ep38 新年に王子サマの婚約者候補を愚考する
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「うわっ。オリビアの口元が、またニマニマと緩んでる。」
わたしの左手の甲で、クルリと丸まって寛いでいる小っこいペルシャ猫モドキを愛でていると、デジレが顔を近付け、声を潜めてわたしの耳元で囁いた。
デジレは、前世の記憶持ちであることをわたしに打ち明けてから、一挙に互いの距離が縮んで、タメ口と為った。それはとても嬉しいのだけど‥‥‥。
この状況は不味い!不味過ぎる。主にわたしの様子が。
猫型にチェンジした『モドキ』が可愛くて、遂、スルー出来ずに無意識で、眺める癖が付いたのだ。
モドキが妖精型の時は、スルー出来たのに、猫様に為ると一転モドキの愛らしさに、目が惹きつけるられてしまう。
気を付けないと、一点を見詰めてヘラヘラと笑う頭の可笑しな少女だと、周囲に思われかねない。 わたしは、相変わらずデジレにも、『モドキ』の存在を秘密にしているのだから。
はあー、何でデジレにモドキの話をしようと思えないのかしら?
わたしは、デジレの言葉に口元を引き締め、モドキから目を逸らし、休んでいた刺繍針を持ち直して、ジルベールのプレゼント用の刺繍を再開した。
眼だけではなく口元を引き締めつつ、わたしは新年祭の準備をする祖父母や母たちを眺めていた。
これも貴族令嬢に相応しい表情筋を鍛える訓練だと思えば───。顔面神経痛になりそうな頬や目尻を両の指先でマッサージしながら、新年祭の休暇で帰省するデジレやコレットたちをわたしは見送った。
◇◇
新年の祭りで或る聖ユリウス降臨祭が、王都や各領地で執り行われ、春の社交シーズンの幕が上がる。
聖歴では、1月が新年とされているが、フローラル王国で祝う新年は、旧歴の3月が新年と為る。 そう言う訳で、前世と違い12月にソラリス神の顕現祭は或るが、1月1日の新年祭は、ユリウス教の聖職者たちが中心となって執り行う、厳かで儀礼的なものだ。そして3月1日の新年祭は、ユリウス様の降臨した祝祭日を兼ねて、王侯貴族や平民たち総出で祝う華やかなものだ。
そう、1月の新年祭に比べ、賑々しく華やかなのだ。
例年なら当主夫妻である祖父母は、春の始まりを告げる社交シーズンに参加する為、王都パルスへ出向き、領地での応対を母と家令のセバスに任せるのが恒例だった。
しかし今年は、来客を中央塔の大ホールで、曾祖父や祖父母、母たち家族一同で、歓待している。
3月1日から始まる新年祭、そして3月15日まで催されている降臨祭を祝し、アーシュレイ侯爵家の本家一同が、領主館で来賓を出迎えている。
例年と違う理由は、わたしが祝福を得たからだそうだ。やはり婚活市場のセリに掛けられている気分がする。アーシュレイ侯爵家の長女であるわたしには、仕方のないコトかも知れないけれど。
なんだかんだと言っても、貴族社会に於ける祝福持ちの価値は高いのだ。
ユリウス教が広まりアトラス大陸がロマン帝国に統一されて以降、祝福持ちが貴族階級へと移行し、貴族の証として扱われていた時代が長かったから、その名残りの様なものらしい。 教育係のミランダの話によると───。
降臨祭が終わり、祖父母たちは滞在していた親族たちと王都へ向かい旅立ち、騒がしかった領主館の中央塔や庭園が、今は通常通りひっそりと静まり返っていた。
コレットは、未だ休暇中で領地から戻って居ない為、今はデジレと私室で、勉強の合間のティーブレイク中だ。
窓から見える明るくなった朧な春色の空を眺めて、新年や降臨祭の休暇中に起きたことをわたしはデジレと二人で話し合っている。
「リビーは推しだった王子サマと婚約するの?」
ヘラリと口元を緩めてデジレは、好奇心いっぱいにハニーブラウンの瞳を輝かせ、話し掛けて来た。
「いやあ、まだ未定の話だよ。一体デジレは、どっから其の話を聞いたの?」
「母さんが話して呉れた。中央塔で聞いたって。で、真相は?リビー。」
