第一話「BeforeDawn」
番外編だよー
木々が生い茂る森の中。
白い剣閃が煌めいた。
続いて甲高い悲鳴が上がる。
人の頭を丸ごと飲み込む事が出来るほどの巨大な口。大きな二枚の葉をパタパタと動かし、二本の太い根を足のように動かす。全身を粘液で滑らせた植物の化け物が、口から怪鳥のような声を上げながら、自分の身体に傷を付けた少女を、赤く充血した眼球で睥睨する。
正面の少女が微動だにしなかったのに苛立ったのか、化け物は根っこで地面を蹴りつけ、巨大な口から緑色の牙を覗かせながら少女に飛び掛かった。
「――――」
少女の手に握られていた剣の刀身が、青い輝きを放った。
次いで、風切音。
少女に飛び掛かろうとしていた化け物は時間が止まったかのように空中で動きを止めた。それから僅かに間を置いて、化け物の頭から股まで赤い線が走る。
化け物の頭上に浮かんでいた一本の棒が血のように赤く染まったかと思うと、弾けるようにして消滅した。この世界での命の残量を表わす、HPバー。それを失った化け物に待っているのは『死』だけだ。
宙に固定されたままの化け物の肉体は光の粒へと変わり、そして消滅していった。
その時には、既に少女の視線は化け物から外されていた。
何故なら、少女が両断した化け物と全く同じ形をした同個体が二匹、彼女に襲いかかってきていたからだ。
化け物――グリーンスマイルは口から紫色の液体を少女に向けて吐き出した。少女が横へ飛び退いて回避した事によって、液体は地面に掛かる。液体が掛かった場所に生えていた草が、煙を上げながら急速に萎びていく。
二匹のグリーンスマイルは、回避した少女に向けて連続で液体を発射する。二匹の同時攻撃により、紫色の液体が幾つも飛来するが、それが少女の身体に触れることは無かった。
腰まである艶やかな黒髪をなびかせながら、少女は飛来する液体の合間を縫ってグリーンスマイルに接近した。
懐に潜り込んできた少女に、グリーンスマイルは反応する事が出来なかった。
次の瞬間には、グリーンスマイルの首は宙を舞っていた。
残るもう一匹のグリーンスマイルが仲間を屠った少女に向け、液体を飛ばそうと口を開く。
「――――」
しかしそれは叶わなかった。
少女は地面を蹴り飛ばし、一瞬でグリーンスマイルとの間合いを詰めた。
青い剣閃が煌めく。
グリーンスマイルのHPバーが消滅した。
「凄いな……」
髪を振り乱し、少女は次の獲物へと飛び掛かっていく。その鬼気迫る姿を見て、彼女の背後に控えていた四人の男女の一人が、呆然とした表情で呟いた。
その時、彼らの近くにあった茂みの中から、ドッジボール程の大きさを持った眼球が姿を現した。充血した眼球をグリグリと動かしながら、彼らに向かって勢い良く飛び掛かっていく。
「ッらァ!」
眼球――フロータイボールに対して、分厚い刃を持つ大剣を握りしめた少年が反応した。仲間達の前に飛び出して、フロータイボールの突進をその大剣で受け止めた。激突した衝撃が少年の身体を襲ったが、彼は微動だにしなかった。
「ドルーア!」
「分かってる!」
攻撃を受け止めた少年が、短く仲間の名前を呼ぶ。名前を呼ばれた少年、ドルーアは彼の言葉に答えると、両手に構えた二本の剣を振りかぶり、フロータイボールに二閃。HPバーはその攻撃で消滅した。
しかし、それだけでは終わらなかった。
近くの茂みから、更に二匹のグリーンスマイルが甲高い笑い声を上げながら飛び出してきた。
「林檎、七海!」
大剣を構えた少年が、自分とドルーアでは対応しきれないと判断し、即座に後ろにいた仲間に指示を飛ばす。
「はい!」
「了解」
指示を受けた二人の少女は、指示を受けるのとほぼ同時に動いていた。
ドルーアに飛び掛かろうとしていたグリーンスマイルにはドルーアと同じ様に双剣を握った少女、林檎が、大剣の少年に液体を飛ばそうとしていたグリーンスマイルには槍を構えた少女、七海が。グリーンスマイルが仲間に攻撃を命中させるよりも早く、一撃でそのHPを削りとった。
