが、どちらが真実かは分からない。
読み終わってもまだ、2人とも世界観に浸っている。
「この話では、姉は、ロゼットは妹が全てだったのね」
ぽつりと、妹が言った。
ドキリと、心臓がはねた。
「……全てが、すれ違った結果なんだね。もしかしたら、記録に残っている物ではなくこれが本物の話なのかな?」
「作り話のようだけど……なんだか、こちらが本物のような気がする話ね。」
愛し、愛された王と王妃の話だったはず。なのに、こんな作り話ができるだなんて、と僕は疑問に思った。それに、何故ロゼットは自分が犠牲になる手段を選んだのだろう?
………考えても、答えは出ない。
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「………………?」
珍しく、父の部屋の扉の隙間から、光が漏れていた。
もう、深夜を過ぎた頃。冷える廊下は嫌に現実的で、この前妹と笑いあったのが遠い夢のように感じた。
ーーー今でも、遠くから誰かの泣き声が聞こえる気がする。
「ーーーーがーーーー」
話し声が聞こえる。
「ーーーーーーでーーのね」
父と母だ。
「やーーーの方ーーーーーに」
「そーーーーな」
いつもなら、立ち去るのに。
最近上手くいかず、暖かく心に満ちる “ソレ” をただひたすらに探し求めている僕は、どうしようもなくその光に吸い寄せられていった。
「跡継ぎは、優秀な方。そう、決めていましたものね」
ドクン、と心臓が跳ねる。
ダメだ、聞いてはいけない。そう思いながらも、僕はいつの間にか冷えきった手で服の裾を掴んだ。
「あぁ。妹、だな。」
…………………あぁ。
急速に頭から血がスっと引いていき、全身が、心が冷たくなっていく。一瞬、息を忘れた。
「では、分家に手紙を書きますね。佐原家、でよろしかったですよね?」
「あそこなら事情を察してくれるだろう。預けるのはそうだな……2人が学校に入る前までに、だな」
「あまり一緒にいさせるのは良くないですしね」
…………何を、言っているのだろう。預ける? 一緒にいてはいけない?
脳裏に、離れ離れの文字が浮かぶ。嫌だ。
それだけは、辞めて欲しい。自分でも分かっている。妹がいないと、僕はダメなんだって、壊れるんだって。今までずっと、一緒に居たから僕は頑張れたんだ。
「双子は要らぬ争いを生む。跡取りを守らねばならない。幼い方がきっと記憶にも残りにくい。」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
1度はクリアになった思考が、また絶望に塗りつぶされていく。
跡取りなんて望んでない。今までやってきたこの勉強が報われなくてもいいから、ずっと、ずっと望んできたその暖かく心に満ちる “ソレ” を、望んだ僕が罪ならば諦めるから、もっと頑張るから、妹の邪魔なんてしないから、ただ、ただ、近くに居られるだけでいいから………………!
「では、あの子は……」
お願いだから、言わないで………………!
“ソレ” が手に入らないのは、もう分かってるんだ。僕には一生、2人からの “ソレ” が向かないことなんて……。
だから、せめて言わないで欲しい。
言ってしまえば、嫌でもそれは真実になるから。
「ーーーーーー要らない子、ですね」
ーーーーー泣き声が、また聞こえた。
ずっと遠くから響いていたそれは、今はすぐ近くから聞こえる。耳を塞ぐことも出来ずに、ただ呆然とそれを聞いていた。
あぁ、そうだ。もうずっと前から気付いていたのに、気付かないふりをしていたんだ。
きっと、その劈くような、それでいて、押し殺すような、悲鳴の入り交じる泣き声の主は
僕だ。
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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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いいなぁ。
いいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁいいなぁ
「……………………いいなぁ」
“ソレ” が、てにはいって
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眠る気にならなくて、部屋から空を見上げた。
こんな時間なのに、カラスが1匹通りすがっていった。
走って、帰ってきてしまった。気付かれたかもしれない。でも、誰にも声をかけられずに部屋に戻ってきた。
「……………。」
頭がいい妹 頭が悪い僕
要領がいい妹 要領が悪い僕
運動神経がいい妹 どんくさい僕
笑える妹 笑えない僕
期待される妹 見捨てられた僕
“ソレ” を受けた妹 受けられない僕
「…………どうして、こんなに違うのかな」
涙が零れた。妬んでいるつもりはなかった。むしろ、守らなきゃと思った。なんでも出来るのに、どこか危ない妹を、僕が守らなきゃと思った。
双子で、たった少しの差で産まれただけで兄になった僕だったけど、僕には妹しかいないし、妹には僕しかいない。
全然違うのに、どこか似た僕達。
ふとした時に見せる仕草や、興味を示す物、調子の悪い時に見せる弱い部分が、確かに僕によく似ていて、
…………………どうしようもなく、ほっとした。
確かに双子なんだって、同じなんだって実感出来る瞬間だったから。
『この話では、姉は、ロゼットは妹が全てだったのね』
あの時呟いた妹の言葉が、脳裏こびりついている。一瞬自分に向けられたのかと思うほどに的確だったその言葉は、今は本当に自分に向いていた。
………僕も、ロゼットと同じなのだ。
今なら分かる。ロゼットがどうして犠牲の道を自ら選びとったのか。
勿論、妹を守りたかった。でも、人間そんなに優しくなれない。
「…………なんだ、単純な話じゃないか」
きっと、ロゼットは妹を愛していた。僕のように、執着すらしていたのかもしれない。
それでも、いくらそうであったとしても、それを超えてしまった “何か” があったのだ。
ーーーーーそれはきっと、“嫉妬” の感情。
同じ家で、同じ境遇で、同じ血を分けて、同じ事をしてきた筈なのに、王子様が見初めたのは妹。両親が選んだのは妹。
分かっているんだ。ロゼットも、僕も。出来がいいのは、妹だったんだって。でも、それと同じくらい僕達も努力した、耐えた、愛されたいと願った。
暖かく心に満ちる “ソレ” は、ロゼットにとっては自分を愛してくれるもので、僕にとっては両親からの愛だった。
きっと、ロゼットは見たくなかったのだ。
これ以上ない程に愛され、守られ、自分の為に動いてくれる素敵な王子様を見つけた妹を。
大好きだった、妹。だからこそ、遠くに行ってしまうのが、自分とは違うものになっていくのが、どうしても、
ーーーーー耐えられなかった。
そしてそれは、僕も同じ。