第44話 野良猫を捨てた日 中編
次の日、俺は朝から登校した。
自分の教室に入り、席に着くと、近くの席に座っている友人の山本が何か言いたげな笑みを浮かべている。
「篠原が朝から学校に来るなんて珍しいじゃん」
「バカ、二日に一回は来てるだろ」
「すくねーよ、もうちょい頑張れや」
俺は「気が向いたらな」と軽く流して、朝から学校に来たせいで眠いので机に顔を伏せ、そのまま眠った。
お昼休みの辺りだろうか。
俺は身体を揺すられて目が覚めた。
「おい、篠原! 起きろって! お前何したんだ?」
俺は顔を上げると、そこには明らかに焦っている山本の顔があった。
「どしたん?」
「どうしたじゃねーよ! 谷岡先輩がお前呼べって教室の外来てるぞ!」
谷岡くんが? と教室の外を見ると、そこには機嫌悪そうな梨奈がいた。
「あぁ、妹の方か」
「何、呑気な事言ってんだ! あの人の兄貴、うちのOBなんだけど、マジヤバイって噂なんだよ! 妹キレさせたら、そのまま兄貴の耳に入って、お前ボコボコにされるぞ!」
山本が慌てて捲したてるのを寝起きの頭でぼんやりと聞いていると、梨奈が学校で孤立している理由の一端がわかった気がした。
谷岡くんは知っててそれで後ろめたい気持ちになって俺に頼んだのかな? それとも知らずにただのお節介?
まぁ、谷岡くん、誤解の産みやすい見た目だから仕方ないのかもしれないけど、話せば悪い人じゃないんだけどなぁ。
俺は立ち上がり梨奈の元に向かった。
山本が心配そうな顔で見てきたが、俺は軽く手を上げて大丈夫だとジェスチャーで伝えた。
教室の外で待っていた梨奈は、ゲーセンで見た時より更に機嫌が悪そうだった。
俺は出来るだけ気さくに話しかけてみた。
「よう、何か用?」
梨奈はむすっとした顔をして今にも舌打ちし出しそうな声でボソッと喋った。
「あんた、梨奈の面倒見ろって言われたんじゃないの?」
友達になってやって欲しいとか話し相手をしてやってくれとか言われはしたが、面倒を見ろとまでは言われてないと喉元まで出かかった言葉を飲み込み、下手に出て置く。
「あぁ、ごめんごめん。学校来てるって知らなくってさ、朝から来てたの?」
そもそも全然学校に行かないと聞いていたので、ここにいる事自体を想定してなかった。
今まで来なかったくせに、なんで今日は来てるんだ?
「さっき来た」
なら尚更分かんねーよと言う言葉もしっかり飲み込んで、俺はにこやかな笑顔を作る。
最初は互いに距離感が分からないものだ。
ここは我慢のしどころだろう。
「そっか、今から昼飯でも食う?」
梨奈は意外にも素直に首を縦に降る。
まぁ、こいつが弁当持って来てるとは思えないし、
購買だな。
「梨奈、マック行きたい」
「学校にそんなもんねーよ」
俺は思わず反射的にツッコんでしまった。
梨奈は頭を傾げ、何言ってんだこいつ? みたいな疑問顔をする。
「いや、そんな顔されても学生が昼飯って言ったら普通校内で食べるんだよ。弁当ないなら購買行くぞ」
「使った事ない」
俺は必死に呆れ顔を隠した。
こいつ中3だよな?
