ep39 花いちもんめ~可愛いヒバリ
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わたしたちは、すっかり弟ジルベールの側近候補たちとも仲良くなり、お友達に成ってしまった。
少年少女の健全なグループ交際で或る。まあ、6歳から9歳だものね。
春めいてきたので、弟たちと一緒に領主館敷地内の庭園に出向き、散策をし、興が乗ればピクニックとしゃれこむ。
コレットは、執事アランの子息エミールに、ジレジレとする恋心を抱いているようで微笑ましい。
デジレとわたしは、その様子を生暖かい目で見守っている。
だって精神年齢だけで言えば、デジレ=恐らく17歳、わたし=三十路過ぎだからね。幼い彼彼女らを愛でるしかない。
わたしは、弟ジルベールと手を繋いで房状に蕾を付けた野茨の小径をテクテクと歩いている。
前にはわたしとジルベールの護衛騎士が行く。
そして後ろからコレットとデジレ、その後ろからセルジュ、エミール、リーシェが付いて来ている。
中央塔の玄関から延びる広い石畳の舗装路を外れ、西棟の出入り口から延びた黄白色の煉瓦造りの道を歩けば、秋には果実として実りを齎す低木の生垣で作られた小径が、あちこちに枝分かれしている。
馬車が通れる程の煉瓦造りの道を西へと行けば、モドキと出会った泉の或る裏山へと続く。
そして東へと進めば中央塔から延びる広く大きな石畳の舗装路へと繋がる。
滞在客や祖父母たちが王都へと旅立ったので、西棟の広い庭も小径に入ってしまえば、人目を気にせずメガネを掛けることが出来るので、ローランの授業が無い天気の良い午後は、降臨祭を終えた後、弟たちと散策することを日課としていた。
───人間も光合成をするのだ。
まあ、それは冗談だけど。
秋の終わりから3月の降臨祭を過ぎるまで、殆ど陽射しの無い天気の悪い寒い日々が続いていた為、日光不足だった。
祖父や母の体調管理も必要だけど、健康が一番なのはわたしや弟ジルベールも同じこと。
弟たちは、日頃、剣の鍛錬と言いつつ、午後から裏山へ近くの雑木林を探検していたので、陽の光は十分カモ知れないが、わたしやデジレとコレットは、日焼けを良しとしない教えで直射日光を避けて屋内遊戯ばかりだった為、デジレと話し合って西棟からの小径の散策をするように為ったのだ。
風邪予防に日光を浴びるのが一番。
「体内時計もリセット出来ますからね。」とデジレが、どこぞの情報番組のようなことを嫌がるコレットの為に話して、「日焼けが‥‥‥。」と、午後の散策に抵抗するコレットを説得した。
ちょっとパワハラっぽい無理強い感が強いけども。
うん。
デジレは実に有能だ。
祖父が家令のセバスである淑女のコレットには、日傘も差さず、陽の下を歩き回るわたしたちの姿に抵抗を感じるのだろう。
穏やかな印象を与えるホリゾンブルーの髪を両の耳サイドで編み込み、知的な青味がかった瞳で、落ち着き可憐な風貌のコレット。 コレットは、丁寧な話し方で押しつけがましさのない忠告をやんわりとしてくれる少女だった。わたしよりもよっぽど深窓の令嬢らしい。
「若奥様が許可をされましたが、せめてオリビア様だけでも帽子を被って下さい。」
懇願するようにコレットから頼まれて、わたしは渋々日よけに、つばの広いモスリン製の帽子を被ることにした。ついでにデジレとコレットもキャプリーヌ帽を被った。
リボンやレースなどで装飾されたキャプリーヌ帽は、可愛らし過ぎて気後れしそうだったけど、母や侍女たちが「似合う。可愛い。」と褒めそやかして騒がしかったので、わたしは諦観して被ることにした。
祖父母が居なければ、母がわたしの外遊びを反対しないのは判っていたしね。
そして、わたしたち3人が小径を散策していると弟のジルベールたちが駆け寄って来て、一緒に巡ると声を掛けられ、それ以来天気の良い日の午後は、共に小径を散策することにしたのだ。
