テンプル・オブ・テンプレート
ようこそ、ようこそ。夢の世界へ♪
ようこそ、ようこそ。隣り合わせの異世界へ♪
楽しい、楽しい、冒険の世界が始まるよ♪
(開幕―座長挨拶)
「紳士淑女の皆様。今宵は当劇団へ足を運んでいただき、ありがとうございます。これより始まりますのは、剣と魔法の異世界冒険譚! 今この時ばかりは現実を忘れて疲れた心を慰め頂けたのなら、私共の無上の喜びに御座います。
そろそろお時間で御座います。それでは、紳士淑女の御手を拝借して開演の合図と代えさせて頂きましょう。
皆様! 喝采を!!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
街の中心より離れた裏通りに建っている古い神殿では毎夜奇妙な劇が上演されていると云う。数多の演者が舞台上に揃い出て、各々が勝手に物語を演じるという奇天烈な劇だ。それにも関わらず連日多くの観劇者で賑わう盛況ぶりなのである。
己の人生を他者にとっての路傍の石と悲観する若きモブタスは、一夜の夢を求めて神殿を訪い、《異世界冒険譚》と呼ばれる舞台上の世界にすっかり魅了された。
それ自体は数ある演目の一つで、元の世界では弱者や落伍者であった主人公が異世界で力を得て活躍するお話である。
自分と似た境遇の主人公が異能を振るって丁丁発止に活躍する物語に、モブタスは大いに心を奮わせた。
舞台上には黒髪黒衣の役者が所狭しとひしめき、寸劇とて成り立たぬ様相でありながら、一人の演者に注目するとたちまち他の演者が視界から消え失せて一人の主演が紡ぐ世界が舞台上を覆い尽くすのである。意識を他方に移せばこれまた違う演者の世界に塗り換わる。そうやって全ての出演者が各々の物語を紡いでいた。
モブタスは観劇の途中で席を立つと、舞台袖への道を探して神殿を抜け出した。彼は間近で出演者達の物語を観て、声をかけ話を聞きたくなったのだ。冴えない主人公が活躍して存在感を増す様はこの若者にとってまるで我が事の様であり、どうすれば自身もそう在れるのかと欲したのだ。
モブタスは神殿裏の通用口から忍び込むと、オドオドしつつ薄暗い通路を進んで舞台袖へと辿り着いた。目指す場所に至った若者は高鳴る胸に手を当ててゆっくりと呼吸を繰り返し、照明の降り注ぐ舞台をそっと覗き込んだ。
「おや、道に迷われましたかお客様? 下用場を探しておられるのであれば御案内いたしましょう」
覗いたすぐ先に座長が立っていた。
吃驚して声を詰まらせたモブタスは怯えてあとずさった。そうしてから、慇懃に声を掛けてきた人物を見上げた。頭部をすっぽり覆う黒いベールの上に白い仮面で目許を隠した、燕尾服に山高帽と云う装いの背の高い男である。男であると定めたのは声ゆえであった。
モブタスはすっかり萎縮してしまい、下を向いて落ち着きなく視線を彷徨わせた。彼の内に燃えていた情熱の火はすっかり潜んでしまって、消沈した翳りが若者の表情を覆っていた。
彼の様子から座長は一つの答えを導き出して得心が行ったと頷き、若者に囁き掛けた。
「若しよろしければ、当劇団の秘密を御教え致しましょう」
え? と呟いて顔を上げたモブタスは、口を開けたまま困惑していた。座長はおどけて身を反らすと、舞台とは反対の方を向いて大股で一歩進んでから身振りで付いて来るよう促した。
モブタスは迷っていたが、座長に待つ氣はないらしい。滑るように大股で進んで行く。若者は決意を固めて後を追った。
モブタスは観客席の天井近くに渡された天廊の真ん中へと導かれた。そこで座長に示されるままに舞台を見下ろし、その秘密に目を剥いた。
舞台には異世界風の背景と主要な脇役を描いたパネルがあって、それだけならば客席からも見えるのだ。だが、客席からは見えない床面に順路が記されており、出演者達はその上をグルグルと巡りながら物語を演じている。
物語の道筋は似たり寄ったりで、凡その役者が同じような所で同じようなイベントを、同じような展開で消化して行く。その様子はまるで自動化された工場のようである。
舞台上を蛇行する一本道の最後は二股に分かれていた。一方は道が途切れて先には何も無く、もう一方は物語冒頭に合流して延々と同じ道筋を辿っている。そして多くの役者はループする方へと進んでいた。
「…………これは、一体何なんですか!?」
モブタスは訳が分からなくなった。客席から見たときの彼らは道無き道を行く勇敢な表現者であったのに、今ではレールの上を循環する工業製品のようにしか見えない。表現者達はただ与えられた道筋と展開に沿って演技をしているだけだった。
若者の吐き出した問いに座長は鷹揚に頷いて答える。
「これぞ当劇団の目玉、《テンプレート》の秘密なり! その言葉は《ひな型》を意味して居りますれば、必然、原型となる先駆者が居りました」
座長は舞台を見下ろしながら朗読の調子で語り続ける。
「あれら舞台上の諸々は数多の先達が演じた物語の残滓。当劇はそれらを詰め合わせて平均化したものに御座いますれば、自ずと斯様な形を描くもので御座います。
