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2 虚言の少年1

次の街も、やはり灰色だった。  

活気はなく、道ゆく人々はうつむき、建物の壁はすすけている。  

世界の終わりの足音は、確実に近づいている。

だが、そんな沈黙した広場の片隅で、そこだけ異様に騒がしい場所があった。


「いいかお前ら! 俺の屋敷の庭には、金色のリンゴがなる木があるんだ!」


水が枯れた噴水の縁に立ち、大声で演説している少年がいる。

ボロボロのシャツに、サイズの合わないズボン。  

貧相な格好だが、その胸を反らせたポーズだけは、どこかの王族気取りだ。


「昨日の晩飯なんて、ドラゴンの尻尾のステーキだぞ? ナイフを入れると、肉汁がドバッて溢れてなぁ!」


周囲の子供たちは、シラけた顔でそれを見ている。  

また始まったよ、レオのホラ話。

誰かがそう呟いて石を投げた。


「……うへぇ。なんだあいつ、見てるだけでムカつくな」


僕の肩で、パッチが顔をしかめた。  

僕も同感だ。  

僕の白磁の瞳には、あの少年の胸から、毒ガスのようなドロドロに濁った紫色の煙が噴き出しているのが見えていたからだ。


「旦那様、成分解析の結果が出ました」


 腰の万年筆――トガキが、空中に冷徹な文字を走らせる。


『成分:虚言。……ノイズが酷いですね。そこら中に転がっている量産品のうえに、不純物だらけで悪臭を放っています』

「やれやれ。どこもかしこも、安っぽい逃げ口上ばかりだ。もっとこの世界でしか採れない色はないのかい?」


 僕はオペラグラスを下ろした。


「そんなありふれた色で、僕の本の余白を埋めるつもりはないよ」


この世界ではよく見る色だ。

関わるだけ時間の無駄だろう。    

この時の僕は、まだ気づいていなかった。  

あの不快な紫色の煙の奥底に、針の穴ほど小さな、けれど決して折れない美しい色が隠されていることに。









その日の夕暮れ。  

僕らは、街外れにある崩れかけた長屋の一角で、あの少年レオを見かけた。

彼は広場での尊大な態度が嘘のように、焦った様子で家に入っていく。  

僕らは気まぐれに、開いた窓の隙間から中を覗いた。


「ただいま、ミナ。……気分はどうだい?」


レオの声色は、驚くほど優しかった。  

狭く薄暗い部屋のベッドに、一人の少女が寝ている。  

彼女の目は焦点が合っておらず、見えていないようだった。

だが、それ以上に深刻なのは——彼女の「存在」の薄さだ。  

指先の色が抜け落ち、背景の壁が透けて見え始めている。  

この世界を蝕む病、「白紙化」の初期症状だ。

彼女は生きる気力を失い、世界から忘れられようとしている。


「ミナ…?っミナ!ダメだミナ! 寝ちゃダメだ! ……ほら、お土産だよ。王宮のパンだ」


レオが渡したのは、ただの硬いパンの耳だ。  

しかしミナは、それを受け取ろうともしない。


「ううん、いらない……。何も欲しくないの……」


関心の消失。

末期症状だ。  

レオは言葉を失ったように固まっていた。  

何か、彼女の心を現世に引き戻す、強烈な楽しみを提示しなければならない。  

彼は何か良い案が浮かんだのかミナの方を掴んだ。。


「え、演奏会! 今夜、王宮で君のための特別演奏会があるんだ!俺がピアノを弾くんだよ。だから、まだ寝ちゃダメだ!」


ミナの瞳に、わずかに光が戻った。


「……本当に? お兄ちゃんのピアノ、聴けるの?」

「あ、ああ! 本当だとも! 世界最高の演奏会だ!」

「……楽しみ。私、それまで起きてる」


ミナは嬉しそうに微笑んだ。  

レオは安堵の息を吐き、直後、絶望に顔を歪めて小屋を飛び出した。

路地裏に座り込み、髪をかきむしる。


「……クソッ! どうすりゃいいんだよ!」


レオは壁を殴りつけた。拳から血が滲むが、痛みなど感じていないようだった。  

そんな彼の背中に、僕は声をかけた。


「下手な嘘だね」

「あ?」


レオがギロリと振り返る。

僕は鼻眼鏡の位置を直し、淡々と続けた。


「王宮のパン。演奏会。……そんな子供騙しで、彼女の進行する『白紙化』を止められると思っているのかい?」


 レオの顔色がサッと変わった。


「おまえ……なんでそれを……!」

「見ればわかる。彼女、目が見えないだろう? 視覚情報がなく、狭い部屋から出ることもない。世界からの『刺激』が極端に少ない状態だ。……だから、君よりも早く、彼女だけが世界への関心を失って危険な状態になっている」