それまでは、午後のお茶の時間まで15分位の散歩だったけど、弟のジルベールたちが加わることに寄り、フラフラと遊歩道を外れ、庭園を遊びながら歩いて、ガセポや木々の間に在る陽だまりで、バスケットに詰めたティーセットで、御茶会をするように為ったのだ。
杏や桜桃の木々の間を縫うように作られた小径は、白や薄紅の小さな花々が5分咲きで、わたしの目を楽しませてくれる。
中央塔や東棟の2階から見れば、小さく咲いている木々の花と西棟から延びる黄白色の馬車通りの煉瓦道と様々に分岐している赤味がかった煉瓦造りの小径が、西の庭園を美しく臨めるだろう。
歩いている小径の先には、裏山から引いた小川が、サラサラと流れている。
わたしは、春の長閑な風景を眺めつつ、『ジルの誕生日を過ぎると、この小径は毛虫通りになるのよね。くわばら、くわばら』と口の中で呟き、花びらが散り、葉桜に為った葉枝の毛虫玉を思い浮かべ、背筋が寒くなった気がして、頭を軽く振りゾワゾワとしたイメージ映像を打ち消し、薄紅色に染まる桜桃の梢に目をやった。
「姉さま。今日は缶蹴りをしましょう。良いですか?」
「ふふ。良いわよジル。」
わたしは、弟のジルベールたちに、前世で遊んだ遊戯を教えている。
子供が遊ぶと言う概念が余りない世界だったので、弟たちへ想い付いた時に、遊び方を教えていたのだ。
鬼ごっこやかくれんぼ、影踏み、かごめがごめ、カゴメ‥‥等々。
昨年5歳になり、勉強時間が増えた弟に、午後の茶会で気軽な外遊びのルールを教えたのだ。主に成人を過ぎた従者とその見習の側近候補のエミール(当時7歳)とリーシェ(当時8歳)に。幼い弟やセルジュでは細かなルールを理解するのが難しいと考えての措置。実際にエミールたちと一回実体験すれば判り易いと思ったのだ。
大人の従者たちや護衛騎士たちを巻き込んで、大変楽しかったと満面の笑みで「姉さま、ありがとうございます。」と報告するジルベールは天使だった。
前世「ニホン」の歌い回しでは、ジルベールたちに通じないので、歌詞なんかも変えてみた。
先ず二グループに分けて、それぞれ手を繋ぎ合って横並びになり、向かい合う。
所謂『花いちもんめ』なのだ。
一回目
♪
勝って嬉しい可愛いヒバリ。
負けて悔しい裸のヒバリ
その羽根が欲しい。
その羽根じゃわからん。
あの羽根が欲しい。
あの羽根じゃわからん
この羽根が欲しい。
この羽根じゃわからん。
相談しようと、そうしよう。 ♪
で、集まってジャンケンして勝ったら2回目からは、「勝って嬉しい可愛いヒバリ。負けて悔しい裸のヒバリ」を繰返し、人を呼んだり、籠を置いたり、巣を取ったり、弓を担いだりして、ヒバリの羽根を毟って行く歌詞にしてみた。
なぜヒバリ?
寝てたらピーチュル、ピーチュルルルルゥ-と五月蠅くて起こされた。 全く繁殖期の鳴き声は延々と長く続いて鬱陶しい───と思ったからではないからね?
わたしの脳内で可哀想な羽根を毟り取られた裸のヒバリを量産してないからね。
生垣や木立が開けたいつもの場所で、弟のジルベールが駆けて行き手を振って、「早く」とわたしを呼び、その声に釣られるようにわたしたちは足を速める。
弟の傍に居た護衛騎士の1人が、用意していたスズで鋳造された円筒形の缶を地面に置いている。
ジュースの空き缶など無いので、改良型サモワールを作ってくれた職人に頼んで作って貰ったものだ。
蹴ったり、木々や石などにぶつかったりして、凹んでも修復が容易なのだ。それに蹴った時の「カン!」って音が郷愁を誘い、カウントダウンを刻まさるような胸の焦りを冷まして呉れる。
「あの音ってヒーリング効果があるよね。」とデジレに耳打ちすれば、「わかんない。」と返された。
残念なことにデジレは缶蹴りをしたことがないそうだ。
さて、毎回じゃんけんに負けて、スタートが鬼になってしまうわたしだけど、今日こそは「チョキ」を出して勝ってやる。
柔らかな春の陽射しを浴びながら、散策と言う名の外遊びを愉しむ為に、スカートの裾をヒラリと翻し、賑やかに話しているジルベールたちの傍へと向かった。
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