おや、あれは……お客様、どうぞあちらを御覧ください」
座長の云い廻しはモブタスには難しかった。若者は云われた事を碌に理解出来ぬまま座長の横顔を見上げていて、座長の動きに釣られて指し示された方に目を向けた。すると一人の演者が分岐の前に進み出て、道の途切れた空白の方へ足を踏み出すと真っ直ぐに進んで舞台袖へと消えて行った。
「次はあちらへ」
モブタスは座長に導かれるままに視線を動かした。他方は舞台に立ち尽くす一人の演者がスポットライトの中に浮かび上がっている。彼は舞台の中程でただ立ち尽くしていて、周りはそんな彼とは関わり無く流れてゆく。スポットライトは全ての演者に注がれていると云うのに、モブタスの目にはその彼だけが舞台で最も注目される役を演じようとしているかに見えた。けれど若者の期待に反して演者に当たっていた照明が消え、同時に演者も舞台から消えた。
「え? 消え……えっ?」
モブタスは視線を舞台から座長に転じた。舞台上の現象を理解出来なくて、知らず知らずの内に説明を求めたのだ。座長はしばらく黙って舞台を見下ろしていた。そして唐突に若者へ向きを変えると、帽子を取って仰々しい仕草で腰を折った。
「お客様、どうか嘆き遊ばされ、御喜び下さいませ。今宵、二人の役者が当舞台を去りました」
暫くして頭を上げた座長は帽子を戻すと、舞台に向き直って両腕を目一杯に広げて宣告する。
「前の一者は物語の幕引きを向かえて舞台より去り、続く一者は道半ばにして挫折し失意の内に去って行きました。さりとて氣落ちなさらずに。物語は役者の数だけ、あるいはそれ以上に溢れて御座いますれば!」
座長は広げた腕を胸の前に寄せて、手の平を二度叩いた。乾いた音が響き渡ると、カランコロンと鐘の音が鳴って舞台上の明かりが全て消え、緞帳が下りた。足の下では観客の席を立つ喧騒が広がり始めている。
「お客様。演目交替のお時間に御座います」
座長はモブタスを見下ろして云った。
モブタスは明かされた秘密に打ちひしがれていた。客席からは英雄に見える者達も俯瞰すれば道化に過ぎぬ、と座長自らが示した事で、若者の落胆と失望は深いものになっていた。胸の内の炎は消え果てて、暗い絶望だけが澱のように残った。
モブタスは生氣の失せた目を伏せて俯き、元来た道を引き返そうと座長に背を向けた。その背中に声が掛かる。
「お客様! お客様は考え違いをなさっている御様子に見受けられますれば、今一度お時間を頂戴したく。暇乞いはそれからでも遅くはありません」
「考え違い? 一体何が違うって云うんです!」
若者は首だけを廻らせて肩越しに座長を睨んだ。返した言葉は思いのほか角が立っていて心の内では吃驚したものの、努めて何でもないような顔をして見せた。
けれど座長は意にも介さなかった。
「お客様は当劇団の秘密を御覧になって大層氣落ちなされたのでしょう。されど秘密は手段を隠す為でしかなく、真実ではないのです」
モブタスは座長に向き直った。今度は難しい言い回しに誤魔化されないようにと注意を払って相手を見据える。
「お客様に於かれましては今一度、思い起こして頂きたく存じます。どうして席を立とうと決心なされたのか? 何故にここまで来られたのか? お客様を駆り立てたのは何であったのか? それこそが真実であり、真実とはお客様一人一人によって異なるものなので御座います」
若者はここまでの経緯を振り返り、舞台上の英雄達への憧憬を思い出した。
あれらの物語が型どおりに作られた何かの真似物であったとしても、モブタスは確かに希望を見て取り勇氣を得た。ゆえに彼は、より近い場所へ、同じ舞台へと欲して席を立ったのだ。その氣持ちは決して嘘ではなかった。
座長はするりと動いて若者の前に立つと腰を折って顔を近づけ、そっと耳元に囁いた。
「お客様。若しお客様の心内に燻るものが御座いますれば、当劇団にお出で下さいませ。慰みの為ではなく、御身の内なる声の発露の術として」
当惑する若者に座長は恭しく手を伸べる。
「当劇団は常に新たな舞台役者を求めて居ります」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
(開幕―座長挨拶)
「皆様! 長らく御待たせ致しました。今宵は異世界冒険譚に新たな役者を迎えて御贈り致します。
彼の紡ぐ物語は新たな流行の先触れとなるのか? それとも後追いの量産品に始終するのか? 如何様に転ぶのかはお客様の声援次第に御座いますれば、若者の洋洋たる前途に祝福を御願い申し上げます。
さあさあ! お時間が迫って参りました。
溢れるありきたりなチート。誰でも務まる没個性の主人公。量産される薄っぺらいヒロイン。主人公を讃えるだけの脇役。『そんな設定で大丈夫か?』などと聞いてはいけません。そう! これらは貴方がたを氣軽に喜ばせる為の物語なれば!
それでは、今宵も紳士淑女の御手を拝借して!
皆様! 喝采を!!」