「休み明け直ぐなのに情報が早いよ、デジレ。お祖父さまが、そう考えて居るだけって話で、何も決まってないはずよ。正直、婚約者にターゲットは勘弁して欲しい。それにフェリクス殿下の婚約者候補には、ゲーム通りアデライド公爵令嬢に為ると思う。家格的にも魔力レベル的にも年齢的にも。」
「残念だね。リビー。折角の推しなのに‥‥。」
「いいえ、全く!わたしはゲームの攻略者から出来るだけ離れたいので!!」
わたしは「フン。」とデジレに鼻を鳴らして、白磁に緑色の縁取りの或るティーカップから、カモミールティーを口にする。
どうやら当主で祖父のレイモン・ド・アーシュレイ侯爵は、わたしが祝福持ちだったことに気を良くして、第二王子であるフェリクス王子殿下と婚約させようと、新年の挨拶に来た親族たちと相談していた模様。
フェリクス殿下は、わたしより2歳年下で、弟のジルベールと同じ年。
母から聞かされて「ないわー」と遂ポロリと零してしまった。
本格的な根回しは、領地での降臨祭を終え、春の社交シーズンで祖父母たちが、王都へ向かってからになる。
祖父のレイモン侯爵は、鼻息荒くヤル気満々のようだったと、眉を八の字にして溜息混りで、母がわたしに話していた。
わたしにも、新たな宮廷に顔の利く家庭教師を王都で探して来ると祖父が話し、親族たちと意気揚々と馬車を連ねて旅立った。
全くもって迷惑な話である。
王族の祝福属性は秘匿されているので、どの属性が婚約者候補に成れるのか、現時点では不明。
と、言うことに成っている。
確かにゲームでもフェリクス殿下の魔力属性の記述は無かったから、祝福は無いモノと思っていた。
しかしゲーム『ライラックの花が咲く頃に』では、土属性で魔力レベル3のアデライド・クレマチア公爵令嬢が選ばれたハズなので、魔力レベル1のわたしは選外になると考えて居る。
それに筆頭公爵家であるクレマチア家の方が、選ぶ側からすればお得に見えるはず。
どの道、来年の夏至祭に行われる祝福の儀を終えるまで、フェリクス第二王子殿下の婚約者を決めること等は出来ないのだから、無駄な体力を消費せず祖父は大人しくしてくれたらと願ってしまうのだ。
特に今年、聖歴の年末は流感に罹る恐れがあるので、祖父にはのんびりと体力を温存して欲しい。
今までと違い、祖父母と交流を重ねれる様になり、分り難い優しさを感じられる今は、長生きして欲しいと切に願わずには居られない。
それかいっそうのこと祖父をアーシュレイ侯爵領に留めず、防疫を諦め、王都で滞在させる手段を考えるべきか。
祖父が、流感に感染しなければ、母も罹らない気がする。
───でも、やっぱり無理か。
収穫祭は、徴税シーズンでもあるので、12月の年末まで皆、大忙しなのだ。
「はあ、どうせフェリクス殿下の婚約者が決まるのは10歳くらいなんだから、多忙なお祖父さまは、のんびりと趣味の狩りや乗馬をして居れば良いのに。特に疫病が流行る今年と来年の冬は。」
「それは私たちには分らない大人の事情が或るのよ。きっと。でもリビーはゲームで祝福を持って無かったのだから、新たなイレギュラーに為るかもよ?」
「良いイレギュラーかな?デジレ。」
「そうなるように私は神様に祈ってる。リビーも余り考え過ぎないでね。」
「うん。有難うデジレ。」
「どういたしまして。」
「眉間に皴が寄り過ぎだよ。」とデジレは右手の人差し指で、わたしの金縁フレームの上の額を軽く押して、カラカラと明るい声で笑う。
先日、母からフェリクス殿下の婚約者候補の話を聞いて、新年早々から重たい気分で過ごしていたけど、休暇明けのデジレと話している内に、「ふふ。」っとわたしは互いに笑えるくらい心が軽く為った。
現状をゲームの話として茶化して喋ってくれるデジレは頼もしい存在だ。
冬の名残と春の兆しが混在する窓の外の景色に、わたしとデジレの密やかな話声がとけるティータイム。
ティーカップのカモミールティーを飲み干し、わたしたちはとめどない雑談をしながら、ローランの訪れを待った。
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