それで貴様は、正しさの奴隷か
「で、王たる貴様は、正しさの奴隷か」
このセリフは、見る人が見れば一発で分かるであろう、アニメ『Fate/Zero』の中の一節です。
(原作小説は未読なので、ここではアニメということにさせていただきます)
僕は『Fate/Zero』というアニメの中で、この聖杯問答のシーンが最も好きです。
声優さんの演技、わずかな表情の変化などによる絵の演出なども含めて素晴らしく、何度も見返すほど大好きだったりします。
ところで、『Fate/Zero』というアニメを見ていて、この「正しさの奴隷」という言葉を自分の話として捉えた人は、どのぐらいいるでしょう?
僕は、「ああこれは自分のことだな」と思って、最初見たときは笑いが止まりませんでした。
もちろん、僕は作中のセイバーさんほど、潔癖な人間ではありません。
ですが、根本的な性質は、似通っているなと思うのです。
世間には、「正しい」とか「こうするべき」と考えられている物事がいくつかあります。
例えば、小説家になろうの作者さんで言えば、「作品は完結させるべきだ(エタるべきではない)」という価値観は、一般に「正しい」とされているかと思います。
作品を完結させることは、小説家になろうの作者さんにとって、「正しい」「そうであるべき」行ないです。
ところで、このとき僕らは、「正しい」とか「そうであるべき」ことに関して、「そうしなければならない」ことであると、脳内で勝手に置き換えてしまっていないでしょうか?
例えば、なろうで作品を投稿し始めたのなら、その作品は完結させるべきだから、自分はその作品を完結させなければならない──そう考える。
これを僕は「正しさの奴隷」であると思うのです。
「正しい」ことと、自分が「そうしなければならない」こととを、間に「判断」や「決断」を挟む余地なくイコールのものとして捉えてしまえば、僕らは「正しさの奴隷」となります。
僕らが「正しさの奴隷」になることを防ぐためには、僕らは「判断」あるいは「決断」をするべきなのだと、今の僕は考えています。
「正しい」「そうであるべき」ことを、「そうしなければならない」ことと考える前に、その両者の間に「自分はどうするのか」というステップを入れるわけです。
そうすると、結果的に出力される行動は、「そうしなければならない」という考えに基づいたものではなくなります。
「自分はこうすると決めた、だからそれをやるんだ」という行動になる。
「正しさの奴隷」というスタンスは、僕の体感では、学校にいる間は通用します。
通用するというのは、そのスタンスで物事を進めて行けば、だいたいうまく事が運ぶということです。
(僕の経験則なので、そうでない人もいるかもしれません)
ただその先、いわゆる「社会に出る」という段に至ってくると、これが一気に通用しなくなってくる感じがします。
ブラック企業だの、正社員と非正規との差だの、今の世の中には「正しさの奴隷」を殺す装置なり環境なりがわらわらしています。
つまり、正しいことをしているのに物事がうまくいかないとか、あるいはそもそもどの選択肢を選んでも物事がうまくいかないとか、そういう現実がごまんとあるわけです。
そういうときに「社会が悪い」と言って世を恨むのは、まあやってもいいんですが、個人的な経験則で言うと不毛であり時間と精神力の無駄で、それをやってどんどん自分のメンタルをマイナス方向に落としてゆくと、わりと取り返しのつかないレベルでメンタルが欝々してきます。
まあそんなわけで、そういうアクションは、おすすめはできません。
そもそも、社会の問題じゃなくても、「どっちを選んでもうまくいかない」みたいな現実っていうのは、いくらでもありますしね。
例えば、うちの母親が難病の要介護状態で、僕はぼちぼちプチ介護みたいなことをやっていたりするんですが、そうすると、どうしても受け容れないといけない不幸みたいなものって、あったりするわけです。
「この選択肢、どっち選んでも無理じゃねぇ?」みたいな。
そういうとき僕は、どうするのかを自分の意思で「決める」ことと、決めた結果起こった現実を「受け入れる」ことを大事にしています。
(まあ、介護の問題で言えば、自分よりも前に本人の意思があると思うのですが、「本人の意思を優先するという行動を僕がとる」ということも、自分でそうすると決めてやっていることです)
もちろん、決めて受け容れたからといって、劇的に物事が改善するわけではないです。
現実の事象は、それはそのまま降りかかってきます。
なので、この考え方で解決できる苦難のレベルには、おのずと限界があります。
でも、そうすることによって自分の気持ちはそれなりに前を向くし、そうすれば理不尽でうまくゆかない世の中を恨んで嘆いているだけの生き方よりは、ずいぶん心穏やかに生きてゆけると感じます。
それに、それを現実として受け容れることによって、その現実を土台とした次のステップが見えてくることもあります。
なので今の僕は、自分の行動を自分で判断して決めることと、その結果を受け容れるという考え方は、より良い生き方をするための正しい考え方だと思っています。
つまりオチとしては、結局自分は正しさの奴隷なのでした、というお話なのでございます。
そしてダイレクトマーケティング。
先日このテーマで、中編の物語作品を書いてみたりしました。
『少年魔術師は男の娘!? いいえ、真面目な冒険ファンタジーです。』
http://ncode.syosetu.com/n8489dj/
娯楽作品として面白い作品を書きたいというのが第一にあったので、それを優先して最後にテーマに反する内容もやってしまっていますが、よろしければ是非読んでみてくださいませませ。m(_ _)m