第五話「食人樹」
ゲーム内時間で午後三時。
《ワイルドフォレスト》最南部。
十のパーティによって組まれた総勢六十人ものプレイヤーからなるレイドがボス『食人樹』ハングリーツリーが待ち構えるボス部屋の前にまで辿り着いていた。
到着するまでの間、幾度と無くモンスターの襲撃を受けたが、プレイヤー達は脱落者を出すこと無く進行することが出来た。
先頭にシオン、真ん中に栞達、殿をガロンのパーティが務めている。グリーンスマイルの大集団がレイドの真横から襲撃を掛けてきた時には、栞がプレイヤー達の指揮を取り、撃退に成功している。先頭のシオンや殿のガロンも幾度と無く指示を出し、モンスターを退けていた。
モンスターの襲撃がないボス部屋の前で、レイドはしばらくの間休息を取った。栞は自分のコンディションを整えながら、ボス部屋を前にして気を引き締める。
ボス部屋へと続く入口は、巨大な石で作られた扉だ。作られてから時間がかなり経過しているようで、扉のあちこちに蔓が巻き付いている。この奥にこれから栞達が命を賭けて戦わなければならない相手、ハングリーツリーが控えている。
息を整えたプレイヤー達は各パーティごとで自分達の役割や戦術を再確認し合っていた。話し合うプレイヤー達の顔には隠し切れない緊張の色が見て取れる。口数が多く早口で話している者もいるが、それも緊張から来るものだろう。
今まで最前線で戦い、今日も殿を務めていたガロンという男も険しい顔をして、仲間と話し合っていた。
私は生きて帰れるのだろうか。
ベータテスターでもあったという男の表情を見て、栞の胸に昨日押し殺した筈の不安が浮上してきた。自分の死や仲間の死の場面の風景が頭の中に浮かび上がってきて、心臓の鼓動が早くなる。
仲間の前で気丈に宣言し、重い空気を取り払った栞だが、彼女にも不安や恐怖といった物は当然存在している。いくらしっかりしているとはいえ、栞はまだ高校生なのだ。歳相応の感情も持ち合わせている。
私はもう一度、生きて兄さんに会えるのだろうか。
生きているかも定かではない兄の事を思って、栞は目頭が熱くなってきたのを感じてた。ここで泣いては仲間を不安にしてしまうと、まばたきを繰り返して涙を必死で引っ込める。
栞は自嘲げな笑みを浮かべた。自分の中でどれほど兄の存在が大きかったのかが、今になってようやく分かったからだ。
逃げ出したかった。
今すぐにでもここから逃げ出して、街に帰りたい。兄を探しに行きたい。兄に会いたい。兄と話したい。
「緊張しているか?」
不安や恐怖といった感情に押し潰されそうになっていた栞の肩をポンと叩きながら、ドルーアが軽い口調で話し掛けてきた。口調こそ軽いが、彼の顔には隠し切れない緊張の色が見て取れる。しかしドルーアはそれを押し殺し、いつも通りの口調で喋ろうとしていた。
それを見た時、栞は逃げ出したいという想いを胸の中から消し去った。
私には仲間がいる。
仲間は自分を必要としているし、自分もまた仲間を必要としている。
「ええ、緊張しています」
「はは、だよな」
「ですが――大丈夫ですよ。昨日皆に言った通り、私が皆を守ります。だから、瑠亜。貴方は私を守ってくださいね」
不意にアバターネームでなく本名を呼ばれ、ドルーアは固まる。それから片目を閉じて笑う栞に吹き出した。
「ああ、任せとけ」
それからしばらくして、シオンの指示よって六つのパーティが扉の前で整列を完了する。
覚悟を決めた表情の者、不安を押し殺してた表情の者、恐怖に顔を歪ませている者、涼しげな笑みを浮かべている者。
様々な表情をしているプレイヤーが、自分の武器を握りしめ先頭に立つシオンに視線を向ける。
シオンが自分の武器である双剣を両手の中で弄びながら、全てのプレイヤーを見回す。誰もが緊張に表情を固くしている中、彼女だけは会議の時と同じように薄っすらと笑みを浮かべている。
緊張を押し殺して普段通りの表情をしているというよりは、この状況を何とも思っていない余裕の笑みではないかと栞は思った。
「ボクが言いたいことは一つだけだ。――皆、生きて帰ろうぜ」
シオンのその言葉に、プレイヤー達が手にしていた武器を掲げ、歓声を上げる。彼女はその光景に満足そうに目を細めると、巨大な扉に手を押し当て、そして開いた。
