第四話「雪のような、夜のような」
メインヒロイン登場
「――今日は集まってくれてありがとう」
鈴を振るような声だった。
シンと静まりかえった部屋の中で、彼女の聞き心地の良い声だけが響く。
ゆっくりと部屋の中を見回す彼女に、その場の全員が注目している。
《コウズィ》という宿の中にある、食堂には六十人近くのプレイヤーが集まっていた。
部屋の中央には大勢で使用できる横長の机と人数分の椅子が用意されており、そこに会議に参加したプレイヤーが腰掛け、机の先頭にいる少女の話に耳を傾けている。そこには栞達の姿もあった。
「もしかしたら知っている人がいるかもしれないけれど、最初だから自己紹介させて貰うね。ボクの名前はシオン。よろしく頼むよ」
間近でシオンの姿を見た栞は二つの印象を覚えた。
静かで落ち着いており、どことなくひんやりとした雰囲気は『雪』のよう。露出している肌が雪のように白いのも、栞がそう思った理由の一つだ。
もう一つは『夜』。肩甲骨まである黒髪と、見るものを吸い込んでしまいそうな双眸。そして身に纏っている、学校のセーラー服に近い形状の服。それらは夜の闇を連想させるような漆黒だった。
雪のような白を、夜のような黒が際立たせている。同姓の栞から見ても、とても美しい容姿の少女だった。
「堅苦しいのは嫌いだから、みんな肩の力を抜いて気楽にしてくれると嬉しい。仲良くしようぜ」
自分に注目しているプレイヤー達に、ニッコリと笑い掛ける。人懐っこい笑みだが、不思議と幼さは感じられない。
シオンの言葉に張り詰めていた部屋の空気が弛緩する。その様子に満足そうに頷くと、彼女は話を続けた。
「長ったるい挨拶は面倒だから省略して、本題に入らせてもらうね。今日ボクが皆に集まってもらったのは、ボス部屋についての話をする為なんだ」
シオンがそう言うと、彼女の後ろに控えていた男がメニュー画面を開いて操作する。しばらくして、部屋にいるプレイヤー達にデータが送信されてきた。データに入っていたのは《ワイルドフォレスト》全体のマップだった。マップの南方向には黒字の罰印が付けられている。
「見て分かると思うけど、その罰印がついているのが、今回ボクのパーティが発見したボス部屋の位置だよ」
マップを見たプレイヤー達の間にざわめきが起こる。
「あちゃぁ。こっちだったか」
栞達のパーティはボス部屋と真逆の北の方角を探索していた。マップを見たドルーアが思わず舌打ちする。
「この世界に囚われて既に二ヶ月以上が経過しているけれど、今だに外からボク達を救出してくれる気配はない」
プレイヤー間のざわめきが収まるのを見計らってシオンが口を開いた。プレイヤー達は再び口を閉じて、シオンの言葉に耳を傾ける。
「だからこそ、ボク達は自分で行動しなければならない。ジッと待っていたって何も起こらない。
ここにいるみんなにお願いがあるんだ。
どうかみんなで協力して、ボスを倒して欲しい。
ボスは強力だ。倒すには幾つものパーティでレイドを組み、協力して戦わなければならない。犠牲者も出るかもしれない。
それでもボクはみんなにお願いしたい。この世界から脱出する為、どうかみんなでレイドを組んで、ボスを倒してくれないだろうか」
両手を広げ、シオンが呼びかける。彼女の言葉に部屋が静まり返った。それから座っていたプレイヤー達の中から「もちろんだ!」「やってやろうぜ!」と声が上がり始める。
協力する事に反対する者はおらず、全てのプレイヤーがシオンの言葉に賛同した。
「ありがとう。みんななら協力しれくれると信じていたよ」
シオンの言葉にプレイヤー達が手を叩く。
それを浴び、シオンはひんやりとした笑みを浮かべていた。
その後、会議ではβテスターの情報を元にして作られた第一攻略エリア《ワイルドフォレスト》のボス、ハングリーツリーの情報がマップと同じ様に配布された。それを元に用意するアイテムや、ボスの注意点、攻略時の役割分担が行われる。
《ワイルドフォレスト》のボス、ハングリーツリーはその名前の通り、木のモンスターだ。枝を自由に操ってプレイヤーに攻撃を仕掛けてくる。ハングリーツリーには通常時、ダメージを与えることが出来ない。ダメージを与えるにはハングリーツリーの操る枝を一定数破壊し、本体が怯んだ隙に攻撃を仕掛けなければならないのだ。
