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第87話 愛されている自信がなかった

 お風呂上がりに、ドライヤーで髪を乾かす。

 

「やっぱり、中々乾かないなあ」


 これがここ数年の私の悩み。

 ちっぽけな悩み。


「切ればいいじゃん」


 私の独り言を耳に拾ったらしい旦那が何でもなさそうにそう提案する。


「哲也君は簡単に言うけどね、女の子が髪を切るのって色々準備がいるの」

「準備って?」

「……心の準備とか」

「なにそれ、茜ってたまに変なこと言うよな」


 哲也君はプッと吹き出した。


 私の旦那は、幼なじみと言うやつだ。

 それだけ聞けば、さぞロマンチックな恋愛の末に結婚したのだろうと思われるかもしれないが、そんな事はない。

 寧ろドロドロ。


 だって、私は自分の姉から哲也君を奪ったんだもの。


 哲也君は私の一つ上で、姉は二つ上だ。

 いつも三人一緒で、小中高全部同じだった。


 でも、高校の頃くらいから少しおかしいなと感じていた。

 中学も高校も三人揃うのは一年間しかない。

 私の密かな不満だった。

 

 私が高校一年生になると、哲也君とお姉ちゃんの間に生まれる空気のようなものが変わっていることに気が付いた。

 最初は勘違いだと思った。

 私の入ってたソフトテニス部の練習が急に休みになって、家に帰った時に二人のあれを見てしまってからは、もう自分を誤魔化すことは出来なかった。

 そして、その光景を見て、私はお姉ちゃんを祝福するのではなく、哲也君を取られた嫉妬の感情が芽生えたことで、自分の初恋に気が付いた。

 そんな最低の初恋の芽生えがあるだろうか?


 でも、表向きは祝福したし、別に哲也君とどうこうなろうなんて思ってなかった。

 寧ろ切り替えて、他の人を探そうと思っていた。

 大学も二人が進学した所だけは選ぶまいと、別のところを受験した。


 しかし、私は自分が思っている以上に女々しい女だった。

 どんな男と付き合っても、哲也君の事が頭をよぎった。


 そして、女々しいのは哲也君も同じだった。

 哲也君の初恋は多分お姉ちゃんだ。

 

 お姉ちゃんは大学在学中に自殺した。

 理由はわからない。

 本当にわからない。元々、つかみどころのない人だったけど、死ぬなんて思いもしなかった。

 大学キャンパス内の法学部棟から、土曜日の早朝に飛び降りた。

 

 特別優れたところのある姉ではなかったが、面倒見だけは良かった。

 特に高校の頃部活の後輩からはよく慕われているところを見かけることが多かった。

 あとは、強いてあげるなら長い髪が綺麗だったことぐらいか。


 私は一晩中泣き明かしたが、哲也君は一週間泣き続けた。

 私の実家の姉の仏壇の前で体育座りで泣いたかと思うと、ふと涙が止まって、自分の部屋に戻ってまた泣いていた。この繰り返しで、一週間続いた。

 多分、まともに食事はしてなかったと思う。

 私がコップに水をついで持ってきてあげると、少しだけ口に含んでいた。

 まるで、また泣くための涙を補充するように。

 父や母も哲也君とは昔からの付き合いだ、私の実家に毎日来ることを特に迷惑がることはなかったし、むしろ哲也君を通して、少し冷静に姉の死を受け入れていた。


 涙を止めたのは私だった。


 一週間経ったとき、またいつものようにコップに水をついで、小さなおむすびを握って持っていった。


「哲也君、少しは食べないと体を壊すよ」

「…………」


 彼は何も答えなかった。

 頬を伝う涙は、目から離れた瞬間に温度を無くし、彼の体を芯まで冷やすようだった。


 私は彼の体を温めてあげたかった。


 だって、このままいけば心が凍死してしまう。

 私は小さく丸まってしまった彼の背中にそっと抱き着いた。

 本当に冷たくて小さな背中だった。

 でも、このままでは彼までお姉ちゃんの元に行ってしまいそうな気がしてギュッと抱きしめた両手に力を入れた。


「……詩織ちゃん」

「…………」


 姉の名だ。

 私の温度は彼には伝わらないようだった。


 だから、私は直接彼に温度を送り込んだ。


 彼のかさかさに乾いてしまった唇にキスをした。

 舌を絡ませ、唾液を送り込んだ。

 彼は驚くように目を見開き、私を弱々しく押し飛ばした。


「やめろよ、何考えてんだよ。お前、詩織ちゃん死んだんだぞ」


 彼は一週間ぶりにまともに口を開いた。

 目の中には、色が戻ってきたように感じた。


「良かった」


 その言葉に彼は私をビンタした。

 口の中で鉄の味がした。

 先ほど、私を押した時より、少し力が戻っている気がした。


 それから、彼は少しずつだが、立ち直って言った。

 ビンタしたことも、後から私の意図を理解したようで謝ってくれた。

 そこからの私は絶対に彼から距離を置かなかった。

 

 しつこくアプローチし、もう誰とも恋愛をする気がないと言っていた彼にまとわりついた。

 髪もその頃から、伸ばし始めた。

 自分では似合ってたと思うショートボブをやめ、お姉ちゃんのように髪を伸ばした。

 交際するまで、また紆余曲折会ったが、今彼は私の元にいる。

 その事実だけで満足しよう、そう自分に言い聞かせている。

 例え、彼の心が永遠にお姉ちゃんのものでもいい。

 

 


 朝、玄関で靴を履いていた哲也君が、何か言いたそうな顔をしていた。


「……本当に、髪切りたかったら切ってもいいんだぞ」


 私は目をぱちくりさせる。


「哲也君、髪の長い方が好きでしょ」


 彼の靴を履く手が止まる。


「……もう、大丈夫だから。お前は詩織ちゃんの代わりじゃない。ちゃんと愛してるから」

「……うん、ありがと」


 なぁなぁで結婚した私達の間では、口にされなかった言葉だ。

 その不器用さに呆れて、私は髪を切った。








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