「さあ――行こうか」
扉の中に入ったシオンに続き、全てのプレイヤーがボス部屋へ突入を開始した。
扉の先は円型のドーム状になっていた。部屋の中央には樹齢何千年にもなるであろう巨大な樹が一本だけ生えている。天井の一点にだけ穴が空いており、そこから光が差し込んで樹を明るく照らしていた。
部屋に突入したプレイヤー達はあらかじめ決められたポジションに付き、部屋の中央にそびえる一本の樹を睨み付ける。
部屋の中に耳が痛くなる程の沈黙が訪れた。各々自分の武器を痛い程に握り締め、戦いが始まるのを待つ。
「----」
そして沈黙は破られた。
大樹の幹が軋むような音を立てながら横一文字に裂けた。それが徐々に上下に開いていき、やがて巨大な穴--否、口が生まれた。よく見えれば亀裂の上下には無数の歯が生え並んでいた。そして口が糸を引きながら大きく開かれる。次の瞬間、それまでの沈黙を引き裂くかのような巨大な咆哮が部屋を激しく震わせた。
咆哮によって生まれた突風が総身を叩きつけてくる。ハングリーツリーのおぞましい容貌と激しい咆哮によって、レイドの何名かが身を竦ませる。
「--総員、戦闘開始!!」
ハングリーツリーの頭上にHPバーとネームが現れるのと同時に、プレイヤー達の恐怖や逡巡を突き破るようにして、シオンが号令を上げた。
壁役を担当としているパーティがその号令の応え、ハングリーツリーの目の前に飛び出していく。
ハングリーツリーの枝の何本かが揺れたかと思うと、次の瞬間ゴムのように伸び始め、壁役のプレイヤー達に向かっていく。鋭い枝の先端がプレイヤーの構えた盾や大剣に突き刺さって火花を散らす。小さく呻き声をあげて数歩後退する壁役達だったが、ハングリーツリーの初撃を完全に受け止めた。
「行くぞォ!!」
壁役のすぐ後ろに控えていたガロンが激しく号令をあげ、彼らの間を通り抜けて動きを止めている枝に斬りかかる。猛々しい雄叫びをあげながら、枝の切断役である他のプレイヤー達もそれに続く。
あちこちでスキルが発動され、ハングリーツリーの枝が切り落とされていく。だがハングリーツリーもやられるままにはなっていない。次々に新しい枝を伸ばし、自分を攻撃するプレイヤー達に攻撃を加えていく。
「ッラァアア!!」
自身に向かって一直線に伸びてくる三本の枝を、荒々しく叫びながら手に持つ大剣で一気に切断するガロン。スキル《大牙》の強力な一撃は正面から向かってくる鋭い枝を物ともしない。
ガロンの激しい戦いぶりに感化されたプレイヤー達は先ほどまでの恐怖を捨て、喰らいつくかのように己の武器を振るう。
「そろそろかな」
その様子を後方で見ていたシオンが小さく呟いた。
それとほぼ同時に、前方のプレイヤーに襲い掛かっていた枝が動きを止める。一定数の枝を切り落とした事によって、ハングリーツリーの本体への攻撃が可能になったのだ。
自身の一部を切り落された事への苦痛の叫びなのか、ハングリーツリーの幹部分にあった口が大きく開かれて甲高い悲鳴を上げた。
「今だ!」
ハングリーツリーへ突撃しながらシオンが叫んだ。本体への攻撃が役割のプレイヤー達がそれに続く。栞やところてん達の姿もあった。
壁役やガロン達のパーティを通り抜け、動きを止め悲鳴を上げるハングリーツリーへ直接攻撃を開始する。
「さぁ、ボク達のターンだよ」
一番乗りでハングリーツリーへと辿り着いたシオンがそう宣言し、手にした双剣を同時に振るう。紫色の光を纏った二本の刃が、ゴツゴツとした黒い樹皮を難なく切り裂いた。そこで動きを止めず、スキルを使用した後もシオンは双剣でハングリーツリーを滅多切りにしていく。
髪を振り乱し、スカートを揺らしながら激しく双剣を操るシオンの姿には言葉にできない過激な美しさがあった。後ろから追いかけてきたプレイヤー達はその姿に魅了されたかのように一瞬だけ動きを止め、すぐに我に返ってハングリーツリーへ攻撃を加えていく。
斬られ、抉られ、殴打されたハングリーツリーのHPが瞬く間に三割ほど削り取られていく。このままでは堪らないと、ハングリーツリーが激しく叫び、枝を使って自身に群がるプレイヤー達を串刺しにしようとするが、
「総員、退避!!」
