第3話 [陸3]春は来ない
目が合わせられないんだ。
俺には、怖い先輩がいる。
同時に可愛い先輩もいる。
同一人物だ。
これは、そんな先輩に恋した俺のお話。
なんとなく入った部活だった。
ただ、中学の時に陸上部だったから、なんとなく入ったんだ。
中学の時、短距離だったけど、高校では短距離は人が多く、サボりずらいし、レギュラーになりにくいからという向上心の低すぎる理由で短距離はやめた。
そして、人が少ない中距離を選んだ。
失敗したと思った。
三年生の足立先輩は優しかったが、二年の三島先輩が恐ろしく怖かった。
結局、一年は俺と、もう一人相良という馬鹿真面目な奴二人しか中距離を選ばず、必然的に三島先輩の熱烈指導は俺へと集中した。
「……太田、ペース落ちてない? もしかして抜いてる?」
「……太田、部活出てくるの遅くない?」
「……太田、まだ余裕ありそうだね、もう一セット追加しとこうか」
こんな具合だ。
無表情で、口数も少ない三島先輩は、可愛らしい容姿をしているが、鋭い眼光と謎の迫力で、俺はいつも弱腰になり、目を逸らしてしまう。
文句の一つも言いたいが、三島先輩は俺以上に自分に厳しくて、口が裂けても言えやしない。
ある日、同じ部活で三島先輩の親友でもある、沢田先輩に弱音を吐いたことがある。
「沢田せんぱーい、先輩から、三島先輩厳しすぎますよ、ちょっと優しくするように言って下さいよー」
そんな情けない愚痴を聞いて、いつもは歯に衣着せぬ沢田先輩が、バツが悪そうに頬を掻く。
「あぁ、まぁ、なんだ、早紀はそういうの苦手だから、ちょっと空回ってんだよ。少し付き合ってやってくれ」
どうも、話を聞くと、三島先輩は一年の頃は、もっと周りを寄せ付けないタイプの人だったらしい。
それが、足立先輩に親切丁寧に面倒見てもらって、それを自分も後輩にと思い、少し気合が入っているようだ。
何というありがた迷惑な先輩だと、苦笑してしまう。
沢田先輩は、手のかかる妹の面倒を頼むように、両手を合わせて俺にお願いをした。
「早紀なりに、お前に期待もしているみたいだし、もうちょい我慢してやって」
それを聞くと、今までのお小言が何だか微笑ましくなって、次の日からあんまり怖いと感じなくなった俺は単純なんだろう。
そんな話をした直ぐ後だった。
俺は高熱を出した。
ここの所、気になっていたゲームが出て、寝不足気味だったのが原因だろう。
原因が酷過ぎて、自己嫌悪してしまう。
タイミングの悪いことに、明日が大会だったが、この調子では間に合わないだろう。
治って、学校に行ったら、三島先輩に大目玉確実だろう。
俺は二重の意味で寒気を覚え、震えながら、布団に潜った。
しばらく、うたた寝をしていると玄関の方から、インターホンの音がした。
母が出たようで、何やら話し込んでるようだ。
しばらくすると、俺の部屋がある二階へ足音が近づいてきた。
母だろうか? とも思ったが、何だか聞きなれない足音だ。
俺の部屋の前で、その足音が止まり、ノックをする。
――コンコン
「……太田、私、三島。入ってもいい?」
俺は、その言葉を理解するのにゆっくり五秒はかかったと思う。
「……太田?」
何をしに来たんだ? 明日大会だぞ? まさか、直々に雷を落としに来たのか?
