第333話[演24]ごみ山の中の幸せ
セリカは僕が一緒に住みたいと言った時、初め何も言わなかった。
口を動かす電池が切れたように何も言わず、何か考えている風でもない。あの乱雑なボロアパートで二人夕食を取ってベッドとソファで別々に寝た。
次の日に朝には彼女は上機嫌になって、朝食のメニューがいつもより一品増えて、鼻歌を歌いながらバイトに行ったのだから僕を受け入れたのだろう。
その日の僕は何の予定もなく、ただ時間を潰した。
テレビを見るか、舞台の台本を眺めるか、スマホを見るか、目だけを使って生きていた。
そして、不意にセリカの部屋の汚さに改めて目が行くようになった。
キッチンだけはセリカが頻繁に使っているので片付いているが、その他は強盗が入ったと言われても納得する汚さだ。きっと安達との生活で何度も何度も暴力を浴び、その度に彼女とこの部屋の物たちは散乱したのだろう。
これからは僕の住む場所でもある。少し片付けようかと立ち上がった時には夕方になっていた。
「セリカが帰って来るまで二時間もないか」
それでもせめて足元ぐらいは片付けて足の踏み場というやつを作ろうといらないものを片っ端からゴミ箱に投げ込んでいった。
明らかな男物のゴミほど容赦なく捨てた。
その持ち主の顔が浮かぶたびに少しだけ気分が悪くなった。
いい加減慣れなくてはいけない。
外が自然の光から人工の光に変わり始めた時、玄関で鍵を開ける音がした。
「ただいまー、今そこでボスに会ったよ。何か食べる物持ってればよかったな。って、どうしたんだい? この玄関の前のゴミの塊は」
「今更ゴミの山ぐらいで驚くなよ。ここ元々ゴミ屋敷みたいなもんだったし」
セリカは「それもそっか」とブーツを脱いで部屋に帰ってきた。
「この家、ゴミ袋どこにあんの?」
「冷蔵庫の横になかったかい?」
「あー、気が付かなかった」
在り処を指摘されると、盲点が消え、ゴミ袋が浮かび上がる。
僕はゴミ袋を手にし、セリカが夕飯を作るまでの間に玄関に固めたゴミ山の掘削作業に没頭した。
一度捨てた物をもう一度目を通し、捨てていく。ダブルチェックみたいなものだろうか。どのみちこの家の物の殆どは僕のものではないので、本当の所の捨てていいのか、捨ててはいけないのかの真偽は不明だ。
それでもだ、この家の物は僕のものではないかもしれないけれど、セリカは僕の物だ。だから、何を捨てて何を残すかは僕が決める。それを自分に言い聞かせるようにもう大した精査もせずに僕はゴミ袋にゴミを突っ込んでいく。
あらかたゴミ袋に突っ込んだところで、今日はやけに夕飯が出来るのが遅いなと思い、鼻をスンッと鳴らし、空気を吸っても料理の匂いがしない。違和感を覚えてリビングの方を振り返ると、気配を消して僕の方へ視線を落とすセリカがいた。
「……なに?」
「ごめん、どれを捨てるのか気になったんだ」
「なら、声ぐらいかけろよ」
「……ごめん」
ゴミ袋へゴミを入れてる為に屈んでいた僕の背にセリカが抱きつく。全身から柑橘系の匂いと男とは根本から違う身体の柔らかさを感じた。
彼女の顔が僕の肩の上からゴミ袋を覗き込み、頬と頬が触れる。
「捨てられたくないものがあれば早く言えよ」
「うん、見てみたら全部捨ててもいいようなものに感じてきた」
「なんだよ、それ」
「全部大切なものだった気がするけど、その感覚は思い出せない。自分のいい加減さににはほとほと呆れるよ」
「駄目って言っても僕が捨てたくなったら捨てるけどな」
「なにそれ、タカト酷い。タカトの物でもないのに」
「このゴミは僕の物じゃないな」
触れている頬と頬を滑らせて互いの口と口を触れさせた。夕食前だからなのか、空腹を埋め合うように一分近く互いを貪り合った。
どこまでも止まらないような気がして僕は彼女の顎を掴み、強引にそれを中断する。
「でも、お前は僕の物だ」
キスで中断された会話を僕は引き戻す。
それに満足したようにセリカは涙を浮かべた。
「へへ、私は捨てないでね」
顎を掴んだその手をセリカの首まで落とすと、彼女はそれを愛しそうに両手で包み込むのだ。
「今日、変な男に声を掛けられたんだ」
「ナンパ?」
「違う、バイト先で変なおじさんに」
「やっぱりナンパじゃないのか?」
「かもしれない。でも、面白い人だった」
「ナンパなんかに簡単に引っかかるなよ。本当にセリカは間抜けだな」
セリカの首を掴んだ指先に少しだけ力がこもる。
それをセリカは嬉しそうに更に強く両手で包む。
「じゃあ、怒らないから話してごらん」
僕らは互いにその日の出来事を語り終えて、冷めた夕食を取った。




