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第33話 気付けば、そこにいた

 窓辺に置かれた白いベッド。

 そこに私はいた。

 窓の外の銀杏が一枚はらりと落ちる。

 それに合わせるように陽もゆっくりと落ちかけていた。

 まるで私の心の中を一枚の絵にしたような風景だ。

「ねぇ、先生、はっきり言ってくれていいわ。私の事は私が一番分かっているから」

 私は顔を俯かせ、白衣を着た医師に声を掛ける。

 その医師は私の方へ顔を向ける。

「……そうか、ならはっきり言おう」

 医師が椅子から腰を上げ、私の隣にまで近づいてくる。

 その顔は酷く重苦しいものだった。


 そして、チョップされた。


「そろそろ帰っていいぞ、いつまでも保健室を占領するな」


 養護教諭の(くれ)()は仮にも教育者であるにもかかわらず可愛い生徒にそう冷たく言い放った。

 私は全く痛くないが一応頭をさすり、上目遣いで抗議をしてみる。

「暮井先生、いつも暇な保健室で話し相手をしてあげてる私にその扱いはあんまりなんじゃない?」

「俺を暇人扱いするの止めろ、お前がいなくたって俺は美味しいコーヒーの淹れ方を研究したり、シーツのしわを伸ばしたりと忙しいんだよ」

 確実に暇人である。

 それも上級者だ。

「……明日も通いますね」

「おい、なんだその憐れんだ眼は」

 本当に可哀想な人だ。

 私がいないと駄目だな。

 私が暮井を憐れんでいると、保健室のドアがガラガラと音を立てて開いた。

 暮井はドアの方を横目に私を冷かすような目で笑う。

「彼氏の御到着だぞ、帰った帰った」

 ドアの前にいたのは(あさひ)陽一(よういち)、私の部活(ほぼ幽霊部員)の一つ後輩にして私の彼氏だ。

 おとなしい印象を受ける子だが、しっかりと自分の意見を言えて出来た子である。

 あと、毎回保健室に迎えに来てくれる献身的なところもポイントが高い。

「つーちゃん、大丈夫だった?」

 陽一は心配そうな声音で私の方へ近づいてくる。

 私は手の平をひらひらとし、いつも通りだとアピールする。

「平気平気、いつもの貧血だよ」

「ほんと? なら良かった……って言っていいのかな? 帰れそう?」

「うん、一緒帰ろっか」

 私は立ち上がり、ベッドの横に置かれた通学鞄を手に取る。

 暮井に帰るのを告げようとすると、声を押し殺して笑っている。

「くっく……つーちゃん」

「……毎回笑ってますけど、どんだけツボにはまってるんですか」

「ププ、だって、つーちゃんなんて可愛い面じゃないだろ」

 陽一がそれを聞いて必死にフォローをしようとする。

 いけ、我が彼氏。

「暮井先生! 酷いですよ、確かにつーちゃんは視力が悪くて目つきが悪いし、病弱なのが原因なのか表情も薄いけど、性格は……あんまり頼ってくれないし可愛げがない……あれ? でっ、でもつーちゃんはつーちゃんなんです!」

