ep40 悪役令嬢とローラン① (SIDEローラン)
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一面の大きな窓から差し込む初夏の陽光に照らされ、行儀悪く背中を丸めて、勉強机に向かい典礼言語のランテ語で聖書を書き写す貴族令嬢らしからぬ姿勢のオリビアを眺めつつ、ローランは近くに置いた椅子に腰掛け、手持ちの本に隠されたアンゼル枢機卿からの手紙を読み直す。
オリビアが、『モドキ』と呼んでいる水の精霊アルプが大きく為ったと言う報告をユリウス大聖堂に送ったその返信が、やっとローランの手元へ届いたのだ。 オリビアが、水の精霊アルプを『モドキ』と名付けていることをローランは知る由もないのだが。
アンゼル枢機卿から異例の女児であるオリビアの監視を命じられ、枢機卿候補であったローランは、魔力の調整と言う名目で、現在アーシュレイ侯爵家の領主館に在る礼拝堂に滞在している。
そしてオリビアの誕生日以後に成長した次代の水の精霊王になるアルプが、自ら選んだ愛し子であるオリビアを監視より、慎重な保護に力点を移すようにとの命令書が届いたのだ。
伝説と化していた約千年ぶりの水の精霊の愛し子である。
アンゼル枢機卿からの手紙には、あと数年様子見をしてから神精霊言語を教え、水の精霊アルプとの直接的なコミュニケーションを教えると綴られていた。
窓からの柔らかな陽射しが、幼気な8歳の小さなオリビアに、降り注いでいた。
そして彼女に寄り添うように、水の精霊アルプは、フワフワと丸い水色の光が、伏せたプラチナブロンドの頭の上に漂っている。
ローランは、紫の目を細めて、微笑まし気に、その様子を穏やかな表情で見つめていた。
そのオリビア・アーシュレイと言う少女が、どのような役割を担わされているのか現時点において、夢視で知る筈のロベリア教皇からの報せは未だないと、アンゼル枢機卿からの手紙に記されていた。
何かが大きく変わりユリウス聖典への新たな記載が為される時は、ロベリア教皇の夢視の力が発現するモノなのだが、今の所、12人の枢機卿が揃うと言う夢でのお告げしかないらしい。
一般には秘匿されているが、教皇と12人の輪廻の転生者を含め、ユリウス教成立の13人が揃うのは、東西が分裂した約300年ぶりのことだ。
しかも、祝福の儀を執り行うようになって、初めて過去世の記憶を持った女児である。
教皇を含め、現在4人の枢機卿たち含め、初代からの過去世持ちは5人。しかもオリビアはローランたちと違い、枢機卿たちの記憶は持っていないイレギュラーな存在だ。
ローランは、枢機卿候補たち特有のアメジストのような紫の瞳で、柔らかな視線を小柄で幼気なオリビアに向け、奇妙に惹き付けられる彼女の此れからの人生に考えを巡らした。
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ローランは7歳の祝福の儀で、500年前に封じられていた初代ユリウスの使徒だった頃の記憶を取り戻した。
オリビアと違い男子だった為、直ぐに神聖ロベリア教皇国から派遣されたアンゼル枢機卿に保護され、教会の寄宿舎でゆっくりと記憶の擦り合わせを行って貰った。
国や立場が変わり幾度も生まれ変わったことなども覚えているが、不思議とそれぞれの人生の記憶は白紙となって居た。
ただユリウス教の移り変わりや本来秘匿されている精霊と魔法の関係などを年齢と共に思い出し、生来バンエル公国特有の青かった瞳は、成長すると徐々に紫色へと変わっていった。
後は、精霊と契約が出来れば、生まれ変わる度に呼ばれていた初代ユリウスの使徒《ミュー》《12》へとローランは完全に戻れる。
13歳での聖冠の儀で、聖職者として生きることをソラリス神へと誓約を捧げてからは、アンゼル枢機卿とローランは行動を共にして来た。
そのアンゼル枢機卿から「生まれ変わって人々の人生の記憶を引き継がないのは、時々の時代に見合った行動を取れるようにする為、ソラリス神からの計らいによるもの。」とローランは教えられてきた。
