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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

幽明境を同じくす〜免許合宿の悪魔〜

作者: 竜流
掲載日:2026/02/12

 「間もなく、絹沢です。絹坂線はお乗り換えです。絹沢の次は――」

もう三時間も経ったのか。

寝ぼけ眼を擦りながら私は荷物をまとめて立ち上がる。

「新幹線、寝心地よかったなぁ」

名残惜しかったが仕方ない。二週間の辛抱だ。またあのフカフカの椅子で惰眠を貪るために頑張ろう。

そう思いながら重いスーツケースを半ば引き摺るようにして絹沢駅の改札を抜けた。

「絹沢自動車学校の方、絹沢自動車学校の方はこちらでーす」

「秋坂ドライビングスクールの方はこちらにどうぞー」

絹沢駅構内には、入校予定者を案内する人と私と同じくスーツケースを持った人でごった返している。

「あの、すみません」

「はい、絹沢ですか? お名前お願いします」

「今日入校の紫藤こなみです」

「はい、紫藤さんですね。バスが来るまであちらでお待ちください」

指定された場所に目を向けると、既に長い列が形成されていた。

私もその列に加わろうと近付いた時、ある違和感を覚えた。

並んでいるほとんどの人が誰かしらと親しげに話しているのだ。

あれ、もしかして免許合宿って友達と来るものなのか?

そう気付くにはあまりにも遅すぎた。

いや、そもそも誘える友達がいないのだから遅いも何もないのだけれど。

自分の異物感に頭を抱えていると、送迎バスの到着時刻となった。


 

 バスに乗り込んだ私は、空いている最前列へと滑り込んだ。

1人で2人席を占領するのも気が引けるな、なんて考えながら外をぼんやり眺めていると、横から声が聞こえてきた。

「あのー。隣いい?」

驚いて振り向くと、茶色い髪を肩まで垂らした小柄な女の子がこちらを見つめていた。

年は15歳くらいだろうか。いや、15歳は免許取れないか。とすると16、17?

返答を待たずに隣に座り込んだ女の子がじっとコチラを凝視してくる。

何だか落ち着かないので気づかないふりをして外を眺めていると、唐突に話しかけられた。

「はじめまして、ゆいかだよ。19歳」

「えっ。同い年!? じゃなくて、はじめまして。私、紫藤こなみです。大学2年です」

差し出された右手を握り返しながらぎこちなく答えた。

「……ふーん。見えないね」

貴方には言われたくない。なんて言えるわけもなく、笑って誤魔化した。

「ねぇ。こなみんはどこから来たの?」

「こなみん!?」

「そう、こなみん。私のことはゆいにゃんでいいよ!」

「いや、さすがにそれは……」

何だか変わった子だな。でも、入校初日で心細い中、話し相手がいるのはありがたかった。

「それで、どこから来たの?」

「東京からだよ」

「うっそ、東京!? シティガールだ。私は富山からなんだ」

「へぇ富山か。行ったことないなぁ」

「そうだよね。東京には何でもあるって聞くし、富山なんて行かなくても困らないもんね」

「あ、いやそういうわけじゃなくって」

慌てて弁明するとゆいかは微笑を浮かべた。

「気にしないで、ほんの冗談だから。そんなことよりも、知ってる? 例のうわさ」

「うわさ?」

急に何の話だろう。声を落としたゆいかに向き直る。

「そう。今から私たちが行く絹沢自動車学校の」

「ううん。聞いたことない」

「実は……、今から向かう自動車学校ね、合宿生が多いこの時期に行方不明者が出るんだって」

「行方不明!?」

冗談じゃない。私は都市伝説やら怪談が大の苦手だ。

今住んでいる家も事故物件じゃないかはもちろんのこと、半径2キロメートル以内にお墓がないか念入りに確認したものだ。

両親からは大袈裟だとか言われたけれど。

「そうなの。だから昨日から寝れなくて……」

無理もない。良かった、やっぱり女の子は怖い話が苦手なんだ。

「はぁぁ。早く着かないかな。もう待ちきれないよ!」

「……え?」

「こなみんどうしたの? こんな機会滅多にないよ。めいいっぱい楽しまないと!」

ゆいかはそう言ってニコニコ笑っている。

「私がおかしいの?」

私の呟きに返答してくれる人は誰もいなかった。


 

 免許合宿初日、オリエンテーションが終わると間髪入れずに学科教習と実技教習が開始され、ゆいかから聞いた話など忘れてしまうほど目が回る忙しさだった。

「疲れた。まさか一日目から運転させられるなんて思ってもみなかったよ」

時刻は19時。私とゆいかは、今日から泊まるホテルまでの送迎バスに乗っていた。

「だね。もうお腹ペコペコだよ」

「これが後13日か……。帰りたい」

「ええっ。楽しいのはここからだよ、こなみん。私たちのホテル、温泉もあるし、ご飯はバイキングなんだよ! それにマッサージのサービスもあって」

「そうなんだ。それはちょっと楽しみかも。詳しいね、ゆいか」

「え? まあ、楽しみでいろいろ調べてきたんだ」

修学旅行ではしゃぐ小学生みたいだな。そんなことを考えているとバスがホテルに到着した。

ホテルに入るとすぐに食事処へと案内された。

「うおおおおおお。海鮮!」

「こなみん、私よりテンション高いね」

そんなこと言われたって仕方ない。一人暮らしの大学生にとって寿司は雲の上の存在なのだ。皿に盛った大量の寿司をいそいそと口の中へと放り込んでいく。

もうずっと免許合宿でいいかも。

「この後一緒に温泉行こうよ。10時には閉まっちゃうから」

あんなに楽しみだなんだ言っていたゆいかはもう箸を止めている。

「待って、あと20貫は食べたい」

「えー。いつまでいるつもり? 先お風呂行っちゃうよ?」

「分かった。後で向かう」

ふくれっつらのゆいかには気づかないふりをして、おかわりのために席を立った。

「ねぇ知ってる? このホテルに伝わる怪談」

「ちょっ、急に何の話?」

立ち上がったまま固まる私に構わずゆいかは語りだした。

「今から10年前、このホテルの露天風呂に一人で入っていた女性が何者かに連れ去られ、そのまま行方をくらませたって話。翌朝にはその女性のものと思わしき長髪が湯船に浮かんでいたとか」

