第325話[演23]紙飛行機は無風にて無限に揺れる
私はその日浮かれていた。
浮足が立っていた。
つまり空も飛べるはずなんだ。
無意識に鼻歌となるのはどこかで聞いたどこでも聞いた今年のヒットソング。
地元のインディーズバンドのライブが近い内にあるみたいで、その関連ポスターを店内に張っているところだった。
「セリカちゃん、なんだか今日はご機嫌ね」
「そうですか?」
楽器店の店長のリズさんが私にそう声を掛けてきた。
恍けてみたが、周りにもバレバレなのだろうか。
「何か良い事があったの?」
「別に、これといってないですよ」
「またまたー」
リズさんは良い人なのだが、世間話が好き過ぎるのが玉に瑕だ。
私は微苦笑を店長に向ける。
「本当ですよ」
「まぁ、セリカちゃん最近暗かったし、暗いか明るいかなら明るい方が断然いいけどね。それに明るい方が男と会話してても『あれ? この子上機嫌だな。もしかして俺に気があるのかも?』って勘違いさせて貢がせることも出来るのよ。セリカちゃんも私ほどじゃないにしても美人さんだしね」
「またまた冗談ばっかり」
ナルシストという言葉は女性でも使えるのだったろうか。いや、この人の場合自信過剰と言う言葉の方が近いかもしれないけれど。
「あっ、ちょっとお花もいでくるわね」
「摘んできてください」
タカトは私がバイト先で可笑しな行動をしていないか心配しているようだけど、私以上に変な店長のお陰で気の滅入る時間があまりない。ある意味飽きのない人だ。多分、あの人がいるから私はまだ私としてお店で働けている。ある意味、タカトと同じくらい得難く貴重な人かもしれない。
彼女に自分の底を見せる気には少しなれないけどね。
「あのー、ちょっといい? ギター試奏したいんだけど」
「あっ、少々お待ちください」
なんて事を考えているうちにお客に声を掛けられた。
歳は四十前後だろうか、無精髭と真っ黒なグラサン、それだけ見ると怪しく威圧感がありそうだが、掛けてきた声が柔和な雰囲気を醸し出していた。
私は試奏出来る環境を整えてあげると、その男は「いやー、ありがとね」なんて軽い調子でお礼を言って試奏を始めた。
耳が肥えていると言う程でもないが、それなりに他の客の試奏も聴いてきた私の感想としてはそれほど上手くはないなというものだった。いくつかのフレーズを繰り返しているだけなので、全体の力量までは測れないが意外と歳を取ってから趣味で始めたのかもしれない。
「下手でしょ?」
「え? いえ、そんなことは」
「いいの、いいの、俺、プレイヤーには向かないんだよね」
「はぁ」
「その代わり人を見る目はあるから」
そう客の男は自慢気に口にすると、口角をニヤリとあげた。
「あっ、その顔信じてないな」
「いえ、そんなことは」
「なら、お姉さんのことも一つ当ててあげよう」
話聞かないな。
客の男はグラサンを額の方へ上げると、そこには細いけれど眼光鋭い二つの目がこちらを覗いていた。
「うん、多分男運ないね」
「それ、見ただけで分かります?」
「わかるよ。例えば今俺が君の目を見た時、君は少しドキッとした恋的な意味じゃなくて、恐怖的意味でね。気の強そうな見た目とのギャップ、結構臆病だ。あと、さっきから俺の言葉を結構軽く流している。接客業には必要な技術だけど、君のは素っぽいな。もしかしてそのなりで人見知り? 人見知りは自分だけの世界に籠もりがちだ。つまり自分の受け入れた物しか愛せない、認められない。持論なんだけど男運ってのはね、女運でもいい、それはね積極性、自分からくじを引きにいって初めて良いか悪いがわかる。隅っこにいる君がたまたま目に入った男に全てを預けている人にはわからないかな」
客の男は「だから男運が悪いではなく、ないと言った」とグラサンを両目に落としながら口にした。
私は少しだけ体温が高くなるのを感じた。
「随分失礼なことを言ったが、悪気はないんだ」
「……気にしてません」
私は私のままでいる為に着ていたエプロンの裾を強く握った。
「……良い眼だね。最初よりずっと良くなった。
ってか、君さ、良かったら―」
「あら、紺ちゃん、来てたんだ」
客の男が何か言いかけた時、リズさんがトイレから戻ってきた。
「……リズさん、知り合いなんですか?」
「常連さんよ、そう言えば最近来てなかったわね」
「仕事が忙しくってね。そうだ、これ買うよ。良い感じだ」
客の男は試奏していたギターをリズさんの前に差し出した。
「たまには新しい子買うばっかりじゃなくてメンテナンスも持ってきなよー。本当、すぐに新しいものに目移りするんだから」
「ごめん、ごめん、リズちゃんには敵わないな。今度持ってくるよ」
客の男はそう言って会計を済ますとギターは後日配送してくれとリズさんに頼んで店の外に煙のように消えてしまった。
「あら、セリカちゃん、あの男に何か言われた? ご機嫌斜めになってない?」
「そんなことないですよ」
「……あなた、自分が思っているより顔に出やすいタイプよ」
浮かれた気分も変な客の来襲により地面に叩きつけられてしまった。だけど、慣れている。夢は長くは続かない。永遠はない。だから、固執し依存する。それが一分一秒、コンマ一秒だっていい、みっともなく縋って続けていたい。そして、それがどんなに許されない事なのかは分かっている。
でも、会いたい。
一人は怖い。不安定になる。誰かが傍にいて答えをくれないとどれが正解なのかわかんなくなるんだ。
私を欲しがってくれよ。




