勘違いを有効利用ってのは、案外難しいかもしれねぇ。
馬鹿面をさらして見せりゃ、ノーゼンクレス公は俺に、それらの何かしらが分からないと思ったらしい。
おいおい、他人の表情筋だけで、人の腹の中身を思うのは間違いだろう。
それともなんだ、そんなにバスチアの人間は腹の中身が表に出るのかい。
そいつぁいい事を知ったぜ。
だがそれが事実だと、俺はまったく思わない。
多分こいつらに共通してんのが、俺を野蛮だと思う感覚なんだろうな。
野蛮に見える奴の頭が、本当に野蛮かどうかってのは、接してみなきゃわからねぇんだが。
「運命でしょう? ファーストダンスの相手は、生涯に渡って重要視されますから」
笑うノーゼンクレス公。だからなんだ。
重要視されて、なんになる?
悪いが俺ぁそういう運命論が嫌いで仕方ねえ。
運命程度で、俺の地獄の底のような生活を、決まっていたものだと言われるのは業腹だからな。
ちらりと思い出す過去の中に、食べる物にも事欠いて、獣の糞だのすら口にした遠い過去がある。
ちなみに俺の腹は頑丈で、死ななかったが、仲間や身内の中には、死んだ奴もいた。
そりゃそうだ、と思わないでもないが。
そこまで死にそうになりながら、それでも生に執着して足掻いて、でもあの村の生存者は二人か三人しかいなかった。
沙漠の、砂と砂と砂ばかりの、そんな村。荒野の中の貧しい村。
結局生き残った俺とあいつらは、その死の蔓延した場所を離れた。
でもその後、あいつらは飢えた獣に襲われて死んだ。
あの数年は、獣にとっても飢餓の続く年だったと、後後聞かされた。
俺が生き遺ったのはおそらく、俺自身が獣の同列に見えたからだろう。
俺は数年程、獣の理性で生きていた時代もある。
二年か三年か? それ位、沙漠と荒野で、獣として生きていた俺が、人の言葉を思い出したのは、墓荒らしの面々が俺を見つけたからだ。
その秘墓とやらを開くには、人がたの獣の血をささげなければならなかったから。
あいつらは、俺を見てそうだと思い、俺を手懐けてその墓を開いた。
俺もそいつらと一緒にいて、まあ、墓の中で相方になる剣を見つけたわけだが。
その剣は普段は、見えない場所にしまってある。
どうもあいつは墓の中にいたせいか、俺の背中だの腰だのに縛られているのが嫌いらしい。
でも、血を舐めるのが大好きときた。
そういうのが分かったあたりで、俺は使う時だけ、あいつを喚ぶ事にしている。
喚びゃあすぐさま現れてくれんだ。
おまけに、血にまみれても切れ味は落ちるどころか増していき、百人も切れば竜の鱗すら柔らかな何かのように切り裂ける。
とある戦場に首を突っ込んでいた時に、実際に俺はそれをやっちまった。
その時俺は顔中に紅や藍を塗りたくっていて、髪も切るのが面倒で伸ばしていた。
だから俺だと、特定はできなかったはずだ。
特定されちまったら俺は、こうしてあの方のために、動いている事も出来なかっただろう。
それくらいはわかるんだ。
「運命ですかねえ……帝国では、最初のダンスは踏み台、というのが通説なんですよ」
「踏み台?」
怪訝そうな公に、俺は仲間内が喋っていた事を思い出しつつ披露する。
「ええ。どんなに醜い男と踊っていても、踊りの腕前だけは裏切らない。その踊りの才覚を見せつけるためにも、最初の男は醜男の方がいい。美しい男と踊れば、女の才覚が強まらないと」
「何が言いたいのやら」
「簡単に言ってしまえばですね、女は最初の男を踏み台に、もっといい男をダンスで捕まえるのが、帝国の常識だと」
だからあんたらの運命論は帝国では、どこの夢見る弱々しい人間だ、と嘲弄されかねない、と言外に匂わせてみた。
これ位気付けよ。
内心で思っていりゃあ、ノーゼンクレス公は不敵に笑う。
「まあ、遊学していた時は知りませんでしたよ。道理でご令嬢たちが、私との踊りを最初にしたがらなかったわけだ」
そこしか見えてないのかい。
いいや、この面は俺の裏側の言いたい事も、分かってるな。
頭はいいらしい。
面は甘ったるい女顔だが、腹の中はどぶいろなのかね。
まあそんなのはどうでもいい、俺が注意事項として覚えていりゃあ。
「ノーゼンクレス公は、それは美しい見た目をしていますからね、ご令嬢たちが最初の相手としては、嫌がるのも道理かと。そのかわりに、二度目三度目の誘いはひっきりなしでしたでしょう?」
「ええ」
俺が軽く、自尊心を撫でてみれば、ノーゼンクレス公は甘い顔の中に、自慢を浮かべた。
「イリアス様」
その時、無視されているのがじれったくなったのか、それとも暇に飽きたのか、アリアノーラが声をかけてくる。
「どうしましたか? アリアノーラ姫」
「二人とも、大広間に戻った方がよろしくてよ、そろそろ最終の曲が流れだすわ」
「! そうでしたね、では戻らせていただきます」
ノーゼンクレス公が、仰々しくしかし、王族に対する敬意ってもんが欠片もない仕草で一礼をする。
そして外野を引き連れて去って行く。
それを見ながら、俺はアリアノーラに問いかけた。
「あなたも戻りますか?」
「ええ。一応、主役は双子という事だから。主役がいないと場を締められないわ」
自虐の混じる声でアリアノーラが言う。
「皆、お姉様ばっかり。本当に腹が立つわ」
歩き出した俺の耳に、アリアノーラの、ぶくぶくと粟立ちそうな、負の感情の漂う声が聞こえていた。
アリアノーラの考え方はもっともだと、俺なんかは思うんだがな。
大広間に戻れば、クリスティアーナ姫がシュヴァンシュタイン侯爵と、ラストダンスを踊っていた。
何人か相手を代えて踊っていたらしい。
口々に聞こえてくる、美麗字句に感嘆の声。
この一日だけで俺は聞き飽きたってのに、貴族は飽きねぇのか。
俺も訓練が足りないな。
そう思って人ごみの中にいれば、アリアノーラがゆったりと車椅子を動かして戻ってくる。
そして、指定なのだろう、位置に着いた。
一の姫とやらと、美貌の侯爵の踊りが終われば、喝采に包まれる。
国王が閉幕を告げ、その宴は終わった。
……アリアノーラに、誕生日だと祝う人間を、俺は一人も確認できなかった。
クリスティアーナ姫は、数多の人間から、それはもう祝われていたってのにな。
この国の事情ってものを、もうちいっと、深く探ってみるしかないな。
あの方もそれを望むだろう。