「うあああーあーあー。聞いてない。何も聞いてないよー」

嘘だ。ばっちり聞こえていた。

「じゃ、私先に行くよ!」

「待って待って待って。分かったから。私も行きます、一人にしないで」

こんな話を聞いた後に一人でなんて行けるわけがない。満面の笑みのゆいかに少し腹が立ったがやむを得ない。

フロントでスーツケースを預け、館内着とタオルを受け取った私たちは大浴場へと向かった。


 

 奥行きがある和風の大浴場は貸切状態で、外に露天風呂があるのも見て取れた。

「広いね。木の匂いもしてリラックスできそう」

「でしょ! 露天風呂はもっと大きくて滝湯とかもあるんだよ」

早速外に出ようとするゆいかを引き留める。

「まず体洗ってからじゃないと」

「はーい。ん?」

ゆいかがこちらを向いて動きを停止させる。

「どうしたの?」

「こなみん、おっぱい大きいね」

「は、はぁ!?」

思わず体に巻いているタオルを引き上げた。

急に何を言い出すんだこの子は。

「いやー。朝会った時から思ってたんだよね。でも想像以上だよ。うん。さっきの食べっぷりにも納得がいくよ」

「なに勝手に納得してるの。食欲は関係ないと思うけど」

「そうなの? そうかもね。私のコレは少食のせいじゃないんだね……」

「あ、なんかごめん」

「ぐわーー! こんなモノぶらさげといて何が『こなみ』だぁぁ」

「だから、名前も関係ないでしょって。あっ、そんなに引っ張られたら!」

「よいではないか〜よいではないか〜。ぐえ」

悪ノリが止まらないゆいかをチョップで黙らせる。

「うう、ごめんなさい」

「はぁ、いいから早く体洗おう」

呆れ顔をして見せた反面、楽しんでいる私もいた。妹がいたらこんな感じなのだろうかと、思わず想像してしまう自分が少し恥ずかしかった。

体を洗い終えた私たちはしばらく内風呂に浸かっていた。

「本当に露天行かないの?」

不服そうなゆいかは湯船に顔まで浸かってブクブク音を立てている。

「だ、だって、事件があったんでしょ? 二人でも絶対安全なわけじゃないんだし……」

「こなみんごめん。あれウソだよ」

「え、ウソ? いや、ウソっていうのがウソかも。えっとウソがウソってことはホントがウソでウソがホントで」

「こなみん? 嘘でしょ。もうのぼせてる。上がろっか」

「うん。そうしよう」

ゆいかに肩を借りた私は覚束ない足取りで脱衣所へと向かった。


 

 お風呂上がりの飲むヨーグルトで正気を取り戻した私は、フロントに預けていたスーツケースと鍵を回収した後、ゆいかと別れて自分の部屋に入った。

一人になると、今日の出来事がいろいろと思い出される。半日近く教習所に拘束されるのは大変だったが、ゆいかのお陰で楽しく乗り越えることができた。まだ初日を終えただけなのだけれど。

そういえば、ゆいかが言ってた教習所のうわさ……。

最悪だ。忘れていたのに、こんな時に思い出してしまった。行方不明?いやいや、教習が嫌になって逃げ出したとかそんな話だろう。それか、この話もゆいかのホラ話の可能性だってある。どちらにせよ、考えたって何も変わらない。明日も早いんだから寝よう。

……寝れない。ゆいかのせいだ。明日会ったら文句言ってやる。

ゆいかのウソやセクハラに対する悪態をつき始めた私が入眠したのはそれから3時間後のことだった。


 

 合宿の日々は目まぐるしく過ぎていき、気づけば7日目の朝だ。

午前6時に設定していた目覚まし時計はもう10分近く金切り声を上げ続けている。

「こなみーん、朝だよ」

ドアの向こうからゆいかの声がする。迎えに来たみたいだ。思い切って掛け布団を蹴飛ばし、寝ぼけ眼を擦りながら玄関へ向かった。

「おはよう。ごめん、着替えるから外でちょっと待ってて」

「いいよ、中で待つから。私は全然気にしないから!」

「私が気にするんだってば」

部屋に入り込もうとするゆいかを押し出して鍵を掛けた。

「ちぇー。私たち裸を見せ合った仲じゃん。着替えの一つや二つくらいどうってことないでしょ」

ドアの向こうで拗ねたような声が聞こえてくる。

「変な言い方しないで。ゆいか、今日の仮免試験大丈夫なの? 勉強してるとこ一度も見てないけど」

「平気平気。バッチリだよ」

学科教習中はずっと寝てるのに自信だけは一丁前だ。まぁ、私も人の心配をしている場合ではないのだけれど。

着替えと準備を済ませ、私たちは教本片手にバスの停留所まで急いだ。


 