「陽一、私以外なら泣いてたよ」

 フォローというか、とどめだな。

 暮井は自分で仕掛けておいて、陽一のフォローに大して興味なさげに「はいはい」と適当な相槌を打つ。

「なんでもいいから、さっさと帰れ、つーちゃん」

「つーちゃん言うなし」

 私は陽一の腕を掴んで、力いっぱいドアを閉め、保健室を後にした。




 初めてつーちゃんと呼ばれた時は、物凄い違和感と気恥ずかしさから何度も別の呼び方を提案したが、陽一が譲らなかったのを覚えている。

 最初は他の友達も真似してからかわれたが、鳥肌が立つので全力で拒否した。

 まぁ、だから私をつーちゃんと呼べるのはこの世で陽一だけと言うわけだ。


「今日は暮井先生と何話してたの?」

 陽一はクスクスと笑いながら私におなじみの質問をしてくる。

「大したこと話してないよ。可哀想だから話し相手をしてあげてるだけ」

「また、そんなこと言って」

 陽一はクスッと笑った。


 彼と二人並んで歩く下校時間は私の数少ない学校に行く楽しみだ。

 私は生まれつき病弱だった。

 今日みたいに貧血になるのもしょっちゅうだし、季節の移り変わりには弱いし、熱を出したり風邪を引くのは年中行事みたいなものだ。

 勿論、体育も見学三昧だ。

 見学を羨む者もいるが、意外と一時間何もしないと言うのは暇なものだよ。


 高校に上がって、これでもマシになった方なのだ。

 陽一の存在も大きいかもしれない。

 それでも今日みたいに時々保健室のお世話になる。

 本当は暮井が偉そうなのであまりお世話になりたくないが、あいつも一人で寂しそうだし止むを得ずだ。

「はぁ、学校退屈だなぁ」

 私は何の気なしにそう口にした。

 陽一はそれを聞いて少し眉尻を下げる。

「そんなこと言わないでよ、僕はつーちゃんが学校に来てくれないと会いにくくなって寂しいよ」

 こいつは意外とさらりとそういうことを言う。

「まぁ、私もそうだけどさぁ。いっそ、私の家で一緒にゴロゴロして過ごせればなぁ」

「成績の良いつーちゃんはそれでもいいかもだけど、僕がそれやったら確実に卒業できないよ」

「成程、盲点だった」

「結構大きな点だったと思うんだけどなぁ」

 陽一と出会う前の私はやることなんて勉強位のものだったので、勉強だけは出来るのだ。

 この大雑把な性格に頭脳明晰キャラと病弱キャラ持ちなのだから、神様のミスチョイスを疑ってしまう。


「そう言えば、もうすぐ体育祭だね」

 陽一からすれば話題転換の為の「そう言えば」なのだろうけど、私からすれば本当にそう言えばだ。

 私にとって少し保健室暮らしの時間が長くなるだけで、体育祭が迫っているという感覚がない。

 窓の外を見ては秋の顔を見せる木々たちとは対照的に、夏真っ盛りみたいに額に汗する生徒たちをどこか他人事で眺めているだけなのだ。

「ごめんね、私も参加出来れば二人のいい思い出になったのにね」

 私に気を使わせてしまったと感じたのか陽一は首を振る。

「こっちこそごめんね。そんなつもりじゃなかったんだ。当日は救護テント?」

「まぁね、それぐらいしか貢献出来ないし」

「そっか、また暮井先生と一緒だね」

「ちょっとー、勘弁してよ。それ考えないようにしてたのに」

「ふふっ、二人でコンビみたいだよ」

「あっ、陽一それ酷い」

 私でも傷付くことはあるのに。

 私は傷付いたので、陽一のぷにぷにのほっぺをつつく。

 陽一は勘弁してくれと、顔を背けながら謝罪する。

「ごめん、ごめん、言い過ぎたよ」

 

 私達はそれから他愛のない話をしながら帰路に就いた。




 外からは子供たちの無邪気な笑い声が響いてる。

 太陽は今日も休むことなく皆に平等に照らしている。

 しかし、私の心の中まで照らすことは無理だったようだ。

 身体は刻一刻と蝕まれている。

「ねぇ、先生、私は後何度あの子供たちの笑い声を聞き、あの太陽を拝めるのかしらね」

「知らんけど、あと七十年ぐらいは大丈夫だろ。あと、同じ高校の生徒を子供たちと呼ぶな」

 暮井は私の辞世の句を一蹴した。

「……ノリが悪いですよ」

「体育祭のせいでここんとこお前につき合わされる頻度が高くなったから、うんざりしてるんだよ」

「……本当は現役女子高生と話せて嬉しいくせに」

「ふざけろ、わざわざお前と話さんでも現役女子高生ならこの部屋を出たらそこら中にいるわ」

「……話せて嬉しいのは否定しないんですね。今のたまたま録音しておいたので校長先生に持っていきますね」

 録音なんてしてないけどね。

「……いやー、毎日つーちゃんと話せて俺は幸せ者だなぁ」

「でしょー、暮井先生ったら正直者なんだからー、あとつーちゃん言うな」

 彼はひねくれているが、根は素直で大変よろしいと思う。

「もう、いよいよ今週末なんですね、体育祭」

「あぁ、まぁ流石にいつもよりは少しだけ忙しいだろうな」

「脱・給料泥棒ですね」

「日頃から給料分は働いとるわ、別に生徒の治療だけが仕事じゃないんだぞ」

 とは言うものの、私は彼が忙しそうにしているところを見たことがないので、いまいち信じられない。

「……まぁ、体育祭でお手並み拝見ですね」

「本当に可愛くない奴だな」




 体育祭、当日。

 幸か不幸か陽の光が突き刺さりそうな晴天。

 私は暮井と救護テントでげっそりとしていた。

「暑い、帰りたい」

「お前、目の前で額に汗してる奴等がいるのによく言えるな」

「他所は他所、うちはうちです」

 暮井はクーラーボックスから冷えたアクエリアスを取り出し、一人で飲み始めた。

「あっ、ずるい。私も下さい」

「お前、水筒あるじゃん」

「いや、これお茶なんで私はアクエリが飲みたいんです」

「まぁ、いいけど、ほれ」

 仕方なくと言った様子で暮井は飲みかけのアクエリアスを私に手渡す。

「…………」

 まぁ、いいか。

 私はアクエリアスをグイッとあおる。

 ゴキュ、ゴキュ

「っぷはー!」

「あっ! 全部飲みやがったな」

 私は空のペットボトルを暮井に差し出す。

「それだけ、私の体内の水分が枯渇していたということですね。やりましたね、一人生徒を救いましたよ」

「口だけは達者な奴だ」

 それからちらほらと膝を擦りむいたり、熱中症になる生徒が運び込まれて救護テントはそれなりに繁盛した。

 私も色々と手伝うつもりだったが、実際に生徒が運び込まれると自分の出来ることの少なさと迅速な対応を求められテンパったことに自分を少し嫌いなりそうだ。

 いや、きっと生徒の治療をする暮井の真剣な横顔に、私は物珍しさから少し見惚れていたせいだ。

 そう思うことにした。

 



 体育祭はつつがなく終わりを迎えた。

 私と暮井は保健室に今日使った備品を戻しに来ていた。

「あっという間でしたね」

「あぁ、お前の彼氏張り切ってたな」

「あぁ、でしたね。そんなタイプに見えなかったけど、意外に熱いとこ合ったんだなぁ」

「お前に良いところ見せたかったんだろ」

「えぇ、そんな馬鹿な」

「男は馬鹿なんだよ」

「暮井先生も?」

 私は隣の戸棚を整理していた暮井にからかう様な視線を向けた。

「……まぁな」

 暮井はこちらを向かない。

 その横顔は今日の体育祭で見せたあの顔だった。

 私はジッとその顔を見つめた。


 何故だろう?


 理由は見つからない。


 どんなに言葉を尽くしても、それは汚れ、劣化し、腐敗し、朽ちていく。


 私は間違えたのだろう。

 でも、この時素直な感情だった。

 人生に常に正解のマスを踏み続ける義務はない。


「ねぇ、暮井、下の名前なんて言うの?」


 そう言えば、こいつに呼ばれる「つーちゃん」はあまり不快じゃなかったな。





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