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第265話 同じ傷が見たくて

 やっと一人に慣れ始めた頃、犬のような子を拾った。

 友人の紹介で顔を合わせ、話をすれば、もう卒業してしまったけれど同じ大学の後輩だった。恐ろしく気が利いて、恐ろしく優しい子だった。

 その癖、私の鉄壁の内側に入り込んでくる狡さも持ち合わせていた。


 大学三年生の忙しい時期だろうに、何かと理由を付けて私に会いたがった。


「暇なの? 大学に恋人や友達はいないの?」

「友達はいます。恋人はいません」


 他の人の前ではどうか知らないけれど、彼は私の前では正直者だった。絶対にしないけれど、聞けば初体験話だってしてくれそうだ。


「私は暇じゃないの。これ飲んだら帰るからね」

「……明日も仕事ですか?」

「明日も明後日もよ」

「……仕事少し減らしたらどうです?」

「嫌よ、生き甲斐だもの」


 もしくは残った唯一の生きている理由。死なない為の口実。


「俺がこうやって誘うの迷惑ですか?」

「別に構わないわ。食事のついでだもの」


 私達はいつも決まった居酒屋で二人で食事をする。

 その居酒屋の目の前が私のアパートだからだ。ここなら少々酔っても一人で帰ることが出来る。


 だから、彼に会うのは本当についでなのだ。

 こうでもしないと私は食事をすることすら忘れてしまいそうになる。


 彼の視線が私の身体に泳いだのを私は見逃さなかった。

 そして、その視線の色が温かなものだとも知っていた。


「……ちゃんと食べてます?」

「食べてるじゃない、現にいまここで」

「グラスだけ空になって、皿は綺麗なままなんですけど」

「君が食べなさい。育ち盛りでしょ」

「もう成人してます」


 そうか、こんなに頼りなく見えても、子供っぽくても目の前にいる男は成人しているのか。

 少し不思議で私は表情が緩んだ。


 

 お会計を済ませ、店を出て少し頭を上げる。

 目の前のアパートの十二階。私の部屋が見えて、その部屋の中は死んだように暗かった。


「あの、いつも言ってるんですけどせめて半分は出させてくださいよ」

「やめてよ。学生からお金を取るほど貧乏はしていないつもりよ」

「いや、それでも俺、男なんで」


 その言葉を発した彼をからかう様な表情を作って私は見つめる。


「そう、また今度ね」


 私は揺れる自分の足で自分の巣へと帰っていく。いや、巣なんて立派なものではないかもしれない。ほんの少しだけ羽を休める止まり木。そこに留まる時間は短く、代用が効く。


 彼もまた止まり木なんだろうか。


 背中が温かかった。


「……狡いんじゃないの?」

「俺、男ですよ」


 路上の人通りは少ない。

 それでも背中から抱きしめられる私と抱きしめる彼は人目に付いた。


「明日も仕事なの」

「壊れてしまいますよ。少しは休んでください」

「……私が……」


 あなたの方を向くことはない。

 そこまでの言葉を発する勇気が私にはなかった。

 だからといって、壊れてしまいたいのと言えるほど自分に酔ってもいなかった。


「……もう二年、まだ二年、あの人は帰ってこない。会うことが出来るとしたら、私が足を運ぶしかないのよね」

「いかせませんよ」


 一日だって忘れたことがない。

 そんな言葉は大袈裟だと思っていた。

 最愛の恋人を事故で亡くすまでは。


 私は彼の手を振りほどいた。

 雪のようにそれは簡単に手の中から(ほど)けた。


「罰として一ヶ月は連絡してこないでね」


 私は彼の額をつんと指で突いた。

 彼の返事はない。なんて素直な子だ。


 私はアパートのエレベーターで自省する。

 分かっている。

 狡いのは私だ。

 自分の傷を忘れる為だけに、彼の傷付く姿を見ている。

 

 自分の望みは届かないところにあるから、彼にも決して届かないところに私を置いて、時々思わせぶりな仕草を取る。


 なんて趣味の悪い女なのだろう。


 エレベーターの姿見に移る私は、恋人を失う前の私と同じ女には見えなかった。



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