 技能検定を終えた私とゆいかは、合否発表を確認するためにエントランスへと続く廊下を歩いていた。

「これ落ちたら学科試験受けられないんでしょ? どどどどうしよう。延泊なんて嫌だ」

「大丈夫だってこなみん。仮免落ちるなんてそうそうないよ」

「何でゆいかはそんな余裕そうなの。あー、S字クランクで脱輪した人間に仮免なんて授与されるわけがない」

「でもちゃんと戻れたんでしょ? きっと受かってるよ。もし延泊したら私も一緒にいてあげるよ!」

震える私の手を握ってゆいかは励ましの言葉を送ってくる。どさくさに紛れて臀部を撫でてくる逆の手を払いのける余裕が私にはなかった。

あと1分でモニターに合格者の受験番号が提示される。リラックスして鼻歌を歌っているゆいかの横で私の心臓がビートを刻む。

「13時になりました。合格者の掲示を行います。受験生の方はエントランスにお集まりください。」

アナウンスが響き、受験生以外の野次馬もぞろぞろと集まってくる。

こんな人数の前で私の不合格が晒されるなんて。いよいよモニターを直視できなくなる。

顔を伏せていると周囲でざわめきが起きた。モニターに番号が掲示されたのだろう。

「えーと、こなみんの番号は24、24。あ……」

代わりに見てくれているゆいかの声が不吉に止まる。

終わった。私だけこの後の学科試験を受けられず補修なんだ。そしてどんどん延長されて、10年たっても教習生として生きて……。

「こなみん……。おめでとう!合格だよ!」

「えっ」

弾かれたように顔を上げてモニターを見ると、24の数字が視界に飛び込んできた。

「夢、じゃないよね。やった、やった。良かった」

「だから言ったじゃん。こなみんなら大丈夫だって。まぁ、落ちて落ち込んでる所を優しく慰める私に落ちるオチじゃなかったのは残念だね」

「はいはい。ゆいかはどうだったの? 何番?」

「え? 内緒だよ〜」

「なにそれ、まぁいいけど」

この感じを見るにゆいかも合格したんだろう。高揚して顔が熱くなっている私と比べて、あいも変わらずニコニコしている。

見た目は子供だけど、意外と肝が据わっているんだな。

「よし、この調子で学科試験も乗り切ろう! 何か行ける気がしてき、あ」

テンションが上がって周りが見えていなかった。思い切り伸ばした腕が右に立っていた人の頬に捩じ込まれている。

「痛って」

右隣にいた金髪を腰まで垂らす女性は自身の頬を撫でて顔をしかめている。

「ご、ごめんなさい」

金髪にピアス。こ、殺される。

飛んでくる怒号を覚悟して目を瞑ったまま頭を下げていると、思いの外優しい声が降りかかってきた。

「いいよ、全然。興奮すんのも分かるし。アンタ、受かったんだろ? おめでとう。筆記もお互い頑張ろうな」

「は、はい。ありがとうございます。同じクラスだったんですね。紫藤こなみです」

「ああ、知ってるよ。私は笹原のん。よろしくな」

「えっ」

「今似合わねー、って思っただろ。分かってるよ。こんな可愛い名前」

「いやそうじゃなくって。何で私の名前知ってたんですか?」

「ん? ああ。なんだ、私と同じぼっちだから、勝手に親近感抱いてたってだけだよ。いや、分かるぞ。一人っていいよな。自分の世界に浸れてさ。安心してくれ、これからも絡んだりはしないから。じゃ、勉強しなきゃだし私は行くよ。一匹狼どうし頑張ろうな」

そう言ってのんさんは金髪を揺らしながら颯爽と去っていった。

一時はどうなることかと思ったが、いい人で助かった。人を見かけで判断するものではないな。

「でも、何で私のことぼっちだなんて言ったんだろう? 教習所にいる時は常にゆいかと一緒なのに」

さっきから大人しく黙っているゆいかに聞いてみる。

「え? うーん、滲み出るオーラ?」

「う、うそ。そんなにぼっちオーラでてるの私?」

確かに大学に友達はいないが、一目で分かってしまうものなのか!? なんかショックだ。のんさんと違って私は別に一人が好きなわけではない……。

「って今はそんなこと考えてる暇無かった。試験まであと30分あるけど、もう教室行こっか」

やけに静かになったゆいかが気になったが、おそらく緊張しているのだろう。私も人の心配をできるほどの余裕はない。試験勉強に気持ちを切り替えることにした。


 

 教室に入ると、のんさんが席に着いて教本を開いているのが見えた。他にはロングスカートの女性が二席後ろの位置に座っている。技能検定が始まる前に荷物を置いていた席に座った私は早速最後の仕上げに取り掛かった。ゆいかは教本を出してすらいない。

5分ほど経過し、受講生が続々と教室に入ってきたことで騒がしくなる。そんな中、突然金切り声が教室内に響き渡った。

「ない! 盗られてる! 私の財布!」

ギョッとして振り返ると、のんさんの二つ後ろに座っていた女性が大騒ぎしている。数秒も経たないうちに、周辺の教習生も騒ぎ出した。どうやら、あの一帯の教習生の財布がなくなったようだ。五月蝿そうに顔をしかめるのんさんも財布の有無を確認していたが、動じた様子はない。

「最悪! 荷物こんなとこに置くんじゃなかった!」

「盗難? 誰だよ一体」

財布を盗まれた教習生たちは怒りを露わに周囲を疑わしそうに睨んでいる。

「私は盗まれてないみたいだけど、そんなことする人いるのか。ゆいかは大丈夫?」

「うん。あのね、こなみん。私――」

「私知ってる! この女が財布盗んだのよ!」

ロングスカートの女性が発した叫びによってゆいかの声は遮られた。

「こいつ、私が教室に戻ってきた時に一人でいたのよ。誰もいないうちに財布を盗んだに違いないわ」

「おい、言いがかりはやめてくれ。私はただ早くに来て勉強したかっただけだ」

のんさんが疑いの目を向けられていた。

「はっ、どうだか。あなたみたいな半グレが勉強? 笑わせないで。さっさと私たちの財布返しなさいよ!」

「だから違うって、バカバカしい。勉強続けていいか?」

「なぁ、あの金髪、金盗んだらしいぜ」

「まじかよ。でもまぁ、やりそうな見た目してるよな」

私が話した限り、のんさんはそんな悪いことをする人間には思えなかった。私も見かけで恐怖を抱きはしたが、言いたい放題の周囲には腹が立った。同意を求めようと横を向くと、ゆいかは思い詰めた顔をしていた。

「ねえ、こなみん。あのね? 聞いてほしいんだけど」

ゆいかがおずおずと話しだした。

「それ本当?」

最後まで聞き終えた私は呆気に取られる。

「私が言うの?」

「うん。お願い!」

少し逡巡した後、覚悟を決めた。何だかよく分からないけど、のんさんが無実の罪で中傷されるのは見過ごせない。

席を立った私は、騒ぎの中心へと歩みを進めた。


 