「ハングリーツリーの触手を防ぐ壁役。それから触手を切り落とす役と、無防備になった本体を叩く役、それと全体のサポート役。役割を分担するとこんな感じになるな」
短く切り揃えられた燃えるような赤い髪が特徴の大男が、会議に集まっているプレイヤーを見回しながら言った。
彼の名前はガロンという。栞達と同じように攻略エリアの最前線で活動しているパーティのリーダーだ。
ガロンの言葉にプレイヤー達が頷き、挙手して自分達の意見を言う。大勢のプレイヤーが話し合い、それぞれが担当する役割を決めていく。
ガロン達のパーティは触手を切り落とす役を、栞達のパーティはハングリーツリーの本体を叩く役で決定となった。メンバーが多いシオンのパーティは壁役、本体を叩く役、サポート役の三つを引き受けた。
「――という事で、役割分担も終わったし、会議はここで終了としようと思うけど、いいかな?」
各パーティがボス戦時に担当する役割を書き記したボードを表示しながらシオンが首を傾ける。
会議が始まって約三時間。ボスを攻略するにあたって決めなければならない事が片付き、会議にはお開きのムードが漂っていた。
「じゃあ、そろそろお開きに――」
「――待ってくれるかな」
シオンが会議を終わらせようとした時だった。席に座っていた女性が言葉を遮り、おもむろに立ち上がった。プレイヤー達の視線が彼女に集中する。
腰まである、目が眩むような水色の髪を揺らす、水色の瞳を持った女性だった。身に纏っている鎧は胸や腕など最低限の部分しか包んでいない。下に装備しているミニスカートを見るに、動き易くするために重量の軽い物を装備しているのだろう。
「私は『ウイ』といいます。会議を終わらせる前に、シオンさんに言いたいことがあります」
「ん、何かな? なんでも言ってくれたまえ」
ウイは隣に座っている金髪碧眼の青年と視線を交わして頷くと、微笑んだまま首を傾げているシオンに視線を向けた。
「単刀直入に言わせてもらいますね。シオンさん、最近貴方のパーティメンバーの行動が少し目につきます。彼らが街で横暴に振舞っている事を貴方はご存じですか?」
「…………いや、知らなかったよ」
強気な口調で問う少女に、シオンは顔から笑みを消す。
「名前までは言いませんが、街で『自分達がエリアを攻略しているんだ』と言って他の人に乱暴な事をしている、貴方のパーティメンバーを見掛けました」
「……それは、本当かな」
「ええ。目撃している人も多くいると思いますよ」
ウイは部屋の中にいるプレイヤー達を見回した後、確信のある力強い口調で言い切った。
「……それは悪いことをしてしまった。心から謝罪させてもらうよ。仲間達にも言い聞かせておこう」
「はい、お願いしますね」
頭を下げるシオンに頷くと、ウイは他のプレイヤーに「お時間を取らせてしまって申し訳ありません」と謝罪してから席に座った。
「……それじゃあ、これで会議をお開きにさせて貰うね」
シオンは再び顔に笑みを浮かべて、会議を終わらせた。
食堂から外へ出て行くプレイヤー達を、シオンは最後まで部屋に残って見送っていく。栞が食堂を出る時、ふと視線をシオンに向けた。部屋の中にいるシオンは相変わらず笑みを浮かべていたが、その笑みの中に、栞の知らない何かが含まれているような気がした。それが何か分かる前に栞は食堂の外に出てしまい、シオンの姿は視界から消えた。
――
「回復薬に、スタミナドリンク、麻痺消し、毒消し、その他っと。よし、必要なアイテムはパーティの人数分、揃っていますね。装備の耐久値も問題なし。他に何か必要な物ってありましたっけ?」
「無いっスね」
「ありがとう。これで準備は完璧ですね」
会議終了後、栞達は行きつけの店でアイテムを仕入れ、宿に戻ってきた。
HPやスタミナを回復する回復薬とスタミナドリンク。麻痺や毒の状態異常を回復する麻痺消しや毒消し。そしてエリアから脱出する為の転移系アイテム。
「それにしてもあのウイって女の人、ビシッと言ってくれたよな。あの青髪の件でモヤモヤしてたけどスッキリしたぜ」
「あの雰囲気の中で言ったのは、勇気あるなーって思ったっスね」
「シオンさんは面目を潰される形になってしまいましたけどね」
