第8話 1【二人で一つの命を共有するという意味】
僕はこの世界にやってきて初めて喜びに打ちひしがれていた。
「握手してください!」
目を輝かせて手を差し出した僕にカミヤさんは声を出して笑った。
「あっはっは! 大したタマだなぁ! ここの女王様を骨抜きにした挙句、僕に握手を求めてくるだなんて! さすがは僕の甥っ子! なあ、キャロル?」
キャロルさんは頭を抱えていた。
「どうして君の血筋は皆こうして手のかかる奴ばかりなんだか……」
「そんなに険しい顔すんなよキャロル。僕と海の時なんか、もっとひどかっただろうに。今回は女装だけで済んでるんだから、楽な仕事じゃないか」
「はぁ……君は何も知らないからそんな気楽なことが言えるんだ。いいよな、中立者ってのは。組織の役目に追われることも、エクセプションという業にも縛られることがなくて」
「ははは、言うようになったなぁ! 初対面の頃は泣きべそかいてたガキが」
その時僕は頬を赤く染め、言い負かされているキャロルさんを初めて見た。
「あの……」
恐る恐る声をかけると、カミヤさんは「ああ」と声を上げた。
「悪いね、つい話が弾んでしまって脱線してしまった。時間もおしているし、さっそく本題に入ろう」
カミヤさんは段差を上り、僕とミドナちゃんを見下ろすように立った。
「ミドナ様。この少年、数か月前から行方が分からないアナタの想い人と命を共有しているというのは本当ですか?」
またその言葉だ。誰かと命を共有する。僕は未だ、その言葉の意味を理解していない。
「うん。ひーくんは、リルクとおんなじ」
「ふむ、そうですか」
カミヤさんは考える仕草をする。僕らのやりとりを他の幹部たちは静かに見ていた。
「あの、カミヤさん。僕にその……命を共有? するって意味を教えてほしいんですけど……」
僕はカミヤさんに説明を求める。
「ああ、そうか。海は君にこの世界のことを何も話していなかったんだね」
「はい……」
「よし、それじゃあ不親切な我が妹の代わりに、可愛い甥っ子にオジサンが説明しよう!」
底抜けに明るい声で、カミヤさんは言った。
「お、お願いします」
「はい、じゃあこの本の最初の章読んで~」
僕に手渡された一冊の本。著者、カミヤ。タイトル、鏡の国。
「えっと、これは……」
「それ読んだ方が早いと思って。その本には僕がこの世界でしたことが記されている。この世界では残念ながら検閲をくらって出回っていないから、貴重品だよ」
「お前! まだそんな本持ってたのか!」
怒鳴ったのはキャロルさん。
「だってバレたら没収だろ? もったいないじゃないか」
「お前っていうやつは……」
僕は手渡された本の指定の場所を読んだ。
冒頭だけは昔読んだことがあり、その文章には酷く懐かしさを感じた。ページをめくる。そこには僕の求めていた答えが記されていた。
【私は鏡の世界でもう一人の自分に出会った。彼のことを、僕は今でも鮮明に覚えている。
もう一人の自分と言っても姿形は様々だ。性別も違えば年も違う。同じなのは、「命」を共有しているという点。
同じ命を共有するという意味は、簡単に説明するとこう。
現実の世界と私の迷い込んだ世界は鏡合わせのようになっていて、歩んだ歴史は偉人たちの少しの選択の違いから長い年月をかけて大きな文化の違いに発展していた。
そのどちらの世界にも存在する人間は、ほとんどが生まれ落ちた瞬間から現実の世界と鏡の世界において一つの命を誰かと共有する。それは年老いた老婆と生まれたばかりの赤ん坊の場合もあれば、種族を超える場合もある。大切なのは命を共有したどちらかが死ぬと、もう片方も必ず死ぬということ。
これはこの世界の掟と呼ばれるものらしく、どうやらこちらの世界の神話に登場する女神の気紛れから出来た理らしい。その事実を知る者は、ほんの一部に限られていた。その理由は、この掟には例外が存在するためだった。
前述で、どちらかの世界のどちらかが死ねばもう片方も死亡すると述べたが、それは第三者、つまりは外傷や寿命により死亡した場合。しかし、自分で同じ命を共有した相手を殺した場合、殺した方だけが生き残ってしまうというイレギュラーが発生してしまうのだ。そのメリットは、命を共有する相手がいなくなり、本来の寿命を謳歌することができるというものだ。しかしそれは道徳的な観点から許されていない。そもそも多くの人々は、鏡合わせになった世界の存在そのものを、掟を知らないまま死んでいく。鏡の国の代表者は隣り合った世界の衝突を避けるため、二つの世界の行き来を厳しく制限していた。その網をかいくぐって鏡の国に迷い込んでしまった私は、それから何度も命を狙われながら、元の世界へ戻るために戦うことになる。これから語るのは、その全容だ】
説明部分を読み終えた僕は、心配そうに見つめるミドナちゃんの頭を撫で、未だキャロルさんと言い争いを続けているカミヤさんに言った。
「つまりはえっと……万が一、僕が死ねばリルクも死んで、リルクが死ねば僕も死ぬけど、例外として僕がリルクを殺せば死なずにすむし、リルクも僕を殺せば死ななくて済むってことですか?」
「まあ、ほぼ正解。理解はできたみたいだね。だからこそ、生まれたばかりの赤ん坊が死ぬなんてことが起きる。その赤ん坊が命を共有していた相手が死にかけの老婆だったなら、辻褄が合うだろう?」
「でも、お婆さんは命を共有した赤ちゃんが生まれるまで、誰と命を共有していたんですか?」
「その老婆は、命を共有した赤ん坊が生まれるまで、理から外れていたというだけ。人生の中で、命を共有するのは一度だけだけど、それがいつなのかは正確じゃないらしくてね。容姿が似ているから、命を共有した同士は見ればすぐに分かる。それが鏡の国の一つの由縁にもなっている」
「そうなんだ……カミヤさん、詳しいんですね」
カミヤさんを尊敬のまなざしで見つめていると、彼は少々困った表情で言った。
「まあ、言ってもいいか」
カミヤさんは続けた。
「僕はこの世界の神話に登場する女神に会ったことがあってね。その時に色々教えてもらって、この本を書いたんだよ」
 