 口論は激化し、8対1の構図となっていた。

「早く財布返せって言ってんのよ!」

「何度も言わせないでくれ。ほら、この通り私のカバンには自分の財布しか入っていない」

「お前の財布が残っているのが証拠だ! なんでこの辺りでお前のだけが無くなってないんだ。明らかにおかしいだろ」

「知ったこっちゃない」

「コイツっ!」

「あ、あのー」

のんさんを取り囲むように形成された円に割り込んだ私は、遠慮がちに声を上げた。

「えっと、のんさんは財布を盗んでない、と思います」

「紫藤、アンタ……」

「はぁ? 何よあなた、まさかグル? みんな、騙されないで! こいつも財布泥棒よ!」

ロングスカートの女性は耳障りな金切り声で威嚇してくる。

「のんさんは教室に向かう前、私と話してたんです。そして、別れた2分後、私も教室に入りました。その際教室にいたのは、のんさんと、この方でした」

「コイツの言い分が正しいなら、誰もいない犯行にかけられる時間は2分もないってことか」

先ほどまで唾を吐き散らしていた男性は顎に手を当てて考え込んでいる。

「はい。その短時間で8人の財布をカバンから抜き取り、どこかに隠せるとは到底思えません」

「じゃあ一体誰が。いや待て、合格発表の時じゃなくても、財布を盗めるタイミングはあるよな」

「はぁ!? そ、そんなのあるわけないじゃない! 財布を盗んだのはこの半グレよ!」

懇願にも似た絶叫を意に介さず私は話を進めた。

「そうなんです。財布を盗めるタイミングは、技能試験中です」

周囲でざわめきが広がった。試験中の教習生は全て車の中にいるため、教室に残っている人なんているはずがない。不可能だ。そう、ある例外を残して。

「あの時間、普通なら教室にいることはできません。ですが、技能試験を受けない、もしくは受けられなかった人は誰にも気づかれずに教室に入ることができます。ところでそのロングスカート、運転に適してないって注意されませんでした?」

「うっ」

「合格発表の掲示には、一つだけ数字が記載されていませんでした。つまり、不合格者がいたんです。12番、あなたの受験番号ですよね」

ロングスカートの女性は肩を震わせたまま声を発することはなかった。

「じゃ、じゃあつまり、運転に適した服装じゃないから試験を受けさせてもらえず、余った時間で財布を盗んだ挙句、他人に罪をなすり付けたってことか!?」

「勘弁してくれよ」

のんさんは苦笑交じりに呟いた。

「あああああああああ! クソクソクソクソ! 何でこの私が仮免で落ちるのよ! 服装なんてなんでもいいじゃないの!」

ロングスカートの女性は地団駄を踏みながら自身のカバンを逆さにし、犯行の証拠を露わにした。

「俺の財布!」

「私のだ!」

「おい、よくも俺の財布を盗みやがったなこのクソアマ」

「ヒッ。い、いや、むしゃくしゃしてたといいますか、本気で盗むつもりはなかったっていうかぁ」

そのままロングスカートの女性は怒り心頭な男性に連れて行かれてしまった。きっと教官に突き出されて、明日ごろには退行処分にされているだろう。とりあえず一件落着だ。試験まであと10分ある。勉強しよう。

役目を終えた私はゆいかの元へと戻った。

「こなみん、お疲れさま」

「はー緊張した。びっくりしたよ。ゆいか、急に犯人知ってるとか言い出すから」

知っていたならすぐ教えてくれたらよかったのに。それに、私に代行させなくても事態を収拾させることができたはずだ。

文句を言ってやろうと口を開こうとした時、ある疑問が頭に浮かんできた。

「ゆいか、何で犯人知ってたの? 教えてくれた犯行状況とかまるで見てきたかのようだったし。でも、ゆいかも試験中だし教室には行けないよね?」

「えっと、こなみん。私は……」

「紫藤、さっきは助かったよ。ありがとう」

背後から声をかけられて振り向くと、のんさんが立っていた。

「いやいや、私は何もしてないです。ただ聞いたことを言ったっていうか」

「聞いた? 誰に?」

「この子です。さっき私に教えてくれて、シャイって訳じゃないのに何でか自分では言わなくて。とにかく、私はお礼言われるようなことは何も」

「えーと?」

のんさんは首を傾げている。

「あっ、ごめんなさい。この子の名前はゆいかで、私と同い年なんです。ちょっとゆいか、自己紹介くらい自分でしてよ」

ゆいかは黙りこくったままだ。

「すみません、何だか今日は元気ないみたいです。テスト前で緊張してるのかもしれません」

「すまない紫藤。よく分からないんだが、ゆいかって誰のことだ?」

何? のんさんこそよく分からないことを言い出した。

「この子のことですよ」

のんさんはさらに顔を引き攣らせた。

「恩人にこんなことを言いたくはないが、からかってるのか? 私には紫藤の隣に誰もいないように見えるのだが」

誰もいない? 何を言っているのだろう。確かに私の隣には、茶色の髪を肩まで垂らした小柄な女の子が座っているのに。

「席に着け、問題配るぞ」

「おっと、もう始まる。とにかく、さっきはありがとうな。この恩はいつか必ず」

のんさんはそう言い残して自分の席に戻っていく。

試験が始まっても私の頭は混乱していて、どこか上の空だった。のんさんの言葉の意味を何とか理解しようと必死だった。そんな状態だったためか、ゆいかの元に問題用紙が届いていないことにも一切気が付かないまま試験が終了した。


 

 ゆいかは幽霊だった。

私がこの1週間を共にした友達の正体は恨みや悔恨から成仏できずに現世を彷徨う死者だった。

仮免許を取得した帰りのバスで、それまでうんともすんとも言わなかったゆいかがポツリポツリと話しだした。

10年前、絹沢ドライビングスクールに入校したゆいかは、卒業検定を目前に何者かに連れ去られ、そのまま……。

気付けば校舎に戻っていたそうだ。連れ去った人間の顔は覚えていなかったと言う。そして、自分が誰からも視認されないことを知り、途方に暮れた。

しかし、この特性の強みを自覚したゆいかは、拉致犯を突き止めるべく調査を始めることにした。3年が経ったある日、ゆいかはある事に気づいた。合宿生が多い季節に毎年、必ず行方不明者が出る。そしてその日は決まって行方不明者の卒業検定前日であり、ゆいかの時もそうだったらしい。これらの事を鑑みるに犯人は教官の中に存在し、失踪は卒業検定前日に行われる路上教習、「みきわめ」のタイミングに起こっている可能性が高い。そしてまた3年後、行方不明者は全て19歳の女性だということが判明した。それから19歳の女性を中心に気を配り、姿が見えないのをいいことに「みきわめ」に同乗することを続けたが全て空振り。何しろ拉致犯は一人だが卒業を控えた19歳の合宿生は50人以上。勘に頼るほかなかったという。そんな中出会ったのが私だ。10年ぶりの人との会話。ダメ元の声かけに反応があった時の衝撃と喜びは私には計り知れない。

