10 他所様の執事に圧をかける
二人に着替えを手伝ってもらったあとは、お母様付きのメイドに頼んで化粧をしてもらった。
二人に頼まなかったのは、彼女たちを信用できないから。
一生懸命働くと言っていたが、そんなことは当たり前だ。
ホットラードが来るまでにお父様に話をした。
本当に何も知らなかったらしく、私に何度も謝ったあと、メイドたちをどうしたいか聞かれた。
私としては、彼女たちがどうなってもいい。だけど、アリスはどうだろうか。
それがわからなくて、メイドたちをクビにするかはお父様に任せるが、もし残す場合は、私の担当から外れてもらうことにした。
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約束の時間になって現れたのは、ホットラードではなく、彼の家の執事だった。
アリスの婚約者は、なんて常識知らずなのだろうか。
イライラしながら、応接室に入ると黒い髪をオールバックにした男性がソファから立ち上がった。
「はじめまして、アリス様。本来ならルーベン様がいらっしゃらなければならないところでしたが、体調不良のため、ホットラード家の執事である私、リチバットが代わりに馳せ参じました」
黒の執事服に身を包んだ中肉中背の紳士は、深々と頭を下げた。
アリスの婚約者の名前は、ルーベン・ホットラードだったっけ。
本人の顔が見られなかったのは残念だが、話が通じるかわからない相手と話すよりかは、話が通じそうな相手と話をするほうが楽なはず。
どうか、この執事はまともでありますように!
この後の対応は、社会人を経験したスキルで乗り切ることにする。
「ご足労いただき、ありがとうございます。ルーベン様の体調が優れないのでしたら、仕方がないことですわ。お大事にしていただきたいものです。あ、そうだわ。元々、頭の具合が悪いようですし、一緒に頭も診てもらったほうが良いと思いますとお伝え下さいませ」
「え? あ、頭、ですか」
「はい」
私はにこりと微笑み、躊躇なくうなずいた。リチバットさんは困惑の表情を浮かべて私を見つめている。
ホットラードからは、私がこんな人物だとは聞いていなかったんでしょうね。
……会社ではこんなことはさすがに言ってなかったわ。つい本音が出てしまった。気をつけなければ。
戸惑っているリチバットさんに「失礼いたしました」と苦笑し、ソファーに座るように促す。
彼は恐縮しながらも、小脇に抱えていた大きな茶色の革鞄を抱きしめて腰を下ろした。
応接室はそう広くなく、茶色の三人掛けのソファが二つと木製のローテーブル。部屋の奥に暖炉、あとはメイドがサービングカートを押して歩けるくらいのスペースがあるだけだ。
メイドがお茶を淹れに入ってきたので、彼女が出ていくまで、天気の話をした。
フレーバーティーを淹れているようで、花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
この世界の紅茶はどんな味なのだろう。
期待してティーカップに目を向けて気がついた。
私の変貌ぶりが伝わっているらしく、初対面のメイドだというのに、私のカップにお茶を注ぐ手が震えていた。
「あの、大丈夫?」
「ははは、はいぃ! 大丈夫でございます! では失礼いたしますぅ!」
メイドは涙目になってそう叫び、サービングカートを押して出て行った。
人を何だと思ってるのよ。そこまで怯えなくていいじゃないの!
メイドが出ていった扉を睨んでいると、リチバットさんに話しかけられた。
「あ、あの、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。本日の用件ですが、婚約を解消するというお話でよろしかったでしょうか?」
「そうでございます。」
リチバットさんは持ってきていた茶色の革鞄からA4サイズの紙を取り出して、ローテーブルの上に置いた。
「婚約の解消についての書類でございます。ご両親にご確認いただいてから、サインをお願いできますでしょうか」
「拝見させていただきます」
内容に目を通してみると、私には理解不能な内容が書かれていた。
文字がちゃんと読めていないのかしら。もしかして暗号で書かれてる?
目を瞬かせたあと、リチバットさんに確認する。
「あの、ルーベン様は浮気したのですよね?」
「は、はい。そうでございます。坊っちゃんが大変失礼なことをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
リチバットさんは額から流れ出た汗を、白いハンカチで拭いて頭を下げた。
「この紙に書かれてある内容をリチバットさんはご覧になられましたか?」
「え、ええ。はい。その、作成を任されたのは私ですので、その際に目を通させてはいただきましたが……」
婚約の解消はするが、なぜかアリスの有責にすると書かれている。
こんなふざけた内容が書かれた書類にサインできるはずがない。
「では、お聞きしますが、浮気された側が慰謝料を払うことになっているようなのですが、このことについてはどう思われますか?」
「おかしいとは思いましたが、旦那様の指示でございまして……」
私からの圧を感じたのか、リチバットさんは涙目で私を見つめた。