どんだけ学校行ってないんだよ。
―チッ
梨奈が舌打ちをした音だった。
俺は態度に出てたかなと焦ったが、如何やらその舌打ちは俺に対するものではなかった。
梨奈の視線はキョロキョロとし、周りに注がれる。
「何見てんだ? あっ?」
如何やら、今の舌打ちは周りのギャラリーに対するものだったらしい。
不登校気味で怖いと噂の先輩の妹で谷岡くんそっくりの真っ赤な髪だ。
これで目立たないはずがない。
多少のギャラリーは湧くだろう。
「見せもんじゃねーぞ」
梨奈の視線は一人のターゲットを定めてしまったみたいで、不幸にも梨奈と目が合い、上手く逸らすことの出来なかった気弱そうな眼鏡女子に詰め寄っていた。
このままでは確実に面倒なことになると踏んだ俺は、梨奈の手を掴んで、ギャラリーの目から離れる為に引っ張って行った。
「馬鹿、どこでもここでも喧嘩すんなよ」
「…………」
俺が注意しても梨奈は購買につくまで終始無言だったが、俺の手を振りほどくことなく大人しく着いてきた。
抵抗すら煩わしいのか? 完全に機嫌が悪くなっているみたいだ。
「どこで食う?」
購買で適当にパンを買った俺はどこで食うか梨奈に聞いてみた。
また、学校の外に行きたいとか言い出さないかはらはらしたが、答えは素っ気無いものだった。
「どこでもいい」
どこでもいいが一番が困るんだよなと思ったが、俺もよく母親に晩飯何がいいと聞かれて何でもいいと答えてたなと反省した。
この歳で母親の気持ちが分かってしまったことはさておき、どこにするか俺は熟考した。
さっきの騒動の事を考えても、人目がある俺や梨奈の教室は無理だろうな。
一つ心当たりがあるにはあるが、梨奈が気に入るかどうか賭けだな。
俺はこれ以上考えていても仕方ないと梨奈に一応提案してみる。
「屋上行くか?」
「開いてんの?」
「いや、屋上は開いてないんだけど、屋上の前の階段の踊り場なら人が来ないからさ」
「なんだ」
梨奈はつまらなそうに呟いたが、特に反対もしなかったので俺は屋上の方に向かった。
その後ろを梨奈がついてくる。
「……埃っぽい」
梨奈は屋上前階段の踊り場に着くと開口一番そう漏らした。
「仕方ねーだろ、全然人来ねーんだから」
俺は予備の備品として置いてあるだろう机と椅子のうちの二つの椅子を取って並べる。
そして、その間に机を置いた。
梨奈は特に何も言う事なく当然と言わんばかりに俺の用意した椅子に座る。
俺も腰掛け、購買で買ったパンを袋の中から机の上に出して確認する。
「何がいい?」
「その苺のやつ」
梨奈が苺と生クリームのフルーツサンドを指差すので、俺はそれを手渡す。
梨奈はそれを受け取り、何か言いたげにこちらを見ていた。
「何?」
「……あんた、3個食べんの?」
俺は購買で4個パンを買った。
なので、机の上には後3個ある。
「お前がいくつ食べるか分からなかったから適当に買ったんだよ。もう一つ食べてもいいし、食べないなら俺が残り食べるよ」
「ふーん」
梨奈は自分から聞いたくせに、興味なさげな相槌を打った。
二人で食べる初めての昼飯は、その会話が最後だった。
特に話すこともなく、二人でもそもそと食事をしていた。
だが、俺はその空間が気まずいなんて感じる事はなく、梨奈も特に気にしている様子はなかった。
二人とも昼飯を食べ終えると、梨奈は立ち上がり、階段を下っていく。
俺はその背中に声を掛ける。
「どこ行くんだ? トイレ?」
「帰る」
「教室に?」
「家に」
昼飯食いに学校に来たのかよ。
俺は呆れながら梨奈の隣に並んで歩いた。
「あんたも来る?」
谷岡くんの家は何度か遊びに行ったことがある。
親が金持ちみたいで、マンションに一人暮らしをしている。
だが、この場合谷岡くんのマンションのことを指すのではないだろう。
つまり、谷岡くんの両親のいる実家だろう。
今更少しサボるぐらい抵抗はないが、流石にそれはどうなんだと思案する。
