三
「ついたぞ、良一」
父さんのその声で、ぼくはパッと目を開き車のドアを開けて外に出た。
あのころはただ不気味で怖かったイメージしかなかったおばあちゃんの家は、五年生になった今、改めて見てみると、なんだか温かくてほっとできる家だった。
家の中に荷物を運ぶ父さんたちには着いて行かず、ぼくは真っ先に畑に走って行った。
あのころ遠かった畑は意外に近い場所にあり、あのころは広いと思っていた畑はとても小さかった。
所狭しと植えられた夏野菜は伸び放題に伸びていて、背が高くなったきゅうりやにがうりが邪魔をしておばあちゃんの姿は見えなかった。
「おばあちゃん」
ぼくが呼ぶと、畑の中にしゃがんでいたおばあちゃんがひょっこりと顔を出した。
「あんれぇ良一、来たかぁ。大ぎぐなっだなぁ」
こっちに歩いて来るおばあちゃんは目をまん丸にして、ぼくの目の前で止まった。
初めてここに来た時おばあちゃんに抱き上げられて合わせた目線は、ただ普通に立っているだけで、腰の曲がったおばあちゃんと、ぼくの目線はぶつかった。
おばあちゃんて、こんなに小さかったんだ。ぼくは本当に大きくなったんだ。
「本当に大ぎぐなっだなぁ」
おばあちゃんは目を細め、「ただいま」と言うぼくの腕をなでながらしみじみとつぶやいた。
なんだかぼくは涙が出そうになって、上手く笑うことができなかった。
ぼくとおばあちゃんが話してると、父さんたちが遅れてやって来た。
「母ちゃんただいま」
と言う父さんたちの方へ、おばあちゃんの足が自然に向いた。
父さんたちの所へ行かないで! と、ぼくは心の中で叫んだけど、ぼくの声は当然おばあちゃんには届かなくて、おばあちゃんはどんどん父さんたちに近づいて行く。
「あんれぇ、めんこいなぁ」
おばあちゃんはそう言いながら、あの人に抱かれていた赤ちゃんを受け取り抱き上げた。
知らない人に突然抱き上げられて、妹は泣きかけたけど、おばあちゃんのあやし方が上手ですぐに声を上げて笑い出した。
ぼくは大きくなりすぎたから、どんなに上手に笑って見せても赤ちゃんにはかなわない。泣いても怒っても、赤ちゃんだけは何をしても許されるのだから。何をしてもかわいらしいのだから。
ぼくは、おばあちゃんを妹に取られた気がして、悔しかった。
楽しそうな四人の輪から外れて、ぼくだけ仲間外れで、家族の中でぼくだけ一人ぼっちのような気がした。
「さて、お茶でも飲もうがねぇ」
そう言って、おばあちゃんは妹を抱いたまま家に向かって歩いて行った。
家に入ると、ぼくは四人から離れた場所に座った。そんなぼくを見て、大人たちは目で会話をするように、視線を交わしている。腫れ物に触れるように、ぼくに遠慮してるみたいに……
ぼくは針の筵の上にいるみたいで、いづらくなって、畑に行って来ると言って家を出た。
家の側に建っている納屋にあるザルとハサミを持って、ぼくはとぼとぼと畑に向かって歩いた。
きっと家の中では「困った子どもだ」ってぼくの悪口を言っているんだ。
あんまりおばあちゃんの前でぼくの悪口を言わないでほしいな。おばあちゃんには嫌われたくないのに。でも、父さんたちとは居たくないから仕方ないか……
畑に着いて、ぼくはさっそく、トマトやきゅうり、なすにオクラなどのうれた夏野菜を収穫して回った。どれもおいしそうに実っていて、おばあちゃんが手塩にかけて育てていることがよく分かる。夢中で収穫しているとおばあちゃんがやって来た。
「あれあれ、たっぐさん取っだなぁ」
うんとぼくが頷くと「お父さんたちに、いっぱい食べでもらおうなぁ」とおばあちゃんが言った。
ぼくは、おばあちゃんの言葉に素直に頷くことができなかった。
おばあちゃんに促されて、ぼくは足取り重く家に帰った。
「ほれ、良一が野菜をいっぱい取ってぐれだよぉ」
と、おばあちゃんが大げさにぼくを褒めてみせると、あの人が「じゃあ腕をふるってお料理しなきゃね」とほほ笑んだ。ぼくも笑って見せたけど、きっと引きつった顔だったと思う。
「良一、風呂の用意をしようか。焚きつけはできるか?」