「っち、っ、ちょっと、ちょーっとお待ち下さい」
俺は混乱しながら、まずは部屋を片付けなければと、慌てて、如何わしいものや、如何わしくないものを判別してる余裕もなく、全てベットの下に詰め込む。
「もう、大丈夫ですよ、入ってきてください」
俺は正座で三島先輩を待ち構える。
部屋に入ってきた三島先輩は俺を見るなり、訝しむような視線を向ける。
俺は、その視線に耐え切れず、目線を下げる。
「……なに正座してるの? 寝てないと駄目じゃない」
「いやいや、三島先輩を寝たまま応対するなんてありえないですから」
「……いいから寝て」
背中からゴゴゴゴゴとでも、効果音が出てそうな雰囲気に、俺はすごすごとベットへ戻る。
俺はベットの中で、恐る恐る何故ここに来たのかを尋ねる。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」
それを聞くと、珍しく三島先輩の方が目を逸らす。
「……いや、熱が出たって聞いたから、お見舞い。最近私も張り切り過ぎて、太田に厳しすぎたかなって反省してる」
その言葉を聞いて、俺は反射的にベットから起き上がる。
「そんなことありません‼」
俺の自己管理の甘さで、三島先輩に罪悪感を感じさせていたなんて、もう合わせる顔がなさ過ぎる。
「……そう? 取り敢えず布団に入ったら?」
俺は、またすごすごと布団に入る。
三島先輩は、いまいち納得してないような顔をしている。
「……ならいいけど」
素直に、ゲームのやり過ぎでしたと言わなきゃいけないのに、自分の姑息な部分が出てきて、その言葉が喉から出てこない。
言ったら、嫌われるよなぁ、三島先輩に嫌われたくないなぁ。
でも、こんな理由で、正直に言えない自分がどんどん嫌いになる。
そんなことを考えていると、三島先輩が決心したように小さく「よしっ」と呟いた。
「……太田はそう言ってくれるけど、私にも原因はあるから、太田の願いを一つ聞いてあげよう」
この人は、こういう人だった。
自分が納得しなければ、終われないのだ。
完璧主義に近いかもしれない。
三島先輩は、ハッとなって俺を一睨みする。
「……言っとくけど、エッチなのはなしだよ」
えぇ、しませんとも、しませんとも。
ただですら、罪悪感でいっぱいなのに、そこまで落ちたら、俺は一生お天道様の下を歩けないよ。
でも、三島先輩に納得してもらうためには、何か言わなきゃいけない。
三島先輩の負担にならない願いを考えなくてはと、高熱の頭をひねらす。
そこに、一つの天啓がひらめく。
「そうだ、じゃあ、三島先輩、明日の大会一位とってくださいよ」
三島先輩は、頭に疑問符を浮かべる。
「……それで、いいの?」
いまいち、納得させられなかったか?
俺は願いの補足をする。
「いや、三島先輩には、大会に出られなかった俺の分まで頑張って欲しいなぁなんて」
それで、ようやく納得してくれたのか、三島先輩は両手の拳を胸の前でグッと握る。
「……わかった、任せといて」
そう約束して、三島先輩はお見舞いの品を置いてから部屋から出ていった。
大会当日、熱の下がりがいまいち悪く、今日も家で寝ていたが、同じ部活の狭山に大会の経過をちょくちょくメールしてもらっていた。
三島先輩は、県内ならちょっと有名な選手なので、優勝することはなくはない話だが、一年もいいのがいるみたいだし、三年生も残り少ない大会で気合が入っている。
よくて、二割ぐらいだろう。
俺は、一日そわそわしながら過ごした。
時刻は四時過ぎ、昼頃から、狭山のメールが来ない。
俺から、三島先輩はどうだったか聞いてみるが、返信はない。
中距離どころか、そろそろ大会自体終わっていても不思議ではないんだが、まさか結構ひどい負け方をしたのか?
こんなことなら、無理をしてでも、応援に行くべきだったと後悔しつつ、携帯を胸に抱える。
――ブルルル
胸の中で、携帯が震える。
慌てて確認するが狭山からではない。
そこには、こう書かれていた。
『窓の外を見ろ』
俺は慌てて、窓の外を見る。
そこには、Vサインをした笑顔の三島先輩がいた。
その笑顔は世界中の何よりも美しく、尊いんじゃないかと本気で思い、釘付けになった。
あぁ、俺はこの人が好きなんだ。
そう、素直に思った。
部屋に上がって来た、先輩は珍しく興奮気味に大会の武勇伝を聞かせてくれた。
どうやら、直接伝える為に、狭山にメールを止めるよう言っていたらしい。
でも、俺は何より態々(わざわざ)直接伝えに来てくれたことが嬉しくって、色々耳から零れ落ちていたかもしれない。
もしかしたら、先輩にとっても俺は特別なんじゃないかと浮かれていたからだ。
俺は、この日から、大好きな先輩から目を逸らすのをやめた。
目を逸らすのをやめると、色々わかってくることがある。
意外にも、三島先輩はよく笑う。
ちょっとよく見ればわかることだった。
その笑顔が向く方向も。
足立先輩は本当にいい先輩だ。
卑怯で、姑息な俺が敵う人ではない。
でも、見たところ二人はカップルではないみたいだ。
三島先輩は照れ屋なので、自分から告白したりは出来ないようだ。
卑怯で姑息な俺はこう考える。
このまま、足立先輩が卒業すれば、その恋心も自然に薄れてはくれないかと。
冬になり、三年生は部活に出てこなくなる。
あぁ、早く年が明けて、春が来ないかな。
そんなことを考え、少し自分を嫌いになりながら、俺は春を待つ。