「サンキュー二人とも。あと、ところてんもありがとな」
グリーンスマイルを屠った二人と、的確に指示を飛ばしていた大剣の少年、ところてんにドルーアが礼を言う。三人はそれに頷いた後、自分達の前方で今だに一人で戦っている少女に視線を向けて、苦々しい表情を浮かべた。
自分達も、今のようにモンスターとは十分に戦える。だけど前で戦っている少女とはレベルが違う。
複数のモンスターに対して、単騎で戦い、圧倒する。全く危なげのない彼女の戦いは、まるで剣舞の様だった。しかし、その美しい動きとは裏腹に彼女の表情は険しかった。
ほんの数週間前の彼女は、あそこまで桁外れの動きはしていなかった。今の彼女を鬼とするならば、以前の彼女はさしずめ聖女だ。
「やっぱり、お兄さんの事が原因っスかねぇ……」
彼女が変わってしまった原因について、ところてんが痛ましい表情で呟く。
「多分……な」
「仕方のない事とは……思うんですけどね」
ドルーアと林檎も、剣を振るう彼女を見ながら控えめに頷いた。七海は悲しそうな、どこか苛立っているような、そんな表情を浮かべて、口を開かなかった。
「どうしたんですか――早く先に進みましょう」
いつの間にか彼女に群がっていたモンスターは全滅しており、森は静寂を取り戻していた。かなりの数を相手にしたというのに、彼女の顔に疲労の色はない。
「分かったよ、栞」
四人はお互いに顔を見合わせて頷くと、森の奥へと進んでいく少女――栞の後を追った。
――
仮想現実空間装置を利用して開発された、VRMMO《Blade Online》。その世界にプレイヤーが囚われ、デスゲームが開始されてから既に二ヶ月近くの時間が経過していた。
ゲームが始まった直後は、攻略エリアに出て攻略に乗り出そうとするプレイヤーは極僅かだった。この世界での命――HPバーの残り残量が0になった時、現実世界でも命を失う可能性がある。死の危険性がある様な所に出て行きたくないのは当然の事だ。
時間が経過して精神が安定した頃に、エリアを攻略していたプレイヤーによって、エリアについての情報や、比較的安全にレベル上げ出来る方法が掲示板に上げられた。それによって、街の中に引き篭もっていたプレイヤー達が、少しずつエリアに出てくるようになっていた。
その頃には第一攻略エリア《ワイルドフォレスト》の攻略も佳境に入っていた。
「なんか、街の風景にも見慣れて来たっスねぇ」
「よく考えるとこの街での生活も二ヶ月近いもんなー……。そりゃ慣れるよ」
《ワイルドフォレスト》の攻略を終えた栞達は街に戻り、自分達が宿泊している宿を目指して歩いていた。
ところてんの呟きにドルーアがため息混じりに答えた。
最初は目がチカチカして慣れなかった、ヨーロッパの街並みを連想させるパステルカラーの建物も今や日常的な風景になってしまっている。教会にある大きな鐘が音を鳴らすのも「ああ、もうこんな時間か」としか感じない。
「私はところてんの顔に今だに慣れないわ。というか、何で一緒に行動してるの?」
慣れって恐ろしいッス、と頭を押さえるところてんに向かって、七海の辛辣な言葉が突き刺さった。涙目になりながら抗議するところてんを、七海は素知らぬ顔でスルーする。
「まあところてんが何で一緒に行動してるかは分からないけど、取り敢えず声が大きいから黙ろうな」
「理不尽っスッ」
半笑いのドルーアの言葉に、若干声のボリュームを落としながら項垂れるところてん。黄土色の頭を押さえながら「俺ってそんな認識なんっスか……」と落ち込む彼を見て、ドルーア達が笑う。現実世界の時と同じ、いつも通りのやり取りだった。
「…………」
「栞?」
そんなお約束にいつもなら混ざってくる筈の栞は暗い表情をしたまま口を開かない。会話に混ざってこない栞を心配した林檎が声を掛けると「あ……どうかしましたか?」と顔に無理やり笑みの形を作った。