図星を突かれたレオは、何かを言い返そうとして力が抜けたように、その場にへたり込んだ。  

拒絶する気力もないほど、彼は追い詰められていたのだ。


「……そうだよ。あいつにはもう、時間がないんだ」


 レオは震える手で顔を覆った。


「昔は……もっとマシな暮らしをしてたはずなんだ。ピアノだって習ってたし、ミナも目が見えてた。でも、いつの間にかこんなボロ小屋にいて……大事な何かがなくなったような気もするけど、それも思い出せない」

「…………」

「ミナはずっと言ってたんだ。『いつかお姫様になって、素敵な王宮に住みたい』って。  ……あいつの視力がなくなって、世界がどんどんおかしくなっていく中で、俺ができるのはその夢を見せ続けることだけだった」


 レオは顔を上げ、僕を睨みつけた。その目には涙が溜まっている。


「嘘をつくしかないだろ!『ここは楽しい場所だ』『お前の理想の王宮だ』って言い続けないと、あいつはすぐに夢の世界に溶けて消えちまうような気がするんだよ!今にも消えそうなあいつには俺の嘘だけが…嘘だけが…あいつの命綱なんだ!」


必死の叫びだった。  

虚栄心でも、見栄でもない。  

それは、妹をこの世界に繋ぎ止めるための、血の滲むような「祈り」だった。


「……なるほど。状況は理解した」


僕は懐から、古びた鍵を取り出した。


「でも、その命綱ももう限界だ。彼女の感覚は、もう夢と現実の境界が曖昧になっている。口先だけの王宮じゃ、彼女の魂は引き止められない」

「わかってるよ! だから困って……」

「だから、これを使え」


 僕は鍵を投げ渡した。


「街外れの廃墟の鍵だ。そこには一台だけ、まだ音が出るピアノが残っている」

「……ピアノ?」

「君が昔習っていたその技術。……錆びついていないなら、言葉以上の『刺激』を彼女に与えられるはずだ」


 レオは鍵を握りしめ、呆然と僕を見た。


「なんで……俺に?」

「ただの気まぐれさ。……君のその嘘が、真実に変わる瞬間を見てみたいだけだ」









レオの背中が路地の向こうに消えるまで、僕たちは無言で立ち尽くしていた。  沈黙を破ったのは、パッチだった。


「なあ、クロ」


 パッチの声は、いつになく真剣だった。


「あいつらの親は? ……今の話だと、昔はいたんだろ? でもあいつら、親のことを何か忘れてる気がする程度にしか……」

「おそらく、先に白紙化されたんだろうね」


僕は淡々と答えた。


「この世界の削除プロセスは絶対だ。対象が白紙化された瞬間、周囲の人間の記憶からも、その存在に関することはきれいに削除される」

「なっ……!」


 パッチが目を見開く。


「そんなことってあるかよ! 親が消えたのに、忘れちまうのかよ! そんなの悲しすぎるだろ!」

「システム上は慈悲深い機能さ。失った悲しみを背負わなくて済むんだから」

「ふざけんな! 忘れたくねぇよ、そんなの!」


パッチは悔しそうに自分の綿の体を叩いた。  

僕は空を見上げた。

厚い雲に覆われた灰色の空。

その向こう側には、削除されたものたちが漂うゴミ箱のような空間があるのだろうか。


「……ま、そう悲観することはないさ」


僕は独り言のように呟く。


「いつか会えるかもしれないね。消えた彼らは、まだ完全に無になったわけじゃない。白紙の幽霊となって、この世界のどこかを彷徨っているはずだから」

「えっ? じゃあ……」


パッチが顔を上げる。

だが、すぐにその表情が凍りついた。


「でも、それって……会えるとしたら、あいつらも『白紙』になっちまった後ってことじゃねえか……!」

「さあね」


 僕は答えず、きびすを返した。


「行こうか、パッチ。……今夜の『王宮』の準備をしてやらないと」


残された時間は短い。  

レオとミナが、両親と同じ場所へ逝ってしまう前に。  

せめてその魂に、永遠に消えない「色」を焼き付けて集めるのが、僕ら編集者の仕事だ。


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