「うち、パパ仕事だし、ママもどこか遊び行ってるから誰もいないよ」
俺が何を不安に思っているか、梨奈なりに推測したのだろう。
俺が返事をする前にそう言葉を付け加えた。
その様子が俺は変に笑えた。
きっと第一印象が悪かったせいだろう。
さっきまでの周りへの攻撃的な態度のせいもあるかもしれない。
ぶっきらぼうな言い方だが、こいつも相手のこと考えたりするんだな。
「は? 何笑っての? キモ」
俺が一人で笑いだしたので、梨奈は少し引いたように罵倒した。
俺は笑いが完全に収まらず、にやけたまま謝った。
「悪い、悪い、俺も行くよ。お前ん家ゲームある?」
「兄貴が置いて行ったのがある」
「そっかそっか、行きがけなんか食べ物買っていこうぜ」
そのついでに俺は思い出したことがあったので、梨奈に聞いといた。
「そういや梨奈、俺、お前の連絡先知らないわ。教えとけよ」
今日みたいなことになっても面倒だと思い、俺は携帯を取り出した。
それを見た梨奈は自分の携帯を取り出す。
「……わかった、大地のも教えろ」
こんなの会った最初に済ませとけって話だよな。
俺は連絡先を交換してる時に、よく考えたらお互い名前を呼んだのも今が始めだと気が付き、また笑い出しそうだったが今度は我慢した。
梨奈の家は本当に親があまり家に帰らないようだ。少なくとも俺は見たことがなかった。
梨奈の家にはよく遊びに行くようになった。
俺が昔谷岡くんが使ってた部屋でゲームをして(テレビがでかい)梨奈がその部屋のベッドに座ってボーッと俺のゲームをしてるのを見たり、携帯いじったり、たまに一緒にゲームしたりする。
別に互いに気を遣ったりがなかったので楽は楽だった。
買い物やカラオケに付き合わされたり(意外によく歌う)も面倒ではあったが、嫌ではなかった。
谷岡くんにも学校によく行くようになったと感謝された。
そんな日々は半年ほど続いた。
俺はいつものように梨奈の家でだらだらとゲームをしていた。
梨奈はベッドにもたれかかって俺のやっているゲームを見ていた。
その時、口では説明しがたいが、空気は変わった気がした。
梨奈はいつものどうでもいいことでも聞くトーンで俺に質問をした。
「大地ってエロい事興味あんの?」
俺の思考は一瞬何を言われているか分からなかったが、そこは思春期真っ只中の男子中学生だ。
何を言われているか分からなくても、反射的に否定はできる。
女子の前でエロにがっつくのはかっこ悪いと、すかして興味なさげにするのがカッコいいと信じて疑わない人種、それが男子だ。
「は? 興味ねーよ」
「ふーん」
梨奈は相変わらず声のトーンは変わらなかったが、質問はそれでは終わらなかった。
「してみたい?」
「誰とだよ」
心臓から嫌な音がしていた。
「……梨奈と」
「しねーよ」
「何で?」
必死で理由を考えた。
「付き合ってもない女とそんなことしねーんだよ」
頼む、ここで終わってくれと俺は願った。
しかし、同時に今の答えは失敗だったと口にしてから気が付いた。
無情にも梨奈の口は小さく開く。
「……じゃあ、付き合う?」
その言葉を聞きたくはなかった。
俺はその言葉を跳ね除けるだけの意志の強さはなく。
彼女は逃げたんだなと悟り。
俺は逃げられなかったんだと自覚した。
それは恋愛なんて呼べる綺麗なものではない。
俺は間違っていた。
彼女の友人であろうと思った。
一定の距離でつかづ離れず、そして今は離れてしまったけど、いつか彼女も人の輪の中に戻らなくてはならない。その手伝いになればと思っていた。
でも、彼女は逃げた。
心地よい今に。
時には逃げるのは悪い事ではない。
でも、彼女が逃げた先には何もないだろう。
彼女のそれは依存。
心地の良い堕落。
彼女の瞳は野良猫の気高さが抜け、飼い主無しでは生きる事すらままならない飼い猫のそれに変わっていた。
俺にその手を振りほどく力はなかった。




