幸せの形
「何泣かせているんですか、この人は気が強いのに」
「おや……おまえまた、肉体の頑丈さに拍車がかかったようだのう、そのうち不死身にでもなってしまうのではないかのう?」
女帝陛下の笑う声に、返すのは親し気な笑い声。
そこにはわたくしの入り込む、余地なんてない……と感じるのに。
伸ばされた腕が、わたくしをかばうように抱え込み、椅子の背中から笑う腹腔の音を感じている。
「ああ、半分は不死身でしょうねえ、マダラが今だ発動出来れば……そしてそれの可能性は八割以上とも言えますから」
「八割とは意外と高いのう」
「そらあ、そうでしょう。あなた様をかばったあの時よりも、俺は遥かにまっとうな人間の思考回路してますからねぇ」
背後の笑い声はからからとしていて、それでいてとても安心してしまう。
この人がいれば大丈夫、だなんて。
そんな信頼をしていいわけがないのに。
……わたくしは、希望を持ちすぎてはいけない。
いつかやってくる終わりの足音と、終わりの死神が鎌を砥ぐ音が聞こえてくる気がした。
「俺の女帝陛下、なんなら見ますか? マダラの上書きされた紋様を」
「見せろ見せろと催促しても、見せなかった強情っぱりが今はどういう風の吹き回しじゃ?」
「どうせ節目ですからねえ。ここには秘密にしない方がいい奴しかいない」
言いながら、わたくしの前にある腕が、おおわれた包帯を外していく。
そこに浮かぶ……入れ墨。
月と星、それから視線を上に持ち上げていくと現れる太陽。
そしてそれらを上書きするように、上から刻み込まれている……何かの獣の紋様。
「マダラの天と地の紋様の上から、屍あさりの獣の紋様……因果な物持ってんだねえ、イリアス」
「魔女、解説を頼もうかのう?」
「マダラの天と地の紋様は、天と地ある所に我はある、という彼らの当たり前の祈り文句なんだよ。体のどこかが天と地に触れていれば、尋常じゃない戦闘能力を発動させる事ができるのさ。
そして、屍あさりの獣の紋様、これはもっと凄惨な物さ。邪悪とも呼ばれているものでね。……まあ簡単に言えば、死体がある所ならどこだって、死体から発する死気を吸い込んで戦う事ができるっていう、これまたマダラの紋様さ。どっちも、故郷が貧しいから戦いに出るしかない、マダラにしか伝わらない物でね。一定の手順で同じものを彫ったとしても、その効果が発動するなんて言う簡単な物じゃないのさ」
「同じ模様でも、なのですか……」
わたくしは目の前の模様に、ふっと触れてみた。わたくしには、呪術的な物は何もわからないのだけれど、入れ墨はとても美しい物の様で、神聖な物の様に思えた。
「そう。マダラが“覚悟を持って”宿さないと意味がないっていうブツさ」
肩をすくめたキンウ様に、イリアス様が笑った。
「宵闇の魔女殿は、えらい詳しすぎるな……俺が説明する隙もありゃしない」
「何年年上だと思っているんだい、この餓鬼」
「百年」
「甘いね、五百年」
そんなやり取りの後、イリアス様がわたくしに向かって笑いかけてきた。
「秘密ですよ、お姫様」
「……秘密ならどうして、わたくしにも見せたというのですか」
この問いかけに、イリアス様が照れくさそうに笑って、鼻の頭をかきながらこう言った。
「嫁さんに、秘密もってたら、夫婦円満なんてやってらんねえだろうが」
それを聞いたわたくしは唐突に、わたくしをこの人は幸せにしたいのだと気付かされた。
「多大なるのろけだのう」
「あてられちゃって言葉が思いつかないよ、遅咲きの初恋なんて見てらんない」
「あんたらなあ! 言うに事欠いてそれかよ!」
お二方の言葉に文句を言うイリアス様、でも。
わたくしを放置して、二人に近付かないから、わたくしは。
「死んでもいいわ」
と呟いた。
「そうだなあ、真昼の綺羅星がきれいだから」
イリアス様があっけらかんと答えた中身に、また泣き出したくなってしまって、我儘を言う事にしてしまった。
「結婚式なんてなくていい……っ」
「おいおい?! 待てよ、ちょっと待て、普通女の子は結婚式欲しがるんじゃねえのか、え?」
イリアス様が、丁寧な騎士としての言葉を捨てて慌てている。
わたくしは顔に手を当てて、言う。
「今がとても幸せだから」
結婚式は、基本的に人生最高の幸せ、という見方がとても強いのが女性への教育だけれど。
今が人生で一番幸せだから、わたくしは、そんなものなくったって善かった。
「死んでもいいわ」
また呟いたとたんに、ひょいと体を持ち上げられてしまって。
「おや」
「まあ」
イリアス様の腕の上に、乗せられてしまった。
「そーいう、発言やめろ、な?」
イリアス様の真っ黒な瞳が、わたくしをたしなめるように見つめて言葉を紡ぐ。
それを見て、女帝陛下とキンウ様が言い出す。
「……イル・ウルス。おぬし学がない学がないと思っておったんだがのう……ここまでか」
「言っちゃいけないよ、女帝さま。あんたが与えた本の山、真面目に読んでもこれだからね」
「何じゃ、読んではいるのか」
「呼んでも理解できないおつむりってのはあるんだよ」
「イル・ウルスは人生の九割が教育とは無縁じゃったからのう……そのせいか」
「陛下、魔女、何が言いたいんですかねぇ」
「情緒の問題でのう、愛している、やあなたが好きです、を“死んでもいいわ”と言いまわす風習があるのじゃよ。それに対する答えは……ほう? イル・ウルス。おぬし真昼の綺羅星がきれいだからと答えたのう? 知っていてその返しか、おぬしなかなか情緒が芽生えたのう」
「へえ、女帝様、どういう訳をするんだい?」
にやにやとし始めた女帝陛下アリアノーラ様と、面白い事の気配ににやにやし始めたキンウ様。
イリアス様が引きつったその瞬間。
「存在しない物すら美しく見える。……あなたがいると、存在しない物すら美しい。最高峰の愛の言葉だとは思わないかえ?」
アリアノーラ様が言って、わたくしを腕の上に乗せたイリアス様が、真っ赤になった。
「……あ、ははっ」
わたくしはなんだかとても、心の底からおかしくなってしまって。
声を上げて笑ってしまったけれど、滅多に笑わないせいで、笑い方がとても変な感じになってしまった。
幸せってこういう形をしているのね、とわたくしは、初めて教えてもらったような気がした。