それよりも早くシオンによる指示が出されたことによって、それらの攻撃は空振りに終わる。怒りにガチガチと歯を噛み合わせると、後退していくシオン達へ再度枝を伸していく。
「――させるかよォ!」
シオン達と入れ替わりに、壁役達が枝の前に躍り出る。枝を防ぐ壁役に苛立ったかのように追加で何本かの枝を叩き付けるが、壁役達のガードを崩すことが出来ない。
防がれた事によって動きを止めた枝に、待ってましたと言わんばかりにガロン達が飛び掛る。
あらかじめ計画された戦術によって、誰もたいしたダメージを受けることなく、順調にハングリーツリーのHPを削っていくことが出来ていた。
危うい場面も幾つかあったが、待機している支援役のプレイヤーがフォローすることによって切り抜けられている。
特にウイと金髪の少年の働きには目を見張るものがあり、二人とも最高のタイミングでサポートを行っていた。
誰かが窮地に陥ると、的確なタイミングで金髪の少年が攻撃をガードし、追撃しようとする枝をウイが難なく切り落す。その間に助けられた者は体勢を立て直し、再び戦線に戻っていく。
「やるっスね」
ウイ達の奮闘の後方で、ところてんが口笛を鳴らす。その隣で呼吸を整えていた栞も「ええ」と同調した。
「ここまでは順調にいってるっスね。いまだに誰も大きなダメージを負っていない。ボスのHPもあと少し」
「ええ……。このまま何もなければいいのですが」
ボス戦は順調にいっている。このままこの状況を維持して攻撃し続ける事ができれば、一人の犠牲者も出さずに戦いを終えることが出来るが――。
その時だ。
栞の不安げな言葉に同調するかのように、状況が激しく変化した。
ハングリーツリーが操っていた無数の枝の一本一本が枝分かれし始めた。一本の枝が何本にも増え、同時に動き出す。倍以上にも増えた枝の攻撃に、まず壁役が対応しきれなくなった。
「ぎゃあああああああッ!」
防御が間に合わなかった壁役の一人が枝による攻撃を受けてしまった。肩を鋭い先で貫かれ、絶叫を上げる。そこへ更に四本もの枝が伸びてきて、痛みにのた打ち回る男の身体を滅多刺しにし始めた。
見る見る内に男のHPバーが減少し、そして――。
「――――ッ!!」
怖気の走るような絶叫だった。全身を貫かれた男が喉から振り絞るかのような絶叫を迸らせる。まさに断末魔というに相応しい、命を失う寸前の叫び。
一瞬で命を失った仲間に、プレイヤー達は身を凍らせる。『死』を目の前にして、身体が竦んでしまって動けないのだ。
動きを止めるプレイヤー達だが、ハングリーツリーは待ってはくれない。一人が消え、壁役に穴が開いている。そこへ大量の枝を突きこんだ。
壁役が決壊し、更には後ろに控えていたガロン達を襲い始めた。
ガロンの指示でプレイヤー達は枝にスキルを打ち込んで行くが、切断される枝よりも伸びてくる枝の方が多い。
「チィッ……! 迫ってくる枝に対応しながら、少しずつ後退しろ!」
このままでは総崩れになると踏んだガロンが大声で指示を出すが、それを掻き消すかのようにあちこちで悲鳴が上がる。生命の危険――『死』に臆したプレイヤー達が戦う事を放棄し、背を向けてボス部屋の入口へと逃げようとするが、
「ぎぁ」
「ぐぇ」
枝はそれを見逃さない。二人のプレイヤーが腹部を枝に貫かれた。
「なっ!?」
それだけでは終わらなかった。枝は貫いた二人を持ち上げると、シュルシュルと縮み始めた。枝に運ばれていく二人を待ち受けているのは、幹にある巨大な口だ。二人を喰らうためか、裂けるほどに口を開き巨大な歯を見せている。
身体を貫かれている二人は痛みに悲鳴を上げるだけで何も出来ず、空中で無様に藻掻くだけだ。
「やばいですわね……」
枝に襲われるガロン達に助太刀しながら、林檎が焦りの表情を浮かべる。ボス攻略会議で聞いた、ハングリーツリーの攻撃方法の一つに口を使った咀嚼があった。枝によって口に引きずり込まれると、その時点でHPが0になるという凶悪な即死攻撃。
林檎はすぐにでも救出に向かいたかったが、無数の枝に阻まれて進むことが出来ない。
「嫌だぁああ!!」
「助けてぇ!」
そしていよいよ、二人が口の中に放り込まれそうになる。
その時だった。
二つの風が林檎の脇を通り過ぎていった。それは枝を恐るべき速度で切断しながら強引に進行し、あっという間にハングリーツリーの根本にまで到達した。
