黒烏と暗躍ってのもなかなかだな
血まみれた俺は、侍女たちにこの血の痕を消すように頼み、窓からそこを抜け出した。
通路なんて使っちまったら、俺がアリアノーラの所で出血したっていうのが目立っちまう。
俺はそれからまつわるであろう、ごたごたが嫌だった。
「知られちまった方が、外交上有利なんだけれどな……」
一人呟けども、俺自身なんで、アリアノーラを庇うのか、皆目見当が付きゃあしない。
何なんだか。
「情でも移ったか、このイル・ウルスとあろうものが?」
誰にも見つからないように、与えられた客室まで戻り、吐き捨ててみる。
俺が情を移れば、あの方の妨害になる。
俺に、あの方以外に情を移す相手などいらない。
あの方の覇道のためにも。
あの方の夢のためにも。
「……」
俺は一度傷を確認するために、鏡を見やる。女なら喜びそうな巨大な姿見の中に、熊のような俺が映っている。
巻いていた包帯は切り裂かれているな。
そして白かったそれは真っ赤に染まっている。
結構な惨状だが、額の傷ってのは見た目の割に出血が激しいのが通説だ。
事実俺の傷もそうだろう。
血でじっとりと濡れている包帯をはがしていく。
はがせば傷口がよく見えた。
「わりかし深い傷みたいだな」
傷の具合を確認すればそう言う事だ。
深い傷。
まあ頭蓋まで達していないから、きりが知れている傷でもあるがな。
俺は苦笑いをした後に、客室に常備されている包帯を探し、ない事に嘆息した。
帝国の宿屋だったら、どこだって常備しているぞ、包帯の一式。
王宮の客室という物のくせに、そんな物の用意もないのかい。
呆れた事だ。
んじゃあ、これを誤魔化すのはどうすりゃいいかね。
シーツを引き裂く? 駄目だ、ここでそういう急場のしのぎの真似を見とがめられちまったら、あの方の瑕になる。
血はまだ収まりそうもない。
まいったな。
なんとなく思った後俺は、窓のあたりに感じた気配でそっちを見やった。
ばらりと漆黒の羽根が舞い散る。
おいおい今かよ。
でも都合がいい。
俺は窓を開け放った。
ばさり、と紫紺の艶がひらめく、烏の濡れ羽色の巨大な翼の持ち主が、窓枠に着地した。
それは、人の顔をした巨大な烏だ。
花のかんばせと形容してもいいだろう、美しい顔の烏は、巻き毛を風に揺らめかせて、俺を見た。
そのまっくろい目玉が瞬き、言う。
「あらあ。イリアスが手傷を負うなんて珍しい。それもこんなぬるま湯のバスチア王宮で」
放たれた言葉は、烏の姦しさを宿す、というのが伝承の中に伝わっているな、と俺は思考を飛ばしかけ言う。
「ひさしいな、キンウ」
「久しぶりなのは間違いないわね、もう二年ぶりかしら? あなたの所に行くように指示があったのは」
「ちょうどいい、お使いを頼まれてくれないか」
「イリアスのお使いなんて珍しい。でもいいわよ。何かしら? もしかして傷の手当のための道具一式かしら、そんな物、ここで怪我をしたならバスチア王宮に請求すれば、いいのに」
「事情もちでな、これを隠さにゃならない」
「ふうん、あのイリアスが他人を庇うなんてずいぶん珍しい。あの方のためになる事かしら」
「なると信じたいね」
「ふむふむ、じゃあ包帯一式と手当の布と化膿止めと、そのあたりかしらね」
「頼んだぜ、キンウ」
「ええ、任せてちょうだいな」
言ったキンウの姿が瞬く間に、一匹の平凡な烏に変化し、ばさりと飛び立っていく。
これで手当ての何かしらは調達できるだろう。
キンウはそういう物に関しては優秀だ。
そしてそれは周りもきちんと評価している事実である。
「さて」
俺は手の甲で血をぬぐった。うかつに動けねぇな、血が垂れちまう。