「でも何で私には見えたんだろう」

「それは多分、お互いが望んでたんだと思う。誰かと話したいって」

「確かにあの時、合宿に友達と来てる人ばかりで、一人でいるの寂しかったけど、そんな都合よく?」

「そうだね。私、本当はこなみんが作り出した都合のいい幻覚なのかもね」

元気に私を振り回していたいつものゆいかとは思えないほど弱々しい笑みを浮かべている。

「そんなことない! ゆいかはちゃんといる。声だってちゃんとするし手だって握れる。幽霊でもちゃんと生きてる」

「なにそれ、めちゃくちゃだよ。こなみん、怖くないの? 私のこと。都市伝説とか苦手って言ってたじゃん」

ゆいかは俯いたまま呟いた。手の震えが伝わってくる。

「怖い訳ない。だってゆいかは友達なんだから」

「こなみん……」

ゆいかは目を瞑り、唇を軽くすぼめたまま停止した。意図が掴めずじっと見つめていると、ゆいかは焦ったそうにしている。

「こなみんなら、良いよ」

「あほか」

優しくチョップしたつもりだったのだが、ゆいかの瞳からは大粒の涙が溢れてきた。

「あ、ごめん。痛かった?」

握っていた手を離して慌てているとゆいかが胸に飛び込んでくる。

「ううん違うの。嬉しくて、ホッとして。本当はもっと早く言うつもりだったんだよ。こんなに隠すつもりなかったの。でも、怖くて。嫌われるんじゃないかって!」

大声で泣きじゃくるゆいかに文句を言う乗客も、注意する運転手もいない。でも、私がいる。その事を伝えたくて、小さな体をギュッと抱きしめた。ひんやりと冷たかったが、熱い液体がじんわりと胸に染み込むのが感じられた。


 

 時刻は23時。私はなぜか、ゆいかと同じベッドを共有していた。

「誰にも見えてないからチェックインできてないんでしょ。今まで一体どこで寝てたの?」

「えーっと、鍵を閉め忘れてる部屋があったら一晩お邪魔してた」

「何それ怖っ! 犯罪だよねそれ」

「死後に法を説かれても。それに、これからはこなみんと一緒に寝るから大丈夫!」

「いいけど、寝てる時変なとこ触らないでよ」

密着してくるゆいかをベッドの端に押しのける。

「ケチ。私の作戦教えてあげないよ?」

「作戦?」

「そう! 拉致犯。ううん、教習所に巣食う悪魔を退治するための作戦だよ」

ゆいかが霊として存在する理由。それは自分を襲った悪魔への報復を果たすためだ。

「具体的にどんなの?」

「えっとね。こなみんを囮にする」

「は?」

「最後まで聞いて。こなみんの「みきわめ」の担当が悪魔なら、私も同乗して後ろから倒せる。だからそのために、こなみんはこれから悪魔の目に留まるように目立って欲しい」

それ、一歩間違えたら私が犠牲になりそうなのだが。

「大丈夫大丈夫! こなみんに危険はないから。私を信じて」

私から何も反応がない事に気づき、ゆいかは慌てたように付け加えた。

「分かったよ。何をすればいいの?」

「こなみんには明日から、この10年で行方不明になった人たちについて事務所と教官に聞き込みをしてもらいたい。なぜか行方不明は公にされてないけど、嗅ぎつける人間がいたら悪魔は放っておかないと思う」

つまり、私は悪魔にとって始末するべき人間になる必要があるというわけだ。

「でも、「みきわめ」を待たずに襲われたら?」

「大丈夫! 私が守るから!」

本当に大丈夫なのかな。

不安は残るが、ゆいかの10年を無駄にするわけにはいかない。それに、所詮相手は人間。妖怪でも幽霊でもない。怖がることはないのだ。

「うん。やろう。悪魔退治」

「それでこそ私のこなみん! 大好き」

ゆいかは抱きつくふりをして両手を胸に伸ばしてくる。

「あれ? こなみん、おっぱい触ったらいつも怒るのに。今日はどうしたの? はっ、まさか私のこと……」

「いやその、ゆいかのスキンシップが過剰なのが、10年もの間人肌に触れられなかったからなのを知っちゃったら怒れなくて」

「えっ。あ、うん。そうそう。そうなんだー。やっぱり寂しくてー」

目が泳ぎまくっている。

「ただの性欲?」

「うっ」

伸ばされた両手を即座にはらい除けた私はゆいかを背に入眠の姿勢を取った。

弁明の言葉が聞こえた気がするが、私の意識は既に微睡の中へと溶けてしまっていた。


 

 免許合宿後半戦。筆記試験は合宿中に行われないとのことなので、私は新たな使命である聞き込みに精を出すことにした。まずは受付に向かい、行方不明の事実について確認。次に、技能教習で担当となった教官に探りを入れてみる。これを3日続けてみたが、帰ってくる言葉は示し合わせたかのように同じだ。

『最近の子はそういうのが好きだね』

「おかしくない? 毎年行方不明者が出てるなら、誰かしら知っててもおかしくないってのに。ごめん、ゆいか。手がかりゼロ」

「全然いいよ。嗅ぎつけてるこなみんを悪魔に認知させるのが目的だし。にしても変だよね」

二人して頭を抱えてみるが、頭の中の霧が晴れることはなかった。

10年ここにいるゆいかにも分からないことが私に分かるとは思えない。今は考えるよりも、私にできることをするしかない。

「そういえばゆいか、みきわめに同乗できたとして、どうやって悪魔を退治するの?」

腕を組んでバスの座席に寝転がっているゆいかに疑問を投げかける。

「そりゃあ、グッとやってバシッてしてボンボコボン!って感じだよ」

「オーケー、無策ね」

一応この子、私よりも年上ってことになるんだよな。ホントか?

