光の向こう側、新しい私
第四部:光の向こう側、新しい私
1. 努力は裏切らない、自分も裏切らない
「Restart」プロジェクトのローンチから一年。
都心のビルボードには、私がディレクションした広告が躍り、街中のドラッグストアにはあの深い青色のボトルが並んでいる。私は今、アド・クリエイトの最年少部長として、数十人の部下を率いる立場になっていた。
「麻里部長、次回の海外カンファレンスの登壇資料、チェックをお願いします」
後輩たちの活気ある声に包まれながら、私はふと、一年前の自分を思い出す。
あの時、絶望の淵でゴミを捨てていた私は、今の私を想像できただろうか。
成功は偶然ではなかった。
私はこの一年、誰よりも早く出社し、誰よりも現場の声を聴き、誰よりも「働く女性の痛み」に真摯に向き合ってきた。その結果として得た今の地位は、誰にも奪えない、私自身の血肉だ。
そして、隣を歩く涼介くんもまた、地道な努力で自らの道を切り拓いていた。
彼はフリーランスとして独立後、小さな案件一つ一つに魂を込め、着実に実績を積み上げていった。彼のデザインは「使う人の心に静かに寄り添う」と評判になり、ついに国内最大級のデザイン賞で銀賞を受賞したのだ。
「麻里さん、僕、やっと少しだけ、あなたに近づけた気がします」
受賞の夜、控えめに笑った彼の横顔は、出会った頃の少年の面影を残しながらも、一人の自立した男としての強さに満ちていた。
私たちは「支え合う」だけでなく、お互いの背中を見て「高め合う」最高のパートナーへと進化していた。
2. 呪縛からの解放、そして真実の美しさ
三十一歳を目前にしたある日。
私は鏡の中の自分を、これまでで一番愛おしく感じていた。
かつての私は、目尻の微かな小皺や、疲れが出始めた肌を見ては「若さが失われていく」と怯えていた。大輝が若い女を選んだのは、私にそれがないからだと思い込んでいたから。
けれど、今の私にはわかる。
この皺は、私が誰かのために必死に考え、笑い、戦ってきた勲章だ。
二十三歳の彼女が持っていた「何もない滑らかな肌」よりも、今の私の「経験を刻んだ表情」の方が、ずっと豊かで、ずっと美しい。
「……麻里さん、何をそんなに見つめてるんですか?」
背後から涼介くんが私を抱きしめた。
五歳の年齢差。以前の私を苦しめていたその数字は、今や愛の深さを測る指標でしかなくなっていた。
「自分のこと、ちょっと綺麗だなと思って」
「ちょっと? 謙遜しすぎです。今の麻里さんは、出会った頃の百倍くらい輝いてますよ」
涼介くんは私の髪に優しく触れた。
「若さなんて、ただのスタート地点に過ぎない。その後に何を積み上げてきたかが、その人の本当の魅力なんだって、麻里さんが教えてくれたんです。……僕は、今のあなたに、一生恋をしています」
誠実で、真っ直ぐな言葉。
大輝の裏切りによって刻まれた心の傷は、涼介くんが注いでくれる深い愛によって、いつの間にか美しい真珠のような記憶へと変わっていた。
3. 圧倒的な「格差」という結末
季節が巡り、私は仕事で訪れた港区の高級ホテルのラウンジで、一人の男を見かけた。
大輝だった。
彼は、かつてのような「エリート気取り」のオーラは微塵もなく、テーブルで誰かに頭を下げていた。
聞こえてきた会話から察するに、彼は勤めていた会社を辞め、個人で立ち上げた事業が上手くいかず、資金繰りに奔走しているようだった。
その隣には、あの日以来の美咲がいた。
けれど、かつて私が見た彼女ではなかった。
派手なブランド品で身を固めてはいるものの、その表情は疲れ切り、大輝が相手に無視されるたびに、彼女もまた居心地悪そうにスマホをいじっている。
二人の間には、会話も、信頼も、そして「愛」のかけらも感じられなかった。
彼らは「若さ」という期間限定のカードを使い果たし、その後に続くはずの「実力」も「誠実さ」も持ち合わせていなかったのだ。
私は、彼らと目が合う距離にいた。
大輝が私に気づき、その目が驚愕に大きく見開かれた。
今の私は、雑誌のインタビューで見るよりもずっと凛としていて、彼の世界からは決して手の届かない「高嶺の花」になっていた。
大輝は何かを言いかけ、椅子を立とうとした。
けれど、私は彼が口を開く前に、優雅に微笑んで、軽く会釈をした。
それは、敵意でも、優越感でもない。
ただ、同じ時代を通り過ぎた「名前も思い出せない知人」に対するような、完璧なまでの他人としての礼儀だった。
私はそのまま、彼らを通り過ぎた。
追いかけてくる足音も、呼び止める声もなかった。
今の私には、彼の後悔すら、一円の価値もなかった。
4. 最高の夜明け
ホテルの最上階。
そこでは、涼介くんが私の新しい門出――自身のクリエイティブ・エージェンシーの設立祝いを準備して待っていた。
「麻里さん、おめでとう。……そして、これからもよろしく。僕、あなたの会社の専属デザイナーに応募してもいいですか?」
涼介くんが差し出したのは、指輪ではなく、真っ白なキャンバスに描かれた、私のこれからのビジョンだった。
私たちの人生は、結婚というゴールで終わるのではない。
二人で、どこまでも広がる未来を共に描いていく、終わりのない冒険なのだ。
私は、彼が差し出したシャンパングラスを合わせた。
「ええ、選考は厳しいわよ。……でも、あなたの才能には期待してる」
窓の外には、朝焼けが世界を黄金色に染め始めていた。
二十九歳で振られたあの夜、私は死にたいほど絶望した。
でも、今の私は、あの夜の私に伝えたい。
「ありがとう。あの時、私を捨ててくれて。おかげで私は、本当の幸せが何かを知ることができた」
三十一歳。
私は、過去の自分を誇りに思う。
戦い抜いた自分を、愛している。
物語は、ここで終わるのではない。
ここから、もっと鮮やかに、もっと自由に。
私という女性の、本当の人生が始まっていく。