「あ、そういえば、またあの人のパーティ仲間増やすらしいっスよ」
そんな痛ましい栞の様子に沈みかけた空気を、ところてんが唐突に新しい話題を出して緩和した。いつもいじられキャラとして皆に弄られているが、ところてんは空気を読むことに長けている。彼がわざと素っ頓狂な事を言ってその場の空気を軽くした事も何度もあった。ところてんはこのパーティのムードメーカーと言える。
「あぁ、俺も掲示板で見かけたよ。『シオン』って女の人だろ?」
「私達と同じように、ゲームが始まってからすぐにエリアで攻略していた方ですよね?」
内心でところてんに感謝しながら、ドルーアと林檎がその話題に乗っかった。
二人の言葉を聞いて、栞は「ああ……」と話の内容を理解したようだった。乗っかってくれた二人に、ところてんが目で礼を言う。
「え、シオンって誰?」
「お前、何回も会ってるだろ……」
七海が何の反応も示さないと思っていたら、話題に出ているシオンが誰なのかを理解していなかっただけだったらしい。ドルーアはガックリと肩を落としながら、きょとんとしている七海に突っ込みを入れる。
「ほら、前にところてんが言ってたじゃないですか。えっと……『ボクっ娘』でしたっけ?」
今だに分かっていない七海に対して、栞がフォローを入れた。『ボクっ娘』という言葉に慣れていないようで、少したどたどしい言い方だったが、七海は思い出したようでポンと手を打つ。
そして『ボクっ娘』などと言う言葉を栞に吹き込んだところてんに冷たい視線を向けた。「ひぃ」と小さく悲鳴を上げるところてんからすぐに視線を逸し、七海は頭の中でシオンに会った時の場面を思い出した。。
『ボクっ娘』という表現は何だか嫌だが、確かにこの表現は間違っていない。以前、攻略エリアの中で顔を合わせたシオンという少女の一人称は『ボク』だった。
「ああいうの、ロールプレイっていうんだっけ。ちょっと痛々しかった」
「それは言わないであげて欲しいっス……」
七海の辛辣な言葉に、語尾に「っス」を付けるというある意味、後輩キャラのロールプレイをやっているところてんは苦い顔をしながら懇願する。
「ふん」と見下したように鼻を鳴らす七海の態度に苦笑しながら、ドルーアが途切れた話を再開させた。
「他の所のパーティも人員を増やしているみたいだし、俺達のパーティは仲間の募集とか掛けないのかな、って思ってさ」
ドルーアの疑問に対して、栞が「そうですね……」と手を顎に当てて思考する。
現在、このパーティのリーダーが誰かと聞かれたら、満場一致で全員が栞と答えるだろう。βテスターとして《Blade Online》をプレイしていたところてんにはこのゲームを攻略する為に知識を出して貰っているが、しかし彼はリーダーという柄ではない。現実世界ではいつも栞が皆の中心的存在だった。それはゲームになっても変わらない。
だからこそ、栞が落ち込んでいるこの状況は不味いのだが。
「えっと、確か第三攻略エリアが解放されたらギルドが作れるようになるんでしたよね?」
「そうっスね。作れるようになるって言っても、確か何らかのアイテムをゲットしないといけなかったと思うっスけど」
林檎の疑問に対して、とろこてんが頷く。
ギルド結成に関しては、ゲームの公式サービスが開始される前に、公式ホームページに記載されていた。
「でしたら、私は仲間を増やすのはもう少し待ってみてもいいんじゃなかと思いますわ。あんまり仲間を増やしても、パーティメンバーには人数制限がありますし、ギルドが作れるようになるまでまだ時間がありますからね。この段階で無闇に仲間を増やすのは危険だと思います」
「確かにそうだなぁ。このゲーム、確かPKが出来るんだろ? 知らない奴を仲間に入れて、背中から刺されたりするのは嫌だな」
運営の人間が最初に言っていた話が本当ならば、この世界での死は現実での死に繋がる。まだ分からない事が多い現状で、信用出来ない人間をパーティに入れるのはリスクが高過ぎる。