繰返し生まれ変わるローランたちの使命は、700年前に起こった大陸全土の大浄化を人為的に引き起こさないようにする為、人々へユリウス教の教化の遂行である。
ユリウス教自体が、神と初代ロベリア教皇ユリウスにより、人類の魔力の管理と抑制の為、創り広められたモノなのだ。
「折角、女性にも魔力があるのに、教会が使用させないのは勿体ないわ。」
小さな桜色の唇を尖らせて、ローランに無邪気な文句を言うオリビアを思す。
その時は、薄い笑みを作りオリビアに、一般的に教えられている「女性は月の魔力の影響を受けやすく危険である」と言う説明をローランは淡々と言葉にしたのだが、女性の4属性魔法使用禁止の理由は、似ているが実際は違う。
事実は、彼女たちの情が為政者たちに利用され、恋人の為、夫の為、親の為と俗世の柵を捨て切れず、精霊王の聖域を守護していた巫女(今は聖女と呼んでいる)が、隠していた聖域への道を教え、欲深き者たちが暴き、各精霊王の聖域に隠されていた精霊石を荒らしてしまった故に、大浄化の引き金になったのだ。
大浄化後、魔法を扱う女性を恐れ、人々が魔女として、次々と見せしめに処刑して行った。
多くの魔法を使う女性が殺された為、ユリウス教会が、光属性の魔法を使用する女性を聖女として扱い保護して行き、時間をかけて女性から4属性魔法を取り上げて行ったのだ。
それ故に、治癒や浄化、聖火の光属性魔法以外を女性が、使用することを禁じているのだ。
魔法の秘匿事項に関わることなので、ローランは上滑りな言葉を7歳だったオリビアに、作り笑顔で誤魔化しただけなのだ。
そのアンサーに、オリビアは薄く青い瞳を眇め、疑いの眼差しを向け、メガネの精霊石のレンズ越しに、ローランをジッと見ていた。
迂闊なオリビアは、気付いて居なかったが、聖職者の一員であるローランに、教会の禁忌事項への不服を口にするのは、とても危うい行いであった。
一瞬、それを理由にローランは、オリビアを神聖ロベリア教皇国にあるユリウス大聖堂へと、連れ去ろうかと考えた位だ。
その問いの前にも、「教会の大学で教える医学は、遅れているのではないか?」、「ロベリア教国の疫病対策は不十分ではないのか?」と言うユリウス教への疑義をローランに真摯な眼差しで呈していた。
オリビアは、陽祭日である日曜日に礼拝堂で朝のミサに訪れ、食前に神への感謝の祈りを捧げる平均的な信徒だが、言葉の端々から信仰心の薄さが感じられる。
西アトラスで、どっぷりユリウス教の教化が行き届いているフローラル王国では、珍しい子供だった。
ローランは、すぐさまメッセージを紙折りの鳥に変え、ユリウス大聖堂にいるアンゼル枢機卿へと報告したが、王都に在る大聖堂の転移門から届けられた返信には、他の人間に、類する問いをさせないようにし、其の侭、オリビアの経過観察を命じられた。
当主で或るアーシュレイ侯爵には、オリビアの魔力調律師として、傍で控える旨の説明をし、領主館敷地内の礼拝堂での居住を許可して貰った。
アーシュレイ侯爵は、オリビアの身体的不遇を隠すために、ローランの申し出で或るランテ語の専属教師としての立場をアッサリと二つ返事で受け入れた。
フローラル王国中央部で、希少な祝福持ちで或るオリビアをより良い相手へと嫁がせる算段を立ていた為、アーシュレイ侯爵はローランの申し出を素直に引き受けたのだ。
アーシュレイ侯爵の野望は、不発に終わることを知るローランは、些か申し訳なさを感じていた。
恐らく何らかの理由を付けて、オリビアはユリウス大聖堂へと招かれるだろう。 アーシュレイ侯爵の意志は無視されて。
それを招致とするのか拉致とするのかは、現段階で定かでない。
初夏の日差しに照らされ、キラキラと輝くプラチナブロンドの艶やかなオリビアの髪と小さな後ろ背の周囲を愛し気に、フワフワと纏わり浮かぶ水の精霊アルプを、ローランは眩げに目を細めて眺めていた。
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