「監督不行き届け。仕方ない」
「まあそうっスけどね」
「ちゃんと見張ってくれるとありがたいぜ」
シオンがしっかり青髮のようなプレイヤーを見張ってくれれば、街で嫌な思いをする人もいなくなるだろう。
「そういえば、ウイさん、ちょっと雰囲気が栞に似てませんでした?」
「似てた似てた」
会議で上げられたアイテムの個数を確認し終え、栞達は食堂で雑談をしていた。林檎の言葉に賛同する仲間達に、栞は「そうかもしれませんね」と苦笑する。
あのウイという女性は、以前エリアの中で見掛けたことがある。あの特徴的な髪の色が印象に残っていた。隣の席に座っていた金髪碧眼の少年と仲間のようで、見掛けた時は二人でパーティを組んでいた。無数のモンスターに対して一歩も引かない、息のあった動きをしていた記憶がある。二人ともかなりの実力者だ。
「でもまあ、ボス戦で一緒に戦うんだ、頼もしいよな」
「そうっスね。実力も栞くらいだと助かるっスけど」
「栞が入れば百人力ですものね。あと三人くらい欲しいですわ」
「人を物みたいに……」
半眼で唇を尖らせる栞の頭を林檎が「うふふ」と笑いながら撫でる。「やめなさい」と言いながらも抵抗しないのは内心撫でられるのが嬉しいからだ。
「キマシタワーっス」
「きま……タワー?」
じゃれあう二人を見てところてんがボソリと何かを言い、ドルーアが聞き返す。ところてんは遠い目をしながら「男の浪漫っスよ」とだけ答えるが、何が何だか分からないドルーアは首を傾げるしか無い。
しばらくの間、食堂の中にはこういったいつも通りの緩い空気が続いた。十二時を過ぎ、いつもなら解散する時間になっても雑談は続けられる。その理由を誰も口にしないが、誰もが理解していた。
「明日のボス戦……誰も死ななければいいけど」
口数が少なくなり、会話が途切れ途切れになった頃、七海がポツリとそう零した。今まで口に出さずにおいた不安が漏れてしまったのだろう。七海は自分の発言にハッとした表情で口を抑えたが、食堂の中に重い空気が漂い始めていた。
ボス。
エリアボス。
ボス攻略。
エリアの最奥部でプレイヤーを待ち受ける強力なモンスター。大勢のプレイヤーがレイドを組んで、ようやく倒すことが出来る、通常のモンスターとは一線を画する力を持っている。
β版のプレイでは《ワイルドフォレスト》のボスであるハングリーツリーを倒す過程で八人近くのプレイヤーが死亡しているという。これがただのゲームならば、死んでもデスペナルティがあるだけで何度でも蘇ることが出来た。しかし、現在は一度死亡してしまえば蘇生する事は叶わない。それだけでなく、現実世界での死にも繋がってしまうかもしれない。
「まあ……β版の時はボスに特攻をかけて死んだ奴もいたっスからね。自分の命が掛かってるとなれば、みんな慎重に動くと思うっス。ボスの攻撃パターンはもう分かってるっスから、下手な失敗さえ犯さなければ大丈夫っスよ」
不安を消そうとところてんがそう言うが、皆の暗い表情は消えない。
もし予想もしない何かが起きたら――――。
仲間が殺されてしまったら――――。
自分が殺されてしまったら――――。
色々な不安が頭を過る。
再び重い沈黙が食堂を包み込んもうとした時だった。
ガタッと音を立てながら椅子を後ろに引き、栞が勢い良く立ち上がった。
「皆は死にません。だって私が守りますから」
確信の篭った言葉だった。凛とした表情で言い切った栞に、四人のポカンとした視線が集まる。少し恥ずかしくなったのか、栞は頬を朱に染めながら髪を指先でクルクルと巻きながら、
「だから……皆は私を守ってください。こ、これで無敵です」
「……こういう時はどういうリアクションを取ればいいんっスかね」
「笑えばいいと思うぜ」
「……栞らしい励まし方」
「中途半端にネタを入れてくる所が特にそうですわね」
「う……うぁ……」
「まぁ、そうっスね。栞と言う通りにしときゃ大丈夫っス」
「頼むぜ栞」
「私達が守るから」
「お願いね」
「……むぅ」
重い空気は晴れ、いつも通りの雰囲気に戻っていた。
それからしばらくの間、栞弄りが行われ、食堂の中には笑い声が響いた。
そして翌日、《ワイルドフォレスト》のボス攻略が開始される。