ep8 祖父母たちの帰還
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やっと陽が落ちた22時前。
わたしは眠たく成った目を擦りながら、ベット近くのサイドテーブルに置かれたオレンジ色の光を発している魔石ランタンの灯りの下で羽根ペンを握っていた。
専属侍女のエミリアから持って来て貰ったパピルス紙に羽根ペンで、乙女ゲーム【ライラックの花が咲く頃に~ファーストダンスはアナタと~】との記憶を誰もいなくなった寝室で、サイドテーブルに向かい、密かに記している。
秘密保持のため、前世で使っていたニホン語で著したかったけど、全く書けずに挫折してフローラル王国の言語であるオラン語で、侍女たちがわたしと離れてから密かに書くことにした。
記憶を取り戻してから約一ヶ月近く経ち、興奮気味だったわたしのテンションも落ち着いてきた。
A4サイズの練色(白みを帯びた薄い黄色)をしたパピルス紙に、濃い藍色の細かな文字で綴られた3枚あった濃紺のインク文字を確認しながら、4枚目に藍色の文字を綴り始める。
ゲームに紐づけされている記憶は、薄っすらと思い出せるのに、その他のコトはサッパリだ。
成人するまで家族と暮らして居たことや恋人は居なかったと言うこと、30歳過ぎて独り暮らしだったことなどなど、前世のわたしの個人情報は曖昧にしか思い出せない。
記憶が戻る前に、遣らかしていた前世の慣習的なコトや猫好きだった好みとかは、何気ない瞬間にパッと脳裏に浮かぶことが或るのだけどね。
『此れじゃあ前世の知識チートが使えないなあ。』
わたしは、そんなことを考えてながら、静まり返った寝室で、一枚目のパピルス紙を読み直した。
◇◇
夏至祭の後半が終わった7月の半ば頃、当主である祖父レイモン・ド・アーシュレイ侯爵と祖母ミッシェル・アーシュレイ侯爵夫人が、春の社交シーズンに向かってから4カ月ぶりに、王都から大量の土産と共に領主館へ戻って来た。
80人以上いる使用人たちが、当主夫妻の帰還で領主館内は、大わらわである。
祖父母たち帰還時刻を早馬の伝令で聞かされて、早速わたしは侍女のエミリアたちに、髪を梳かされ、ペチコートの上からセレストブルー色(僅かに紫がかったパステルブルー)のデイドレスに、フリルの多い白いエプロンドレスを着せられ、2階に在るプライベート区域の応接室へと静々と連れて行かれた。
決して侍女のエミリアたちに、ドナドナされてるワケじゃない。
前世の記憶が戻る前のわたしは、怖く思える祖父レイモンと上品で堅苦しい祖母ミッシェルが、苦手だったんだよね。
子供のわたしと食事は別だったので、会うのは祝日である日曜日の朝に、領主館敷地内に在る礼拝堂での祈りの時間だけだったけど、挨拶位で基本はノーコミュニケーションだった。
特にお祖母は、顔面にハードなスマイルが固定されていて、幼かったオリビアは怖くてビビっていた。
暗い室内で、浮き上がって来る女面顔の祖母は、ホラーだし。
あっ!わたしって、ホラーが苦手だった気がする。
ドキドキしながら、初めて入る応接室へと、恐る恐るわたしは足を踏み入れた。
繊細な植物柄のレリーフを施した淡いベージュ色の壁にマッチするように組まれたチェスナットブラウンの柱や床、そして金色を趣味良く彩った高品質な調度品。填め込み細工の床には、夏仕様の毛足の短い白と空色のダマスク織の絨毯が敷かれていた。
既に祖父母と母は、ゆったりとしたソファーに腰を掛けて、出迎えた母と談笑していた。
「申し訳ありません。出迎えるのが遅くなりました。お祖父さま、お祖母さまお帰りなさい。」
「ああ、ただいま。此方に座りなさい。」
「ふふ、先程、戻りましたわ。元気そうで安心したわ。」
わたしはマホガニーで造られたテーブルまで歩いて行き、祖父が指し示したソファーへと腰を下ろした。
そして、わたしが腰を下ろして直ぐに、弟のジルベールがセルジュたちと応接室に入って来て、祖父母たちに挨拶をし、右隣りに在ったソファーへと緊張した面持ちで座った。
「それはそうとオリビアは水属性の祝福を得たんだね。おめでとう。」
「ふふ、レイも私も嬉しくて、王都での夏のバカンスを切り上げて戻って来てしまったわ。」
「ありがとうございます。お祖父さま、お祖母さま。」
窓に向かって1人用掛けの豪奢な誕生席に座る祖父と斜め左隣に座る祖母。
マホガニーのローテブルを挟んで、祖母の向かいのソファーに座る母、母の右隣りに置かれた2人掛け用のソファーに弟とわたしが座っている。
怖いと思っていた祖父のレイモンは、肖像画の父と同じような白金の髪を後ろで1つ括り、幾重かのしわを刻んだ瞼の下にある怜悧なスカイブルーの瞳を細めて、わたしに落ち着いた声で王都で届いた伝令の状況を話し掛けていた。
「それで、先程クラウディアから、渡された守り石のペンダントがこれだ。仕来りに則って、当主である私からオリビアへ贈ろう。おめでとう、オリビア。」
「素敵な守り石ね。デザインも素敵だわ。本当におめでとう。」
「有難うございます。お祖父さま、お祖母さま。そしてお母さま。」
開いていた蓋を閉じて、祖父のレイモンから、深い紅色の小さく細長い化粧箱を家令のセバスが綺麗な所作で、わたしへと渡してくれた。
セバスから受け取った深い緋色の蓋をゆっくりと開いて中を見れば、金のチェーンに付いた可愛らしいティアドロップ型の深い群青色をしたミレラニ石は、純白のシルクの内装に包まれて、清らかな青い光を放って輝いていた。
「綺麗!!。」
わたしは思わず声で出し、カットされて磨かれたタンザナイトに魅入った。
「この形は、悪いものを浄化する願いが籠ったデザインね。きっとオリビアに似合うわ。クラウディアさん、良く考えたわ。とても素敵よ。」
「「ありがとうございます。」」
綺麗にお母さまとわたしの声がハモって、祖母へお礼の言葉を口にした。
思わず母と顔を見合わせて、「クスリ」と互いに小さく笑い声を漏らしてしまった。
その声に釣られるように祖父母の笑い声も重なり、弟のジルベールは、皆の笑い声で肩の力が抜け、身を乗り出して、テーブルに置かれた化粧箱の中を興味深そうに覗き込んだ。
空気の緩んだ所へメイドたちが珈琲を運んで来た。
今世で初めて嗅ぐ珈琲の香りに、わたしは胸を高鳴らせたが、矢張りと言うか当たり前と言うか、わたしと弟の前には、ミルクの入ったカップが置かれた。
珈琲を飲めないのは非常に残念だったけど、お披露目会のことや曾祖父の風属性についての話が和やかに弾んで、楽しい一家団欒の時を過ごせた。
記憶が戻る前のわたしは、一方的に委縮していたから、祖父母たちと話せなかったのだと気が付いた。
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