「だってだって、人間の倒し方なんて分かんないもん。ニンニクも十字架も効かないんだよ?」

たしかに、悪魔退治と言っても、物理的に倒すのは難しいかもしれない。証拠もないのに危害を加えれば罪に問われるのは私たちだ。というか、ゆいかは私以外には見えない。ゆいかのやったことは私がやったことと同義にみなされるだろう。

「うーん、困ったな」

「行き詰まっちゃったね。よし! こういう時はベッドでイチャイチャに限るよ。ね、こなみん?」

そう言って、腕をこちらに広げるゆいか。

「ちょっと、ここバスなんだけど」

人が真剣に悩んでいるっていうのに、緊張感のないヤツだな全く。

「ちぇー。じゃあ、ホテルついたら、こなみんの部屋でならいいよね?」

「はぁ。まぁ、いい、けど」

まんざらでもない私だった。


 

 息をつく間もなく3日が経ち、ついにその日が来てしまった。悪魔とご対面だ。この数日間、悪魔の目を引くためにできる限りのことをやってきた。昨日なんて、人が最も集まるであろう昼時の食堂の真ん中に立ち、この教習所で起こった事件について大演説を披露したのだ。騒ぎを聞きつけた事務員にこっぴどく叱られたが、きっと悪魔の耳にも入ったことだろう。のんさんの時といい、ゆいかは人使いが荒い。でもまぁ、そのおかげで少しは肝っ玉が座ってきたのを感じる。その証拠に、これから凶悪犯罪者と対峙するっていうのに、心臓は平常運転でいらっしゃる。

決意を固めた私は、隣に座るゆいかの手を強く握りしめた。それに反応するように、ゆいかはこちらを見つめる。その瞳にはいつもの爛々とした光と、一筋の恐怖が浮かんでいる。自分を亡き者にした相手と対面するのだ。怖くないはずがない。私は少しでもゆいかの心が落ち着くように、強く頷いてみせた。

この作戦が成功すれば、ゆいかはどうなるのだろうか。生前の無念を晴らした幽霊は、現世にとどまることはできないのだろうか。そう思うと心が揺れるが、もう迷いはない。ゆいかと過ごした日々を胸に、彼女を笑顔で送り出すのだ。うん、素敵なハッピーエンドじゃないか。

「紫藤こなみさん、エントランスまでお越し下さい」

この時の私は、さながら魔王を討伐しに行く勇者のように、力強い足取りで廊下を闊歩していたことだろう。

さて、私のゆいかを傷つけた罰、受けて貰いますか。


 

 いや、ちょっと待って。待って欲しい。どうしてこうなった。待って下さい。待てと言われて待つような私じゃないけれど、今回ばかりは待って欲しい。なぜ、なぜ、みきわめの教官が3人もいる?

状況を整理すると、みきわめの時間になってエントランスまで行ったら、教官が3人待っていた。短髪で胸板が無駄に厚い大柄な男、小太りで汗まみれの男、何故か室内で帽子を被っている小柄な男。他の子達は一人につき教官一人にもかかわらず。もうその時点でパニックだった。

必死の抗議も虚しく、私の車には3人の悪魔が乗り込んでくる。最悪なことに、作戦の前提だったゆいかの同乗が、後部座席に左右から乗り込んだ二人の教官によって阻まれてしまったのだ。結果としてゆいかは教習所に取り残され、私は今路上にいる。死地までドライブの最中というわけだ。

「君、聞いたよ? 何だか教習所内で騒ぎ回ってたとか」

助手席に乗った大柄な男が下卑た笑みを浮かべて話しかけてくる。

「ダメだよ〜。そんなことしたら、『退行処分』になっちゃうよん」

私の真後ろに座る小太りな男がねちっこい声で囁いてくる。その隣に座る男はクスクス笑うばかり。

「それは、今まで行方不明になった19歳の女の子たちと同じようにってことですか?」

どれだけの意味があるのかは分からないが、動揺を悟られないように気丈に返答する。

「一体どこでその事を聞いたのやら。で、どうするつもりだい? 君がこれから辿る運命、もう分かっているんだろう?」

「ええ。私はあなたたちを退治して、あの子の無念を晴らす。そんでもって明日卒業して東京に帰る。分かっていますとも」

「退治〜? それって、君が今向かってる警察の人たちに引き渡すってことなのかな?」

バレてるか。昨日のうちに何かあった時のために交番の場所を暗記していたのだが、それも徒労に終わってしまった。

「おい、次の交差点を左に曲がれ、そこからしばらく直進だ」

逆らうことはできない。道はどんどん人気を無くしていき、代わりに木々が増えてくる。

しばらくの間山道を走ったところで、古びた一軒屋が見えてきた。こんなに険しい道を運転できるなんて上達したな、なんて場違いな現実逃避をしながら、砂利道を少し渡った所にある駐車場へと正確に駐めた。

「いいねぇ。君、僕たちに目をつけられていなかったら、きっと明日卒業できていただろうさ。おっと、でもそうだね。今から僕たちが君を『卒業』させることもできちゃうんだった」

涎を垂らしながら小太りな男は鼻息を荒げている。

何がそんなに愉快なのか分からないが、小柄な男はクスクス笑っている。

「よし、降りろ。すまないなぁ。墓場がこんなところで。なあに、退屈はしないさ。お仲間はたくさんいるんだからな」

邪悪な笑みに対して睨みつけることしかできない自分が惨めだった。きっと、ここには何十、いや何百かもしれない女の子たちが眠っているのだろう。そしてその中にはゆいかも。許せない。でも何より、悪魔が複数いることに考えが及ばなかった自分に憤りを感じていた。

きっと上手くいく。そう朝まで確信していたのに。ゆいかとなら、きっとって。

「じゃあ、始めようか。僕もう待てないぜ」

「おい、俺からだ。先週もお前が先だったろ。ん? へぇ、中々骨のある女じゃねえか。気に入ったよ。おい変態野郎、コイツは俺がいただく」

「アンタらの思いどりになんかならない」

ホテルから拝借した靴べらを握りしめた私は震える足を無視して男たちと正面から向き合った。

「ハハハハハ。そんな棒一つで戦おうって? 骨はあっても脳みそはないみたいだねぇ。一対三だよ? 状況見えてる? フフン。バカな女は大好物さ。おいデカブツ、この女はぼっ」

正面から見据えていた私にも何が起きたのか分からなかった。ただ分かるのは、たった今唾を撒き散らしていた小太りな男が地に伏せているということだ。

「これで二対一ってなわけで、こちらが優勢なんだが、さぁどうする? デカブツさんよ」

帽子を目深に被っていた小柄な男。否、笹原のんは、心の底から愉快そうにクスクス笑っていた。

「のんさん!? どうして――」

いい終わらぬうちに、帽子を脱ぎ捨てたのんさんは動き出していた。男から繰り出される拳を右手、左手と軽快なリズムで払いのけ、懐へ入り込むと強烈な一撃を鳩尾に叩き込んだ。