ほどなくしてキンウは戻り、手当の道具一式を渡してくれた。
「ありがとうな」
「これくらいどうって事はないわ、どこぞの馬鹿なんて酒樽一式持って来いとか抜かしたわ」
からからと笑ったキンウが、部屋の中に足を踏み入れる。
途端にキンウの姿は、烏でも異形の物でもなく、黒い巻き毛を垂らした、妙齢の女に変わる。
烏のような羽根をちりばめた羽衣を身にまとうキンウは、これが帝国では普通の姿だ。
「手当を手伝う?」
「いらねぇよ」
「そういう、あの方以外何にも信用していないあたりが、しびれるわよ、イリアス」
「あんたの羽衣姿も一目見たら忘れられねえな、キンウ」
軽口はいつも通り、こいつも俺と同じあの方の部下の一人だ。
諜報のキンウ。伝令のキンウ。
世間一般に通っている二つ名は、宵闇のキンウだ。
伝説にもなりかけている、超常的な力を手繰る黒烏の魔女は、寝台に腰かける。
「何か探れた?」
「バスチアっていうのがなかなか腐っているってのはな」
「あら楽しそう。あの方のお耳に入れなくちゃね、第一段階の報告書はまとめてあるでしょう?」
「ああ」
俺はここ数週間で纏めた物を、ほいとキンウに手渡した。
「これをあの方に」
「あなたの傷は報告しなくっていいかしら」
「というかするな」
「あの方も大概、あなたがお気に入りだものね」
騒がしい笑い方をするキンウだが、他人からすれば烏の鳴き声にしか聞こえないだろう。
キンウの異能の一部だ。
蠱毒という物を複数回行い、そして最後にはその蠱毒を烏に食わせ、烏と自分の体を混ぜ合わせたとんでもない女。
それがキンウの正体だ。
「さてはて、どうなっているのか私にも、きっちりはっきり話してもらいましょ。あなたの報告書は微に入り細に入り、細かくてたまらない癖に変な所ですっぽ抜けているんですもの」
「ああ、その自覚はあるんだ、でもなんか知らねぇがずれんだよなぁ」
からからと笑った俺を見やって、キンウが血まみれの包帯を引き寄せる。
「さて、これは支障がなければ証拠隠滅させてもらうわ」
「頼むぜ」
「ええ」
笑ったキンウが包帯をなぞると、包帯は漆黒の光に変わり、崩れ去った。
「あんたの崩壊術はいつ見ても驚嘆できるな」
「黒烏の魔女を、馬鹿にしないでくれないかしらね」
「してねぇよ」
溜息を吐いた俺は、注意深い言葉を使い、キンウと情報を共有していく。
記憶力の並外れたキンウならば、あの方に問題なく話せるに違いない。
バスチアの面倒くさい王宮事情を聴いたキンウが、徐々に目をきらめかせる。
「都合がいいわね、その女の子を利用すれば楽しい事になりそうだわ」
「やめてくれ、俺の罪悪感がかすかにうずく」
「あなたの罪悪感なんて、珍しすぎるわね、ははぁ、さてはそのバーティミウス・アリアノーラに惚れたわね」
「なんで俺があのお姫さんとどうこうならなきゃならねえんだよ」
「あなたがそこまで他人に入れ込んだ事が、今までにあの強国の坊やだけだから」
あの坊やはきっとあなたを忘れられないでしょうね、と馬鹿笑いをするキンウに、俺はじっとりをした目を向けた。
「馬鹿を言いなさんな。俺のすべてはあの方のためにある。俺自身のためじゃねえ」
「本当にそう言う所が気に食わないわ、あの方はすばらしいお方だけれどもね」
言ったキンウが、不意扉の方に視線をやる。
「それじゃ、私はそろそろ行くわ。あの方の命令は今度伝えに来てあげるからね」
「頼んだぜ」
キンウが首から報告書の入った筒を下げて、窓から飛び降りる。
ばらりと黒い光が乱舞するのが見えて、一羽の烏が飛び去って行った。
「相も変わらず、大変な美貌だぜ、キンウの奴は




