第2話 1【鏡の国】
ドスン、と鈍い音がして、僕の体は空中から地面に向けてまっさかさまに投げ出され、衝撃を体全体で受け止めることになった。
「いって!」
先ほど頭をエレベーター内で強打したせいもあり、未だ頭痛も残っている。
僕はあのエレベーターに乗ってしまったのだった。乗ったら最後、行方不明になるという、噂のエレベーターに。
だとしたら、ここは――――?
「……なんだよ、ここ」
瞳を開け、飛び込んできた世界は、どこかの暗い路地裏だった。
生きている。それを確認し、僕は状況を確認しようと顔を上げ、大通りに出ようと落ちてきた細い路地を出る。
僕の目の前に広がったのは、いろんな意味で想像を絶する光景だった。
「これは僕の頭がおかしくなっているのか?」
大通りを行き交う人々は皆、忙しそうに僕の前を通り過ぎていく。
多種多様に、カラフルな配色をその瞳や髪に宿しながら。
何度も目を擦り、頬をつねって認識の誤差を修正しようとするが、そんなことをしても目に映る光景は何も変わらない。
これじゃ、まるで、
「異世界、だな」
言って、僕は大きな溜息をついた。
日頃からゲームや漫画の世界に行ってみたいとは思っていたけれど、いざ自分がその立場になってみると、やるせない気持ちしか沸いてこない。
これから一体、どうやってこの状況を打開しろっていうんだ?
「……まあ、視覚しか頼るものはないとはいえ、マップ確認は常識だよな」
飲食物を扱っているらしい露店が軒を連ねる市場のような大通りを見渡して分かったこと。
種族は人間(?)が大多数。その他に犬、猫。見た目は現実世界と変わらない。
建物は木造が半分、コンクリートらしき材質が半分。一昔前の現実世界といった感じ。
売られている飲食物も現実世界と同じようなものばかりで特に違和感はない。
電柱も電線もあり、見た目は少々古い印象を受けるものの、現実世界とそう変わらない。
ただ一つ、この町のあちらこちらに記された「文字」を除いては。
「文字が全部、逆さまになってる?」
大通りに軒を連ねる店の看板に記された文字を筆頭に、僕の目に映る文字は日本語ではあるものの、それが全て反転した鏡文字として表記されてきた。
時間をかければ解読できる事実は丸腰で異世界に来てしまったらしい僕にとってはありがたいことだけれど、いかんせん読みにくい。
それでも目につく限りの鏡文字を目を凝らしながら反転させ、全てが左から右に読めたこと、大通りを歩く人のほとんどが洋服を身に付けていたことから、建物を筆頭とした文明の発展が現実世界より若干遅れている以外はしっかりと外国の影響を受けているらしく、日本の大昔にタイムスリップしたという訳ではなさそうだ。
第一、人々のカラーバリエーションの幅広さからその線はもともとあってなかったようなものなのだけれど。
「何かの拍子に異世界に迷い込んで、その先の文字は全て反転してる? どこかで聞いたような話だな……」
腕を組み、頭を傾げながら過去の記憶を漁る。
そうして僕が導き出した答えは、
「あ、ミラーワールドの大冒険」
幼い頃にボロボロになるまで読み倒した絵本の題名だった。
つまり僕はあの本の作者と同じように「鏡の国」に迷い込んでしまったらしい。
大通りを過ぎていく人々は皆、僕の奇行をチラリと横目で確認しながら他人のふりを徹底して足早に過ぎていく。
ここでの人間性はゲームの中の世界のように見ず知らずの人間に色々教えてくれるという仕様にはなっていないらしく、現実世界同様、皆、面倒事に巻き込まれたくないという共同心理で冷め切っているように感じた。
結局は一から自分で助かる方法を模索するしかないらしい。
そんな事実に肩を落とし、途方にくれていた、そんな時、
「おい、そこのお前、ここらで見ない顔だな、一体何をしている?」
強い力で誰かに肩を叩かれた。
「ひゃいっ!」
男子らしからぬ声を発しながら振り返った先には、異世界の基本的なルールを教えてくれる熟練の冒険者――――ではなく、僕と全く同じ制服を身にまとった屈強なおっさんが腕を組んでこちらを不審そうに見つめていた。
次回は22時頃更新予定です。