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アニメ

ゾンビランドサガ2

作者: とびうお君

 うーん、後半明確に悪いと思う。所謂鬱回。だがそれだけじゃないヤンキーキャラ回も酷かった。ただ救いは作品すべてを壊すほどじゃない。


 鬱回は落とした分だけの盛り上がりに欠ける。じゃどうやって作れば良いのか?だからなろうがあるんだ。誰も言わないが、なろうに来てる人は知ってる。そういった山場って展開に飽き飽きしてるんだ…。なろう批判がそういった食傷感について語るのを封印してるんだ。もう5chやネット評価はまともに機能して無いと思う。


 次の1手が踏み出せないでいる。ようはこれを言ってしまうとなろうを肯定する事になるから。なろう読者は馬鹿で特異でガキとおっさんだが精神的に幼稚な読者ばかりだという決めつけ。全く違うもう盛り上げるために創る意図的な谷に飽きてるんだよ。所謂カタルシス展開にもう飽き飽きしてる。


 女性は全く違う。これもかなり悪影響になってる。女性は根本的に下げる展開がすきなんだ。共感によって刺激を男性よりしやすいから。男性がマイナス展開を好むのはただただ野次馬根性しかない。当然男性にも共感がある。だが女性より弱いからそれ自体が楽しみになりにくい。よって最後の谷の後の山。ここに比重が掛かりすぎる。


 そういう意味で下げた割には期待ほどじゃない。これがゾンサガの後半の悪さなんだ。だが最低だとは思わない。作品を壊すって意味で、台詞がとても良かった。よりもいもそうだがかなり感情が動かないのに、私はあくまで是々非々で見る。0、1と0は違う。0,1でも刺激があればそれは刺激。かつ、あまりに期待外れで0を通り越してマイナスはまず無い。だから私はかなり批判的なのに全く評価は違う。


 冷静とかじゃない。そもそも熱くなって見てないのだから冷静に評価も何もあったものじゃない。台詞とストーリーは違うのか?ならどうだろうか?難しいな。ストーリーは筋自体の流れで見るけど、1フレーズの台詞が良いから、説得力があった。ただそれだけだと違うと思う。説得力のある台詞が本当に素晴らしかった。


 この点は展開よりキャラで見る深夜アニメとしては成功じゃないか?と思う。もちろんその流れと違う私はあんまり面白くないのだが。深夜アニメとなろうの相性が悪いのはこれもあると思う。オバロがイマイチ2期から抜けきらないのは、男性主人公じゃ駄目なんだ。キリトや八幡はチョーがつく例外で、深夜アニメの昔からの伝統は異性キャラの刺激で見るものって点。


 その点ずっとその有り方を批判的に見てきた私は配信や海外重視に移って本来のアニメのあり方に戻ったと見てるが、ゼロ年代の異性キャラの文化を受けて淘汰されたオタは大体がなろうに不満を持つ。なろうはレム以外異性キャラって点で著しく弱い。敢えていうならこのすばだと思う。微妙だが、異性キャラとコメディって軸はかなりしっかりしてる。


 ただ今の流れざまみろとは思ってない。私は長い眼で見て批判的だっただけで、短期的にはこの文化を堪能しきった。それにさすがに飽きた。


 正統派じゃない、異色が多くなった時代のコテコテのキャラアニメとして上手く出来てると思う。だがその視点で見て無いからものすごく後半はあかんと見ている。


 続いてヤンキーキャラ回に移る。ヤンキーキャラ自体が嫌われるのは知ってるが、それじゃ語る意味が無い。語るのは、この脚本ありがちすぎて駄目すぎないか?って点。


 ありがちならなろうもそうだろう?いや違う、現実を舞台にした脚本のありがちさとファンタジーのありがちさはまるで違う。より酷さが目立つ。ありがちのさらにありがちに現実を舞台にしたものはなりやすい。だから現実を舞台にした作品はリアルな方向に行く事で、細部の緻密さの良さで差別化してるんだ。あらすじ大筋の面白さで現実舞台のものはもう出尽くしぐらいで尽くしてる。


 嫌われるヤンキーキャラ回だから駄目なんじゃない。このシナリオ自体アリガチすぎて駄目なんだ。だが最低じゃない。最後のライブは面白かった。だってアイドル物で銀蝿やキシエンライクな歌聴けると思えないでしょ?そこにある。ある意味ありがちじゃない。歌がアイドルソングとしてありがちじゃないんだ。


 かつ、ノリ自体は楽しくて決してミスマッチじゃない。最後のライブで途中のイマイチ差を全て纏め上げるはラブライブの十八番で、定番の良さがある。これは王道と邪道のとても良いマッチングだと思う。


 もう一度台詞に戻る。台詞とストーリーは違うのか?で1フレーズの台詞以外つまらんからだ。巽の俺がもってるんじゃいはとても良かった。これと繋がる夕霧姉さんのやらなくて、成功するより、もってなくて失敗しても一緒にやりたい(多少意訳)。これは良い。この2ついは密接に繋がってる。説得力がかぶって無いか?なら違うと思う。


 高いレベルの説得力を全く違うキャラ、台詞で一貫性をもたらせて統一感がある。似たようなもので畳み掛けるような重厚さがある。失敗を皆で包み込むような流れがある。


 じゃストーリーが良いんじゃ無いか?それが違うんだ。もしこれらのせりふがちょっとでも違ったら崩壊していたような危うさがある。それぐらい綱渡り。そこらがストーリーとして弱く1フレーズの台詞で片付けてる。後難しい判断が、愛の持ってないのは死んでる皆でしょって台詞。これすごく良いのだが、予測してしまった。ここにある。


 お前だけじゃない?いや私はまるで先読みし無い。その私が先が読めるってあかんのだ。だが最悪じゃない。イーブン。先が読めても言うべきせりふってのがある。そういう力がある。視聴者は誰が見ても絶頂期に雷に打たれて死ぬアイドルが持ってるわけないよなって、さくらの不幸自慢に対して突っ込むと思うので。


 不幸自慢って展開はこの手のネガ展開ではありがちなので、そこらも読みやすかったのがある。


 全体的に悪いと感じたのは後は個人的、私はもってるとか、もってないかと、一般的に重視する運ってやつが馬鹿馬鹿しいんだ。ただの確率に過ぎない。そんだけ…。確率的事情を妄想的に陰謀論に仕立て上げる人間しか楽しめない。すぐに神様作るような古代人のような発想。今時この展開って文明人としてどう?となるが、一般的な人は未だにこの感覚が多いからモッテルって言葉が流行語になる。


 ついてない人なんて意味が無い。そんなものを軸に展開するってアホなのか?は思うが、それは個人的な事。

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