六
母さんだった人は、痛そうに自分の体を抱きしめて、ギュッとしゃがんで縮んでいるように見える。
真っ白だったドレスは、色がくすんでいき、みるみる真っ黒に変わっていった。白くて大きなふわふわの羽根は、ボロボロに崩れ、その下から真っ黒の骨ばったコウモリの羽根のような物が現れた。
ぼくは恐ろしくなって、変ぼうを続ける姿から目をそらさないように後ずさった。
――――恐れなくても大丈夫ですよ。良一は私が守ります――――
そう言うフクロウ母さんの言葉に、僕は大きく頷いた。しかし、変ぼうを遂げようとする姿があまりに恐ろしくて、ぼくの体は自然にガクガクと震えだした。
――――しっかりしなさい良一。あの子どもたちと帰るのですよ――――
ぼくは必死に顔を上下に振って頷いたけど、黒いもやの中から現れた姿を見て、ぼくはごくりとつばを飲み込んだ。
ずるりとした黒いボロボロの服を引きずって、つやもなくざんばらの髪は伸び放題で、肌の色は土色で、目は大きくて血走り、口は横に大きく裂けていて、ニッと笑った口元にはギザギザの歯が並んでいた。
あれに抱きついていたのかと思うと、ぼくの体は余計に震えた。
ぼくは足がすくんで立ち向かうことも、その場から逃げ出すこともできなかった。
――――良一、気をしっかり持ちなさい。家族の元へ帰りたいと、強く願うのです――――
しっかりしなさいと、フクロウ母さんは羽根を広げてぼくのほほを打った。そしてそのまま暖かい羽毛がぼくの顔を包み込む。その暖かさがぼくの震えを落ち着かせてくれた。
――――いいですか良一。あの姿もまた幻なのです。良一が作り出しているのです――――
「えっ? ぼくが?」
そう話すぼくたちに醜い魔物が迫ってくる。
『その子どもをわたせぇぇぇぇ』
腹の底に響くような重低音で、ひび割れた声で魔物は叫んだ。ニメートルはあろうかと思われる高さから、骨ばった腕がにゅっとぼくに向かって延びて来て、慌ててぼくはその場所を飛びのいた。鋭く延びた爪がぼくのいた場所に突き立って、魔物は憎々しげに顔を歪める。
――――良一。左の洞くつに向かって走りなさい――――
フクロウ母さんは、ぼくの肩から飛び立つと同時にそう言った。
『逃がすものかぁぁぁぁ』
フクロウ母さんの言葉を聞いて、そうはさせまいと、魔物は左側の洞くつの前に立ちはだかる。フクロウ母さんの口から「くっ」と漏れた声に魔物は満足そうに口元を緩めた。
――――良一、下がっていなさい――――
そう言うとフクロウ母さんは、魔物めがけて滑空し翼で打った。何度も何度もそれを繰り返した。
『ええい、うっとおしい。そんなもの痛くも痒くもないわぁぁぁ』
魔物は腕を振り上げ、うるさく飛び回るフクロウ母さんをはたき落した。
「母さん!」
ぼくはフクロウ母さんに駆け寄り、羽根を広げて横たわる小さな体を抱き上げて、魔物をにらみつけた。
『ふふふふ。そんな小さなものに何ができる。さあ、私と一緒に来るのだ』
行ってはダメですと、フクロウ母さんは目を閉じたまま弱々しい声で繰り返している。
魔物はニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべて、ゆっくりとぼくに近づいて来る。
どうしたらいい。どうすれば助かる?