「ふむ、そうですね。仲間を募集するのは、もう少し攻略が進んでからでもいいでしょう。現状、私達五人で問題なく攻略を進められてますから、仲間を増やす意味もないでしね」
顔を上げた栞がそう結論付けた。他の四人は彼女の意見に賛同し頷く。
第一攻略エリアに関しては五人どころか栞一人で攻略できるよなぁ、と他の四人は思ったが口には出さない。五人ともレベルはほぼ同じなのに、栞のプレイヤースキルがずば抜け過ぎているのだ。このパーティで栞に対抗できるとしたら、βテスターのところてんぐらいだろう。
パーティの今後についての話が一段落した所で、ちょうど目的地である宿に到着した。この頃にはすっかり夕日が落ち、辺りは暗くなっていた。
「この宿を借りることが出来た事だけは、ところてんを褒めてもいい」
自分達の宿泊している宿を見上げながら、かなり尊大な言い方ではあるものの、七海が珍しくところてんに対してプラスの評価を付けた。
ここは《セーフティタウン》の東の端の方に位置する隠し宿だ。このゲームにはぱっと見、宿や店に見えない所でも、実は宿泊出来たり、アイテムが買えたりという事がある。この宿もその一つだ。
正面の花の装飾がされた大きな扉や、かなりの数の窓、赤色の屋根や尖塔。そういった外見を見ると、宿と言うよりは豪邸だ。
「伊達にβテスターやってないっスからね」
胸を張るところてんに、皆が苦笑する。
ゲームが始まってすぐに、ところてんがここへ皆を案内して部屋の予約を済ませた。宿に宿泊できるプレイヤーの数には限りがあり、出遅れればランクの低い宿で泊まらなければならなくなるからだ。実際、街には数多くの宿があるが、その中でも豪華な物はすぐに予約が一杯になって、出遅れたプレイヤー達ははボロっちい宿で泊まっている。
栞が宿の扉を開けると、目が眩むほどの光が隙間から溢れ出してくる。入ってすぐで天井に大きなシャンデリアが煌々と室内を照らしているからだ。
艶々と黒光りする大理石の床に足音を鳴らしながら、栞達は宿の中を進む。
一階には食堂と風呂があり、二階にプレイヤーが宿泊できる部屋が幾つもある。
栞達は大理石の階段を登り二階へと向かう。その間、栞達は誰ともすれ違わない。何故なら、この宿に部屋を借りているのは栞達五人だけだからだ。正確に言うならば、この宿の全ての部屋を五人で借りている。無用なトラブルを避けるために林檎が提案した案だ。
全員、一度自分の部屋に戻り、それから一階のお風呂で入浴する。それから食堂で日替わりの豪華なディナーを食べ、雑談した後、それぞれ自分の部屋に戻った。
ゆったりとした白いパジャマを身に付けた栞が、ベッドの上に勢い良く倒れこむ。現実世界での自分のベッドとは比べ物にならない程の弾力だ。身体がズブズブと沈んでいく感触。
以前までの栞ならばこのベッドにはしゃいでいただろうが、今はそんな気にはならない。
「兄さん……」
シミひとつ無いクリーム色の天井を眺めながら、栞が小さく兄を呼ぶ。
兄であるアカツキと最後に会ってから、既に二ヶ月近くが経過している。その日から、栞は一度も兄を見掛けていない。街の中を探し、エリアの中も探した。掲示板でアカツキというプレイヤーについての情報を探し回ったが、出てくるのは別人ばかり。
もしかしたら、もう――。
「――そんな訳ないッ!」
叫び、浮かび上がった考えを必死で否定する。しかし何の根拠もないその叫びは、ただ虚しいだけだった。
――あの時、兄を自分のパーティに入れていれば。
後悔の念に胸を引き裂かれそうになりながら、栞は掲示板を開いて兄の情報を探す。しかし、結局彼についての情報がヒットする事はなかった。
目頭が熱くなって、やがて涙が溢れてくる。頬を伝う涙の感触はゲームの中だというのに現実と変わらなくて、栞にはそれが憎かった。
「寂しいよ 」