第83話 初恋だけが恋 前編
平日、昼間の公園のベンチでスポーツ新聞を読みながら、一人焼き芋を食っている男を見たら、大多数の人は不審な目を向けるかもしれない。
しかし、安心してほしい。
俺は不審者ではない。
ただ、仕事がなくて、残りの有り金はたいて焼き芋買って、拾った新聞紙を熟読しているだけだ。
秋も深まり、そろそろ仕事と住処を確保しないと本当にやばい。
最悪凍死もあり得るのだ。
この焼き芋食い終わったら、ハロワに行こう。
俺はそう固く決意した。
「おじちゃん、その焼き芋半分ちょうだい!」
ほとんどの人が足早に俺の元を通り過ぎていく中で、俺の食事をたかる声がした。
最初に声の方を向けば、誰も居なかったので、ついに幻聴も覚悟したが、視線を少し下げれば、ランドセルを肩にかけた女の子が俺の隣に座って笑顔を向けていた。
この状態だけでも俺は逮捕されたら言い逃れは出来ないかもしれない。
しかし、通報される前にこれだけは否定しておかなくてはいけない。
「おじちゃんじゃないよ。俺はまだ三十二だ」
「おじちゃんじゃん」
まだ、世の中の事が理解できてない小学生は俺をおじちゃん呼ばわりするのをやめなかった。
三十二と言えば、まだ人生の半分も経過していないのだ。おじちゃんはいくらなんでも失礼と言うものだ。
しかし、小学生とは地球の地軸が自分であると疑ってない生き物である。
俺の話など耳にも入れずにマイペースで話を進める。
「いいから、焼き芋半分ちょうだいよ。唯ね、焼き芋好きなの」
「これはお兄さんの最後の晩餐なんだ。焼き芋はお母さんにでも買ってもらいなさい」
「ママ、ケチだから無理だよ」
「ママがケチだろうと、パパがエッチだろうと、見ず知らずの人からただで物をせびるのは感心しないな」
毎度、炊き出しのお世話になっている男の発言である。
唯ちゃんと名乗った(正確には名乗っていないが、一人称から推測した)女の子は、唇を突き出し不満そうに文句を垂れた。
「え~、じゃあ、どうすれば焼き芋くれるの?」
「世の中にはね、何かを得るためには何かを差し出さないといけないんだ。唯ちゃんも焼き芋が欲しければ、何かを差し出しなさい」
事案である。
この時点で警察は俺を現行犯逮捕出来るだろう。
「うーん、今鞄の中ドングリぐらいしかないよ。いる?」
「いらないよ。何なら貴重な情報とかでもいいよ」
出来れば、衣食住の整う職場とかの情報だと有難い。
「情報ねー、うーん、あっ!」
唯ちゃんは何か思いついたのか、周りをキョロキョロと見回しながら、俺の耳元に口を運ぶ。
「誰にも言っちゃだめだよ……唯ね、望君の事が好きなの」
俺は少しでも期待した自分を笑い、同時に身体中の力が抜けるのを感じた。
ついでに毒気も抜かれ、焼き芋半分をケチってた自分を反省し、焼き芋の真ん中あたりを折って、唯ちゃんに渡した。
「お兄さんの負けだ。そんな重要な情報を聞いてしまったら仕方ないね」
「でしょー、唯の初恋なの」
唯ちゃんは自慢げに胸を張り、焼き芋を受け取る。
初恋、俺はその言葉にどこか懐かしさを覚える。
初恋か。
世界中の全ての人間にとってどうでもいい事だろうが、俺は仕事が出来ないだけじゃなく、恋も出来ない人間だった。
いや、今も現在進行形で出来ないが。
ただし、仕事は生まれてこの方しっかりと出来た記憶はないが、恋は一度だけ出来た事がある。
それが初恋だった。
小学校と中学が一緒だった少し大人しめの女の子。でも、どこか所作に花があって、友達も多かったと思う。
笑った顔と、右目の下の泣き黒子がとてもチャーミングだった。
俺が好きになった理由はクラスが同じ事が多かったとか、隣の席になった時に優しかったとか、そんなくだらない理由だ。
でも、中学に上がったばかりぐらいで、これが恋ではないのかと思い始めた。
馬鹿みたいにしょうもない理由を作って必死に話しかけた。
彼女のよく読んでる小難しい小説なんかを話題作りの為に読んでみたりしたこともある。
少しずつ仲良くなって、友達ぐらいには認識されていたと思う。
でも、彼女は頭が良かった。
そして、高校は別々になることがほぼ確定していた。
どうしようかと迷った末に俺は告白をせずに、中学を卒業した。
それ以来、彼女とは会ってない。
成人式の後の同窓会でもしかしたらと淡い期待もしたが、彼女は同窓会には現れなかった。
今、どこで何をしているのだろう。
俺の告白せずに終わった初恋。
あれ以来、誰と付き合ってみても、肝心な時に起たなくなった。
それを言い訳にするわけではないが、何もかも中途半端だ。
どこにも着地できずに彷徨っている宙ぶらりんの人生だ。
あの終わらない初恋から何も始まらなくなった。
俺はやっと、意識を現実に戻すと、唯ちゃんは半分にした焼き芋を完食していた。
俺も普通に結婚して、仕事して、子供作ってたら、このぐらいの年かなと、その姿に目を細めた。
「……美味しかった?」
「うん! ありがと、おいちゃん!」
―チュッ
唯ちゃんが首を伸ばして、俺の頬に唇を付けた音だ。
「おじちゃん、良い人だから、ファーストキスはおじちゃんにあげるね」
「焼き芋半分に随分大盤振る舞いだね」
「おおばん?」
「いや、なんでもない。それより今日の事は誰にも話しちゃいけないよ」
流石に今のは俺の冬が拘置所になりかねない案件だ。
唯ちゃんは少し首をかしげたが、考えるのをやめ、ニッコリと笑った。
「うん、わかった!」
俺はほっと胸を撫で下ろした。
そして、もう俺に用がないと言わんばかりに勢いよくベンチから立ち上がったが、次の瞬間何かを見つけたようで、一瞬固まった。
「あっ! ママだ! ママー、今ね。おじちゃんにね――」
これだから小学生は嫌いなんだ。
鳥だって記憶が三歩持つと言うのに。
俺はお巡りさんを覚悟し、目を瞑ったが、唯ちゃんのママは俺に近付いてきてこう声を掛けた。
「西野君?」
俺は恐る恐る目を開くと、心配そうに俺の顔を覗く右目の下にチャーミングな泣き黒子のある女性がいた。
それは俺の初恋の相手だった。