ぼくは懸命に考えた。
あれはぼくが作りだした幻だと、フクロウ母さんは言っていた。じゃあぼくが願えばあの魔物は消えてくれるのかな。そう思って、ぼくは「魔物よ消えろ」と何度も強く願った。でも、魔物は消えてくれなかった。
「なんで消えないの?」
悔しく思いながら、ぼくは違うことを願った。
「母さん、母さん。フクロウ母さん、元気になって! お願い目を開けて! 母さんの翼を強くして! お願い!!」
ぼくは一生懸命に願った。
するとフクロウ母さんの体が徐々(じょじょ)に光り出して、魔物は眩しげに腕で顔を覆った。
――――ありがとう、良一――――
そう言うと、フクロウ母さんはぼくの腕の中から羽根を広げてふわりと飛び上がった。
魔物は、目のくらみから即座に立ち直り、すでに洞くつの前で待ち構えている。
フクロウ母さんは魔物目がけて滑空して行く。それを見て魔物は、またかと、たかを括り無防備に迎え討った。
フクロウ母さんは、さっきよりも強靭になった翼で思い切り魔物を打った。
フクロウ母さんの翼の威力は思った以上に強く、魔物のほほからどす黒い血がドクドクと流れ出している。
『おのれぇぇぇぇ』
と叫んだ魔物が、突然こちらにはじき飛ばされて来た。
何が起きたのかと魔物から目を逸らさずに見ていると、魔物の後ろに見える洞くつで、動くものがあった。
洞くつの中には子どもが二人いて、こちらに向かっておいでおいでと大きく手を振っていた。
魔物に目を向けると四つん這いになって、混乱しているように見える。
ぼくはチャンスだと思って、洞くつに向かって駆け出した。魔物は、すぐにぼくの動きに反応して、ぼくの後を追いかけて来る。
今までは気にならなかったのに、こんな時にかぎってぼくは右ひざのケガが痛んで、早く走ることができなかった。
魔物は大きいから、すぐにでもぼくに追いついてしまいそうで、ぼくの心臓はあり得ないぐらい激しく打ち付ける。恐怖で呼吸も激しくなった。
顔のキズをおさえたまま、魔物はぼくの後ろに迫って来る。
魔物の腕が長く伸びてきて、骨ばった指の先に付いた鋭く尖った爪がぼくの首に届くと思ったその時、フクロウ母さんがぼくと魔物の間に割って入り、その翼を広げまばゆい光を放った。
ぼくだけに意識を集中させていた魔物は、突然の光に目がくらんで、両目をおさえて怪物のような声でほえている。
真後ろから聞こえる声が恐ろしくて、ぼくは痛む足を懸命に動かして左側の洞くつに駆け込んだ。
「こっちだ、早く!」
ぼくが洞くつに駆け込むと、いがぐり頭の男の子がぼくの手を引っ張って、もっと奥まで連れて行ってくれた。
「あの怪物なぁ、ここまでは追って来ないんだよ」
洞くつを百メートルぐらい進んだ所で足を止めて、ぼくと同じ歳ぐらいの男の子はそう言った。
ぼくはひざの上に手を付いて、はあはあと、肩で息をついた。
助かった。ぼくたちは助かったんだ。まだ洞くつを出られた訳では無いけれど。
ぼくの後から飛んで来たフクロウ母さんも、ぼくの肩に静かにとまった。
ぼくは息を整えると、男の子にありがとうとお礼を言った。お礼を言って顔を上げると、男の子と女の子が立っていて、その肩には、ぼくと同じようにフクロウがとまっていた。
「おれ、正太って言うんだ、宜しくな。この子は、さっちゃん」
と女の子を紹介された。女の子は宜しくねとニコリと笑った。ぼくも自己紹介をした。
「それにしてもあの怪物、人の形をしてたな。おれの時は、洞くつの天井に付くぐらいにデッカイくもだったぞ。足が長くて気持ち悪かった」
「私の時は、熊みたいな真っ黒の固まりだったわ。恐かった」
正太は元気な大きな声でそう言って、さっちゃんは気が弱いような優しい声でそう言った。
聞くところによると、二人はぼくと同じで小学五年生で、ぼくと同じく家を飛び出して『うろの中』に入り込んだらしい。
正太はお父さんを亡くしていて、さっちゃんは両親とも事故で亡くしたんだって。だからさっちゃんの両肩には一羽づつフクロウがとまっている。
重くないのかな。
ぼくも、重くはないけれど。
フクロウ母さんは、フクロウ同士で挨拶をし始めた。なんか、とても変な感じだ。
母さんたちのことはほっといて、ぼくたちは三人で洞くつを奥に進みながら、どうすれば外に出られるかを話した。
「私、このままでもいい」
さっちゃんは歩くのを止めて、足元を見つめながらぽつりと言った。ぼくも正太も足を止めた。
「またそんなこと言って。だめだぞ、必ず助かるって願えって、お父さんに言われただろ?」
正太はさっちゃんに言い聞かせるように優しく言う。ぼくも「そうだよ」と言ったけど、さっちゃんは「だけど」と小さくつぶやいた。
みんなが帰りたいって強く願わないと、外に出られないんじゃないのかな。また魔物がおそって来たらどうしよう。
ぼくがそう思った時、洞くつがぐらりと大きく揺れた。