第259話 [演19]重くて軽い
演目は『溶け、多色』
これが僕らの劇団の次に公演する予定のタイトルだ。
主人公の男の一生を二十代を中心として淡々と演じていく。派手さはなく、玄人好みなのは劇団員のみんなも認めているところだ。
しかし、それでも脚本を副団長が持ってきてそれぞれが内容に目を通した時には、反論の声は上がらず、スムーズに企画が動き出した。
なんでも、副団長の知り合いの作家が手遊びがてらに書いたものらしい。一応、プロの小説家なのだが、つい先日一冊目の作品が出版されたばかりの駆け出しも駆け出しで、この脚本にしても無報酬でくれたものだと言う。
最初は母に、
母が病死し、次に飼い犬のキナコに、
キナコが老衰すると、大学の友人の清武青年に、
清武青年と喧嘩別れをし、共通科目として受けていた西洋芸術の教授坂本女史に、
大学卒業とともに物理的距離から坂本女史と疎遠になり、会社の先輩である橋本に、
橋本に第一子が生まれるとともに関係性が悪化し、恋人の長本に、
長本と結婚離婚をし、最後は娘の雛華。
まるでリレーだ。
演目『溶け、多色』の主人公 阿部山 タケルの人生はリレーのように誰かに依存し続け、そして最後には手の中に何も残らず死んでいく。
そんな物語。
人が嫌いなわけじゃない。
コミュニケーションが苦手と言うわけでもない。
特別馬鹿でも不細工でもない。
愛を知らないなんて陳腐な感情も持ち合わせてはいなかった。
でも、最後は一人で死んだ。
誰かに縋り、自分を捧げた男の一生だ。
それは見る人によって惨めにも幸福にも映る不思議なお話。
安達はこの主演阿部山を演じる予定だった。
阿部山は友人や恩師、恋人とよく反目するシーンがあった。大抵、それは相手が阿部山の依存に耐え切れなくなり、終わりの合図のようなものを意味していた。
見せ場と言えなくもない。
この部分が安達は上手く評価され、主演を勝ち取った。僕個人の意見を言わせてもらえば、あれは上手いと言うより素の部分に近いのではないかとも思っているが、決まったものは仕方なかったし、それすらも終わったことだ。
あいつの死んだ今次の主演が必要である。
暗い客席と明るい舞台。
そして、どちらでもない暗いだけの舞台袖。
僕はそこにいる時間が多い。
才能がないのに、明るい場所に憧れたからだ。
団長の園田と副団長の江藤が演出班たちと客席で短い打ち合わせを終えると、また舞台の方へ目を向ける。
「よし! ここ借りれる時間もあと少しだし、再開するぞ!」
団長の声は相変わらずよく通り、全員の意識を否応なしに自分に向けさせる。自身も作中で大学時代の阿部山の友人清武を演じているのに、裏方の仕事や統率、時間スケジュールの管理などを副団長と共にこなし、本当に熱意のある人間だ。純粋な関心を覚える。
「阿部山の娘である雛華との別れのシーンからいくぞ」
団長がシーンを指定すると、僕の隣にいた友人の鹿島が僕に小声で声を掛けてくる。
「なんとか再スタートだね」
「ぎりぎり形になったばかりって感じだな」
「そうだね、ここからが大変だ」
鹿島はコロコロとした瞳を僕のドロドロとした瞳と重ねた。
「何か変わった?」
「何も」
「私の予言当たったでしょ?」
「予言? 何の話だっけ?」
そこまで話すと舞台の準備が出来上がり、僕たちは中腰の姿勢から立ち上がった。
「言ったじゃん。杉山、案外お前がこの劇の主演になったりしてねってさ」
二人は向かい合い、セリフを読み上げ、演じていく。
鹿島は阿部山の娘、雛華。
そして、僕は阿部山タケル。
鹿島の顔が雛華のものへと変貌していき、セリフが空気の中に滲んでいく。
『お父さん、なんでお父さんが私に雛華って名前を付けたか当ててあげようか?』
僕は阿部山タケルとしての顔を作り、演じていく。
難しい役どころだ。平凡の中に異常を内包した主人公。
でも、セリカの前で演じている僕を思えばどんな役でも大差なく緊張感は薄まっていく。
『お父さんは私をずっと巣立たせるつもりなんてなかったんだ。だから、ヒナカ。ヒナなんて名前を入れたんでしょ?』
娘のヒナカの就職が決まり、阿部山が捨てられるシーンだった。
ここでの阿部山にはセリフがない。
過呼吸でも起こしたように息が荒くなり、膝から倒れていく。
求めていたものがそこにあったんだと、娘のヒナカこそ自分が求めていた正解なんだと確信を覚えた矢先の出来事。結局それは確信ではなく、手放す瞬間を、手からヒナが巣立つ瞬間を本能的に察知し、自己を紛らわせる防衛でしかなかったことを知らしめられる。
ヒナカが舞台からフェードアウトしてから主人公の独白が始まる。
『俺の足はどこだ? 俺の手はどこだ? 目は? 口は? 鼻や耳はどこに行った?』
広い舞台で僕は芋虫のように小さくなり、もがき苦しみ始める。
『……俺の涙はどこに行った?』
誰もその答えは教えてくれない。