「ケハッ。何だお前。教官じゃねぇな。教習生か?」

「どうだっていいだろう、そんなことは」

そう吐き捨てた彼女は息つく間も与えず次の行動に打って出る。

「紫藤! それくれ」

彼女が言わんとしているものが私の右手に握られている靴べらのことだと2秒遅れで気付き、半ば投げつけるように手渡した。

そこからの笹原のんはまさに鬼神のようだった。男は先程までの薄ら笑いを消し、目の前の殺意をいなすことに全神経を注いでいる。

だが、形勢はすぐに逆転。体力を消耗したのんさんが防戦一方になる。体格差も仇となり、一度完成した男の勢いに飲み込まれていく。

「中々やるようだが、もう終わりだな。見たところ、お前俺たちに恨みがあるようだな。でも安心しろ、死んだら恨まなくて済むから」

「クッソ……」

「のんさん……」

私はこの時間、別に実況解説だけに勤しんでいたわけではない。二人がお互い以外を視界に入れていないタイミングを見計らって110番通報していたのだ。しかし、間に合わない。このままでは、男が私たちを処理した後に逃げることが可能になってしまう。どうすれば……。

その時、音がした。車の音だ。この一軒屋に来た時と同じ道から。

「何だ? まさかサツか?」

男が鬱陶しそうに音の方へ目を向けたが、そんなはずはない。いくらなんでも早すぎる。ここら一帯の交番や警察署は調べたが、こんな山奥にものの数分で到着できるような所はなかった。だとすると。いや、考えたくない。

「ハッ。んだよ。驚かせやがって。終わりだ、お前ら」

音の正体、それは絹沢ドライビングスクールの教習車だった。

「そ、んな……」

男一人を相手取るにもギリギリなのだ。これ以上悪魔が増えてしまえば未来がない。

応援は2人だろうか。3人だろうか。もしかしたら1人かもしれない。

絶望の中での希望的観測なんて何の意味があるのだろうと、それこそ栓のないことをばんやりと考えていた。

車はどんどん近づいてくる。

「いや待て、おかしい」

肩を抑えてふらつくのんさんが声を上げた。

「何がおかしいって? おかしいことなんて一つもない。そうだろう? 力あるものが弱きものをいただく。これは絶対だ」

勝利を確信しているのだろう。いやらしい笑みで顔を歪ませた男は両手を尊大に広げている。

それはさながら、既に勝利を約束されている人間が、ただ言葉にされるのを待っている時のような、全てを見下した表情だった。

「なぁ、紫藤。あの車、誰も乗っていないように見えるんだが」

そこにいる3人。いや気絶している人間を含めれば4人だが、この時、それぞれが異なった表情を浮かべていたことだろう。

1人は嘲るような顔、1人は訝しむような顔、そして私は。

車はどんどん近づいてくる。スピードが弱まる気配はない。そのまま砂利道を越え、一軒家の駐車場へと侵入。鈍い衝撃音と男の悲鳴、そして沈黙。

「こなみん! 生きてる! 生きてる!」

沈黙を破ったのは、涙で顔をテカテカに光らせたゆいかだった。

「ゆいか! てかなんでっ。車、ええと一人? でも良かった、助かった」

頭の中がこんがらがってよく分からなくなってしまっているが、とにもかくにも命の危機は去ったように思えた。頭の先から爪先までの力が全て抜け、その場にへたり込んでみた。

横にいるのんさんはというと、私以上に困惑しているようで、吹き飛ばされた男と無人の車を交互に見やっている。

「こいつは一体……」

「のんさん、もう大丈夫ですよ。ほら、パトカーのサイレンも聞こえてきます。後はコイツらを引き渡せば」

「こなみん! 何してるの! 早く乗って! 逃げるよ! トンズラだよ!」

「へ? 誰から?」

事態は収束したものだと安心しきっていた私の口から素っ頓狂な声が漏れた。

「警察だよ! この状況を見られたら、どう考えても人を轢いた人間が裁かれちゃうよ。それに、その罪はきっと私以外の誰かに着せられちゃう。それにそれに、この車だって、教習所から勝手に持ち出したものなんだよ。しかも教官いないから無免許運転!」

事態の緊急性にようやく頭が追いついてきた。幽霊に適用される法はない。けれど起きてしまったことを取り消すことはできない。ならば、その罪は、罰は誰のものになるのだろう。そんなこと簡単だ。一番近かった人、一番辻褄が合わせやすい人。

「逃げましょう! のんさん!」

「え、ああ。よく分からねぇが、乗った!」

「ちゃんと掴まってねお二人さん。幽霊に道路交通法は効かないんだよ!」

私がシートベルトをつけたことを確認したゆいかはアクセルをこれでもかと踏みしめた。


 

 自分が呼びつけた警察から逃げるという意味不明な時間の中、私はゆいかが幽霊として存在していることをのんさんに伝えた。

「へぇ、幽霊か。今まで見たことなかったが、いや、今も見えてはいないんだけど。へぇ、不思議なもんだな。もしかしたら姉ちゃんも……」

「お姉さん?」

「や、何でもないよ」

後部座席に座っているのんさんは窓を開け、金髪を靡かせながら目を細めている。

「流れでついてきちまったが、私はこれから警察に行って事情を説明してくる。安心してくれ、紫藤たちのことは黙っておくから。それに、この車もいつまでも持っとくわけにはいかないだろ? ついでに返しにいくよ」

「さすがにそれは無茶なんじゃ。教習所にはまだ奴らの仲間だって潜んでるかもしれないし。危険すぎます」

「いいんだよ。私はそのためにここに来たんだから。紫藤に借りっぱなしだった恩もこれでチャラだ。いやー、あん時は焦ったよ。本当だったらあの8人、タコ殴りにすれば片付く話だったんだが、目立つわけにはいかなかったからさ」

