第66話 [元1]恋した彼女と愛する僕
恋と愛の違い。
色んな人が考えて、色んな人が色々なことを言うけれど、その中で僕が一番しっくりきたものを話そう。
恋には勝ち負けがあり、愛に勝ち負けはないのだ。
僕はこれが一番しっくりきた。
恋は敗れることも、冷めることもあるだろう。
勝者がいて、敗者もいる。
でも、愛は違う。
恋は自分と相手の幸せを願う。
愛は相手の幸せだけを願うのだ。
別にどちらが劣ってるとか、優れてると言う話をしているのではない。
ただ、僕は先輩を愛しているという話がしたいだけだ。
僕の会社の入江先輩はかっこよくて仕事も出来て、綺麗でたまにだらしないところもあって可愛い最強の先輩だった。
僕が入社してからこの先輩に心酔するまで時間はかからなかった。
失敗ばかりの僕を励ましてくれたり、飲みに連れていってくれたりもした。
大好きだった。
だけど、僕の先輩は、元先輩になってしまった。
入江先輩より、三つ上の僕より少し背の高い上司と結婚した。
それを機に会社も辞め、連絡を取る頻度もグッと減ってしまった。
でも、会社を辞める時の最後の先輩の挨拶で、僕は自分のことを嫌いにならずに済んだ。
だって、心からもう入江でも先輩でもなくなった彼女の幸せを願えたのだから。
これは愛だ。
元先輩が会社を辞めてから二年ほどが経っただろうか、僕も段々と仕事に慣れ、怒られる回数が減ってきたように思える。
だけど、気がかりなのが、最近元先輩にメールをしても返事が返ってこないのだ。
季節も秋と冬の境目でそろそろコートを出さなくてはと思い始めたので、意外と身体の弱い元先輩は体調でも崩してないかと心配になる。
仕事も終わり、セキュリティも糞もない我がマンションに到着すると、エレベーターに乗り、自分の部屋がある階のボタンを押す。
夕飯、何作ろうと、仕事で疲れた頭を回転させると、すぐに目的の階に到着する。
僕の部屋はエレベーターを降りて、すぐのところだった。
ちょっと、冷えた手をこすり合わせながら、バッグから鍵を取り出し、手に取ってエレベーターを降りると、僕は手に持った鍵を落としてしまった。
「遅かったね、残業?」
601、その数字が書かれたドアが僕の自宅。
そのドアに寄り掛かるように元先輩がいた。
僕は冷えるからと訳も聞かず、部屋の中に招き、コーヒーを淹れた。
それをリビングのテーブルに座っている元先輩と自分の前に置き、僕も先輩の正面に座る。
「離婚してきた」
訳も聞かずにじゃない。
聞くのが怖かっただけだ。
しかし、元先輩はそんな怯える僕の事なんて少しも気を遣わずにズバッと訳を口にした。
「また、なんで」
「色々」
僕の短い言葉に彼女も短く返す。
いつも肝心なところは教えてくれない元先輩らしい。
僕はそれでも恐る恐る尋ねた。
「あの、実家に帰ったりは?」
「嫌だ。怒られたくない」
子供みたいなことを平気で真顔で言い切る元先輩。
「えっと、入江先輩」
「もう、入江でも先輩でもないって……いや、入江に戻ったのか。何?」
「どうしてここに?」
「迷惑だった?」
「いえ、そんなことは」
「昔はよく飲みに来てたじゃん。だから、なんとなく」
元先輩は知らないのだろう。
あなたのそのなんとなくの言葉がどれだけ嬉しいかを。
僕が犬なら尻尾を振り過ぎてとっくに千切れている。
「どのくらい、ここにいるんですか?」
「どのくらいならいい?」
質問を質問で返すのは卑怯だ。
僕は喉元まで出た言葉を呑み込み、同じ言葉でもニュアンスを変えて、もう一度吐き出す。
軽そうなふざけた笑顔も忘れてはいけない。
「ずっとでも、いいですよ」
「えー、そんなこと言ってると、本当に住み着くよ」
「入江先輩の気の済むようにしてください」
「……ねぇ、その入江先輩ってのやめない? 私はもう君の先輩じゃないよ」
「じゃあ、入江さん?」
「今から一緒に住もうって人間に他人行儀でしょ。朱里でいいよ」
それは僕が一生呼ぶ機会のないと思った彼女の名前。
人生で発声することなんて想定してなかったから、声が擦れる。
「あっ、朱里……さん」
「まっ、それで許してやるか。私も君のことは名前で呼ぶね、光輝」
僕は一生呼ばれるはずはないと思っていた名前を呼ばれ、思わず聞き漏らしそうになる。
そんなふざけた調子で僕たちの同棲が始まった。
初日は朱里さんはとにかく酔っぱらった。
僕の家のお酒を半分以上飲み干し、うわ言のように「もう結婚はこりごりだ」と言った。
僕は聞かない、理由は聞かない。
彼女に今必要なのは恋人でも旦那でもない、都合のいい後輩だ。
勝ち誇るつもりはない。
だって、これは愛なのだから。