と父さんに聞かれ、ぼくは首を横に振った。
「一番初めからやったことがないから。おばあちゃんの役に立ちたいから。……だから、やり方教えて」
反発している父さんに教えてもらいたくはなかったけど、おばあちゃんはあの人と料理にかかりきりで、とても教えてもらえそうになかったから、仕方がない。
鉄でできたかまどの蓋を開けると、父さんは「まずは灰を掻きだすぞ」と言って小さなスコップで灰をすくって灰入れ袋の中に入れた。
良一もやってみろと言われて、ぼくも父さんのまねをして灰をすくった。「もっと奥まできれいにするんだぞ」と言われて、ぼくはひざをついて上体をかがめて、腕の付け根までかまどに手を突っ込んで灰を掻いた。
それが済むと納屋の軒下に積まれたまきを取りに行った。
でっかく割られたまきを二つと、細い枝を六本と葉がたっぷり付いた枯れた杉の枝を二本。一人で持ち切れなくて、父さんと分けて運んだ。とうさんは他にもまきを抱えていた。
まきを運び終わると、父さんはかまどの中の両はじにまきを真っすぐに入れた。その上に細い枝を交差させて置き、上と下に空洞を作った。残りの細い枝もその上に置いていく。
「下の空洞には杉の葉っぱに火を点けて入れるんだ」
そう言って父さんは杉の枝を手に取り、葉っぱにライターを近づけて火を点けた。父さんは杉の葉が燃えているのを確認してから、そっとかまどの中に入れていく。
「新聞紙は使わないの?」
「この灰は、あく巻きに使ったり、畑にまいたりするから、紙は使わないんだよ」
紙の方がよく燃えるだろうと思って聞いたぼくに、父さんはそう答えた。
かまどに入れた杉の火は、その上に組まれた枝にうまい具合に燃え移った。父さんは、土台にしたまきを更に半分に割った大きさのまきを、燃える細枝の上にそっと乗せていった。
「これが燃えれば成功だな」
父さんはそう言った。
父さんは、おばあちゃんの手伝いをずっとして来たんだな。だからお風呂の焚きつけのやり方も知ってるし、燃え残った灰の使い道も知ってるんだ。
ぼくは三年前のことを、ふと思い出した。
ぼくが二年生のころ、畑で野菜の手入れをしてた時におばあちゃんが独り言のようにつぶやいた。「畑も田んぼも山もあるのにお前の父ちゃんは田舎を出で行っだぁ。じいちゃんが残しでぐれた土地なのになぁ」そう言ったおばあちゃんの背中は、とても淋しそうに見えた。
「父さんは、どうして農家を継がなかったの?」
今まで父さんとちゃんと話をしたことが無かったから、いい機会だと思ってぼくは父さんに聞いてみた。父さんは、一瞬目を見開いて、すぐに笑顔になって目を細くして話し始めた。
「父さんが子どものころはな、お金が無くて、どこの家庭より貧乏で恥ずかしくてな。だから一生懸命勉強して、アルバイトをして大学に入って、都会に出て金持ちになるんだって、思ったんだ」
母ちゃんには申し訳ないと思ってるよと父さんは続けた。
父さんにも子どものころがあって、ぼくと同じように辛いことがあったんだ。おばあちゃんに反抗することはあったのかな。家出をしたいと思ったことはないのかな。そんな時はどうしていたんだろう、おばあちゃんを困らせたくないと思って我慢していたのかな。それともぼくみたいに反抗したのかなと、父さんの話を聞いてぼくはぼんやりと考えた。
お風呂が沸く間にぼくは、今日から寝泊まりする部屋に荷物を運んだ。空の衣装ケースに下着や洋服を詰めていく。母さんの思い出の品はバックの中に入れたまま、時々 眺めることにして押し入れに仕舞った。母さんが作ってくれた小さな熊のぬいぐるみだけは、衣装ケースの上に飾ることにした。
お風呂が沸いて、ぼくは父さんの次にお風呂に入った。五右衛門風呂の浮き板は上手に沈めることができた。お風呂から上がるとすぐに夕飯で、食卓には懐かしいおばあちゃんの煮物や漬物が、あの人の作った洋風の料理と共に並べられていた。久しぶりのおばあちきゃんの手料理はとても美味しかった。
翌日の昼食のあと「お盆休みには帰って来るからな」と言って、父さんたちは都会の家に帰って行った。