先ほどの戦闘を見た後だと冗談に聞こえなかった。というか冗談のつもりでもないみたいだった。

「あ、私たちのホテル見えてきたよ」

慣れない運転のため無言で集中していたゆいかの声に釣られて前方を向くと、すっかり見慣れた建物が視界に入った。

「私はこのままコレ借りていくよ。色々片付いたら連絡する。あと、教習所には近づくなよ。じゃ達者で」

運転席に移ったのんさんはそう言い残して去っていった。

「のんさん、カッコいい人だったなぁ」

そうしみじみ呟いていると、横で頬が膨れる音がした。

「私は? 私は? 愛する人の窮地に颯爽と現れて敵をバッタバッタと薙ぎ倒した英雄である私には何かないの?」

「颯爽というか物騒というか。なかなか荒技ではあったんだけれどね。でも、ありがとう」

「当然ッ! 姫をお守りするのは騎士の役目だからね。我が命に変えても〜」

おどけたように跪いてみせるゆいかに思わず笑ってしまう。

「こなみん……。良かった。生きてて。私と同じ目に遭ってたらどうしようって、ずっと考えてたんだよ」

ゆいかの小さな手が、私の手を優しく包み込んだ。

「うん。ゆいかのおかげで何とかなった。これで、きっと教習所の悪魔は逮捕されると思う。私たち、退治できたんだよ」

「そうだね」

私を見上げるゆいかの目は、今にも泣き出しそうなほどに潤んでいた。

そこに目的を達成した喜びの色はなく、ただ、寂しそうな色に満ち満ちていた。

そう。ゆいかは、10年間の悲願である悪魔退治を完了させた。現世にとどまる理由はもう彼女の中にはなく、それはつまり、永遠の別れを意味するのだ。

「成仏って、どんな感じなのかな。消えるって、どんな感じなのかな。もっと、こなみんと一緒に居たかった」

「ゆいか……。大丈夫、怖くないよ。ゆいかが成仏するまで、こうしててあげるから」

そう言って私はゆいかの肩に両手を回し、体重を一身に受け止めた。

「こなみん、好き」

「私も、好きだよ。ゆいか」

耳が熱くなるのを感じたが構うものか。

ゆいかとはもう、会うことはできない。そんな相手に、本心を隠す必要がどこにあるというのか。

この2週間、ゆいかとずっと行動を共にしてきた。振り回されてばかりだったけれど、その度に愛おしさが募っていくのを感じていた。ゆいかが幽霊だと分かった時には、自分にしか見えていないという事実に一抹の喜びを覚えてしまっていた。でも、もう終わりだ。最後の瞬間まで、ゆいかの匂いや息遣いを感じていよう。これからずっと、忘れないために。

どれだけの間、そうしていただろうか。5時間くらい経ったような気もするし、5分しか経っていないような気もする。何にせよ、別れというのは何度経験しても慣れないもので、胸の辺りが重く感じられた。いや、実際重い。

「って、全然成仏しないじゃん! たしかホテル着いたの14時だったっけ。もう辺り真っ暗なんだけど」

「いやー。おかしいなー。あ! ちょっと小指薄くなってきた感じする!」

「うそつけ。ねぇ、なんか隠してない?」

胸の中のゆいかはきまり悪そうに目を逸らす。そんな抵抗を意に介さず無言の圧力をかけ続けること1分。根負けしたゆいかははっきりと宣言した。

「私、成仏しません!」

「はい?」

「だって、未練たらたらだもん。全然安らかに眠れないよ! 成仏はキャンセルだよ」

「キャンセルってそんな簡単に。ていうか、何でそれ先に言わなかったの?」

さきほどまでの嘘泣きを引っ込めたゆいかはニンマリと笑った。

「だって、こなみんがどんな反応するか気になったんだもん。えっと? 何でしたっけ? 私も? す? す?」

「だーーーー! 最低最低! 弄ばれた。詐欺だ、成仏詐欺だーー」

耳どころか全身が熱くなっていくのが感じられた。

「ねー、もう一回言ってよ。ほら、私も言うから。こなみん、大好き」

「絶対言わない! 二度と言わない! 一生言わない! 温泉行ってくる! 来ないで、一人で行くから!」

恥ずかしさのあまり、突き飛ばしてそのまま走り出してしまった。後ろから非難の声が聞こえたが耳を塞いでホテルのエントランスへと滑りこみ、受付で鍵を受け取った。そして大浴場に直行だ。

「まったく、ゆいかのアホ」

悪態をつくのとは裏腹に、口元はにやけて、スキップを踏んでしまっている自分に気付き、さらに赤面してしまう。

「はぁ」

風呂に入る前にのぼせてどうするんだ私は。

「こーなみん。怒ってる? 顔真っ赤だよ?」

「怒ってないから。ちょっと、そんなジロジロ見ないで」

脱衣中の私を食い入るように見つめる変態の額にチョップを入れた。

「ケチ。いいじゃん、減るもんじゃないんだし」

「増えるものもないけれどね。じゃ、お先に」

「あ、待って。私も行くから!」

ゆいかの制止を受け流し、大浴場への扉を抜けた。誰もいない、貸切状態である。一人になると、この2週間のことが沸々と思い出された。

ゆいかには本当に振り回されてばかりで困ったものだ。

きっとこれからも、彼女の言動にペースを乱されるのだろう。けれど、それも悪くない。そう思ってしまう私だった。

「こなみん、明日どうする? 本当だったら本免の実技だったろうけど、午前中暇になっちゃったね」

「そうだね。そこらへん観光してから帰ろうか」

そうだった。まだ免許取れてないんだった。というか絹沢ドライビングスクールではもう取得できないだろう。

はぁ、この2週間なんだったんだ。

「やっったー! 観光! 温泉、温泉行きたい」

「今入ってるじゃん」

「む。こなみんは今日ご飯食べたからって明日はご飯食べないの?」

「それは何か違うような……。あ、そうだ。新幹線どうしよう。帰りの分の指定席もう取ってるんだよね。明日ゆいかの分買うとなると席離れ離れになるけどいい?」

「いやだ。こなみんの膝の上に乗る。お金も浮くし私も幸せ。みんなハッピーだよ」

「少なくとも敷かれる私はハッピーではないんだが」

「私重くないよ? ほら」

「ちょ、乗るな。あ、でも確かに軽い。これならまぁ。って、水の中だからでしょ!」

「ちぇー。バレたか。それよりさ、露天風呂行こうよ。この2週間一度も行ってないよね」

「うーん。事件があったんじゃなかったっけ。いや、それ嘘なんだっけ? でも、何となく怖いイメージついてるんだよね」

「もう。幽霊と恋人になった人が何言ってるの! 怖いものなしでしょ? ほら行こっ」

恋人になった覚えはないんですがね。

やれやれ。けどまぁ、火照った体に夜風が心地いいかもしれない。

「しょうがないな。アイス奢りね」

歓声を上げるゆいかの手を握りしめ、私は外へと飛び出した。

お読みいただきありがとうございました!

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