第1話
「お手伝いいたしますよ」
私は佐藤理花、高校二年生。自分の特技を挙げるなら、たぶん『断るタイミングを逃すこと』だと思う。
「佐藤さん、いつもありがとうね。じゃあ、これお願いできるかしら?」
担任の先生が、申し訳なさそうに、でも当然のように私の机を指差した。そこには、私の身長の半分くらいはありそうな、山積みの教科書がそびえ立っている。
(え、これ全部……?)
一瞬、思考が止まる。
「……あぁ、ちょっと多すぎたかしら?」
「い、いえ! お手伝いできるなら喜んで!」
喉まで出かかった本音を飲み込んで、私はいつもの『いい子』の笑顔を貼り付けた。
「そう? 助かるわー。じゃ、よろしくね」
先生は軽やかに教室を出ていく。あとに残されたのは、重苦しい紙の束と私だけ。
……重い。
教科書の角が腕に食い込んで、じわじわと体力を奪っていく。だけど、私がやんなきゃ誰がやるのか。そう自分に言い聞かせながら廊下を歩いていると。
「んな重そうなもん持って、どこ行くんだよ」
低い、少しぶっきらぼうな声が背後から響いた。
驚いて振り返ると、そこにはクラスメイトの前田君が立っていた。いつも機嫌が悪そうで、近寄りがたい雰囲気を纏っている彼だ。
「前田君」
「おう。名前、覚えてたか。佐藤」
「職員室まで運ぶの」
「……一人じゃ大変だろ。半分寄越せ」
「あ、いいよ! 大丈――」
大丈夫、とそう言い切る前に、彼は乱暴に私の腕から大部分の教科書を奪い取っていった。
「いや、半分じゃないし。私もっと持てるよ」
「うるせえ、早く行けよ」
彼は私と目を合わせようともせず、スタスタと歩き出してしまう。重いはずの教科書の山を、まるで羽毛でも持っているかのような軽やかさで運んでいく背中。
私は慌てて、残された数冊を抱えて彼の後を追った。
職員室までの道のりは、少しだけ気まずくて、でもどこか温かかった。
「あ、前田君……ありがとね」
「……」
返事はない。でも、彼が私の歩幅に合わせて、心なしかゆっくり歩いてくれているのが分かって、胸の奥が少しだけくすぐったくなった。
「よし、これで全部か」
職員室に辿り着き、重荷を下ろした彼が、軽く肩を回す。
「あら、佐藤ちゃん。前田君も、どうもありがとうね。助かったわ」
先生が明るい声をかけると、私はいつものように「いえ、どういたしまして!」と満面の笑みで答えた。けれど、前田君の反応は違った。
「佐藤のやつが手伝ってただけですよ。俺はついでに持っただけなんで。……失礼します」
自分の手柄をこれっぽっちも誇ることなく、彼はさっさと職員室を後にする。私は慌てて先生に会釈して、彼の後を追いかけた。
放課後の廊下に、二人の足音が響く。窓の外は、もうオレンジ色の夕焼けが差し込んでいた。
「はぁ、ったく……。お前さ、断れよ」
廊下に出た途端、前田君が歩きながらぼそりと呟いた。
「え?」
「だから、断れよ。お前、お人好しにも程があるだろ。先生も先生だ、あんな重いもん女子一人に持たせやがって」
怒っている。でも、それは私に向けられた怒りじゃない。そう気づいた瞬間、なんだか喉の奥がキュッとなった。
「……あ」
前田君が立ち止まったのは、廊下の隅にある自動販売機の前だった。彼はポケットから小銭を取り出すと、迷いなくボタンを押す。ガコン、と重たい音が響き、取り出された缶ジュースが私に突き出された。
「ん、飲めよ」
「え? いいの? ちょっと待って、すぐお金出すから……っ」
慌ててカバンを探ろうとすると、彼は首を横に振って、さらにぐいっと缶を押し付けてきた。
「いい。……お前、さっきから顔赤いし、体調悪いんだろ。ほら、飲め」
(……気づいてたんだ)
今日、本当は少し頭が重くて、心が疲れていたこと。誰にも気づかれないように隠していたはずの綻びを、一番怖がっていたはずの彼に見抜かれていた。
「ありがとうね」
「別に。気にすんな」
そっけなく前田君は言うけれど、手渡された缶ジュースは冷たくて、私の火照った体に心地よかった。
優しいんだな、この人。
そう思うと、なんだか少しだけ、いつもより心が軽くなった気がした。
「ありがとうね。」
「別に。気にすんな」
そっけなく前田君は言うけれど、手渡された缶ジュースは冷たくて、私の火照った体に心地よかった。
優しいんだな、この人。
そう思うと、なんだか少しだけ、いつもより心が軽くなった気がした。
「……前田君」
「あ?」
「さっきの、『断れよ』ってやつ。……実は、ちょっとだけ図星だったかも。私、断るの苦手なんだよね。嫌な顔されるの、怖くて」
自分でも驚くほど、素直な言葉が口を突いて出た。いつもなら「そんなことないよ」と笑って誤魔化すはずなのに。
前田君は足を止めて、私をじっと見つめた。
夕日に照らされた彼の横顔が、少しだけ真剣なものに変わる。
「嫌な顔されたって、お前が壊れるよりはマシだろ」
「……え?」
「お前がヘラヘラ笑って、裏でボロボロになってんの。……見てるこっちの身にもなれよ。不愉快なんだよ」
不愉快。その言葉は鋭かったけれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、私の「隠している辛さ」に、彼だけが怒ってくれているように感じて、胸の奥が熱くなった。