栞とウイだった。
近づく枝を片っ端から切り落としていく二人は激しく地面を蹴りつけて飛び上がると、プレイヤーを貫いた枝をほぼ同時に切断した。落下する二人を抱きとめ、すぐさま後退する。
「舐めんな!!」
逃げる四人を逃がすまいと枝が追いかけるが、間にドルーアと金髪の少年達が割り込んで、二人を逃す時間を稼いだ。
「怪我を負ったプレイヤーを優先して逃すんだ。総員、緩やかに撤退せよ!」
これ以上の戦いは無理だと悟ったシオンが、撤退の号令を出した。全員が歯噛みし悔しそうな表情を浮かべるが、その指示に従って後ろに下がり始める。
しかし。
「なァ!?」
逃がさないと言わんばかりに、ハングリーツリーの根が動き始めた。土煙を上げながら地面から五本の根が飛び出し、プレイヤー達に襲いかかる。根の太さは枝の倍以上もあり、逃げていたプレイヤーに一瞬で追いついてしまう。
「クソ、こんなのβ版じゃなかったぞ! β版からの変更はないんじゃねえのかよ!」
珍しく口調を荒らげ、大剣で根を受け止めるところてん。
この世界に閉じ込められた最初の日に、β版からの変更はないと運営は語っていた。それを信用していた訳ではなかったが、しかし油断してしまっていた事は否めない。
そして更に追い打ちを掛けるかのように、ハングリーツリーの口から黄色の粉が勢い良く噴出され、部屋の中を舞い始める。それを吸ったプレイヤー達は次々と麻痺状態になり、倒れこんでいく。多くのプレイヤーはすぐさま麻痺消しを使用したが、中には枝や根による攻撃によって身動きがとれなくなってしまった者もいた。
「どうしたらいいんだ」と悲痛な叫びを上げるプレイヤー達に、
「あいつらを見捨てる訳にはいかない! 総員、身動きの取れないプレイヤーを救出するんだ!」
ガロンが号令をあげる。混乱していたプレイヤー達はその指示に縋るように従った。
「おい、大丈夫かよ!」
倒れこんだ仲間に、救出にやってきた男が駆け付けた。麻痺消しを取り出して彼に飲ませようとした時だった。彼らの身体に影がさした。上を見上げると、巨大な根が振り下ろされてくる所だった。
「お……い、逃げろ……」
自分が助かることを放棄し、麻痺で倒れこんでいる男は仲間に逃げるように言う。しかし男は動かなかった。足を震わせながら、武器を構えて根を迎え撃とうとする。
しかし、彼は元々レベルが低い。その為、支援役をやっていたのだ。彼の斧では巨大な質量を持つ根に太刀打ちすることが出来ない。
「――――」
男が無謀に斧で迎え撃とうとし、そして根が男を押しつぶそうとする寸前。
滑るようにして栞が男の前に現れ、スキルを発動して根にぶつける。激しい衝撃が周囲の土を巻き上げる。
「今のうちに!」
「す、すまない!」
片手剣によって根が止められている間に、男達は後方へ離脱していく。栞はそれを見送ると、自分も後ろに下がろうとした。
「なっ!?」
不意に地面から小さな根が飛び出し、栞の足に絡みついた。バランスを崩して倒れこむ栞に、根が彼女を押しつぶそうと動き始める。
足に絡みつく根を片手剣で切り落とし立ち上がろうとした栞だったが、上から降ってくる根に対応が間に合わないと悟った。
「ッ! ――兄さん!」
目を閉じ、兄の名前を叫ぶ。
が、身体を襲うはずの衝撃はいつまで立ってもやって来なかった。目を開くと、栞の前には四人のプレイヤーが立っていた。
「お兄さんもいいっスけど、俺達も忘れないで欲しいっスね」
「まったくだよ」
「……」
「間一髪でしたわね」
ところてん、ドルーア、七海、林檎。
四人の仲間が根の攻撃を受け止め、栞を庇っていた。
「なに驚いてんだよ。お前が言ったんだぜ。私が皆を守るから、皆は私を守ってくださいってな」
双剣で根を切り刻みながら、ドルーアが笑う。
頼もしい仲間の姿に栞は一瞬泣きそうになり、すぐに笑みを浮かべた。
襲ってくる根や枝を切り落としながら、栞達はある程度の位置まで後退する。
「皆さん、あ」
「礼なら終わった後ですわ」
栞が口を開くが、林檎にそれを遮られる。それに苦笑し、「そうですね」と栞は頷いた。
「それでは――早い所終わらせましょう」
思ったよりも長くなってしまったので、分割。